第16話 晩餐会

 十七時五十七分。ベルザックはイライラしながらホールに続く一室で待機していた。外国で二百万で買った腕時計を眺めながら、誰もいない部屋の中でチリチリと進み続ける針に焦躁を隠せない。ホールにはすでにベルザックが呼び寄せた客人たちが、当家の主と、その娘の登場時に胸を踊らせていることだろう。今回、晩餐会の名目は別荘地のお披露目会である。だが、その真意は大工一家であるルンブック家に別荘を建てた褒美として娘であるフローラを紹介し、その息子ジニーと懇意になってもらうことだった。


 ジニーは現在、キンベル教団の土地保有者になっている。そして彼は特異体質について詳しいと聞く。彼にフローラを預ければ、フローラの処理としては上出来だろう。もしもほか貴族に平民と結婚したことをバカにされても、ルンブック家に爵位を与え、フローラの価値を証明すればいいだけの話し。もしジニーがフローラを断っても、長女のリーシエが代わりとなる。彼女となら、親であるエドガーが黙ってはいないだろう。リーシエが懇意になれば、今度はエルラック伯爵家がキンベル教団の土地権利と管理権利を持つことになる。

 どちらにせよ、いい方向に転がる話だった。


 そう思っていたのだが――待てど暮らせど娘二人は一向に現れない。

 ディーラからことの顛末は訊いている。だが、リーシエとフローラが何処に居るかまではディーラも知らないようだった。人手も時間も足りない中、これでは探しようがない。だから仕方なく待っているというのに!

「ああくそ!」

 ベルザックは座っていた椅子の腕掛けをバンッと叩いた。

 時計の針が六時を指したのだ。

(まだロックの方が可愛げがある)

 息子のロックは現在、本家で母親の看病をしている。彼であれば、ベルザックが一言声をかけるだけですぐにでも飛んでくるというのに…。

 ゴォン、ゴォンと鐘が鳴った。

 扉の向こうで司会役の執事がベルザックの名前を呼んだ。

 行かねばならない。

 鏡の前に立ち、ネクタイとタキシードの乱れがないかを確認し、刺繍を拵えた扉をゆっくりと開ける。

 緩やかに射し入る光と、騒がしい拍手の喝采を受け、エルラック伯爵家当主、ベルラック・ランペル・エルラックは堂々とホールへ脚を一歩踏み出した。


 リーシエ、フローラ、ナターシャは午後七時を回った頃、漸く別荘地へと赴いた。すっかり外観を覆っていた氷は溶け、そこが氷の別荘であったとは信じられないほど綺麗に仕上がっていた。

「それでも、芝生なんかはしっかり湿っちゃってるわね」

 フローラが嬉しそうに話す。

 彼女たちは先程まで、女子会という名の作戦会議を行っていた。服装もバッチリドレスを新調している。先程まで服屋に居たことは言うまでもない。

「さて、二人共作戦通りにいくわよ」

 リーシエはそう宣言すると、ホールへと続く扉を開けた。


 ベルザックはルンベック家当主、ルンベック・エドガーと談義をしていた。他にも子爵家男爵などがベルザックに取り入ろうと様子を伺っていたが、ベルザックに彼らを相手にする余裕はなかった。

 ルンベック家は何かとお世話になっている家である。平民とは言え、これまでの貢献度を考えれば彼から男爵の地位でもあげるべき家だ。

 しかし、今ではエドガーが娘を用意できていないベルザックに軽視の態度を示していた。エドガーは今回の報酬を大層楽しみにしていたのだ。ここでご破綻など到底許すつもりはないのだろう。娘二人が姿を見せないとわかると、何度もベルザックに近寄っては嫌味の言葉を並べた。プライドの高いベルザックには、それが我慢ならなかった。

「しかし、お嬢様方は遅いですなぁ。まさか夜遊びをしているわけでもありませんよな」

 エドガーはワインを頻繁に口に運びながら、先程から同じようなことを何度も繰り返していた。

「まさか。エドガー殿もお人が悪い。我が娘がそのような蛮行をするものですか」

「では、どちらに居るというのですか」

「ですから、今娘たちは化粧室でドレス選びをしているのです。此度の火災に心を痛めたジニー殿にどうか今晩だけでも楽しんで欲しいと、張り切っているのですよ」

 ベルザックは苦手な薄笑いを浮かべ、何度目かのごまかしの言葉を並べる。

 部屋の隅では、エドガーの息子でありるジニーが様々な貴族に取り入っているのが見えた。好青年のように振る舞い、貴族たちの好感を得ている。家が火事になったばかりだと言うのに、辛そうな顔一つしていない。むしろそのことで貴族たちの興味を引くきっかけを作っているくらいだった。彼にしてみれば、婚約者となる娘が登場しない今、貴族たちとの交流を先決させたのだろう。

「しかしですな、もうすでにパーティーが始まってから一時間は経っていますよ。ドレス選びとやらにそんなに時間がかかるものでしょうか?」

 頭の痛い声にベルザックは眼の前の男に意識を向ける。それから、頭の中で言い訳を即座に作成した。

「女性にとって見れば、一時間とかかってもきっちり納得の行くものを選びたいのでしょう。大変申し訳ありませんが、もう少しお待ちいただければ」

「ああ、そうですか、そうですか」

 エドガーは退屈そうに腕時計をちらりと眺め、はぁ、とあからさまにため息をついた。

 その態度に、沸点の低いベルザックは怒鳴りそうになる。

「しかしですな――」

 エドガーが追加攻撃をしようとした時、

 バンッ

 と扉が開く音がした。

 視線が一斉に集まる。

 扉から三人の娘が入ってきた。

 青と白のドレスが一人。

 赤と白のドレスが一人。

 真っ黒なロリゴシックが一人。

 そのうち、赤と白のドレスが前に出た。

 注目を十分に集めたうえで、キレイな美しい声を出す。

「私はエルラック家次女、フローラ・ランペル・エルラックと申します。大変遅れました事、この場で謝罪申し上げます」リーシエは丁寧に頭を下げ、ゆっくりと顔をあげた。「さて、此度、私のために集まっていただいたこと、大変嬉しく思います。私、続きリーシエは伯爵の地位を退去することといたしました。皆様方には私の最後の晩餐会をぜひとも盛り上げていただけること、期待しております」

