後編

「ここだぜ」


「お邪魔します」


 大林の研究室は、意外にこぢんまりとしていた。薄暗い蛍光灯は、灰色の床の黒みを一層際立たせている。入ってすぐのところにひょろっとした男の人がいた。机の上には古そうな本が山積みになっている。


「こんにちは。ここは部外者立ち入り禁止だよ」


「え」


「うそうそ。入って良いよ」


「遠藤さん、紹介します。こいつは友達の江田で。なんか小説書いてるらしいんすよ。PVが伸びなくて悩んでるらしいんで、見てやってくれません?」


「いいよ。丁度暇していたところだからね」


「ありがとうございます、遠藤先輩」


「そんなにかしこまらないで。遠藤さんでいいよ。さて、江田くん?僕に小説を見てもらうってことは、相応の覚悟があるってことで良いよね?赤ペンまみれになるだろうけど大丈夫?」


「は、はい。どんな意見も受け入れます。それくらいの自信はあります」


「いいね。じゃあ、読ませてもらうよ」


 遠藤さんにノートパソコンを手渡した。すさまじい速さで文字が送られていく。あっという間に一話が終わってしまった。8000字はあるのに、体感的には読み終わるまでに5分も経っていないような気がする。


「一話を読んだ感じ、これは典型的な異世界小説、と言ったところだね」


「はい」


「そうだなあ。まず、始めの独白が長すぎ」


「え」


「これ、転移ものでしょ?だとしたら、転移した後が大事だよね。ここは思い切って削っていこう。まして、これは本当にただのポエムになってるから」


「……はい」


「そして、どうでもいい説明が過多」


「……どこですかね」


「全体的に、なんて言うんだろう。表現が重たい割に、表現しているもの自体はわりとどうでもいいっていうか。例えば……ここだね。水色の物体があって、粘性があって、風に吹かれて小刻みに震えているとか。それだけ説明されたら読者はスライムだって分かる。なのに、これはスライムに違いないとかわざわざ説明を付け足す。そもそもそれがスライムかどうかなんて、変にまどろっこしい描写入れなくても普通一目見て分かるでしょ。君は純文学やろうとしてるの?それにしては中途半端だよ」


「…そう、ですね。表現には厚みがあった方が良いのかなって思いまして」


「連載でしょ?一話のつかみがこれじゃあね。人はついてこないよ。ある程度ファンを獲得した作品ならともかく、な設定のこれでやるのはちょっと分からない。ニーズがあるとは思えないな」


「……はい。ありきたりですかね?」


「まあ、それはもうちょっと読まないと分からないか。文章は読みやすいし、キャラも立ってるんだけど、何で面白くないんだろうな。いや、まあ、僕が異世界小説が苦手なだけかも知れないけどね」


「いやいや……」


「ああ、それと、一話の終わりが綺麗にまとまりすぎ。もうちょっと引きを作らないと、ダメだよ。連載漫画もそうだけど、最後にピンチをつくるなりしないと、興味が持続しないよ。全体的に展開に動きがなさ過ぎるから、余計に」


 目が熱い。もう秋も終わるというのに、汗が止まらない。


「大丈夫?つらいようならもうやめるけど」


「いや、お願いします。どうか、二話以降も読んでくれませんか」


「いいよ。読んであげよう」


 二話は、一話以上に分量が多い。読んでいる間の遠藤さんの表情が末恐ろしく思えた。今度は、どんな刃が飛んでくるのだろうか。それが自分で分からないことが、余計に怖かった。


「ううん、説明が長い!魔法がどうとかこっちは知ったこっちゃないのに、延々と魔法の話ばっかり!こりゃあPVが伸びるはずがない」


「そうですかね」


「何?これ、人に見てもらうために書いてるの?本気で」


「はい」


「はっきり言うけどね、江田くん。こんなの、物語ですらないよ。ただの魔法の教科書」


「ええ……」


「江田くんは良い設定を思いついたつもりなんだろう。だけどね。こういう設定はよくあるものなんだよ。君が思いつけるような設定、ネットを探せば案外転がってるもんだよ。君は他の人の小説を読まないの?」


「あまり、読まないですね」


「分析もせずに書き始めたの?行動力には感心するけど、共感はできないな。とりあえず、最初の方から書き直した方が良い。Web小説なら、取り返しは効くはず」


「伏線とか色々あるんですけど、消して書き直したら信頼が失われるとか、ないんですか」


「小説への信頼は面白さから生まれる。江田くんのやつは、そもそも面白くないから関係ない」


「ああ……」


「ごめん。ちょっと言い過ぎたね。もちろん、自己満足で十分なら別にこのままで良いんじゃないかな。PVが伸びないのは割り切って。その方が幸せだろうからね」


「……とりあえず、頭を冷やします。見て頂いて、ありがとうございました」


「いやいや、なんか、すまないね。別に、良いところがないわけじゃない。ヒロインの魔女には君のフェチを感じる。それに、文章は本当に読みやすいんだ。主語述語の食い違いはこれと言って無いし、誤字や脱字もそんなにない。だからこそ、これは根本的な問題なんだ」


