厳冬の朝から僕たちは

紫鳥コウ

厳冬の朝から僕たちは

 雪の日に夏のお話を楽しむことを、「まったく理解できない」と、情緒を大切にするかえでは言い捨てる。だけど、雪国に情緒を求めていた楓は、厳冬を甘く見積もっていたから、身を切るような寒さにえかねて、僕の布団ふとんに入ってきて、もう離れなくなってしまった。

 ホテルから見た温泉街を、大きな囲炉裏いろりのようだと表現してみたり、怖いのが苦手なのに(夏だから)ホラー映画を観ては、僕の肩越しから叫んだり、銀杏いちょうの葉を、僕の背中に入れる悪戯いたずらをしたりする楓は、来春、桜を見て、それをどう表現し、どんなことを想い、どういう風に楽しむのだろう。

 まだ先のことだけれど、いまからわくわくしている。

 だけど、この雪国の冬の中では、ストーブの前から離れられず、僕が一緒にいないと退屈だと言い、食卓を囲む僕の家族とは打ち解けられず、なんだか楽しくなさそうだし、母さんからは、「将来、あの子と仲良なかよおやっていけるやろか……」と、こころから心配されてしまっている。

 楓は本を読んでいる僕のほおを人さし指で突っついてくる。甘えん坊な楓は、かまってほしくて仕方がないのだろう。

 文庫本を寝かせると、楓の肩に手をまわし、ぎゅっとこちらに抱き寄せる。するとそれを合図にキスが交わされて、僕たちは、ずっと相手を求め合ってしまう。そして電気を消してから、ひとつ布団の中で、いちゃいちゃする。最後には、抱き合いながら眠る。

 夢の中で楓は、湯たんぽだとか、春の陽だとか、そうした表現を使って、こんな僕をたとえてくれているのかもしれない。


「ヒロ坊、トメさんの方を手伝ってえな。よっちゃんが腰を痛めとるんや」

 しばらく朝陽を見ていない。この村は雪曇にくるまれているのではないかと思えてくる。ちらちらと雪が舞っている。昨夜から今朝にかけて積もった雪をいまのうちにけてしまわないといけない。

 手押し車を押してトメさんの家へ行くと、平八さんがすでに雪を路傍ろぼうに積んでいた。それを康太くんがスコップで切り崩して、台の上へ乗せていく。こんもりと盛られた雪をこぼさないように、両手に力を入れて用水路の方へと運んでいく。

「おい、ヒロ坊。お前んとこ、きいっちゃんおらんのか。人手が少のうて終わらんわ」

 きいっちゃんというのは、僕の父親の喜一のことだ。

「風邪を引いてて、寝込んどるんですよ。すんません」

「ならええわ。代わりにうんと働けや。ええな」

 からになった手押し車を走らせて、また、山盛りに雪を積んでもらう。用水路は緩やかにカーブする坂道のどん詰まりにあるため、踏ん張る力が必要だし、雪を下ろして身軽になっても、待ち受けているのは上り坂だ。

「ヒロ坊、トメさんのとこ人手が足りてきとるから、こっちを手伝えや」

 司令塔の川瀬さんは、車の走る通りに除雪機をかけている。野球部に所属する栄太や山登りが趣味の浩太郎は、僕とは違い手押し車を悠々と自在に操っている。

「お前は若い中じゃ年長なんやから、もっと頑張れや」

 川瀬さんに喝を入れられて、息を切らしながら、手押し車を引いては押し、のぼくだりと往復していった。


 粉雪はだんだんと吹雪へと変わりつつあるようで、このままだと明日も総出そうでで雪かきをしなければならないだろう。さすがの楓も、疲れて炬燵こたつとしている僕を起こそうとはしない。だけどそうされると、逆に、申し訳ない気持ちになってしまう。

 誰もが憧れる、この国の首都の一等地に家を構えているお嬢様の楓とは、大学のゼミで知り合い、そのままお付き合いをするようになり、僕が広告会社で働きはじめてからも、大切な恋人としてそばにいてくれている。

 このまま博士課程を修了しても、大学院に何百回と入り直させてあげられるくらいの財力を持っている楓の家とは、旧い表現をすれば身分違いのような気もするけれど、僕は、彼女の父親に気に入られている。

 会社をいくつも経営する楓の母親が言うには、いままで、親しい仲になる人が一人もいなかっただけに、元気に毎日を送っている我が子を見るのが嬉しいらしい。

 そして僕は、結婚を前提にお付き合いをするよう頼まれもしているのだ。

 一方で、僕の家族といえば、楓と距離を縮めることができずにいる。僕たちが結婚をする未来を想像できていないみたいだし、少し難色を示しているのも伝わってくる。


 ふと眼を覚ますと、台所から楓の声が聞こえてきた。誰かと話をしているらしい。眠気が取れないせいで起き上がれない。

「三枚下ろしはなあ、こうするんよ」

「こうですか?」

「そうそう。楓ちゃん、けっこう筋がええなあ」

 楓と母さん?――なにかの気のせいだろうか。

 炬燵の温もりは、僕をまた、眠りへと落としてしまった。


 楓に揺り起こされたのは、ひる過ぎのことで、どうやら昼食の時間らしい。三枚下ろし……という母さんの声が思いだされた。しかし魚料理はどこにも見当たらなかった。あれは夢だったのだろうか。

 まだ、楓と母さんの距離感は、縮まっていないように見える。どちらも、僕を介してでしか話をしない。風邪を引いている父さんも、黙ってご飯を食べている。居心地が悪そうな顔をしながら。


 除雪作業による疲労のせいで、午後からも炬燵で眠り呆けていた。そして、ふと眼を覚ましたときに、また、台所から楓の声が聞こえてきた。会話の相手は父さんのようで、風邪を引いているわりには、快闊かいかつに言葉を発している。

「林檎をいてくれてありがとうな。美味しかったで」

「それは、良かったです。はやく治るといいですね」

「もっと元気やったら、ぎょうさん話ができるんやろけどなあ」

 もう一度、眠りへと落ちていく前に、また幻聴だろうと思った。楓と僕の家族のあいだに、こんなにすぐに橋が架かるわけがないのだから。


 楓に揺り起こされたころには、もう日が暮れていた。

 夕食の時間になっていたが、食べてすぐに寝てしまったせいで、食欲を感じることはなかった。しかし、ひとりだけ後に食べるわけにはいかないので、食卓についた。机のまんなかに、皮が剥かれた林檎が山盛りに置かれていた。

 誰が剥いたのだろう。まさかあの会話は本当だったのだろうか。母さんに、この林檎のことをいてみる。すると母さんは、僕に微笑んで見せただけで、なにも言わずに味噌汁をおわんそそぎだした。

 どうやら外は、猛烈に吹雪いているらしい。むちを打つような風の音が、恐ろしいほどにはっきりと聞こえてくる。



 〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

厳冬の朝から僕たちは 紫鳥コウ @Smilitary

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