贈呈品


N.Aに戻った私は、飛空艇の鍵をラゥフに返し訓練に復帰した。


「面倒事は片付いたのかね」


「万事問題無く」


終わったことだと吐き捨てて、あとは興味を無くしたように『対悪魔』を想定した模擬戦を行う、ラゥフがそれ以上追求してくる事はなかった。


数時間。


それが終わるとキルシュへの授業がある、彼のここ最近の成長は目覚ましく、ゆくゆくは私をも越える魔術師になるであろうことが想像出来る。


——ひょっとしたら、ラゥフでさえも。


「どうですかね僕は、もう戦えますか」


記録用紙から目を離し、彼に言う。


「少なくとも、そこら辺の魔術師では相手にならないでしょうね、ですが悪魔との戦闘と考えるとまだまだ力不足もいいところです」


肩をポンと叩いて励ます。


「飴と鞭が上手ですねぇ、そんなん言われたら、やる気になる以外ないじゃないですか」


ヘラヘラと笑ってみせるキルシュ、彼の表情はだいぶ読み辛くなった、もう以前のように感情を表に出したりすることはなくなっていた。


彼は私とラゥフという二人の師を得て、日々飛躍的な進化を続けている、模擬戦の時に舐めて掛かれないほどには。


たっぷり時間を掛けて教育してやった、懇切丁寧に手間暇掛けて、頭を悩ませて苦労して全力で、それらが自らを生かす一助になると信じて。


やがて日は落ち、電気が必要になる頃、一日中続いた特訓が終了を迎えた。


専用のルームで、部屋の中央で腰に手を当てたラゥフが、手をパンパンと叩いて我々にこう言う。


「キルシュ、マイルズ、ご苦労だったね、本日の授業はここまでとする、後は各自自由にしていたまえ、遊びに行くも良し自主練に取り組むも良しだ」


「だっはぁー!ちょ〜〜しんどいわ!」


終了の合図とともに、キルシュがその場に倒れ込んで大の字に四肢を投げ出す、正直言って私は彼のその『恥じらいの無さ』が羨ましかった。


私だって、そんなふうにみっともなく怠けたいさ。


だがプライドがある、先輩として意地でもそんな姿は見せられない、教え子として常に余裕を持った振る舞いをしておかなくてはならない。


それこそが威厳であり、価値であり、私が大切にしたいと願う『信念』のようなものだった、取るに足らないと言われればそれまでだがね。


「うむうむ、かなり様になってきたな二人とも、この分だと予定より早く完成しそうだ」


ラゥフは満足したように、腕を組んで頷いている、そりゃあこれだけ毎日ボロクズにされたら嫌でも成長するだろう、何度死ぬと思ったか分からない。


「私はお風呂に入ります、それではまた明日」


道具を片付けて、部屋の隅に脱ぎ捨てた上着を拾い上げ、手袋を脱いで眼鏡を掛け直す、そしてひと足先に部屋から出て行こうとする。


「ああ待ちたまえマイルズ嬢ちゃん、それとキルシュもだ、二人に言っておくことがあったんだ」


「なんでしょか?」


未だ倒れたままのキルシュと、呼び止められ、不機嫌そうに鼻を鳴らし、早急に済ませて下さいねと圧を掛ける私。


「実は夜に出掛ける用事が出来たんだ、新しい教え子の情報が入ってね、今夜のうちに出発して現地の様子を見て回る必要がある、だから明日の午前中は居てやれないんだよ」


キルシュが反応する。


「なんだそんなことですか、そんなら安心してくださいよセンセ、なーんも心配要りません、あんたの留守は僕がちゃんと守りますから」


「ハハ、頼もしいな」


和気藹々とした二人のやり取りを尻目に、ひとり冷めた声でこう言う。


「もう良いですか」


さっさと汗を流したいのだ、それから着替えて食事を摂りたい、研究の続きもしなくてはならないし、予定が山積みでスケジュールが押してる。


