第4話
◇
その夜、私は井端さんに押し倒された。初めて触れる感触は、氷のように冷たくて目を見開く。風呂上がりの火照った体にジワリと響いた。パジャマ越しに感じる彼女の胸は柔らかく、そのことだけが頭を支配する。まるで下劣な人間と同じ土俵に立ったような感覚に襲われ、私は慌てて言葉を発した。
「い、井端さん、どうしたの?」
彼女の肩を押し返し、顔を覗き込む。ゆるりと垂れた黒髪が頬を掠める。部屋の照明で逆光になった彼女の目元は、朱色が帯びていた。初めて見る一面に困惑し、口の中に溜まった唾液を音を立てて飲み下す。
「い、いばたさ……」
唇を塞がれる。薄い皮膚が触れ、体を硬直させた。肩を掴んでいた手が震え始める。長年、夢に見てきた行為だ。私は、ずっと井端さんが好きだった。こういうことをしたいと思っていた。だから、願ったり叶ったりだ。
けれど、なぜ急に彼女がこんな行動をしたのか分からず、パニックを起こす。
ゆっくりと顔を離し、こちらをじっと覗き込む井端さん。その瞳は漆黒で、気を抜いたら吸い込まれてしまいそうだ。垂れた黒髪を耳にかけてあげる。白くまろい頬があらわになった。
「なんで、キスしたんですか?」
井端さんは目を伏せ、黙り込む。彼女は何かを伝えるべく、もう一度、今度は軽く口付けをした。リップ音を奏でる。
もしかして、これはもしかして────。私は目の前がぐるぐると回る感覚に襲われた。息を吸い込み、吐き出す。
「もしかして、井端さん。私のことが好き、とか?」
こくりと頷かれ、私は「えぇ!?」と大声をあげた。井端さんは恥ずかしそうに小さく微笑みながら、目を合わせようとしない。
そんな彼女も可愛くて、胸が締め付けられた。
「わ、私も、ずっと井端さんのこと、好きなんです! うわぁ、両思い!」
きゃあきゃあと少女のようにベッドの上で悶える。私に跨った彼女を抱き寄せ、腕に力を込めた。折れてしまいそうな体もまた愛おしく、私は頬を緩める。
「すっごい! 嬉しい! 井端さんと両思いだったなんて!幸せすぎる! 大好き! 井端さん、大好き!」
「うるさい!」
突然、部屋のドアが開く。母が鬼の形相で私を睨んでいた。「あんた、何時だと思ってんの! 大声出さないでよ、近所迷惑!」。その声の方が近所迷惑ではないか、というほどの音量で怒鳴られ、私はベッドから起き上がった。
「だってね、お母さん。私と井端さん、両思いだったんだよ?」
「……誰?」
「井端さんだよ、井端さん!」
「学校の子? もう、そんなのいいから、大声出さないで」
母はうんざりしたような顔で部屋から出ていく。母はどうやら井端さんを忘れてしまったらしい。ふぅと息を吐き出し、腕の中にいる井端さんへ視線を投げる。
そこには、空虚を抱きしめる私の腕だけが存在していた。
「……井端さん、帰っちゃったか」
私はベッドに潜り込み、目を瞑る。先ほど経験した井端さんとの触れ合いを思い出し、口元がにやけた。
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