 時が止まったように、誰も何も言わなかった。

 パリン、とガラスの砕ける音が響く。

 ベルザックがぷるぷると震えながら、フローラの方を見ていた。

「はは。み、皆様方。我が娘は少々混乱しているようで、虚言を吐いたもようです。ご安心を、そのようなことは私が許しません。どうかそのままお食事をお楽しみください」

 ベルザックはそう宣言した後、急ぎ足でフローラの元に近づいた。

 後ろからエドガーが何かを言ったが、ベルザックは頭が真っ白になりかけており言葉を理解することができなかった。

「フローラ、どういうことだ!」

 ベルザックは鬼の表情で、しかし震えるような小声で問いかけた。

「お父様。私は元より貴方とは縁を切る予定でした。リーシエもそのことに賛同しています。私達は貴方の奴隷ではありませんよ」

 フローラは冷徹な針のような声を差し向けた。

「何を言うか!この場でそのような戯言、冗談にもならん!すぐに言葉を訂正し、今すぐエドガー殿…いや、ジニー殿の機嫌を取りに行け!」

「そうでしたね。ナターシャ」

 リーシエが一歩前に出る。

 同時に、黒いロリゴシックも前に出た。

 ナターシャは無言でベルザックに頭を下げる。

 彼女はホールに入ったら、一言も喋らなくてよいという許可を得ていた。

「な、何だ貴様は」

「それでは失礼します、お父様」

 リーシエが先頭を歩く。

 誰も頭を下げなかった。

 三つのドレスはゆっくりとジニーの方へと歩みを進める。

 ジニーを取り巻いていた貴族たちは、令嬢のご登場にあたふたし、道を進んで開けた。

「おやおや。これはこれはリーシエ様、お初にお目にかかります。私、ジニー・ルンベックと申します」

 ジニーは恭しくお辞儀をした。この時、リーシエの視界の端にジニーの元へ近づこうとするベルザックをエドガーが必死に抑えている姿が見えた。

「これはジニー殿、ご丁寧に。それはそうとジニー殿、この娘をご存知でしょうか?」

「ん?この娘とは?」

 ナターシャが前に出る。

 ジニーは驚きの表情を浮かばせ、苦笑いをした。それからリーシエの方を向いた。

「なるほど。貴方でしたか…」

「ええ、今は私が保護しております。問題はありませんね」

「わかりました。身を引きましょう。しかし、そうなると私の家の火事はナターシャが行ったということですか…」

 ピクリ、とナターシャが反応する。

「ええ。賠償金なら払います。それで構いませんね」

 リーシアがきっぱりと言った。

 ジニーは顔をあげリーシアを見る。

「ええ。それならよろしいのですが…。それで、彼女はキンベル教団の方で預かることになるのですか?」

「そうなりますね。とは言え、私は先ほどの通り爵位を降りることにいたしました。そのため、ナターシャ共々隣国の本部へと子供たちを移す予定です」

「お言葉ですが、それは名案とは言えませんな。あの建物はついこの間建てたばかりでしょう。それに、子供たちもざっと十人居る。職員を含めれば二十人。その本部とやらは、この人数を受け入れる体制があると言うのですか?」

「ええ、許諾はすでに得ています。貴方のお父様、エドガー様には申し訳ありませんが、教団支部を手放すことに致します。もとよりあの施設は、お父様がご勝手に建設なされたものですしね。それに、この街の子供たちは集め終わりましたから…。とは言え、十日ほどの猶予の後、ですけれど」

「なるほど。法的手続きがありますからな…」

「ええ。その時にまたよろしくお願いします」

「ははは…ちなみにこの私を婿にするということはご検討くださいますか?」

「そちらのお話は無かったこととして私は受け取っております」

 スラリとリーシエは答える。

 ジニーは苦笑いを浮かべた。

「わかりました。それでは潔く身を引くと致しましょう」

「快き判断、痛み入ります」

 リーシエは頭を下げると踵を返し扉の方へと戻っていく。その時、エドガーとベルザックが近づいてきた。

「リーシエ、こちらはエドガー殿だ」

 ベルザックは苦々しい笑みを浮かべながら、邪魔者を見るような目でエドガーを紹介した。

「はじめまして。大工をしておりますエドガーです。息子とは何をお話に?」

 エドガーが疑う目でリーシエ、それからフローラとナターシャを見た。

「そのことは本人からお聞きください。それでは失礼します」

 一礼もせず、リーシエは脚を進める。

「待て!まだ話は終わって――」

 ベルザックが止めに入る。

 その時、肩に手が置かれた。

「ベルザック伯。そのことは本人から聞こうじゃありませんか」

 ベルザックが振り返ると、ねちゃりとした中年の顔がそこにはあった。

「しかしエドガー殿――」

「いえ、言い訳は御無用。あの態度、すべて本当のことのようですから」

 ベルザックはエドガーの手を離そうとしたが、エドガーの手は鉄骨のごとく重く動かなかった。

「さぁ、ジニーの元へ向かいますぞ」

「ぐっ」

 力が加わり、まるでゴリラにでも握られている気分になる。ベルザックは引きずられるようにしてジニーの元へと向かった。

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