ラゥフは『やれやれ』と笑うと、部屋の扉に向かって『どうぞご遠慮なく』と手を差し出した、私はありがたく従い部屋を出て行った。


それから自室に戻った私はやる事を済ませ、後始末をして、散らかった部屋の荷物を片し、簡素な食事を摂ると服を着替えた。


しばらく作業をして、途中で時間を確認し、残りは別日に回そうと決意すると、私は部屋の電気を消して明かりをライトスタンドに頼った。


本を掴み取り、スリッパを脱いで、ベッドに入って眼鏡をかける、いくらかページを読み進めたら遅くならないうちに寝るつもりだ。


そこからは、音のしない時間が過ぎていった——。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


——真夜中。


月も隠れた見通せぬ闇の最中。


頬を撫でるそよ風は冷たく、背の低い草が微かに揺れている、季節の変わり目の気温低下、雪が降るのもそう遠い話ではないだろう。


どのくらい待っていたのか、指先や耳たぶに鈍重な痛みを覚え始めた頃、風の通り道を邪魔する何者かが現れた。


「見送り、という雰囲気ではないね」


その者は途中で立ち止まり、飛空挺を背に立ちはだかる私を見据えた。


「先生」


待ち人来たり、ちょうど足が疲れてきた頃だった、少しタイミングが遅かった、余裕を持って行動しすぎたと反省をする。


「言ってみたまえ、なにか用事があるのだろう?」


一寸先も見通せない闇の中、相手の表情すら判別できない場において、彼女は穏やかにそう言った、まるで全てを悟っているかのように。


私は胸に手を当て、腰裏に片腕を回し、背中を折り曲げうやうやしく頭を下げ、それから丁寧にこう宣言した。


「その命、頂戴しに参りました」


言い終えると同時に、腰裏のベルトに挟んだ杖を振り抜いた。


——バシュ!


一瞬暗闇が晴れる、散った火花が互いの姿を浮かび上がらせる、だがそれもほんの少しの間だけ、すぐにまた何物も見通せぬ暗闇が覆う。


「腐壊蝕」


ラゥフが呟く。


——ドクンッ。


途端、体の内部に異変が生じる。


内臓という内臓、神経という神経、ありとあらゆる急所がグズグズに溶けては崩れ去る、勝負がつくには十分すぎる威力だった。


であれば。


——杖を振り上げる。


生じた『霧』はラゥフに襲い掛かった、彼女は私がまだ戦闘を継続していることに動揺しつつも、後ろに下がりながら懐から銃を抜いた。


——ダンッ!ダンッ!


弾丸は霧を通り抜けた、霧が隠すのはあくまで生物に限定される、魔弾だろうと鉄の矢だろうと、あらゆる投擲物は素通りしてしまう。


——バヂッ!バヂッ!


二発とも私の結界に吸い込まれ、しかし無効化されることはなく、鉄壁のはずの守りを貫通し私の肉体の急所を容赦無く撃ち抜いた。


魔弾に付与された術式は『再生阻害』一時的に私は魔術による回復が不可能となる。


——ドクンッ!


続けて蝕術が私を苛む、今度は先ほどのモノより強力だった、全身の細胞が一秒以内に壊死し切るような非人道的なまでの殺意が込められた代物。


……だが、私の膝が折れることはなかった。


「死なんだと?」


なおも命を保ち続けている私に、いよいよ不気味さを感じ始めるラゥフ、彼女は間も無く真相に辿り着き現状の打破を遂げるであろう。


私の仕込んだ『準備』が、不発でもしない限り。


場には霧と、あともうひとつ、背後に鎮座する彼女の飛空挺、それに施された防護結界がある。


私が纏っていた物は破壊され、新しく貼り直すことは困難だ、だから私は『予め仕込んでいた』とある魔術をたったいま発動させた。


——パキィィィン!


