二章 二日目 ⑩


「これが神に仕える者のやることか。反吐が出るわ」


 そこに誰の姿が見えているのか、カイは空を見上げて吐き捨てた。


「修道院長に会う必要があるな。イッター四世はどこに行った?」

「恐らく王宮かと。亡くなった聖皇帝の対応を内々に済ませていると思われます」

「つくづく胡散臭い奴らだ」

「……あの、カイ様。もう喋ってもいいでしょうか」

「ああ」


 首にかけられた手の力がふっと弱まる。その緩みに乗じるようにして、私は深々と頭を下げた。


「お願いです、シスターイザベラを責めないであげてください」

「なんだと?」


 信じられないとでもいうようにカイが目を丸くした。


「お願いです、カイ様」

「お前……本気で言ってるのか? やつらの言っていたシスターニーナは――」

「はい、全てわかっています。でも、あの状況で彼女にできることは多くなかったと思います。だから責めないであげてください。この通りです、お願いします」


 再度頭を下げると帽子が脱げて石畳に落ちた。なぜだろう、シスターイザベラの非難を聞くと胸が痛い。涙が溢れそうになる。だから――


「お願いします」

「まったく。お前は度が過ぎるほどのお人好しだな、そんなことだから……まあいい」


 そう言うと、カイは落ちた帽子を拾いあげ、丁寧に埃を払って私の頭に載せてくれた。まるで頭を撫でるかのような優しい手つきだった。



 

「さてと、修道院長が不在なのは痛かったですが、それでもわざわざウォーカイル大寺院まで訪ねて来た甲斐はありました。彼女達の言うシスターニーナはルチェラさんでほぼ間違いはないでしょう。身体的特徴と何より歯ぎしりの癖が一致しています」

「そうだな」


 え……? 歯ぎしり? 私……え? え? 


「しかし、あの連中の口ぶりだとルチェラが脱走したことに気付いていない人間も多いようだな。意図的に隠ぺいされているというべきか。十年ぶりに使用された懲罰房、逃げ出したシスターニーナ、そして、崩れた石橋。これがはたして偶然なのか。それらも含めて、何か思い出すことはあるか?」

「え、あ、いえ、まだ何も。ただ私が――シスターニーナが脱走した理由ならだいたい想像はつきますけど」

「言ってみろ」

「単純に嫌になったんだと思います、ここでの暮らしが」


 まったく、これはどういう悲劇なんだろう。あるいは喜劇と呼ぶべきか。私は記憶が戻ったら家に帰れるのだと思っていた。帰る家があるのだと疑いもなく信じていた。しかし、現実はどうだ。信仰と信愛に満ちたこの寺院にすら私の居場所はないらしい。


「シスターニーナは陰気で社交性がなく腫物扱いの上に、悪魔憑きだと村八分にされ、挙句懲罰房にまで入れられました。こんな人生投げ出したくなるのが当然だと思います」

川の畔に倒れていたのも、あるいは世を儚んだ結果なのかもしれない。

「いや、それはない」


 しかし、カイは私の捨て鉢な言葉を言下に否定する。


「なぜ、わかるんですか」 


 カイはその質問には答えず、代わりに一枚の紙片を差し出した。

 それはシスターイザベラから去り際に受け取った紙切れ。懲罰房に入れられようとするシスターニーナが最後に託した思い。そこにはたった一行短いメッセージが認められていた。



『帰るまでポッポの世話をお願いします』




 ……いや、ポッポって。


「これって鳩のことでいいんですよね」

「そうだろうな。末期のシスターニーナは鳥小屋の鳩しか話し相手がいなかったと言っていた。ここの世話をしていたのはシスターニーナだろう。ここまで愛情を込めた鳩達を捨てて、ただ逃げたとは考えにくい。シスターニーナには逃げなくてはならない事情があったんだ。それこそがルチェラの記憶を戻す鍵になるはずだ」


 ――逃げなくてはいけない事情。


「こんなことが神にできるか?」

「……え?」

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