第22話 馬鹿王子、巻き込まれる その十六

 フィリップ主導の形で路地裏に入り、サラから聞き出した話によると、エレナ嬢がウィンザーの叔母のところに行くこと自体は前々から決まっていたのだが、公爵の秘書室長・ヴィクターの使いがサラのもとを密かに訪れ、適当に理由をつけてタンベリーにもう一日留まるように言ってきたのだそうだ。


 そうして、ウィンザーへと向かう僕たちのすぐ前を歩いていたのも、偶然ではなく、上手く赤毛の小娘を引き留めてウィンザーへの到着を遅らせるよう指示されていたのだという。

 その理由については詮索するなと言われたが、公爵家に仕えていた時にヴィクターの噂を聞いていた彼女は、薄々目的は察していたようだった。


 あの時エレナ嬢が僕たちに話しかけてきたのも、サラがそれとなく仕向けたことなのだそうだ。

 それでいて、エレナ嬢が話しかけた後は、あまり余計な事を言うなと釘を刺す態度を取っていたのか。

 なかなか役者だな。

 しかし彼女も、魔物たちの群れに遭遇したのも飛竜ワイバーンに襲われたのも、そのヴィクターの仕向けたことだとまでは気付いていないようだった。


 そもそも、彼女は単にロレイン公爵家と繋がりがあったから利用されただけで、赤鼠とは何の関係も無いらしい。

 そんな人間を、いやそれどころか、主家の御子息の婚約者まで、平然と危険に巻き込むとは。


「ヴィクターのやつめ。承知の上でエレナ嬢一行を危ない目にわせたのか」


 フィリップが吐き捨てるように呟いた。

 彼にとっても許しがたい行いだったのだろう。当然だわな。


 サラから事情を聞き出して皆のところへ戻り、町の中心部へ向かって歩いていると、何人かけばけばしい化粧と安っぽい香水のにおいを漂わせた女性たちとすれ違った。

 そして、僕たちと前後して城門をくぐった旅の男たちに、誘いをかけている。


「朝っぱらからウィンザーの南門をくぐるってことは、ヒースリーを越えた後日没までに城門をくぐれず野宿したってことだ。そんなやつらに、ゆっくり朝飯を食ってしないかって誘ってるんだよ」


 ブリッツが説明してくれた。

 な、なるほど。そんな商売があるんだな。

 さすがに、女性陣、特に身なりのいいエレナ嬢と一緒にいる僕たちには、誘いかけてはこないようだけど。


 さて、僕らも朝食を摂ろうか、などと話していると、後ろから男女二人組が歩いてきた。

 旅人らしい装いの男と、ぴったり寄り添い腕を絡ませたけばけばしい女。安っぽい香水のにおいがただよってくる。

 男の方は、さっき城門の前で一緒に並んでいた人たちの中にいたようないなかったような……。

 足取りがなんだかおぼつかないな。早速酒を飲んだのか?

 一度その場にへたりこむ。

 女に手を引かれて立ち上がり、そのままふらふらとこちらへ……。


「ヴィクター!」


 レニーが突然叫んだ。

 え!?

 彼の顔を見知っているはずのフィリップは、何を言ってるんだこいつみたいな表情を浮かべているし、それにその男からはほとんど魔力が感じられないんだが。

 いや待て。

 ものすごく微弱な魔力だけれど、この歪んだかんじ。

 そう、昨夜対峙した時の不気味な感覚と重なり合うものが、確かにあった。

 レニーと比べても遜色ないほどの魔力抑制技術。そして姿形すがたかたちは、そうか、認識阻害魔法インピーディングか!


 男はそれまでのふらついた動きから、一瞬で刺客の動きに変わり、右手に持った針をレニーの心臓に向けて突き出す。

 その腕を、針がレニーに届く寸前で、僕は抜き打ちで叩き斬った。


 周囲の人々――エレナ嬢や天翔ける翼の面々も含め――から、驚きの叫びと悲鳴が上がる。


 ヴィクターは血がほとばしる右腕には目もくれず、今度は左手にナイフを構えた。

 が、右腕を失ったことで本来の動きは出来なくなっていたのだろう。

 僕の剣が左腕も斬り飛ばす。


 ここまではぎりぎり正当防衛が成立するか?

 さすがに、衆人環視の中で命まで奪ってしまうことに対しては、躊躇せざるをえなかった。

 そんな僕の一瞬の迷いを見逃すことなく、ヴィクターは凍結していた魔法術式を開放した。


劫火爆裂フレイムバースト


 な!? 周囲を炎の渦に巻き込む自爆魔法だと!?