「……!?」


飛空艇に備え付けられていた魔術結界が弾ける、高度な術式だ、並の者では手出しできないだろう。


だが一部分に手を加えることならば、ほんの『形』に作用する事ならば、破壊するのではなく『解く』ことならば。


そしてほつれた糸のような結界の断片は、私が最初に発動させた霧によって包み込まれ、結界術のルールを強引に捻じ曲げていく。


一条の光の糸、暗闇の中でもハッキリと分かる、地上から見上げた天の小川のように、幾千幾万と散りばめられた私の魔術が、今宵を彩ってみせた。


顔を上げて、宣告する。


「私の勝ちです」


泡沫うたかた零淵れいえん


——ピンッ。


糸はまず彼女の両腕を切断した。


「……!?」


すぐさま反撃の魔術が放たれるが、そこかしこに張り巡らされた魔糸には、形を変える前の本来の機能が生きていた。


すなわち結界。


身に纏うのではなく、広域に展開された、蜘蛛の巣のようにあるいは繭のように、油断なく隙なく術者を守る城壁となった。


——バヂッ!


彼女の放った魔術は弾かれる、ならばと蝕術が再度私を襲うが、その技では私を殺しきれない。


私の再生機構リジェネレーションは魔術によってもたらされるそれを遥かに超えている、人によって生み出された偽物ではなく、原型となる本人から手にしたチカラ。


魔術とは違う、それは最早肉体に備わった機能であるので、魔術での妨害も意味を成さない、そして即死させることも不可能だった。


「……そうか、なるほど」


抵抗を続けるラゥフが小さく呟いた。


糸は彼女をがんじがらめに縛り付け、空中にピタリと縫い止めた、切断された両腕は治らず、また新たな魔術の行使も望めない。


「……お前さんは、私を超えたのだな」


そう言って、どこか満足げに、私に向かって気持ちの良い笑顔を見せた彼女の首を刎ねる。


——ピ。


「お世話になりました」


ひと言呟き、残った体の部位、魔術師にとっての急所である腰から上の全てを、細切れに刻んで空にばら撒いた、万に一つの生存も許さぬよう。


——パサ。


軽くなった彼女のカラダが地に落ちる、もうそこに命は宿っておらず、ただの物言わぬ骸があるだけ、我が師ラゥフ=ドルトゥースは死亡した。


私が正面から挑んだのは、何も礼節を重んじたからではない、恩師に対する最低限の感謝を、態度で示したからでもなかった。


ただ、本当の狙いを隠すために。


そのとき、左の手の甲に刻まれた刻印が熱を帯び、内ポケットにしまっていた硬貨と共鳴、止める暇も無く『ある術式』が発動した。


契約者死亡につき、本来ここで自由になるはずの奴が居る、それを封じ込める為の強力な魔術だ。


「ぐ、ぁ……ナンダ、クソッ!オレは自由になったんじゃないの、か……おい、魔術師ィ!願いを叶えてやる、だからこのふざけた呪いを何とか」


私には無理だ。


彼は一瞬外に出ようとしたが、すぐに封じ込まれて喋れなくなり、黒いモヤのようなものになって私の内ポケットの中に吸い込まれていった。


懐を探り、硬貨を取り出す。


手のひらに載せたそれは、以前とは全く様子が異なっていた、硬貨からは悪魔の力を感じられる、彼はなす術なくここに幽閉された。


——伝承の悪魔でさえ、このザマか。


やはり私の手に負える相手ではない、彼女の頼みを聞いたからと言って私が無事でいられる確証など何処にもない。


だがひとつ確かだったのは、あのまま放っておけば私は間違いなくタダでは済まないという事、他の道は存在しなかった。


私利私欲の為に恩師でさえ、我が身可愛さにラゥフさえ手にかけるか、成長したものだな私も。


最悪の気分のまま、彼女の死体をその場に放置し、後ろに止めてある飛空艇に向かって歩いた、先ほど彼女に返したキーは偽物だ。


動向を知るための発信機さ、彼女に気付かれないよう準備を進める必要があったからな、まさかラゥフも教え子に突然裏切られるとは思うまいよ。


——と、その時。


「セン、パイ?」


後ろから、声が掛けられた。


