第9話 羽を涙では濡らさない空蝉

水の流れる、心地よい音がする。

渡殿わたどのの下をくぐって庭へと流れてゆく清水に臨んで、光の従者たちが酒を飲んでいる。


邸の西の対には、女君たちの部屋があるらしい。閉められた格子戸こうしど襖子からかみの隙間から、赤い灯影が漏れている。


衣擦きぬずれの音に混じって、噂話に興じる女君たちの艶やかな声がさざめいて……。そんな中を、光はそちらには見向きもせずにすたすたと歩いていた。


葵を抱き上げて、葵だけを見つめて。


「………わが家は 帷帳とばりちょうをも掛けたれば」


光が小声で、そんな歌を口ずさむ。


大君おおきみ来ませ 婿にせん……」


自分を抱き上げて、まるで見知った邸かのように迷いなく進む光に、葵は身を固くした。

遠ざかっていたはずの夢が、脳裏に迫ってくる。


ーーーあの、夢の中では。

雨夜の品定めで中の品の女に興味を持った光は、空蝉の君のところへ忍んで行く。強引に関係を結び、その後も会いたいと度々文を送る光だったが………空蝉の君はそれを、固く拒む。

だって自分はもう、老地方官、伊予介の妻なのだからと。


例えそれが、意に染まぬ結婚だったとしても……。


ぼろぼろと涙を流しながら、空蝉の君は光からの文を突き返す。

名高い光る君の戯れの恋の相手になるなど、とんでもない。

彼が讃えられれば、讃えられるほどに………身分も容姿も何一つ釣り合わない自分は惨めになるだけだとわかっているから、とーーー。


空蝉の君、という仮名の由来は。

光る君が再び忍んで来た夜に、羽織った薄衣だけを残して姿を隠してしまうことからきている。


そして、空蝉の君に逃げられた夢の光は………。


葵はぎゅっと唇を噛んだ。


ーーーこの邸には、光の恋人になった女君がふたり・・・もいる。

夢の葵が知らないところで。


不意に廊下の向こうから、足音が聞こえた。

あの夢と、全く同じ足音が。


「あ………っ、これは」


そう、息を飲む声がする。


夢と同じように、この邸の主に向かって、葵の夫が言う。

夢と同じ声で、同じ言葉で。


違うのはただーーー腕の中にいるのが、目の前に立つこの邸の主、伊予介の幼妻、空蝉の君ではなく、自分だと言うこと。


顔を見られないように隠した袖の下で、葵は泣きそうになっていた。


夫がゆっくりと口を開く。

それはもう傲然と、超然と、笑みさえ浮かべて。


ただひと言ーーー「さあ、部屋を用意しなさい」と。



***



光と葵は、東の廂の室へと通された。

狭い家で申し訳ないと、灯籠の数を増やし、座敷を明るくして、細々と気を遣ってくれたのは紀伊守である。


一気に華やいだ室に、さらに献上されたのは、この時代には高級品だったお菓子ーーーそれも、北国から遠く離れた京の都で、限られた人しか口にできないと言われるけずだった。

ご存知の通り、今で言うかき氷である。

甘葛のシロップがたっぷりとかかって、かなまりの上でそれはきらきらと輝いて見えた。


「うう……ちょっとやりすぎたかなあ。………夢のあいつじゃあるまいし……」


葵とふたりっきりになった御簾の中で、光がそう呟いて頭を抱えている。

葵は思わず、心の中で吹き出してしまった。

例によって、もごもごと呟く夫の声の「やりすぎたかなあ」の部分しか、聞こえなかったから。


(光さまって、本当に不思議なひと……)

そう思って、葵は微笑を浮かべて夫を揶揄った。

「らしくないことをおっしゃいますのね。源氏の宰相中将さいしょうのちゅうじょうさま」


「ん……………」

頬を膨らませて、光は葵を見つめた。


今宵の葵はお忍びらしく、簡素な女房装束に身を包んでいる。初めてみるそんな姿の妻は、けれど相も変わらず高貴な雰囲気を纏っていて………きっと、誰が見ても一目でやんごとない姫君だとわかってしまうに違いない。


美しくて、麗しくて、そして。

ーーー光が見つめれば、柔らかく微笑んで見つめ返してくれる。


(………ああ、好きだなあ)


胸がきゅうっと搾られたようになって、言葉がこぼれ落ちそうになって。

光は慌てて、誤魔化すように削り氷を一緒に食べようと葵を誘った。

葵が困った顔をする。


「もう、光さま。そんな、はしたな……」

言いかけて、葵は口籠もった。


“食事を共にするなんて、はしたない”。

小さい頃から教え込まれて来た、平安淑女教育の基本中の基本である。


はしたない。

ーーー結婚もしていない・・・・・・・・男女が、食事を共にするなんて。


(………それなら、結婚しているなら?)