 防御魔法が間に合わない! 間に合ったとしても、周りの人たちが巻き込まれるのは避けられない!


「――我が敵を封じよ、光の天蓋。魔法障壁マジックシールド!」


 爆発の寸前で、レニーの呪文詠唱が完了した。

 男がヴィクターだと気付いた時点から詠唱を開始していたものだ。

 しかも即興でアレンジを加えたのか?

 通常は術者の前に壁を作るか、周囲全体を覆う防御魔法を、ヴィクターを包み込むように展開させる。

 そしてその中心で、まばゆい光とともに火炎がほとばしった。


 凄まじいまでのほのおの奔流に、レニーの魔法障壁マジックシールドきしみを上げる。

 両者の魔力の優劣というよりも、そもそもこんな使い方を想定した魔法ではないのだ。

 本来は物理攻撃および魔法攻撃をはじき返すための魔法で、爆発の威力を外へ漏らすことなく全て押さえ込もうなどとは、いくらレニーでもさすがに無茶というものだ。


「だ、駄目! これ以上は……」


「――我が敵を封じよ、光の天蓋。魔法障壁マジックシールド!」


 レニーが弱音を吐きかけたところで、僕の魔法障壁マジックシールドが完成した。

 彼女にならい、その魔法障壁マジックシールドを補強するように展開させる。


「おおおおお!」


 暴れ狂う焔を必死で押さえ込む。

 永遠にも似た数秒が過ぎ、ようやく焔は落ち着きをみせ始めた。


「はあ、はあ」


 魔法障壁マジックシールドを解除し、荒い息を吐きながら膝をつく。

 あとに残されたのは、到底近付きがたいほどの熱気と、一度溶けて固まり黒曜石のようになった地面、そしてもはや人の形を留めていない炭の塊。

 ヴィクターの足元に落ちていたナイフの刃すら、飴のように溶けていた。


 周囲を見回すと、ブリッツがジェスをかばい、それをさらにダニーがかばい、そしてジェスは男どもの隙間から手を伸ばして、彼らを守るように魔法障壁マジックシールドを展開している。

 うん、三人の関係性が垣間見えるな。


 そして、フィリップはエレナ嬢を背にかばいつつ、がちがち震えながら支離滅裂な呪文を呟いている。

 どうやら魔法障壁マジックシールドの呪文のようだが、恐怖と混乱のあまり、結局術式を組み立てられずに終わったようだ。

 情けない、などとは言うまい。

 むしろ、婚約者をかばおうとしたことは称賛するべきだろう。

 なかなかやるじゃないか。


 それと、サラもエレナ嬢を抱きかかえるようにしている。

 主をかばおうという気持ちはあったのだろうな。


 あと、ヴィクターが連れていたけばけばしい女性は、腰を抜かして失禁していた。

 どうやら、偶々ヴィクターに声を掛け、やつにも染みついていたであろう香水のにおいを誤魔化すのにちょうど良いと、利用されただけだったようだ。

 とんだ災難だったな。

 フィリップに言って、後で見舞金の一つも出させた方が良いだろうか。


 そのフィリップはというと、がっくり膝から崩れ落ち、泣き笑いを漏らし始めた。


「ふ、ふふふ、ははははは。これまでろくに話したことも無い婚約者を、柄にもなくかばおうとした挙句、防御魔法の一つもまともに編めない、か。そりゃあ親父が愛想をつかすわけだ……」


 ああ、気持ちはわかるが、そんなに自分を責めることはないと思うぞ。

 あんな極限状況で、とっさに最適な行動が取れる人間なんてそう多くはないだろうし、それが人間としての価値のすべてでもないだろう。

 少なくとも、婚約者を見捨てて逃げ出さなかったという点だけでも、正直見直したよ。


 しかしそんなフィリップの背中を、レニーは手加減なしにどやしつけた。


「ほら、めそめそ泣いてる場合じゃないだろ。エレナさんぐったりしてるじゃないか。運んで行ってやりな、婚約者さん」


「あ、ああ……」


 フィリップはふらふらと立ち上がり、エレナ嬢を抱き上げる。

 彼女も怖い思いをしただろうが、元気を取り戻したら逆に婚約者フィリップを慰めてやってくれると良いな。


 などと思いつつ、二人を見ていたら……。


「お前たち、そこを動くな! 詰め所で話を聞かせてもらう!」


 僕たちは衛兵に取り囲まれた。

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