第17話 エピローグ
あれから一月が経過した。ナターシャは現在、隣国にあるキンベル教団本部にて子供たちのお世話をしている。とは言えまだ正式な職員ではないため、お手伝い、という形での参加だった。
職員室で休んでいると、ぽんぽん、と後ろから肩を叩かれた。
「ナターシャちゃん。遊びに行こ」
振り向くと、ぷに、と頬に人差し指が立てられる。
「フローラさん」
ナターシャは彼女の名前を呼んだ。
フローラは今、ここの職員として働いている。
「今更さん付けはないでしょうに。散々呼び捨てにしておいて」
「でも今仕事場ですし…」
「いいのよ。貴方今日は早いでしょ?私ももすぐ終わるし、お茶でもどうかなって?」
「わかりました」
「それじゃあ、また後でね…」
「はい」
ナターシャは顔を戻すと、机の上においてある資料を手に取った。
「今日はルーレちゃんね」
ナターシャは現在、子供達の簡単なカウンセリングを担当している。とは言え、深い問とか、探りをいれるとかそういうことはしない。単に子どもの話を聞いてあげるだけだ。愚痴や悩み事、楽しかったこと嬉しかったこと。そういうことをナターシャは聞いている。
今のナターシャにはそれくらいしかできることがない。
上層部はその仕事がナターシャの成長につながっていると考えているのだが、ナターシャ自身は本当に子共と話をしているだけなので、それが成長になるといってもまるでピント来なかった。
だが、子供たちの話はいつもナターシャに新しい価値観を与えてくれる。
職員室から出ると、3-Cとある教室に入る。
数字の意味は
0は〇歳から三歳
1は四歳から六歳
2は七歳から十歳
3は十一歳から十五歳
4は十六歳から二十歳
アルファベットは単純にクラス名だ。
ナターシャはクラスに顔を出すと、「ルーレちゃん、ちょっと」と声を掛けた。
「ん?先生じゃん!はいはーい。ちょっとまってー」
友達との会話を切り、茶髪の女の子が元気よく返事をした。
「あれ?ルーレちゃん、今日だっけ?」
「そうなの。それじゃあ行ってくるね」
ルーレは友達との会話を終え、廊下に居るアターシャの元まで走る。
「先生、相談だよね!毎日みんな先生と喋ってるって言ってたよ」
「うん。そうだよ」
「でも先生、私と年齢変わらないよね?私よりも小さいし」
「うん。だからラフでいいよ」
「はーい」
ルーレは両手をあげて返事をすると、その場でくるりと回った。
その時、ルーレのスカートが捲れ、白いパンツが見えた。
「あ!」
ナターシャはそのことを指摘する。
「ルーレちゃん、パンツ見えちゃう」
「え。あはは。まあいいじゃん先生、これくらい誰も見てないし」
「私が居るよ」
「いいじゃんいいじゃん。同性なんだから」
鼻歌を歌いながら、再度回り始める。相談室まで距離はそんなになったため、すぐにたどり着いた。
「さぁ、座って」
ナターシャは先に入り、ルーレを促す。
「はぁい」
ルーレは一番手前の椅子に座った。此処には小さな机と椅子が二つ。それ以外にはなにもない静かな部屋だった。
ナターシャは扉を閉めると、ルーレの向かいに座り資料を眺める。
「えっと、ルーレちゃんの特異体質は、誰も自分を嫌わなくなる、っていうものだったよね」
「はい。そのとおりです!せんせぇ!」
「うん。最近はどう?力が暴走したとかそういうのはある?」
「さぁ。わかりません。でも、暴走したら多分、私を見た人全員が私の言うことを聞くように鳴るんでしょうね。素敵!」
(ははは…すごい自信。私にはないやつだ…)
「それじゃあ、なにか原因とかわかるかな。自分を嫌わなくなるっていう思う理由なんだけど…」
「さぁ。やっぱり私の才能なんじゃないんですかね?ほら、溢れ出るいい子オーラとか、可愛い子オーラとか、そういう感じの?」
ルーラは可愛くニコリと首をかしげる。
「うん、ルーレちゃんはかわいいもんね。ありえるかも…」
「そうよ、やっぱり私ってかわいいもんね。でも、先生も十分かわいいわよ」
「ありがと。嬉しい」
「私、先生の笑顔好きだなぁ」
「え?なんで?」
「だってすごく嬉しそうなんだもん。なんていうか、嘘がないっていうかさ、悪意がないっていいなぁって」
「そうかなぁ」
へへへ、とナターシャは頭を掻く。
「うん。その顔がいい」
「な、なんか褒められてばっかりだなぁ。ええっと、ルーレちゃん、最近何か困ったこととかない?」
「困ったことねぇ」
ルーレは、うーん、と顎に手を当てて考える。
「あるような…ないような?」
「あるような…ないような?」
「あった気がするけど…忘れちゃった!」
「忘れちゃったかぁ…」
ナターシャはがくっと机に突っ伏す。
これは演技ではない。素である。
「あ、思い出した。私ね、最近お父さんと仲が悪いの。だから、ちょっとストレスが溜まってるなぁ」
「え!大変じゃない。どうしたの?何かされたの?」
「むむ。先生大げさだなぁ。ちょっと仲が悪いだけだよ」
「うーん。そうとは思えないけど」
ナターシャは真剣な顔を作る。
そうすると、ルーレは甘えたような声でこう言った。
「それじゃあ先生、私、ここに住みたいんだけど、それってできるの?」
