異端者号

家猫のノラ

第1話

陶器のような肌、艶のある黒髪、すらりと伸びた手足。

この国では見ない容姿の女がボマ海岸に漂着した。

「この海の向こうに人間がいたとはな…」

海を見る。

私たちの国は狭い。丸く囲まれた山脈の内側と、近年に広げた、この浜辺の周辺しかない。国を上げて、この海の向こうを目指してきた。

船と、勇者たちが帰ってきたことはない。

「外から見えないように窓に暗幕を張れ。王宮に連れて行くぞ」

「王宮に…!?この女は得体がしれません。いささか危険では」

「女一人に国を滅ぼされるようでは、後世のものに笑われてしまうのではないか。騎士団は雑魚ばかりだと」

「…」

「いいから運べ。車には医者も乗せてある。こんな美人死んだら勿体ないだろう」

騎士たちは私のことを物好き、変態などと呟きながら、馬に繋いだ車に女を運んだ。

山脈を越え、王子の誕生を祝う何かで溢れかえる街を通り過ぎ、王都にたどり着いた頃には二日が経っていた。

「生きてはいます。しかしながら再び目を覚ますかどうかは分かりません」

この医者は正直だ。王の側近である私にも無駄な気遣いなどをしないため、仕事がやりやすい。そもそも側近などと言えば聞こえは良いが、実際には私はこのようなどこの担当か分からない仕事を一通りやらされている雑用係に過ぎないのだ。

「分かった。騎士たち、私の部屋に運べ」

「は!?それはどういう…」

「どうもこうもない。この女を救護室に置いておくにしても、どこかの部屋に入れるにしても、一人部屋をあてがうにしても各所に説明が必要になる。事情を知るものをこれ以上増やしたくない。私の部屋は一人部屋だし、何より私が監視できる」

「しかし…」

「朝起きた時美人が隣にいたら幸せなんだよ」

騎士たちはもう何も言わずに、私の部屋に女を運んだ。


何も起こらずにさらに十日が経った。王子の誕生が迫る中、いつにもまして雑用が山積みではあるのだが、この女が私の頭の中でかなりの部分を占めている。

「そろそろ、起きて教えてくれないか」

簡易ベッドに横たわる女の顔を撫でる。

私は知りたいのだ。屈強なあの男が、私の何倍も、強く、賢く、生きているべきあの男が、死んだ海を。

あの男が、魅せられた海の向こうの世界を。

笛を手に取り、口をつけた。なんの面白味もない、安定した音色が部屋を包む。

女が目を開けた。その目は髪と同じく深い黒だ。

女は息を吸い、口を開けた。歌を歌うのか。

「…」

女は、声が出なかった。


その日からというもの、私は女とどうにか交流を図ろうとした。

身振り手振り、絵、音楽。

女は初めこそ戸惑いつつも、全て熱心に取り組んだ。

立ち上がると足に激痛が走るようで、私が部屋に帰ってくるといつも簡易ベッドに座っていた。すぐに私も向き合うように椅子に座った。

「教えてくれ。海は、その向こうはどうなっているんだ」

しかし女が熱心であればあるほど私は絶望していった。

女はこの質問をすると、必ず申し訳なさそうな顔になる。

覚えていない。

私はどんなに頑張っても、知ることはできないのではないか。

いや違う。見ればいい。自分の目で。あの男のように。

なぜしない?


ここ最近、王宮の空気は張りつめている。王子を身ごもっている王妃の体調が優れないのだ。

「おい医者、王妃様の体調は実際のところどうなんだ?王子様は無事に生まれそうか?」

密室で、声を低くして尋ねる。

「残念ながら厳しいものがあります。出産後数日で母子ともに、亡くなる可能性が高いです」

実際に政治を動かしているのは王ではない。現代において王族はお飾りでしかない。

しかし、国民をまとめる象徴ではあるのだ。その象徴を輝かせるのが、私たちの責務である。

「王族の誕生時に打ち上げる花火は今回は中止にした方がよさそうだな。私が皆に知らせておこう」


私は王立図書館に向かった。

この知識の詰まった空間が好きで、仕事に行き詰まるとここに来る。

『私は一生をかけてでもここにある本を全て読みたい』

幼い頃の記憶がよみがえる。その男と私は、同じ側近として育てられていた。

『じゃあ僕は読み切らせないように、どんどん本を増やしていくよ』

この頃から、答えは出ていた。人格の差が目に見えていたではないか。

「こんばんは」

帰りに神官が声をかけてきた。手には生命に関する宗教書がある。

そんなもの読んで、何ができるというのか。

私は無視した。


その夜、私は言葉の通じない女を都合の良い人形のようにした。

「私は結局怖いのだ。この世界をもっと知りたいが、そのために自身の身を危険にさらす勇気はないのだ。安全な場所から、勇者たちが帰ってくるのを待っていることしかできないのだ」

