姥桜

@ninomaehajime

姥桜

 美しい桜の下に母を埋めた。

 仕方がなかった。老いた母は痴呆が進んでおり、自分の息子もわからなくなっていた。我が子の手にかかるなら本望だろう。

 遺体の始末に困った。寺で葬ってもらうにも、衝動的に斧を突き立て、老いさらばえた白髪には赤黒い血痕があった。他殺を疑われるのは明白で、面倒なことになる。

 山の奥に捨てることにした。骨と皮だけになった母を担ぎ、夜の山中を歩いた。他の者に目撃されては困る。踏みならされた山道を避け、獣道を進んだ。松明に照らされた細道は下草が蹄で踏み荒らされ、動物の糞が落ちていた。このままやぶにでも隠して、獣の餌にでもしてしまおうか。

 そう考え、思い直した。最後の親孝行だ。せめて静かな場所で眠らせてやろう。母親の亡骸を担ぎ直し、鬼火に似た松明の光とともに獣道の先を目指した。

 頭上に覆い被さっていた樹枝じゅしの重なりが途切れた。夜空が露わになり、風が吹き抜けた。鼻先を、芳香とともに薄紅色の花びらがかすめた。

 獣道の果ては行き場のない崖の上だった。其処に場違いなほど優雅な夜桜が、満開の花を咲かせている。はて、桜の季節だったか。そういったことが頭から吹き飛ぶほどに、優美な桜吹雪に目を奪われた。心なしか、舞い散る桜の花びらが淡い輝きを放っている気さえした。

 しばらく忘我ぼうがした。自分の目的を思い出し、遺体を地面に下ろした。そうだ、ここが良い。ここにしよう。

 持参していたすきを桜の根元に突き刺した。むせ返る桜の匂いに包まれて、ひたすら穴を掘った。ようやく人間が収まる大きさの穴をこしらえ、母を寝かせた。土を被せ終わった頃には、空が白み始めていた。

 桜の墓標を前に合掌した。どうか安らかに眠ってくれ。

 一仕事を終え、疲れ果てた体を引きずって山を下りた。独りになった我が家へ帰り、泥のように眠った。

 それから幾日か経った。日々の仕事をこなしながら、母が亡くなったことはおくびにも出さなかった。鼻腔びこうにはまだ、桜の芳香が絡みついていた。

 夢にあの桜が出てきた。風に揺れ、薄紅色の花びらが舞っている。夜中に目を覚まし、草鞋わらじを履いてあの崖を目指した。

 そうだ、これは墓参りだ。ちと早いが、母を弔うのも悪くあるまい。

 母親を担いで通った獣道を辿り、山を上った。もう少しだ。またあの桜を目にすることができる。きっと、美しい姿を見せてくれるに違いない。

 木立を抜け、黒い空の下に出た。目の当たりにした光景に愕然とした。

 華美な桜の花は見る影もなく、老婆の白髪を思わせる色にくすんでいた。瑞々しかった樹皮はしわがれ、点々と染みが浮き出ている。幹の上部には斧が入ったような痕跡があり、無残な裂け目を覗かせていた。

 両膝から崩れ落ちた。母を手にかけたときでさえ泣かなかった両目から、初めて悔恨かいこんの涙がこぼれた。

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