振り返る、そこに居たのは、晴れた雲の隙間から、差し込んだ月明かりに照らし出されたのは、私に最近できた将来有望な生徒の姿だった。


恐らく、今発動した『呪い』に気付いたのだろう。


「センパイ、これは」


彼は現場を見まわし、一歩一歩と幽鬼のような足取りで歩き、私の元へゆっくり近付いてきた。


「なんでセンセイが」


彼の頭の中は混乱しているが、既に彼の優秀な頭脳は結論を出している、今はまだ言葉として出力されていないだけ、それもそのうちに変わる。


だから私は忠告した。


「そこで止まりなさい」


それ以上の接近は敵対行為とみなす、と。


「いいや、止まれん、俺はあんたの所に行く必要がある、そこに倒れた俺のセンセイの、センセイのを取る必要がある!」


忠告は、聞き入れられなかった。


「理由は聞かん!興味が無い!ただ死んだ後のあんたの死体に教えてもらう!俺から居場所を奪ったあんたを、俺は絶対に許したりはせん!」


抜杖、怒りに任せて、私が鍛え上げた私の教え子、彼はすでに戦闘体勢に入っている、不意打ちや奇襲の類が通用しないとひと目で分かる程の集中。


私が足蹴にした『自動詠唱魔術』が展開される、その強度は以前の比ではない、パッと眺めただけでも施された工夫の凄まじさが窺い知れる。


正面戦闘では、もはや私に勝ち目はないだろう。


「殺したりますわ、センパイ」


冷たく言い放つ彼は、その最高峰の才能を存分に奮って、仇敵討ち果たすべく杖を振った、展開された魔術はどれも私の命に届き得るものであったが。


「忠告はしました」


——カッ!


彼のに刻まれた印が爆発を起こした。


「ッ、ぐぁ……!」


それはただの火炎と衝撃によるダメージを目的にしたものではなく、主に魔術師を相手に使われる一種の『暗殺魔術』のひとつだった。


「おえええええ……ッ!」


嗚咽、悲鳴、のたうって転がる、彼が今味わっているのは途方もない絶望だ、体中の神経系を掻き乱しありとあらゆる『苦痛』を与え続ける。


魔術とは人が使うものである以上、術者には健全な精神が必要となる、どれだけ肉体が万全であろうとも『中身』を崩されたらどうしようもない。


彼が展開した魔術は、彼の正気が失われると共に霧散した。


「がっ、がはっ……う、ぐっ、ぁ……アアアぁぁぁあああァあァァァああアぁぁアアッ……!!!」


叫び声をあげるキルシュ。


平衡感覚の乱れ、体温の乱れ、血脈の乱れ、いくら魔術で傷を修復しても意味は無い、それの効果は術者を殺さない限り永遠に続く。


「ングッ……ご、っ……づ、ァッ……ゴ、ブ……」


そのうち彼は再生すら出来なくなり、ショック反応により呼吸もままならなくなる、こうなれば後はもう死を待つだけだ。


私は彼がいずれ、ラゥフの仇を打ちにやってくるだろうと予想をしていた、だから事前に直接触れて刻印を残していた、その時点で終わっていた。


——ザッ、ザッ。


背中を向けて歩いて行く、もうこの場所に用はない、私の居た痕跡は全て消してある、私の姿を見た他の生徒達は、今夜中に記憶を失うだろう。


「セ、ン……セイ……」


飛空艇に乗り込み、扉を閉める前、彼は消え入るような声で呟き、頬にひと筋の小川を作った、それとほぼ同時に瞳から輝きが失われる。


——ガチャン。


ハッチが閉じ、私は操縦席に座ると、人知れず闇夜に紛れて空へと飛び立った、もう二度とこの場所に戻る事は無いだろう。


学校がどうなろうと知ったことではない、ラゥフの複製体であるナンバーズたちが運営していくのか、それともこのまま崩壊していくのか。


私はただ迅速に彼女の元へ向かうだけ、任務の完遂を報告すべく、自分の命を取り戻すべく——。


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首吊り台のキャリー=マイルズ ぽえーひろーん_(_っ・ω・)っヌーン @tamrni

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