独り言をぶつける、気色の悪い、ただの自慰行為。

「私は卑怯者だ」

何を思ったのか、女は私を抱きしめた。長身である私を、包み込んでしまう長い手足だ。その日は簡易ベッドで眠った。


簡易ベッドで目が覚めた朝、隣に美人がいた。

「」

私は呟いた。女は眠っていた。

名前をつけてしまえば、責任が生まれる気がした。生きさせて、望むなら、海の向こうに帰す責任が。

私にどれだけの勇気があったら、この名前を伝えられるんだろう。


また数日が経ち、王妃の陣痛が始まった。側近の一部は、分娩室の隣の部屋で徹夜することになった。

私の部屋はいつも通り鍵をかけている。

「ミツルノ王子の誕生です」

出産に立ち会った医者によると、王妃は気絶しており、王子は一言も上げずに生まれたそうだ。

「誕生の花火は予定通り中止だ。しばらく様子を見よう」

私がそう命令した瞬間、外がぱっと明るくなった。心臓に響く振動。

「誰だっ!?誰がやった!?」

国民の歓声が王宮にまで届いた。


螺旋階段を駆け上がり、塔の上に向かう。

花火師と思われる者が打ち上げ筒の横にいる。

「答えよ、誰に命令された!?花火は中止であると伝えたはずだ」

花火師は私の勢いにおびえて腰を抜かした。

「これは王族の、ひいてはこの国の明暗を分けるかもしれない大問題ぞ」

「神官様がっ!!王妃様と王子様にはご加護があるから大丈夫と。盛大に祝えとおっしゃったんです。どうかどうかお許しください!!」

花火師は涙を流して命乞いを始めた。私は嫌悪感で吐きそうになりながら、螺旋階段を駆け下りた。


何がご加護だ。そんなものはない。インチキ神父め。

『心の清いものは生きて帰ってくるのです』

勇者の出航の日、あの神官はそう言った。あの時の私は愚かにも信じ待ち続けた。

あの男の心が汚れていたわけがないだろう。だからお前はインチキだ。

政治にインチキは時に必要だ、しかしあの時や今回のようなものを私は許さない。

「おい神官。あの花火はどういうつもりだ」

王宮内の教会で、神官は祈りを捧げていた。

「どうもこうも。王子様が無事に生まれたのはめでたい事。その時に花火を上げるのは国の伝統ではありませんか。祈りの最中ですのでお帰りください」

去れと、神官はまるで虫を払いのけるように手を振った。

「無事、無事だと?王妃も王子もいつ死ぬか分からない状態ではないか。慎重にことを進めるべきだ」

「随分と無礼なことをおっしゃっておりますが、反逆罪と問われてもおかしくありませんよ」

「…話にならないな」

「論より証拠といったところでしょうか。王子様と王妃様に会われてはいかがですか?」

「医者は王子は産声も上げず、王妃は気絶していたと言っていたが」

「それは直後の話でしょう」

「そこから十分そこらしか経っていないだろ」

「ご加護があったのですよ」

私は我慢ならなくなり、神官に背を向けて、教会を後にしようとした。

「扉はノックした方がいいですよ。私でもしたんですから」

背筋が凍る思いがした。


扉の鍵は開いていた。

中には誰もいなかった。


私は物好きの変態だ。

臆病で、卑怯で、なんの力も持っていない。

今だってある一つの答えを導きながら、確認することができないでいる。


「でも君が好きなんだ」


君がいることをこの狭い王宮で隠し通すなど無理だったのだ。私が気づいていなかっただけで、神官はずっと狙っていたに違いない。

君は扉をノックされて、足に激痛が走りながらも、鍵を開けたんだろう。

そんな君を神官は拉致し、王妃と王子に食べさせた。君は声を上げられない。作業は楽に進んだだろう。

生命力を食せば、生命力が手に入る。

そんなインチキ有り得ないが、何かの偶然で、王妃と王子は一命をとりとめた。

女一人にこの国は救われた。


「イシャク、俺、友だちできた。キンウってやつ」

「それは良かったですね。しかしミツルノ様、少々お言葉が汚いかと。

自分のことは『俺』ではなく『私』と言いましょう」

「えー。俺の方がかっこいいよ」

「全く、困りましたね」

数年が経って、私は雑用係から、王子の世話係になった。

この子には何の罪もない。

そう言いつつも、結局私は怖いのだ。

君のためにも勇者にはなれなかったのだ。


休みができれば、山脈を越え、海に行き、二人に想いを馳せる。

いつか名前を言える日まで。




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