「はい……」


「プロットはある?」


「プロットって何ですか?」


「ええ?プロットも無しによく書けるね……話の流れを先に書いておくのが、プロットだよ」


「そうなんですね」


「……小説を書き始めたのはいつから?」


「一ヶ月前からです」


「へえ。何で書こうと思ったの?」


「元々絵を描いてたんですけど、AIが出てきてから自分が描く意味が分からなくなっちゃって。それで、AIに侵食されにくそうな小説を書いていこうと思ったんです」


「小説だって、AIに侵食されてると思うけどね。最近じゃ、AIだって小説を書く」


「え?」


「そういうAIがあるんだ。小説の世界だって、安泰じゃないんだよ。それで、君はどういう絵を描くの?」


「こういうのです」


 スマホのロック画面を見せた。クラゲ少女のイラストが表示されるよう設定している。見る度に癒やされてきた、最高傑作だ。


「何だ、結構上手いじゃないか。もったいない、何でやめちゃうんだ。太ももが太いところにフェチを感じるね」


「ありがとうございます」


「確かにAIの方が上手いかも知れないけど、そういうフェチはやっぱりAIには作れないと思うよ。AIじゃ描き手特有のへきが出ないのは、小説も絵も一緒だと僕は思うね」


「なるほど……」


「とりあえず、もし書き直した上でまた見て欲しくなったら遠慮なくここにおいで。嫌だったら、別に良いから」


「いえいえ……。今日は、見て下さってありがとうございました」


 江田は肩を落としながら研究室を後にした。少し歩いたところで、大林が彼の落とした肩を叩いた。


「こっぴどく言われちゃったな、江田。なんかすまん。そういうつもりじゃなかったんだけど」


「大林は何も悪くない……俺が悪いんだ」


「正直、俺もあんまり面白くないなって思ってたんだよ。でも、理由が言語化できなくて。遠藤さんならあるいはって思ったんだけど、ここまで酷評されるとは。でも、指摘に温かみはあっただろ」


「そうかな……漫画を持ち込んだみたいだったよ」


「いやいや。あそこまで言ってくれる人はなかなかいないぞ。嫌われたくないって思うのは人の性だからな」


「とりあえず、改めてお礼を伝えてもらえるかな」


「分かった」



 家に帰って、リュックを放り出してベッドに転んだ。あの研究室よりも温かいはずの照明がやたら強く目をつんざいている。


「もう、俺、物書きやめようかな。才能ないし。絵描きに戻ろうかな……」


 そう思ってペンタブをパソコンにつなげたが、何も描く気になれない。無駄な線ばかりが、キャンバスに追加されていくだけだ。ペンを放り出して腕を組む他に、どうすることもできなかった。


 どうしたら面白くなるだろうか。伏線を張ったらストーリーが犠牲になるのは仕方ない気もする。頭をかきむしったところでアイデアは落ちてこなかった。落ちたのは髪の毛だけだ。何気なくスマホのロック画面を見た。クラゲ少女が俺に微笑んでくれた。


 高校の頃「お前には勉強しか取り柄がない」と言われたことが、未だに脳に焼き付いている。だからこそ、俺はイラストを描き始めたのだ。

 ようやく分かった。イラストを描けるという取り柄は決して無駄ではなかったと。スマホのロック画面を見る度に心が洗われるのはこの絵が上手いからではなく、俺の癖がモロに現れているからだ。


「そういえば先輩が、プロットがどうとか言ってたな……」


 ネットで検索すると、プロットの書き方を紹介するサイトがあった。そこに記されたあらゆる情報を精査して、ある結論に至った。


「俺はそもそも、物語の作り方さえ知らないじゃないか!」


 イラストのときは、昔から色んな絵を見てきたおかげで元から目が肥えていた。だからこそ自信過剰にならず、描き方を調べて練習するという当たり前のことができていた。でも俺は小説を読んだ経験が乏しいから、自分に実力が無いことが自覚できていなかった。勉強もろくにせず、何となくで書いていた……。それが良くないとすら分かっていなかった。


 面白くするためには、一から展開を練り直さないといけない。それが分かっただけでも、見てもらった甲斐がある。


『起承転結をわきまえるんだ。プロットも作り込んで、少しでも面白い話にしよう。ニーズも考えないと……』



 それから一ヶ月かけて、どうにか創作理論に基づいて小説を書き直すことができた。起承転結の原則さえ理解していなかった一ヶ月前と比べれば、ずいぶん良くなったと思う。理論に合わせるためにキャラクターの主義や性格を大幅にねじ曲げ、設定も大きく変更したが、面白くなるならそれでいい。


 とりあえず、一話だけ再投稿してみた。ここまでやっても、やはりこれといった反応はなかった。ブラウザをリロードする度に、ため息がこぼれた。



 修正版を大林に見てもらった。大林は何度も頷きながら文章を読み進めた。


「どうだ?大林」


「大分マシになったな。でも、アイデアが平凡だな。独自性が薄い。異世界ものはもうすり切れるほど描かれてるだろ?」


「はあ……そう簡単には、良作なんて作れないか」


「そういうもんさ……この魔法使いの挿絵があったらPVも伸びるんじゃないか?お前は絵が描けるんだから、差別化になるだろ」


「なるほど。描いてみるか」



 その日のうちに魔法使いの挿絵を描いた。斜め顔の描き方を忘れてしまって、正面顔しか描けなかった。二ヶ月以上も描いていなかったから当然かも知れないが、体の構造もよく分からなくなっていた。しかし、普段より筆が乗っていることは間違いない。


「あれ?明らかに上手く描けなくなってるのに、楽しいなあ。何でだろう?」


 その理由はいつか言語化できたら十分だ。物書きにはあるまじき思考かもしれないが、俺には何の才能もないのだから。


 絵を久々に投稿した。オリジナルキャラだからいいねは一つももらえないかもしれないが、それでもいい。力量がバレたとしても、自分に嘘を付き続けるよりは百倍マシだ。


「さて。プロットを、もう一度練り直すとしよう」

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とある元絵描きの物語 もすび @msv_115mc

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