葵はほんのりと染まった頬を隠しながら、口を開く。

「………仕方ありません。だって光さまは、わたくしの……夫なのですものね」


気恥ずかしさを誤魔化すように、葵が飾り氷を口に含む。

冷たくて甘い氷が、熱くなった口の中で溶けた。

「わ、美味しい……」


そう言って微笑めば、目の前に座る夫が「んんっ、んぐっ」とよくわからない声を発して顔を真っ赤にしていた。

飲み込みそこねたのか、溶けた氷が美しい顔にたらーっと垂れている。


「もう、光さま。子どもではないのですから」

葵は苦笑して、そんな夫の口元を拭いた。

五年も夫婦でいるのだから、もう慣れっこなのだ。


恥ずかしげに、されるがままだった夫が、不意に葵の髪に触れた。

「…………?」

不思議そうに見上げる葵を抱き寄せ、瞳を近づけて、光が言う。



「………葵。好きです」



時が、止まった。


「…………!?!???!!!?」

葵は光の頬に触れたまま、固まった。


「な、何で、今……!?」

「いや、つい……締まらなくてごめんなさい」

「そういう意味じゃありませんわっ」

「よし、もう一回やり直そう。………好きです、葵。誰よりも。出会った時からずうっと」

「………嘘。嘘、うそ……だって、そんなわけが………!」

「嘘じゃありません。もう結婚しているのだから、今更と思うかもしれないけれど……勇気がなくて言えなかったけれど、ずっと伝えたいと思っていました。葵……」

「…………っ、!?」

「返事は、今でなくても構いませんから。聞けたら嬉しいです……」

「………、や…………っ」

「あ………ごめん。嫌、でしたか」

「……………………っ」


葵は光の腕の中のまま。

光の頬に触れたまま。

お互いの額と額が、今にも触れそうな距離でのやり取りである。


「………っ、知りませんっ」


震える声で言って、葵はふいっと顔を背けた。

しゅーん………と肩を落とす光に、葵はそれどころではなかった。


(い、今………好きって。嘘………わたくしを………?)


