第19話 旅立ち

 翌日は朝早くから、アリスクスは薔薇園の中を散策していた。時おり白薔薇を愛でて足を止め、また芝生の上をゆく。

 

(今日はディリクは来るだろうか)


 約束はしていない。父ダイロシスの話を聞いて、守れない約束の残酷さを思い知ったからだ。

 令嬢たちはもう誰ひとり通していない。ディリクシーヤの身を案じてが第一の理由だが、アリスクスがもうそれを必要としていないからだった。

 今思えば、彼女たちとの日々とはなんだったのだろうかと、一抹いちまつのむなしさと共に思い出す。

 ディレクシーヤから誓いの答えは得られなかった。だが充分だとアリスクスは思う。

 彼女と出会えていなかったら、きっとあのまま火遊びを続け、きっと適当な令嬢と婚約し、真実の恋を知らぬままちたのだろう。


(彼女に会えた。それだけで私には充分だ)


 一本の白薔薇に目をとめ、アリスクスはとげに気を付け手を伸ばす。この薔薇園の薔薇を手折たおることを許されるのは、手入れをする庭師と持ち主のアリスクスだけだった。

 そのときだった。馬つき場の方が急に騒がしくなったのは。

 まだ早朝、来客があるには早い。

 アリスクスは顔を上げて、耳を澄ました。怒号どごうが遠くに聞こえる。

 ただごとではない。そう判断したアリスクスは、足を速めて王宮の入り口に向かった。


    *    *    *


 早馬の使者による、なんらかの緊急のしらせだろう。


(まず父上に、報告があるはずだ)


 そう思い、アリスクスは西の自室で待機していた。国王ダイロシスの部屋にかかる大きな母親の肖像画を、小さめに模写させたレプリカと目を合わせ、ぽつりぽつりと独りごつ。


「母上。お許しください。私はアイスブルーが好きでした。ですが今は、フレッシュグリーンが愛おしい」


 待ち時間が落ち着かなく、椅子から立ち上がって絵画に近付き、母親の薔薇色の頬に触れる。


「母上は偉大です。父上とディリクの誓いのことを知っていて、父上を愛し私を生んでくれました。改めて感謝します」


 ひとの死には二度の転機があるという。ひとつめは死を迎えたそのとき、ふたつめは誰しもに忘れ去られたとき。それが二度目の死だという。

 そう考えると、彼の母に二度目の死は訪れないと思うのだった。


 ――コンコンコン。


 控えめなノックの音がした。


「アリスクス様」

「報せか」

「は。国王様がお呼びです」

「分かった。参る」


    *    *    *


 私室に通されるものと思っていたが、導かれたのは謁見の大広間だった。すでに左右に各役職の長、副長などめぼしい者が並んでいる。緊張感が満ちていた。

 玉座には王が着いている。アリスクスと目が合うと、重々しく頷いた。一段低い、自分の椅子へと腰掛ける。

 謁見の者は最下部の赤絨毯の上に、泥で汚れた革鎧を着て控えていた。あちらこちらの衣服が破れ、赤く血が滲んでいる。

 謁見の間には続々とひとが駆け付けていたが、おもだった者が集まったのを確認すると、国王は威厳のある声音を響かせた。

 

「東方より、使者が参った。みなにも、その報告を聞いて貰いたい。使者よ、今一度」

「はっ」


 満身創痍まんしんそういの使者は跪いていたが、ダイロシスに頭を下げて最敬礼をした。


「七日前の深夜、脅威きょういが街を襲いました。海岸の街、トゥルデッタです」


 トゥルデッタは東の海岸沿いで、一、二を争う繁栄した街だった。民の半分が漁師で生計を立て、活気があって賑やかでもある。

 だが四十年の平和に慣れたひとびとは、いざというときの備えを忘れかけていた。


「火炎竜が突如、火を吐いたのです」


 驚きと焦燥しょうそうの声が、異口同音にわき上がった。


「誰が指揮しているのかは、いまだ分かりませぬ。だがゴブリンやトロルたちの軍勢がおよそ四千、押し寄せました。男たちは武器を取って戦いましたが、女子どもを逃がすまでの時間稼ぎをするのが精一杯で、討ち取られていきました」

「して、そなたが参ったのか」

「は。およそ三十人で街を出ましたが、追っ手にやられ、わたくしだけが辿り着きました」

「街を出るときの状況は」

「降伏した者がおよそ五百、捕虜になっておりましたが、彼らが捕虜を生かしておくかどうか。トゥルデッタは占拠され、近隣の街へも斥候せっこうが放たれたようでした」

「ふむ……」


 ダイロシスは、厳しい表情で暗灰色のひげを撫でた。


「みなのもの、聞いた通りだ。何者かが戦の種火をいておる。四十年前の大戦も、このようにして始まった。火は小さな内に消さねばならぬ。急ぎ軍勢を指揮し、トゥルデッタに差し向けよう」


 そして使者に視線を落とし、その労をねぎらった。

 

「使者よ、大義であった。このバイルデン国が二十七代国王、ダイロシス・サザビー・ヨウシャグリアス・バイルデンから礼を申す。そなたの忠誠に応え、名誉騎士の叙勲じょくんをしよう。まずは傷を癒やし、健やかな身体と心を手に入れよ」

「はっ。有り難きお言葉」

「薬師よ。使者殿を頼んだぞ」


 集まっていた薬師たちから声が上がる。薬師長は残り、副長と数名の医師たちが使者に肩を貸して謁見の間を出て行った。


「各役職の長は、円卓の間に集まられよ。アリスクス。そなたも」

「はい」


 円卓の間。この四十年の間、そこは各役職長の毎日の定例報告の間として使われていた。

 だが元々は、戦が絶えなかった頃、戦術会議の場として使われていたものだ。

 それが本来の役目を果たすときが訪れてしまったのだ。

 アリスクスは円卓の間に向かう前に、真っ先に見付けていた短い焼き菓子色の巻き毛に向かって階段を降りていった。


「ディリク」

「どうした、アリスクス」

「こちらに」


 手近なバルコニーの扉を自ら開けて、ディリクシーヤを連れて出る。


「緊急のときだ。ゆっくり出来なくてすまない」


 ディリクシーヤも無駄口を叩かず、長身のアリスクスを見上げ、その言葉にただ耳を傾けていた。


「私はおそらく、戦の指揮を任されるだろう。先代の国王も、自らは国に残り息子である父上に戦を任せられた。生きて帰ってこられるかどうかは分からない。だから今、そなたに渡したいものがある」


 アリスクスは、懐に入れていたあるものを取り出す。


「庭師がいい仕事をしているのでな。探すのに一時間かかった」


 ディリクシーヤに差し出されたのは、枯れて花弁かべんの茶色くなった、一輪の白い薔薇だった。

 枯れた白薔薇の花言葉は。いつか自分が、アリスクスに語って聞かせたことを思い出す。


「もし私が死んでも、どうか覚えていて欲しい。そなたに生涯を誓った男が居たことを」


 彼女は小さな手を出して、ゆっくりとその薔薇を受け取った。そしてアリスクスと目を合わせ――くるりと表情を変えて、顔中を口にして笑った。


「安心しろ。戦にはわたしも着いていく。吟遊詩人ディリクシーヤとして、な」


To Be Continued...

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小さな淑女《レディ》にあふれんばかりの愛を込めて~宮廷楽士との言葉遊びは退屈しない~ 圭琴子 @nijiiro365

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