2-10 クリスティアンの絵


「ブライアン兄さんって実は馬鹿だよね」


 両手に抱えたクレープを齧りながら、クリスティアンはのんびり言った。


 広場の屋台前で遭遇した、リリスと六男夫婦。彼らはそのまま広場にあるベンチに移動していた。

 クリスティアンを真ん中に三人で腰かけて、三人そろってクレープを齧る。リリスはイチゴチョコ。カーラはバナナチョコ。クリスティアンは数種類のクレープを重ねてもぐもぐ食べている。ちなみにすでに数種類消費した後である。

 しかもカーラはバナナの部分だけ食べて、他はクリスティアンへと横流していた。買い溜めてある別のクレープも取り出してバナナだけ食べていた。バナナしか食べていない。

 ちなみにリリスはなんとなく蜂蜜を避けた。なんとなく。浮気になる気がして。

 ならない。


「どう考えても自分じゃなくて婚約者に対する応援なのに。むしろ妹と婚約者の仲が良好で喜ばなくちゃいけないのに邪魔するんだもん。ライラ姉さんのときもそうだったけど、いつまでも妹は自分お兄ちゃんが大好きだと思ってるんだよね。別に二人ともブライアン兄さんを嫌いになったわけじゃないのに、何事も一番じゃないと納得しない困ったお馬鹿さんだよね」

「クリスにお馬鹿さんだなぁって思われているって知ったら、ブライアン泣いちゃうんじゃないかしら」

「泣いちゃうかもしれない」

「ブラちゃん泣いちゃうのぉ?」

「泣いちゃうよぉ」

(え、ブラちゃん!?)


 チョコバナナからキャラメルバナナ。続いて蜂蜜バナナに移行していたカーラがきゃらきゃらと笑った。リリスはブライアンが女の子に麗しの騎士様として扱われているのを長く見て来たが、ブラちゃんなんて気軽に呼ばれているのは初めて見た。あのブライアンがブラちゃん。


 この二人はブライアンの家で世話になっているが、昼間は画廊を廻っていたらしい。

 クリスティアンは画家になりたいと飛び出した駆け出しの画家だ。無名に近いが、意外と食うに困らない程度に売れていた。

 というのも、顧客をしっかり獲得しているのだ。

 今回もその客に描き溜めた絵を売って来たらしく、その収入でクレープ全種類制覇へ繰り出すことを決めたらしい。


(クリスの絵に、そこまで値段がつくのもびっくりだけど…)


 何せリリスには理解できない世界だ。


 実際の景色や人物をスケッチするのが好きなリリスは、抽象画はちょっと苦手だった。否定的なわけではない。目に見えない五感や心情を表現する色彩は、こちらに直接語りかけてくるようで思わず目が惹かれる。

 作者本人と解釈は異なるかもしれないが、題名と作品のメッセージ性についてじっくり考えるのは好きだ。


 人や風景画、目に映る映像を描いた作品を具象画。

 目に見えない、言葉にできないものを描くのが抽象画。


 抽象画は一見すると落書きに見えることもあるが、幾何学的な色彩の配置は計算されている。偶然出来上がった構成を作品として仕上げることもあるが、アレはとっても考えられている作品なのだ。

 ただ、クリスの絵は…。


(下書きの段階だと具象画なのに、色塗りすると抽象画になるのなんでぇ!)


 はじまりは現実の景色を切り取ったように正確な具象画を描きながら、何故か色塗りすると下書きが行方不明になって抽象画に変身している。

 本当になんで。


(抽象画を描こうとして完成するならわかるわ。でも具象画を描いていたのに完成が抽象画になるの、納得いかない!)


 印象派と呼ばれる、具象画と抽象画の中間…物事の正確性ではなく、その人視点の感覚派の描く作品とも違う。アレはちゃんと原型があって、描いたパーツを組み合わせて何が描かれているのかわかる。

 題名がなくても何を描いているのかなんとなくわかる、これが抽象画との違いだと思っている。


 だけど違う。クリスティアンはがっつり抽象画に仕上げてくるのだ。

 たとえば仔馬を描いていたのに、動物らしさ皆無のピンクと黒の線だけの作品になっていたりする。

 仔馬どこ。下書きの段階で今にも飛び出してきそうだった仔馬はどこへ消えたの。


 おかげ様で、リリスは怖くて自分のスケッチに色塗りができない。

 何せクリスティアンの妹なので、自分も色塗りをしたら抽象画になるのではないかと不安なのだ。不安というか恐怖だった。

 だってどの段階でも迷い無く筆を入れているのに、全く違う作品が出来上がるのだ。横から見ていて恐怖である。


 なので、リリスはクリスティアンの絵をどう評価したらいいのかわからない。わからないので、買い手が付くのも納得がいかない。

 過程を知っている所為で、兄が描いた絵、ホラー作品だと思っている。


 妹がそんな恐怖に襲われているなんて知らないクリスティアンは、のんびりクレープを食べつくして指についたクリームを舐めとっていた。隣のカーラがハンカチを取り出して左手を拭いてあげている。


(思ったよりカーラさんがお世話焼きなのね)


 テンションは高いし言動がキャピッとしているが、何も言わずクリスティアンの世話を焼くのは板に付いていた。


「で、リリスはこのあと、そのオニキス様にちゃんとフォローするんだよね?」

「え?」


 急に話しかけられて、リリスはきょとんと顔を上げた。

 クレープをぺろりと食べたクリスティアンと違い、ちまちまイチゴチョコを咀嚼していたリリス。なんのことだろうと聞き返そうとして、口の中にまだクレープがあることに気付いた。

 必死に咀嚼する。

 ちまちまちまちま口を動かして頑張ってごっくんした。

 その一部始終を見ていたカーラが金色の目をキラキラさせてリリスを見ていたが、食べるのに一生懸命な小動物リリスは気付かない。何故なら害意のない視線なので。

 野生では生きられない野放しにはできない小動物ばぶちゃんは、クリスティアンに問いかけた。


「フォローって何を?」


 その問いかけに。

 六男夫婦は顔を見合わせた。


「わあ。大変だカーラ」

「大変だぁリスちゃん」

「「この子ってば小悪魔ぁ~」」

「えっえっえっ」


 急に顔を見合わせて頷いた二人は、さっと立ち上がって端っこに座っていたリリスを真ん中に座り直した。半分になったイチゴチョコを両手に抱えたまま、リリスはあっという間に六男夫婦に挟まれる。

 なにごと。


「分かり切っていることだけど、分かり切っていることだけど」

「ちゃんと『あなただけを応援しました♡』って伝えるの大事だよぉ~」

「えっ?」


 クリスティアンの手が肩を抱き、カーラの手が腰を抱く。両側から挟まれるようにくっつかれたリリスは目を白黒させた。

 クリスティアンはもともと距離の近い兄だったが、兄嫁も距離が近い。


「だって今までブライアン兄さんばかり応援していたわけでしょう?」

「ブライアンさま頑張って♡ 頑張って~♡」

「今日やっと応援してもらえたけど、それもブライアン兄さんが自分の応援だと主張したんでしょう?」

「あれあれぇ? おかしいぞぉ?」

「分かり切ったことだけど、分かり切ったことだけど」

「「どっちの応援だったのかなぁ~?」」

「え、え、ええ~~??」


 無表情で悪ノリするクリスティアンと、悪戯っぽい表情で笑うカーラ。

 この夫婦、テンションが凄く似ている。

 似たもの夫婦だった。


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2025年1月10日 06:00

俺以外見るなと言われても!【二章連載中】 こう @kaerunokou

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