第36話:舞台の裏で闇は囁く ???視点

「それで、お前はおめおめと逃げ帰ってきたわけだ」

「ヒヒッ。そう言ってくれるなって」

「黙れ。何のためにお前に大罪器を渡したと思っている」


 何も理解していない快楽犯が、世間を騒がせる大悪党にしてやったのは誰のおかげだと言えばこいつは黙る。

 世間では“笛吹き男”だの呼ばれているこのローブの男は、結局のところただ一人に敗れて逃げ帰ってきただけの小悪党だ。


 俺は地面に這いつくばっているローブの男を見下ろしながら、椅子に腰かける。

 この部屋には現在俺とこいつしかいない。他の人間は人払いした。

 万が一にも俺がこいつと繋がっていることが判明すると、少し手間だからな。


「俺はお前に指示を出していたな? なんと言ったか覚えているか?」

「……『カバリロで騒ぎを起こすこと。世間の目を一身に引きつけろ』」

「そうだ。その結果、お前は何をやってここに逃げてきた、言ってみろ」


 俺の問いかけに返ってきたのは沈黙。

 仕方がないので、喋りやすいようにしてやる。

 俺は魔法で肉塊を作りだし、目の前の男を強く睨みつける。

 こいつに貸し与えている魔道具やアーティファクトは数あれど、俺のこの魔法を防げるものはない。


「ヒヒッ、ヒィ! 旦那、頼むよ、許してくれ」


 俺は手のひらの上に浮かべた塊を指で弄び、見せつけるように目の前に突き出してやる。

 すると、面白い様に泣いて許しを請うのだから見るに堪えない。


「さて、何のことだ」

「それな、それな、痛くて堪らないんだ。痛いのは嫌だ、嫌いなんだよ」

「そうか」


 俺は浮かべていた肉塊を強く握りしめる。


「ああああああああああああっ!」


 俺の手の中で肉が指に押され形を歪め、強く伸縮する。

 目の前の男は痛みでのたうちまわり、激しく地面に拳を叩きつける。

 体の内部を外部から握りつぶされる感覚はさぞかし気分が悪いだろう。本来ならば罪人以外に使うのは禁止されている魔法の一種だが、こいつ相手ならば問題あるまい。


「理解したか? お前の飼い主は誰で、お前は何なのかを」


 俺は一度肉塊から手を放してやる。

 痛みから解放された男は肩で息をして、全力で地面にひれ伏した。


「わ、わかってるよ旦那。頼むよ、許しておくれよ……」

「理解しているならば、なぜお前はあいつに手を出した」

「ぎゃあああああああああっ!」


 再度肉塊を握りつぶす。

 極めて不愉快だ。無能な手ごまを動かさざるを得ないことほど不愉快なものはない。

 厄介なのは有能な敵よりも無能な味方とはよく言ったものだ。


 特に、こいつはあいつに強く認識されてしまった。

 こいつと俺の関係を理解されると、計画に大きな支障が出てくる。それは避けたい。

 そうなると、こいつは今からでも処分するべきか? いや、今から代わりを探すとなると、裏に人物がいると語っているようなものだ。


 あくまでも、快楽犯“笛吹き男”が暴れる構図でなければならない。


「殿下~。さっきから私の魔力を使って何をしてるんですか……って、ああ、そういう」


 不意に部屋の扉が開いた。

 誰かに入ってくる許可を出した覚えはない上、俺は誰にも入られないように魔法で結界を張っていた。容易に入れるような状況ではない。


 部屋に入ってきたのは、紫の髪を靡かせた女だ。

 そいつは部屋の状況を見ると、何をしているのか即座に理解したのか、汚いものを見る目で地面に這いつくばっている男を見る。


「入ってくる許可を出した覚えはないが」

「いいじゃないですか~。婚約者ですよ私達」

「節度を持て、と言っているのだ。それと、不要なところでその単語を口にするな、気分が悪くなる」


 形式上は取り繕う必要があるが、俺たちの関係はあくまで共犯者だ。

 婚約者と言うのはお互いの利益のために最大限配慮した結果に過ぎない。


 どうして女と言うのはこうも立場に関して敏感なのだ。

 婚約者だろうが、俺たちの間にとっては些細な問題だろう。


「まあまあ、私もこいつには言いたいことがあったんですよ。ちょうどいいので言わせてくださいな。心の御広い殿下」

「……好きにしろ」


 無理に下がらせて気分を悪くさせる必要もない。

 なら、最低限は目こぼしをしてやる。


 俺は肉塊から手を放し、魔法を解除することで肉塊を消滅させる。

 苦痛から解放された男はもう四つん這いになる気力すらないのか、地面にうつ伏せになって倒れたまま動かない。

 死んだか? いや、この程度で死ぬ男ではない。疲れ果てて動けないだけだろう。


 部屋に入ってきた女は、ご機嫌な調子の足取りで“笛吹き男”のところまで歩いて行くと、無造作に頭を掴んだ。

 そして、無理やり持ち上げる。


「貴方が向こうで何をしていたか話は聞かせてもらったけれど、私が言いたいのはただ一つ――」


 空気が途端に引き締まる。


「——お前程度があの人と同じなわけないでしょ。身の程を弁えろ下賤の者風情が」


 激情。憤怒。俺の位置から女の顔は見えないが、顔を見なくともわかる、圧倒的な感情が女から滲みだしている。

 “笛吹き男”も流石にこれには怯えているようだ。

 不覚ながら、俺も僅かに身じろぎしてしまった。恐ろしい気迫だ。


「んー、それだけ。じゃ、後はお願いしますね」

「……次からは、入るときにノックと許可を求めろ」

「覚えてたらそうしますね。それじゃー」


 それだけ言い残し、再び部屋に俺と這いつくばる男の二人だけが残される。

 ふざけた女だ。だが、計画には必要不可欠でもある。厄介な存在だ。


 共犯者である以上最低限の尊重は必要だが、どこで手を切るかを早々に考えなければならないかもしれない。

 俺とあの女とでは、あいつに対する姿勢が違いすぎる。


「よくもまあ、人を拗らせさせる女だ。一種の才能だろうな」


 才能と言う言葉を口にして、自嘲する。才能、才能か。

 確かに、才能に溢れた人間だった。努力はしていただろうが、悉くを実現させるのは才能ありきだ。無才の人間に成し遂げられることではない。

 もっとも、本人が最も望んでいた才能は与えられなかったらしいが。


 思い出して、思い返してしまう己自身に苛立ちを覚える。

 もはや後には引けぬ道だというのに、まだ未練を残すつもりか。

 時は巻き戻らない。どのような魔法もそれは実現させられない。

 ならば、人は進むしかないのだ。


「今回の件はひとまず目溢ししてやる。だが、次はないと思え」

「ヒヒッ、ヒゥ、へぇでございますだ」

「怪我が治るまではかくまってやる。ただし、治ったら再び俺のために働け。わかったな」


 俺は男が首を縦に振ったのを見て、部屋から追い出す。

 さて、今後の予定を練り直さなければならないな。

 俺は部屋の隅に飾られた一枚の絵に向かい、誓い直す。


「必ずや、あなたの望みを果たして見せます」


 今は亡きその姿。後何度俺はこの姿絵に誓うことになるだろうか。


「ですので、安心して見守っていてください。——母上」


 姿絵には、穏やかな微笑みを湛えた美しい女性が描かれていた。

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TS転生悪役令嬢は前世の夢を忘れられない ~国外追放された魔力無しの令嬢は、剣聖として異国の地で成り上がる~ パンドラ @pandora

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