第18話 正体

 今度こそ、変な声が漏れてしまった。


「ち、父上が……!?」


 少し考えれば話の矛盾に気付くだろうが、アリスクスは激しく惑乱していた。

 ふたりを交互に見比べて、交わす言葉を持たずにただ唇をぱくぱくさせる。

 ダイロシスが重々しく語り出す。


「戦勝四十年記念式典での歌を覚えておろう。余は、七人の勇者と共に最前線で戦ったのだ。その内、四人は戦の中で命を落とした」


 その心の傷は、いまだ癒えていないのだろう。ダイロシスは言葉を切って座り直し、ひとつ息を吐いてから続けた。


「ひとりはさきの騎士団長だ。そしてひとりは今の薬師長だ。そして」


 暗灰と新緑の視線がぶつかる。それならば絆があって当然だ。


「ひとりは、吟遊詩人ディリクシーヤ。彼女だ」

「か、彼女は……エルフですか?」


 バイルデン国は広いが、先住の妖精は居ないため、その姿を見ることはほとんどない。

 アリスクスも見聞録や物語で聞くだけで、妖精を見たことは一度もない。いや、なかった。


「エルフだったら、戦後の歴史は変わっていたかもしれん」


(そうだ。エルフは長命で小柄だが、美しい森の貴族と聞き及ぶ)


 ようやく頭が回転し出す。


「余は、王宮の者にも、国民にも、みなに説明して回った。彼女は子どもではないのだと。だが、誰も信じてはくれなかった。みなが噂した。国王は少女愛好家で、乱心したのだと」


 アリスクスは、呼吸も忘れて聞き入っていた。


「だが彼女を護ると誓いを立てた余は、簡単には諦めることが出来なかった。彼女に王宮の一室を与え、非公式にでも妃候補として話を進めた。だが、その結果は」


 ヒュッ。忘れていた呼吸を、身体が欲して酸素を取り込む。


「彼女には暗殺計画が次々と仕掛けられ、毒が盛られることもあった。仲間の薬師が居なければ、今頃彼女は墓石の下だろう。そして余には次々と謁見えっけんの者たちが現れた。頭の薬師、春画売り、高級娼婦……。中でも余を悩ませたのは、大人たちの悪知恵だ」


 生まれたときから大人だった父親が、苦虫をかみ潰したような顔で『大人たち』と言うのを、我が身と思う。


(当時父上は、二十歳はたちばかりか……)


「娘、姪、孫。一日に何人もの少女が余の妃にと差し出された。下着同然の格好の娘も居た。彼女らは大人たちに「幸せになれるから少しの我慢をしろ」と言い含められているようだったが、早熟な娘はこの先なにが起こるかを知っていて、挨拶口上の最中に泣き出す娘もあった」


 めちゃくちゃな話だが、アリスクスは父ダイロシスが洒落や冗談さえも口にしないのを知っていた。


「そこはもう、謁見の間という神聖な場所ではなく、生けにえの少女たちの見世もの小屋だった。そしてついに」


 神に懺悔ざんげしているのだろうか。ダイロシスは、初めて顎を下げて額に触れた。


「余は、余らは、立てた誓いを諦めた。正気に戻った振りをして妃をめとり、その代わりにディリクシーヤを宮廷楽士に据え置いた……だが」


 暗灰色の瞳が、懐かしそうにアリスクスの顔を見る。その形に、ありし日の面影を重ねて。


「妃を愛さなかった訳ではない。そなたとイズィリアスは、愛の元に生まれた神からの授かりものだ。妃は……アリスは、余とディリクシーヤの複雑な関係にも理解を示してくれた。だから妃が逝ったとき、彼女をしのんでその名をつけた。アリスクスよ」


 ダイロシスはまぶたを覆って、ディリクシーヤは顔中を口にして、アリスクスは目を見開いたまま声もなく、三者三様に泣いていた。

 しばらく、沈黙が落ちる。五分か十分か、時間が悲しみを和らげてくれた。

 アリスクスには、確かめなければならないことがあった。

 涙の乾いた頬を向け、敬虔けいけんな気持ちで問う。


「ディリク。そなたは、何者なのだ……?」


 ローブの袖で涙を拭ってしまってから、真剣なまなざしで答えが返る。


「グラスノームという。草原と大地の妖精だ。今年で百一歳になる。子どもではない」

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