二章 二日目 ⑪
会話の流れを断ち切って、不意にカイは鳥小屋の枠木に手を触れた。一度建てられたものを改築して広くしたのだろう。そんなお手製の工事の跡をカイは慈しむようにさする。
「ここの鳥小屋は実によく整備されているし清潔だ。神じゃない、シスターニーナがやったんだ。職業柄寺院を訪れる機会はよくあるが、住んでいる鳩がここまで生き生きとしている鳥小屋は見たことがない」
「そう……なんですか」
「仲間に疎まれ避けられ監禁までされそうになっても、弱い物への施しを絶やさなかったんだ。こんなことが神にできるか?」
「神様の教えに従っただけでは」
「断じて違う。シスターニーナの心根が正しかったからだ。勝手に神の手柄にするな」
勝手にって。私、張本人なんですけど。
「あの、カイ様」
「なんだ」
「いえ、なんでもありません」
もしかすると、この方はこの方なりに私のことを慰めようとしてくれているのかもしれない。
カイは急に空模様が気になったようで視線を天に逃がしている。その顔が心なしか赤らんで見えるのは、夕暮れの太陽のせいだろうか。
ありがとうございます。そう言うのも何だか違うような気がして、私も黙って空を見上げた。
「では、そろそろお屋敷に戻りましょうか。今なら日が暮れる前に帰れます」
「わかった」
最後にもう一度鳥小屋の枠木に触れてカイは振り返った。私も同じく踵を返し、
「――痛っ」
その瞬間、右足に痛みが走った。
「どうした?」
「靴擦れが」
機能性度外視の高級靴を履いて歩き回ったからだろう。見れば踵に血が滲んでいる。
「これくらい大丈夫です。歩けます」
「そうはいくか」
そう言うとカイはいきなり私の足をすくい、いとも簡単に体を抱え上げた。
「ちょ、ちょっと、何をしてるんですか!」
「軽い。もっとメシを食え」
お姫様抱っこの私をゆさゆさ揺らしながらカイは歩き始める。
「そうじゃなくて! 降ろしてください。一人で歩けますから!」
「日暮れまでに帰りたい。怪我人のペースに合わせてられん」
「だからって! だからって――」
こんなの恥ずかしすぎます。神様だって見てるのに。すれ違う人だって見てるのに。
「こら、ジッとしてろ」
ジタバタと蠢く私を窘めるように、カイはキュッと腕に力を込めた。
背中と膝裏に回された逞しい腕が否応なしにその存在感を主張してくる。押し付けられた胸板は見た目よりずっと逞しかった。どうしよう、顔が熱い。前を向いても横を向いても人の目が恥ずかしい。
かと言って上を見てしまうと、
「どうした?」
人心を惑わず悪魔が作り上げた兵器のような美しい顔が間近にある。
「お、お願い……です。降ろして……恥ずかし……い……です」
「なんだ? 何と言った?」
顔っ。これ以上顔を近付けないで。
「馬車までもう少しだ。我慢しろ」
無理です。これ以上続けられたら。
これ以上抱き続けられたら、気付かれてしまう。
神様、お願いです。
どうかどうか、私の鼓動がカイ様に聞こえませんように。
でたらめに暴れ狂う心臓の音がカイ様まで届きませんように。
恥ずかしい。はるばる天羽教の総本山までやって来て、最初の祈りがこんなことになるだなんて。
「どうした、ルチェラ。何をモゴモゴ言っている」
「いえ、その……ルチェラって」
「ん?」
「……なんでもありません」
――ルチェラ。
は、私が洗礼名を思い出すまでの仮の呼び名のはずだった。
それでももう少しだけルチェラのままでいたい私がいた。
暴風公爵に魅入られた私は、もう神様の元には戻れないのかもしれない。
*****
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《発売記念★試し読み》暴君公爵の不敵な溺愛 教山ハル/富士見L文庫 @lbunko
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