日八日夜八夜

第1話

 昔々、あるところに大きな大きな誰も渡れない荒れ狂った川がありました。


 その川は水が激しく流れ、誰であれ向こう側に渡ることができませんでした。

 橋をかけようと川のそばの集落のものたちがいくら挑んでもダメでした。


 川は天候が悪ければすぐに畑や家を水浸みずびたしにして壊すことも度々でした。

 子どもも老人もおかまいなく飲み込んで連れ去ってしまうこともありました。

 容赦ようしゃのない川だったのです。


 けれども大地はまだ混沌としており、住むところは限られていました。

 集落の背後には混沌から固められたばかりの山々がそびえ、神々や鬼達が住んでいました。


 神は知恵や奇跡を与えることもあり、災いを与えることもありました。

 鬼は、人をさらい獲物にすることもあり、また神の裏をかく悪知恵を授けることもありました。


 川を鎮めるよう 神や鬼に頼もうとしましたが、集落は貧しく、また川を鎮めるのは神や鬼の力をもってしても大変困難であったため、それに見合った彼らの要求するみつぎ物を用意することができません。

 


 ある暗い暗い夜、川の氾濫はんらんで家族を失った一人の若者が煌々こうこうと月に照らされた川の水の上で踊る女の夢を見ました。

 その女人ならば、川にいうことを聞かせられるに違いないと若者は思いました。


 そこでその女を探すために、神と鬼にお告げを乞いました。

 若者は身一つで差し出せるものとてありません。


 神は新しいやしろを建てるために地を固めようと人柱を欲していました。

 鬼は獲物が減る時期に備えた備蓄びちくをそろそろ補充しようかと話し合っていました。


 そこで、若者は鬼にも神にも自分を差し上げようと口約束しました。

 鬼は雲の上を探せと言い、神は海の底を探せと言いました。

 

 若者は鬼から言われたように雲の上を探し、神から言われたように海の底を探しました。

 そこで若者は雲の上の天で黒い仮面の女人を、海の底の海界うなさかで白い仮面の女人を見つけました。

 

 二人とも半分人であり、若者と共に人の世へ行っても良いと言いました。

 

 川は、さらった人々を天や海の果ての異界まで流すことも度々あったのです。

 運良く息があった者、或いは無かった者もそこに住み着いて子をすこともありました。

 生死も種族も 境界や仕来たりはまだ厳密にはっきりと定められてはおらず曖昧あいまいさを残していました。


 さて、どちらが夢の女人であるかわかりません。

 

 二人とも、半分は人であるが半分は人ではないので仮面を外すのを拒みました。

 若者が自分の夫になり、若者の世界に自分が属することが決まったなら顔を見せようと言うのです。

 それまでは世界を行き来するために仮面を着けたままいないといけない、と。


 若者は困ってしまいました。

 お告げ通り女人は見つかったので、神と鬼への我が身の支払いも迫っています。


 月明かりが淡く川霧に混じる晩、川の見張り台の上で若者が悩んでいると、もうしもうし、と声をかける影に溶け込むような老婆がありました。

 自分と結婚するならば、女人たちの仮面を剥ぐ方法を教えてあげようと言うのです。

 霧に紛れた曖昧模糊あいまいもことした老婆は、神や鬼の次にやって来た、どんな禍福かふくをもたらすかわからない人をたぶらかすあやかしのようにも思えました。


 若者は最早やけっぱちな気分になって承諾の返事をすると、老婆が青い葉っぱを三枚渡して寄越しました。

 葉っぱを身につけ、天人と海人の娘の姿になって一緒に水浴びすれば良いと言いました。


 余計な一枚はなんだと聞くと、年下の男というものは経験上不注意なものだから念のため、と答えました。


 若者は娘の姿になって、仮面の娘とそれぞれ水浴びをしてその素顔を確かめました。

 ところがあろうことか、二人とも夢の娘ではなかったのです。


 若者はもうどうして良いかわからなくなりました。

 その上、せっかちな神と鬼が尊大な使いと粗暴な使いを寄越しました。

 若者が二人の娘は違ったのだと弁明してもまるで聞き入れません。


 神の使いは新しい社のために人柱になれと言い、鬼の使いは冬のたくわえのための干し肉になれと騒ぎます。

 二人の女人もこれは自分と結婚する夫なのだと、使いたちとケンカを始めます。


 あまりに騒がしいので、川の喧騒けんそうも紛れてしまうほどでした。


 そこへ老婆が現れて、自分も若者と約束をしたのだと言いました。

 昼に見る老婆の姿はまるで死んでしばらく経ってから起き上がってきた死体のようで、神の使いと鬼の使い、そして仮面の娘たちは一瞬静まりました。


 老婆は続けました。

 若者は一人しかいない、ならば若者の望みである、川を鎮めたものが若者を手に入れることにしようと。


 神と鬼は、人間一人を手に入れる労力には見合わないと断りました。

 女人たちは、それぞれに、天と海原うなばらの力を乞いましたが、半分人間であるために、川を静めるには至りませんでした。


 最後に荒れ狂う川の前に立った老婆が言いました。

 「川が鎮まったなら、本当にわたしと結婚するかい?」

 若者は頷きました。

 もう家族もおらず、その願い以外自分には何もないと思ったのです。


 すると老婆は川の上を歩き、そして老人の皮を脱ぎ捨てて、水の上で踊ったのです。

 まさしく若者が夢に見たあの女人でした。


 川は静まり、人は川向こうの地へ渡って栄え、鬼とも神とも境界が生まれ遠のきました。

 若者は妻をめとりました。

 二人の女人は神と鬼に夫を見出だしそれぞれ嫁ぎました。


 どうして神と鬼はお告げを間違ったのだろう、あなたはどこを探せば良かったのだろうか。

 若者は妻に問いかけたことがありました。


 妻は答えました。

「何も間違ってはいません。わたしは夢を叶えようとするものに現れる者です。あなたが夢見たとき、わたしは存在しませんでした。あなたが自分と引き換えにお告げを求めたとき、わたしは陽炎かげろうのように揺らめくものでした。あなたがお告げを信じ、遠くまで出かけて行った時にようやくわたしは仮初かりそめの姿でこの世界を歩き、あなたに語りかけるものと成りました。そしてあなたが夢を叶える決意を強く固めたその時初めて、わたしはあなたの夢を叶える力を得、川を鎮める力を持ちました。あなたが夢を疑えば、わたしはおぼろとなり、あなたが夢を叶わぬと思えば雲散霧消うんさんむしょうしたことでしょう」


 

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日八日夜八夜 @_user

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