とある元絵描きの物語
もすび
前編
「何だよこれ……」
江田がSNS巡回中に目にしたのは、愛するキャラクターのAI生成画像だった。
「何で俺の絵は1000いいねも行かないのに、これは1万いいね行くんだよ……!」
絵を一枚描くのに、江田は大抵10時間以上費やしている。練習にだって時間を使っている。一方、この画像の生成に要する時間は1分もないことだろう。
「もう、絵なんてやめだ!俺が描いたって何の意味もない!」
江田はベッドに身を投げ出した。マットレスは彼を包むには硬く、軋む音をわずかに響かせるだけだった。
俺は大学に入ってから、新しいことをしようと思って絵を描き始めた。始めの一年は毎日が辛かった。描いても描いても上手くならないし、楽しく思えなかった。それでも愛する子――クラゲ少女をかわいく描くため努力を続けた。バイト代を貯めて美術解剖学の本を買ってからはトントン拍子でことが進んで、一年半でフォロワー500人を達成した。全てが順調に思えた。
画像生成AIが頭角を現し始めたのも、ちょうどその頃だった。始めはとても売り物にならないような絵しか生み出せない代物だったのに、絵を描き始めて二年半経った今では人間の描いた絵と見まがうばかりの画像を生成できるまでに進化している。俺よりも、上手い絵を生み出せる。その進化は止まらないだろう。
「もう、描きたくない……」
独り言と一緒に吐き出されたため息だけが、宙を舞っていく。目をつんざく照明は、彼にとって絶望の光だ。
『俺には漫画なんて描けやしない。AIに奪われなさそうな趣味と言えば……小説かな。高校の頃、よく書いてたっけ』
江田はむっくりと体を起こすと、椅子に腰掛けた。ペンタブをパソコンから取り外して、キーボードを気ままに叩いてみる。イラストと同じようなもので、テキトーにやってもとても人には見せられないような駄文しか生まれなかった。
『ストーリーを練ってみよう。そうすれば、高校の頃のように楽しく小説が書けるかもしれない』
それからは寝る間も惜しんでストーリーを考えた。講義中も、心は上の空だった。頭が出がらしになりそうなほど、思考を巡らせた。だが、数日も絞り続けて生まれた絞りかすは無味乾燥で、全く心に訴えてくるものがなかった。
『昔のやつを見返してみるか』
部屋の棚に立てられた数冊のB5ノートは、頭にすっかり埃を被っていた。そのうち一つを手に取って、パラパラとめくった。弾き飛ばされる埃とともに、記憶のヴェールが剥がされていく。
『これ、異世界小説の設定じゃないか?……難しいけど良い設定だな。これを元に、書いてみるか』
何週間も、設定書とにらめっこしながら文章を書き連ねた。ヒロインと主人公の会話を書くのは楽しかった。ラストの展開も、我ながら良い出来だ。伏線も大量に張っているし、後半の種明かしも面白い。文句なしと言って良い出来だった。
『よし、投稿しよう。小説投稿サイトはいくつかあるけど……ここで良いかな。有名な出版会社のやってるサイトだし』
第一話を投稿した。紹介文やタグ付けには、かなり気を遣った。この名作が世に知れるには、それ相応の文章が求められるはずだ。
『さあ、続きの文章も、一日おきに投稿していこう。どんなコメントが来るか、楽しみだ』
翌日、講義のために大学に足を運んだ。大学三年生になっても満員電車の窮屈さには慣れない。4分おきに発車のベルが鳴るというのに、40分に一本来る俺の故郷の通勤電車よりも人が多い。さすがは都心と言ったところだ。
俺はいつも、講義室の後ろ端に陣取る。こうすれば、内職をしてもバレない。バレたところで何を言われることもないが、教授に嫌われるのはごめんだ。しばらくして、隣の椅子を引く音がした。
「よう、江田」
「今日は早いな、大林」
「課題が珍しく全部終わってたからな。めっちゃ長く寝れたわ……お前、何書いてんの?」
「小説だよ」
「へえ。どういうやつ?」
「異世界もの」
「ああね」
「読んでみるか?」
「まあ、最初だけ読んでみるわ。これはいわゆる最強系か?」
「違う。とりあえず、読んでみてくれ」
大林は、ノートパソコンのタッチパッドを二本指で触れたまま、文章をスクロールしていく。尋常ではない速さだ。想定の二倍くらいの速さで一話を読み切り、二話の途中まで読み進めてしまった。
「まあ、そうだな。女に癖がにじんでるな。お前、何歳か年上の女に甘えたい
「おお、よく分かったな。面白いか?」
「まだ面白くなるところまで読んでないな。まあ、気が向いたら続き読むわ」
その日、大林が続きを読もうとすることはなかった。イラストだったら一瞬で見て味わえるが、小説だと読むのに時間がかかるから心理的障壁が高くても仕方ないだろう。そのときはその程度の認識だった。
しかし、数日して異変に気づいた。投稿した小説のPVが一向に伸びないのだ。それどころか、二話に進む人が殆どいない。二話に進んでも、三話に進む気配がない。一体どういうことなのか、まるで意味が分からなかった。
そうか。イラストの時はクラゲ少女を知っている人が興味を持って見てくれていたが、小説の場合は全て自分のオリジナルで勝負することになるから、始めは良さが分かってもらえなくても仕方ないのか。とにかく地道に投稿を続けよう。いつか芽が開くかも知れないからな。
現実は残酷だった。一ヶ月経っても芽が開くことはなかった。異世界小説のコンテストに応募しても何も変わらない。そこにあるのは、0 PVという表示が並んだ編集画面だけだ。
小説の世界って、思ったより厳しいな……。
江田はペンタブの上に置いた教科書を取り去ると、引き出しの中にペンタブを入れた。ようやく、小説に本気で向き合う覚悟ができたのだ。
次の日、江田は大林に小説の講評を頼んだ。大林は江田の小説を読もうとはしなかったが、代わりに
「俺の研究室に出版会社に就職する先輩がいるから、一回見てもらったらいいんじゃねえの?賞も取ったことあるらしいし」
と言った。その日の講義が終わった後、大林は江田をその研究室まで案内した。
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