ーーーこれまでも、夢の人生でも、わたくしが、「葵の上」が誰かから想われたことなんて、一度もなかったのに。


信じられなかった。

三度ほど、ぎゅっと頬をつねって。

ちゃんと痛いのを確認してから、しょげ返っている夫ににじり寄って、そっと袖を引く。


「………嫌とは、言ってませんわ」

上目遣いにそう言えば、光の顔が文字通り、ぱあああっと輝いた。

「葵、本当?じゃあ………手を、繋いで眠ってもいい?」

「………いつもと同じではありませんか」


いつもとは違います、と光が葵の手を取る。

光の隣で、仮臥かりねの寝床へ横になった葵は、何度目になるかわからない言葉を、もう一度心の中で呟いた。


わたくしは、夢でも見ているのかしら、と。


格子戸が下ろされ、灯の消えた部屋は真っ暗になった。触れる夫の手が、指が温かい。


月が雲で隠れて、闇に浮かび上がる蛍の光だけが見えて。

まるでこの世界に、ふたりっきりのように思えて………そう、だからきっと。


こんなことが口をついて出たのは、葵もこの夏の夜に酔っていたのだろう。


「………これだけで、いいの?」


きゅ、と指を絡めれて言えば、光が耳まで真っ赤になった。

葵から目を逸らして言う。


「………じゃあ、ひとつお願いがあります」

ーーー葵を、抱きしめて眠ってもいいですか、と。


葵はどきどきと鳴る胸を押さえて、頷いた。

薄い夜着越しに、光の肌が触れる。見上げれば、夫の顔は耳までどころか首筋まで真っ赤だった。


自分を抱きしめる手も、包み込む体も、全てが熱い。

………尋常ではない熱さに思えて、葵はなんだか心配になった。


「光さま………大丈夫?なんだかすごく、熱くありませんか」


暑気あたりになっては、大変。衣を脱いでも……。

そう言いかけた葵に、光が掠れた声で答える。

「………葵。今そんなことしたら、せっかくの私の決意はどろどろに崩れてどっか行ってしまいます。大丈夫、このままで………」

そして、またぎゅっと葵を抱きしめるのだった。


早鐘を打つ夫の心臓の音を聞きながら、葵は考える。

(そうだわ。夢と違って、きっと、わたくしが笑いかけているから………たくさんいる恋人の一人と同じくらいには、想ってもらえるようになったのかもしれないわ)


ーーーそれですら、夢みたいなことだったのに。

(あなたのそんな一人に、なれたのかしら)


葵がそう思って、自分を納得させようとした、その時。

すり、と葵に頬を寄せて、光がこう囁いた。


「葵、早く私を好きになって……」


ねだるような、希うような、あの夢の中でも一度も聞いたことのない、熱にうかされた甘い光の声。

(…………どういう、ことなの………!?)

葵はまた、わからなくなった。



***



どこからか鶏の声がして、空がだんだんと白んでいって。

まだ空の低いところに月が残って、薄く光を放っている、そんな頃に葵は目を覚ました。

部屋には、誰もいない。

葵ははっとして、慌てて身を起こした。


辺りを見回すと、縁側の向こうに、高欄に寄りかかって立っている光の姿があった。

葵はほっとする。それから自分が恥ずかしくなった。

ーーー婿君よりも先に起きられなかったことなんて、今まで一度もなかったのに。


「……ごめんなさい、光さま」

そう謝れば、葵が起きたのに気付いた光が、優しく微笑んでいた。

「いいんです。……だってここは、あなたの左大臣邸ではありませんからね。私だけの特権の、あなたの寝顔を誰にも見せたくなくて、早起きして見張っていたんですよ」


葵は起き抜けの頭で、その言葉をどう解釈すればいいのか迷って、何も言わずに困ったように微笑んだ。


葵の隣には、光が羽織っていた着物があった。

まるで、たった今脱ぎ捨てたとばかりに、蝉の抜け殻のように。


葵は、夢の光よろしく、その衣を腕の中に引き寄せた。

光の香の薫りが、鼻をくすぐる。


(………あなたが、それをするのですか。そしてわたくしが、こちらの役なの?)


そう思って、おかしくなって。

「“空蝉の 身を変えてける 木のもとに……”」

夫には聞こえないように、葵はそっと、そんな歌を口ずさんだ。

夢で夫が、空蝉の君と交わした歌を。


無意識に光の衣を抱きしめる葵に、光が照れたように言う。

「………そろそろ、衣を着替えようかな〜」


はっと顔を上げて、葵は慌ててぱっと衣を離した。

「手伝いますわ」といつものように微笑んだものの、声が上擦ったに違いないと、葵は夫の顔を見られなかった。



***



「なんて幸運なのかしら。私、このお屋敷に仕えていてよかった」

「ねえ、お顔を見た?本当に美しい方だったわ。あんな方がいるのね」

「さっき、西の御方がいらしたわ。奥方さまのところよ。相変わらず仲がよろしいこと。きっと今頃……」

「ええ。おふたりで、碁を打ちながら光る君さまの噂話でもしてらっしゃるわね」


女房たちの話し声が、御簾の中まで響いてくる。

こんなに賑やかなのはやはり、光る君がいるからだろう。葵は女房らしく光のそばに控えながら、苦笑した。


こんなに空が明るくなっても光がここにいるのには、別に深い理由は何もない。

「女君の家へ忍んでおいでになったのとは違います。そんなに急いでお帰りになることはありませんでしょう」という紀伊守の言葉に、「その通りだ!!」と光が全面同意したせいだ。


入れ替わり立ち替わり、光のもとへ屋敷中の人々が挨拶にやって来る。伊予介や紀伊守だけでなく、その弟の右近衛丞うこんえのじょうたちもやって来た辺りで、「………そろそろ帰ろうか」と光が扇を打った。

