一日目 放浪 <三>

「ただいまー」


「お邪魔しまーす」


「おかえり。隣の子は?」


「こっちの知り合い。今日家に親がいないんだって。ご飯だけ食べさせてくれない?」


「そりゃいいわよ。あなたお名前は?」


「佐竹優花です。すいません急に」


「別に気にしないで。有り合わせしかないけれど」


「いえ、ありがとうございます」


「そう固くなることないでしょ。私たちの仲じゃん」


「あーさんの親御さんには敬意を払う理由がありますから」


「あらそう?」


「見ての通りのいい子だから。もうご飯できてる?」


「すぐ食べれるようにはしてあるけど、まだ早いんじゃない?」


「わかった。じゃあ先に服選ぶか」


「ありがたく」


「ダイニングにいるから、ご飯食べるときは降りてくるのよ」


「うん。まあこっちのことは気にしないでよ」


「ありがとうございます」


 私の服は、二階の私の部屋に纏めてある。小さいサイズのものは捨ててしまっているかもしれないが、私とゆうかはあまり体格に違いはない。ゆうかの方が若干背は低いかもしれない。


「言った通り、察しのいい親でしょ」


「本当にね。名前以外なにも聞いてこないとは」


「ま、私への信頼があるから」


「あーさんが連れてくる程度の人間なら多少アレでも捌き切れるんだろうなー」


「私ほど器の大きい人間はそういないんだよ?」


「お母さまの器が大き過ぎる、っていう話だよ」


「ものは言いようだね」


 狭い階段を上がって小綺麗な自室へと向かう。こうして友人を、友人?とにかく、誰かを部屋に招くのは久しぶりだ。特に見られて困るような物は残っていないが、そこはかとない緊張が走る。


「生活感ないね」


「生活してないからじゃない?」


「そうなの?なんとなく一人暮らしとは無縁なイメージだけど」


「とっくに一人立ちしてますぅ。今帰省中」


「そうだったんだ。大学?」


「そ」


「ふうん。あーさんはあれだね。文系風な理系顔してるね」


「私美大だけど」


「ならさぞかしお洒落な服で溢れてるんだろうなー」


 ゆうかは戯言を垂れ流す程度には、服装へのこだわりがあるらしい。特に貸せない服などなかったため、部屋を自由に漁らせることにした。


「シンプルだね。どれも」


「組み合わせを楽しんでよ」


「モノクロばっかりだけど」


「好みの服を買ってなにが悪い」


「おっ、これいいじゃん。今のトレンドとも遠からずって感じ」


「当時はドンピシャだったんだよ」


「言うほど経ってないけどね。うーん、これと、これ。借りていい?」


「どれでもどうぞ。どうせ私は着ないから。なんなら全部持っていく?」


「古着の処分は自分でどうぞ。うん、これだけ借りるよ。三着分あれば十分だし」


「えー?ワンピースもあるよ?」


「お宝に興味はないもんで。ねえ、この部屋、もっと見てみていい?」


「いいけど、ゆうかちゃんが見たいであろう物はないよ」


「言質いただき」


 何を探しているのか、古い教科書達が眠る勉強机を漁り始めた。下の段から開け始めるあたり、なぜか手慣れている。


「おっ、へえ。結構頭いいんだね」


「まあ。見ての通りといいますか」


「うわっ。こんなの何書いてるかすらわかんないわ」


「ゆうかは見た目ほど真面目じゃないんだね」


「これは世を忍ぶ仮の姿ゆえ」


「真の姿はガングロってことか」


「ガングロなんてあーさんの時も死語だったと思うけど」


「じゃあそんな言葉を知ってるゆうかはミイラだね」


「博識なだけ」


 引き出しに詰め込んであるノートを適当に開いては、何かしらのコメントを残す。まさに、普通の友達と絡むときのそれだ。至極自然なそれが、私の目には不自然に映った。面白いか?


「ん?掘り出し物来たかも」


「まじ?」


 すぐに頭をフル回転してあらゆる可能性を考え、一つの答えに辿り着いた。閉じ込めていた記憶の氾流。まずい。


「野村綾さんへ。これ、所謂、恋文的な、ラブレター的な、あれだよね」


「どれ?あー、そうだね。高二の時にもらったやつ」


「平然としてるところに途方もない怒りを覚えます」


「別に私が書いたわけでもないしね。彼だって笑い話にされたほうが本望だって」


「本気で言ってんの?」


「本気で言ってるよ?断った翌日にラブレター送ってくるような面白い人なんだし」


「あー、なるほどね。じゃあ内容も?」


「あんまり面白いから、勢いあまって破っちゃったんだよね。だからその封筒の中は紙くずだよ」


「なんか、苦労してたんだね」


「ま、良くも悪くも若かったから」


「若さ関係ないでしょ。でも、確かに今のあーさんなら同じことにはならないかもね」


「うん。ありがとう」


「煽ったつもりだったんだけど」


「会話の本質を決めるのはいつだって受け取る側なのさ」


「何言ってんの?」


「もう十分見たでしょって言ってんの。面白い物なんてなかったでしょ?」


「十分すぎるくらいには面白かった。流石にこれ以上は出てこなさそうかな」


「わかってるんならご飯食べに行こ」


「なに?お腹空いてんの?」


「お腹が鳴るのを抑えるのって腹筋使うんだよ」


「そんなこと、現役jkが知らないわけないじゃん」


 ゆうかは取り出したノート達を元の棚に戻し、立ち上がった。お腹が空いているのは事実だし、これ以上面白い物なんてないのも事実。だが、彼女に見せるわけにはいかないものは、隠し通すことができたようだ。

