8.うまく言えないけど


 酒屋のおじさんに外に出ないようにと止められているじいちゃんは、少しの間お社には行けないと言っていた。だから僕は毎日お社に一人で来て、サッカーの練習やランニングをした。瑞雲みくもは上手にボールを扱えるようになり、僕のいい練習相手になってくれた。


 スポ少の方にも顔は出していた。誰とも話さずにボールの手入れなんかの裏方の仕事のルーティーンをしていると、今日はいつもと違って槇原まきはらくんが話しかけてきた。


「おい、おまえいつもどこ行ってんだよ」


「……え?」


「走りに行くって言って」


「それ、言わないといけないの?」


 前から僕のことは気にかけていないみたいだったのにどうして急に話しかけてきたのかわからなくて、言い方が冷たくなってしまった。すると、思い詰めたように地面を睨んでいる顔から「……別にそういうわけじゃねえけど」と、小さな声が聞こえてくる。


「あ、ええと、階段の上のお社に行ってるだけだよ」


「は? 階段の? あそこ危ないって言われてるだろ」


「そうだけど」


「……そ、その、俺も、行っていいか?」


「え? 何で?」


「おまえの……」


 槇原くんがもごもごと何かを言おうとした時、僕の背中の方から「槇原!」と声がかかった。「……あ、はい」と答えて僕の横を通り過ぎる姿を見ながら、「何だったんだろう」と小声でつぶやいた。


「走りに行ってきます」


 今日も、僕の言葉は誰にも聞かれなかった。



 ◇◇



「ほんとにもう大丈夫?」


「おう、心配かけて悪かったな」


「大丈夫ならいいけど……」


 一緒に階段を上がっていたじいちゃんが「心配すんなって」と僕の背中を叩いた。ぶほっとむせた拍子に、階段を上がり切ったところだというのに和菓子の香りがいつもより薄くなっていることに気付く。


「今日は天狐てんこ様いないのかな」


「私はここにいるぞ」


「あれっ、どこに……え、小さい!」


「天狐様、ずいぶん小さくなって……瑞雲と同じくらいじゃ?」


「ああ。ガットと広臣が掃除してくれているというのに、この体たらくよ」


「な、何で、ですか……?」


「僕もいるよ」


 小型犬くらいの大きさの天狐様に驚いていると、お社の後ろから、子猫くらいの大きさの瑞雲がとことこと歩いてきてしゃべり始めた。じいちゃんも僕のすぐ後ろで「おまえ、瑞雲なのか!」と驚いている。


「瑞雲も小さくなっちゃったんだ……」


「実はね、ここの地主さんが亡くなったんだ。それで、この土地を売るかもしれないって、後を継ぐ人が階段の下で話してるのを聞いて……そういうのでも、天狐様と僕の力は左右されちゃうから」


「えっ……? もし売られちゃったらどうなるの……?」


「わからない。お社が残されるかどうかも」


「お社……残してもらえなかったら、天狐様と瑞雲は……」


「お参りに来てくれる人がいなくなって、力がなくなっていっちゃう。死んだり消えたりはしないけど……ガットたちがここに来てくれても、会えなくなっちゃう……」


「ここは確か、隣町にいくつかビルを持ってる人の土地なんだ。そうか、亡くなったのか……」


 じいちゃんが神妙な顔つきで天狐様を見る。


「まだどうなるかはわからないんだ、心配しなくていい。ああ、今日は草むしりは必要なさそうだぞ」


「は、はい。……あっ、和菓子持ってきたので。えっと、きんぎょ……何だっけ?」


「ははっ、錦玉羹きんぎょくかんだろ」


「そ、そう、それ。透明な水色の、きれいな和菓子です」


「おいしそうだな、楽しみだ。いつもありがとう」


 「和菓子の名前はちょっと難しいからな」と、じいちゃんは笑っている。天狐様も瑞雲も、「うんうん」なんてうなずいている。でも、僕の心は重いままだ。


「……じゃあ、走りに行ってきます」


「おう、気を付けて行けよ」


 じいちゃんの明るい声を背に、僕は階段を下りた。すると、そこに意外な人物が待っていた。


「あれっ? 槇原くん、練習は?」


「走ろうと思って」


「抜けてきていいの?」


「いいよ、別に。俺なんか……」


「俺なんかって、どういうこと?」


 槇原くんはスポ少で話した時と同じように、思い詰めたような表情でうつむいてしまった。あんなにコーチに期待されていた彼から「俺なんか」という言葉が出てきたことに、僕は驚きを隠せない。


「最近……、調子悪くて……。練習してると膝が痛くなったりするし」


「ああ、膝痛くなるよね。成長してるからなんだって。成長痛っていうらしいよ」


 確かプロサッカー選手が動画で「身長が伸びている時は成長痛が大変だった」と言っていた。きっとそのことだろう。


「えっ? 成長してるから? そうなのか」


「え、えっと、たぶん、だけど。痛いのが続くならお母さんにでも言った方が……」


「……うち、お母さんいないから……」


「あ……、そ、そっか。……一緒に走る?」


「いいのか?」


「うちもお母さんいないんだ。お父さんと二人で。だからさ、その……、うまく言えないけど……わかるよ」


 僕がそう言い終えると、槇原くんは目をごしごしとこすった。ちょっと泣いたのかもしれない。でも、見ないふりをする。


「あっち、坂があるから大変だけど、大丈夫?」


「大丈夫! 俺は行く!」


「う、うん、じゃあ出発」


 槇原くんは急に元気になって、もう先の方まで行ってしまった。「おい! 早くしろよ!」なんて大声を出している。


「待ってよ、速いよ」


 何だかこういうのも悪くないな、なんて、お社では落ち込んでいた気持ちが浮いてくるのがわかる。


「がんばろーぜ!」


「あんまりがんばったらだめなんだよ! 熱中症になるよ!」


 槇原くんが笑顔になったのは、とてもうれしかった。

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僕の熱い夏 祐里〈猫部〉 @yukie_miumiu

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