葵を抱き寄せて、ぷーっと頬を膨らませている。


葵は光の腕の中で、きょとんとした。

箱入り娘の葵は来る人皆が自分に目を奪われていることにも、「光る君さまの女房は、なんと言う名か」と噂していることも………夫がそれに憤慨して仏頂面をぶら下げていることにも、全く気付いていなかったから。


牛車までの案内に立った子はまだ十二、三歳の少年だった。無邪気で明るい瞳の、あの夢の中の空蝉の君に良く似た顔立ちの子だ。


(ああ。この子が………夢の光さまが、想い人の弟だからって引き取った………)

(夢のあいつが、冷たい姉さんより君のほうがよっぽど可愛いよ、添い寝してくれーって………突然始まるライトBLの子……)


葵と光はそれぞれそう思って、光はややダメージを受けながら紀伊守を見た。とりあえず口から出た言葉はオブラート百枚に包んである。


「この子が君の若い義母上の弟君なんだね」

「左様でございます。亡くなった衛門督の末の息子にあたる子です。義母は御所の侍童を務めさせたいようなのですが、後ろ盾がないばかりに、なかなか上手くゆきませんで………ほら、小君。光る君さまに、くれぐれも失礼のないように」

「はい!」


空蝉の君の弟は、明るい声で返事をする。


彼の案内で光とともに廊下を歩きながら、葵ははっとした。

東の対の妻戸が開いている。御簾のそばに立てられた屏風が、端っこだけ折りたたまれていて、中が見えていた。


ふたりの女君が、向かい合って碁を打っていた。

手前に見えるほっそりとしたひとりが、葵の目を引いた。

紫の濃い綾の単衣襲ひとえがさねが、凛とした雰囲気によく合っていてーーー考える間もなく、葵はその人こそが夢の夫の想い人、空蝉の君だとわかってしまった。


奥に見えるもう一人は、彼女の義理の娘ーーー西の御方と呼ばれる紀伊守の妹、軒端のきばおぎに違いない。

落ち着いた空蝉の君とは対照的に、才気煥発そうな華やかな美人だ。白い薄物の単衣襲に淡藍色うすあいいろの小袿をかけ、ゆるく結んだ紅い袴が艶やかで………葵はまた夢を思い出した。


