前って、どこよ?
原田楓香
前って、どこよ?
「前って、どこよ?」
彼女がつぶやく。
選挙が近い。
街のあちこちに貼られているポスターを彼女は見ている。
『○○を前へ』
胸の前で、力強くこぶしを握った政治家のアップの写真だ。
○○には、自治体の名前が入る。
「そういえば、ずっと前に、『日本を前へ』というのもあったよね」
僕は思い出した。
「あったね。……いや、あるね。今も、ある。前とは別の政党のポスターで。……ほら」
彼女の指さす方向に、まさに『日本を前へ』と書かれたポスターがある。
「なんでか、みんな『前へ』行きたがるよね」
「前って、どこよ?」
彼女がつぶやく。
「そやな。前へ、って言いながら、ほんとは、なんも考えてなかったりして」
僕は応える。
「かもね。でも、とんでもない方向に向かって、前へ、って思てるんやったら、その方がめっちゃ困るんやけど」
彼女が、少し眉を寄せて言う。
「ほんまそれ。でも、前、ってイメージのいい言葉やと思うけど。『前向き』って言葉もあるし」
「うん。でも、こんな場合もあるで。『前向きに検討します』って言うたら、『考える振りだけして、なんもせーへんで』って意味に聞こえるやん」
彼女がシビアに言う。
「あ、そうか。う~ん……そう思うと、『前』って言葉、怪しい油断ならん感じがするなぁ」
「いや、それは、『前』って言葉のせいとちゃうで。使う人の意図の問題」
「なんにしても、ざっくり『前へ』って言うときは、方向が何も定まってない無為無策のときか、あるいは、方向はハッキリしているけど、ハッキリとは目指す方向を悟られたくないとき、って気がする」
彼女は、あちこちにあるポスターを見回しながら、続ける。
「そういえば、ずっと昔、『日本を取り戻す』なんていうポスターもあったね。誰から何から取り戻すんやろう? って、すごく不思議やった記憶がある」
「うん。あったね。僕らの知らないところで、いろんな思惑が蠢いてるのを感じて、なんか怖かった気がする」
「言葉って怖いね。その裏に何がかくれているのか考えると、へたなお化け屋敷や怪談より、ずっと怖いかも」
彼女が首をすくめる。
「……そやな。でもさ、一見厳しい言葉でも、その裏に優しさや温かい気遣いとか感じることもあるよね」
「結局、その言葉を使う人にかかってるってことか」
「うん。言葉を大事に使って、誠実に思いを伝えられる人になりたいね」
彼女はうなずいて、そっと僕の手を握った。
前って、どこよ? 原田楓香 @harada_f
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