「って、そう相談されたんですけど、どうすればいいんでしょうか?」
夕暮れ時の喫茶店。その隅に位置するテーブルにてナターシャはフローラに相談した。机の上には食べかけのパフェが二つ置いてある。
「ルーレちゃんね。確かにウチには宿泊施設もあるけど…どうだろうねぇ」
パクリ、とアイスを頬張りながらフローラは答える。
「ううぅ。答えになってないですよぉ。私、こうして直接何かお願いされるの初めてなんです。みんな私が十五歳だからか、気軽に話してはくれるんですけど、お願いとかは遠慮されてて…。私、なんとかしてあげたいんです」
ナターシャもアイスを口に運ぶ。
「その時は、どう答えたの」
「考えさせてって言いました。そしたらあの子、少し寂しそうな顔をしたんですよ。ううぅ」
ナターシャは机に顔を伏せる。
「まぁ、そうだねぇ」
フローラは宙を見て、少し考えた後、こう言った。
「これは私の想像なんだけどね。あの子、本当は特異体質じゃないと思うんだよ」
「え?」
「あくまで想像だよ。仮説仮説。だけど、私も【誰も自分を嫌わなくなる】なんて目に見えない現象を持つ子は見たことがないし、現状あの子がそう言っているだけで誰もそれが本当かなんてわからないでしょ。でもまぁ、親子問題はちゃんとあるし、あの子も心に傷を負ってるのは確かだからうちに通わせてるんだけど…まぁ、いいんじゃないかな」
「できますか?」
「できると思うよ。お姉ちゃんに相談してみる」
「ありがとうございます!」
ナターシャは額を机に押し付けた。
「いいよいいよ。ルーレちゃんの事よろしくね」
「はい!」
三日をかけ、ナターシャは数々の修羅場(説明や説得)を乗り越え、ルーレの長期滞在許可を獲得した。そのことをルーレに教えると、彼女は文字通り飛び跳ねて喜んでくれた。
「ありがとう!先生!」
弾けるような笑顔にナターシャは心底うれしかった。だが、それと同時にルーレの父親から言われた言葉が心の奥で引っかかる。
それは昨日、ルーレの実家へと出向いた時の事。
「あの子はねぇ、ちょっとダメですよ。自分に自信がないんです」
ルーレの父は、太い腕をシャツから出してタバコを吸いながらそう言った。彼は木こりを本職としており、性格も見たところ律儀で義理堅い、頼れる男といった人物だった。
「自信がない?」
「そうなんですよ。俺が何をどう言っても、俺の言う事を全く聞かない。その癖、あれができない、あれが羨ましいと、嫉妬ばっか言うんです。だから俺も厳しくしてやるんですけど、その度に出る口答えはいつも、だって、とか、やったことないもん、とかそういうのばかりで。見ての通り俺んとこは母親がいなくてね。俺も正直あいつに対する教育があってるかすらわかんなくなっちゃいまして。厳しくしすぎて、あいつは自信がなくなっちゃったんじゃないかなって…。だから、先生。一つ俺からもお願いしますよ。あいつがそう言ったんなら、そうさせてやってくださいな」
「わかりました」
ナターシャはその時、強く頷いた。
その時は、そうしてやろうと思った。だけど、ほんとにそれでいいのだろうか。
――それは逃避ではないのだろうか?
「あの、ルーレちゃん」
「ん?何々先生?」
ルーレはくるりと一回転する。
またスカートが靡きパンツが見えていたが、ナターシャにはそれを指摘する余裕はなかった。
「お父さんの事、嫌い?」
「…ううん。嫌いじゃないよ」
ルーレはにこにこしながら答える。だが、声質はいつもよりも大分ぎこちなかった。
「でもね、少しは怖い。わからない。お父さんいつも何考えてるのかなぁって。なんで私に厳しくするのに、なんで私のためにご飯を作ってくれるんだろう?どうして私の服を買ってくれるんだろ?どうして私が怪我したら、一目散に駆けつけて、大丈夫か?って優しく声をかけてくれるんだろ?私には、わからない。ううん。わかってるんだけど、でも、本当にそうなのか…本当に私を愛してくれているのかが不安なんだ…あ、こう言うの相談のときに言えばよかったね」
ルーレはまたくるりと回転する。
ナターシャにはそれが、やはり現実逃避の行動に見えた。
「でもね、先生。私には目標があるの」
「何。聞かせてよ」
「それはね、人を助けられるくらいに強くなること」
「強く?」
「うん。やり方はわかんないけど、強くなりたい。強くなって、こう言わせたいんだ。貴方のお陰で助かったよって。それが私の夢」
「いい夢だね」
「でしょっ…て、え?先生なんで泣いてるの」
「いや、ちょっと感動しちゃって」
「もう、子供なんだから…」
ナターシャはよろけ、壁に手をついた。
ルーレがナターシャの頭をよしよしと撫でてくれた。
泣いていたら、今までの記憶が次々と思い出した。
ああ、そうか。
自分はずっと助けられてきたんだ。
そうして、今も助けられている。
「ルーレちゃん。ありがとう」
「どういたしまして」
「私、もっと頑張るね!」
ナターシャは純粋な振り切った笑顔を浮かべる。
その笑顔に救われた少女が今、眼の前で笑っていた。
燃える私と凍える彼女 一色雅美 @UN77on
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