ーーーあの、夢の中では。

空蝉の君に逃げられた光は、彼女の隣で寝ていた軒端の荻を言いくるめて、身代わりのように枕を交わしてしまう。


「…………!」

その空蝉の君が、軒端の荻が、目の前にいる。

何かを考える間もなく、葵は隣を歩く夫の袖を引いて、こう言っていた。

「見ちゃ、だめです………っ」


「……………!!」

何も言わない光に、葵は俯く。

その内心が(うわ、可愛いー……!!)と悶絶しているなんて知る由もないのだから。


「大丈夫、あなたしか見てません」


光の言葉を聞きながら、葵は俯いたまま顔を逸らした。

「……またそんなことを。お上手ですこと」


廊下は、曲がり角に差し掛かる。

言いかけた途端に、光が縁側から足を踏み外して庭に落ちた。


どすん、と情けない音がする。


「……え?きゃああっ」


葵は悲鳴を上げた。


「光さま!?何をしているのです?」

「痛てて……いやあ、ちょっと前を見てなくて。あなたの方ばかりを見てたらうっかり……」

「…………!?……??……お、お怪我はありませんか……?」

「うん。心配しないで、葵。この通り大丈夫だよ、ほら、私は光源氏だから」

「意味が分かりませんわ……。光さま、気をつけてくださいませ」

「はあい。葵」

そう答えた光が、立ち上がって葵の手を取った。


「……葵も。私だけを見ていてください」


庭に立つ光が、真正面から葵を見つめて言う。

「え………」

葵はびっくりして、らしくもなく、頬を真っ赤に染めた。

おろおろと、潤んだ瞳が揺れている。長い睫毛が、震えている。

光の胸が、きゅーんと甘い音を立てた。

廊下にぺたんと膝をついた葵に、光が手を取って顔を近づける。


「葵………今、口を吸ったら怒りますか?」

「あ、当たり前です!」

と、葵が慌てて立ち上がり、珍しく声を荒げた時。


「光る君さま!どうしてそんなところに」

駆けて来たのは小君である。

青ざめた顔は気の毒になるほどだった。

当然といえば当然である。

なかなか来ないな、と思っていた大事な客人が、戻って来てみたらなぜか庭に落ちているのだから。


「ぼ、僕に何か粗相があったのでは。申し訳ありません」

「あ、いやあ、違う違う。これはちょっとね……実は」

「説明しなくていいですわ!早く上がって来てくださいませ!この子が可哀想でしょう!?」

「はーい。大丈夫だよ、小君。ありがとう………もしよければ、ちょっとだけ手を貸してくれないかな?」


小君と葵に助けられて、光はやっと廊下の板の上に戻った。

心配した小君が、牛車のところまで光にぴったりと付き従い、廊下の端側を歩いててくれる。屋敷の女房たちの噂話は「光る君さまがこの屋敷へいらっしゃった!なんという栄誉!……でも、隣の方はいったい誰?」から、「うちの奥方さまの弟君の挙動がなんかおかしい」へとシフトしていた。


そんなことも知らず、光は小君に微笑みかけ、目線を合わせてこう言った。

「ありがとう。君は優しいね。……そうだ、紀伊守。この子は私が御所へ出してあげよう。後ろ盾になって、世話をしてあげたい」


あの夢の男と、同じ言葉だった。

けれど、夢とは違って、光の表情は晴れ晴れとしていた。


葵をそっと抱き上げて、光は待たせてあった牛車へと乗せる。

それから振り返って、もう来ることのない紀伊守の屋敷を眺めた。


光の嫌いな夢の男の言動が、脳裏を通り過ぎて行く。


ーーー空蝉の君との逢瀬を果たせなかったあいつは、軒端の荻を………。


それなのに彼女のもとへは、二度と訪れることはなかった。この逢瀬の後に残るのは、蔵人少将との縁談が舞い込んでからも、光る君との関係を思って鬱々と過ごす彼女の姿だけだ。


光はもう振り向かずに、牛車の中へ、愛しい葵のそばへと座った。


………これでいい、と、光は思う。

これでーーー紀伊守の評判の妹、軒端の荻はきっと、なんの憂いもなく蔵人少将の元へ縁付いていくだろう。


そして、空蝉の君も。


小君、と光は、動き始めた牛車の中から顔を覗かせて少年を呼んだ。

「御所へ行って偉くなったら、きっと君の姉さんの力になってやってくれ。姉さんが困っている時に、助けてあげられるように。ほら、なんたって、君の姉さんは、帝である私の父上も気にかけていた人だからね」


「はい!」

牛車の中で寄り添い合う光る君と葵の上を見ながら、小君は大きな声で返事をした。


光はにっこり笑って手を振った。

雲間から光の差す都の大路を、牛車はゆっくりと進んで行った。



***



さて。

問題は、光が晴々しい顔で出勤して行った後の、残された左大臣家の面々である。


「姫さま。あれから、どうなったんです?どうか教えてくださいませ。中納言は気になります」

「あてきも、きになります」


葵はそう言って、近しい女房や女童たちに囲まれていた。騒がしいだけでなくちゃんと仕事もできる左大臣家の女房たちの手で、葵の装いが見る間に整えられていく。


女房姿から、いつもの姫君らしい十二単に唐衣姿へ。長い髪は梳られ、香が焚かれ………気品溢れる「絵巻物の姫君」の出来上がりだ。


ふう、と息を吐いた葵に、「姫さま……」「ひめさま」と、中納言の君とあてきが詰め寄ってくる。


「もう、ふたりとも。姫様がお困りよ」

止めに入ってくれたのは中務だった。

「いい、こういう時はね、自分で推理を働かせるの。ほら見て」


中務が、検非違使けびいしよろしく顎に手を当て、片目をすがめて言う。


「……珍しく寝乱れた髪!赤く染まった頬!いつもより強い、光る君さまの残り香!つまり、これは……!」


止めてくれた訳ではなかったらしい。

葵は飛び上がった。

「ちょっと中務!?皆も!そんな顔で見ないで、違うのよ!?」


「………何が、違うのです?」

「…………っ」


そう、きょとんとした顔で見つめ返されると。

まだ好きって言われただけなの、とは、とても言えない葵だった。


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光る君と葵の上は、同じ夢を見る @moyumoyu47

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