 ゆうかが手紙を取り出した瞬間は本当に心臓が止まったが、読み上げてくれたおかげで蘇った。例の手紙の書き出しは確か、いや、無理に思い出すようなことではない。とにかく、今回ばかりは松本、松村?松なんちゃら君に感謝せねばならない。


「かあさーん!ご飯お願ーい」


 階段を降りながら、下の階に声をかける。この家は構造的に、声が通りやすくなっているのだ。と言うと聞こえはいいが、要は部屋を仕切る壁やらが薄い。


「なんか、今更申し訳なくなってきた」


「もう遅い。色んなところから楚の歌が聞こえるでしょ?」


「あーさんが変なのか私が馬鹿なのか」


「どっちもってこともあるね」


 最近の高校生は四字熟語を習ったりしないのだろうか。祖国の歌が聞こえて負けを確信する、なんてエピソード、一度聞いたら簡単には忘れられないだろう。

 階段を降りていると、母が部屋から顔を出した。なんというかこう、曲がりなりにも客がいるということを意識させない動きだ。


「晩御飯の支度できてるわよ。そういえばゆうかちゃん、食べられない物ある?」


「ナッツ系はアレルギーで」


「冷やし中華に入ってたらびっくりだね」


「胡麻は大丈夫?」


「大丈夫です」


「じゃ、いいじゃん。早く食べよ。色々あって忘れてたけど、私今日かなりの重労働したんだよ?」


「そうなの?寝てただけじゃなくて?」


「誤解がすぎる」


 本来の私の使命とあの家に隠された罠を説明し、彼女から形だけの賞賛を拝領して、久しぶりに賑やかな食卓となった。私と母の仲が悪いわけじゃない。ただ、長い時間を共有する家族という関係では、無駄な言葉が生まれない。

 彼女がいたことで、疑問があり、返答があり、説明があった。初対面だからこそ、自然と言葉が生まれたのだ。それを楽しく感じることができたのは、一重に彼女の気遣いと相性のおかげだ。あ、二重か。


「ありがとうございました」


「いいのよ。次からは事前に連絡してくれたら、もっとちゃんとしたもの用意しておくわね」


「ちゃんとなんて、冷やし中華滅茶苦茶美味しかったですよ?」


「なら良かったわ。またいらっしゃいね」


「はい。また来ます!」


「じゃあ私ゆうか送ってくるから」


「ええ。気を付けてね。ライトは?」


「忘れてた」


 下駄箱を開けて一番上の段。昔からここに大小の懐中電灯が置いてあった。ここでは夜でも道は明るいなんて常識は通用しない。


「じゃ、いってくる」


「ありがとうございました」


「またねー」


 戸を閉め、水筒のような形をした懐中電灯をつける。見た目以上にパワーが強かったらしく、土の地面で反射した光が一瞬眩しかった。


「思ってたより涼しい。あと静か」


「落ち着かない?」


「うん。なんか、私にとっての『静か』からもう一段階沈んだ感じ」


「なるほど。私は逆だったよ」


「っていうのは?」


「私、こっちで育ってから都会に行ったんだけどさ。夜中の車やらの音、まあうるさいわけだよ」


「そっちはこれで慣れちゃってるわけか。贅沢だね」


「でしょ。まあすぐに慣れるよ」


「まるで慣れなきゃだめって思い込んでそうな言い方するね」


「慣れないでい続けるのは贅沢が過ぎるよ」


 なにか捻ったことを返してくるだろうと構えていたが、返事がない。ただの屍となっていないか確認しようと彼女を見ると、彼女は立ち止まって上を見ていた。


「あーさん、凄いね」


「地上が暗いからね。星がないところも明るいでしょ」


 つられて懐中電灯の明かりを消した。わずかな光も消え、お互いの顔すらはっきりしない。


「こんなのがいつも頭の上にあるなんて、ちょっと怖いね」


「確かに。でも下にありゃいいってものでもないじゃん?」


「下、にもあるんじゃないの?」


「おっと鋭い」


 ゆうかは、初めて笑った。笑みでも愛想笑いでもなく、静かに空気を吐き出すように。


「鋭いって、誰でも知ってることでしょ?」


「知ってるんじゃなく、知ることができる、の方がしっくりこない?」


「おっ、そこに気付くとは」


 私は彼女と駄弁りながら、目では星座をなぞっていた。彼女が声を吐いた後の不自然な沈黙すら、心地良い夜の一因になっていた。


「あーさん」


「うん?」


「死ぬまでにしたいことの話、したじゃん?」


「したね。決まったの?」


「決まってなかったけど、達成しちゃった」


「ん?あー、ま、達成したならいっか」


「思考放棄しないでよ。眠いの?」


「全然。でも、達成できたならそれ以上のことはいいんだよ」


「なるほど。それもそうだね」


 暗くて表情はわからないが、少しでも満足そうな顔になってくれていることを祈った。それしか、できないのだから。


「あの家からも星、見えるよね」


「どこからでも見えるよ。あっでも蚊には気を付けて」


「急に現実的なこと言うじゃん。エモかったのに」


「えも、江藻?えも、かったね。うん」


「よっし。切り替えた。家着いたらお風呂の使い方とか教えてね。流石に薪とか言わないでよ」


「大丈夫。二年ぐらい前にリフォームしたはず」


「節々に脅しを感じる。薪割りは任せたよ」



 夜は更ける。朝は、まだ来ない。

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首吊り人形の冒険 そらふびと @sorafubito

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