創造の柱

もちもち

創造の柱

 どこかで見たことがある写真だ。


「『創造の柱』と呼ばれている。

 なんでだか分かるかい、松島」


 守山が差し出したスマホの画面には、左右に2枚の写真が並んでいた。

 中心には雲のような砂埃のような茶色い柱が三本立ち上っているように見える。

 違うのは、左の写真は柱の周りは青いガスが掛かっているようで、右の写真は柱の周りに無数の煌めきが散っているところだ。

 右の写真は色とりどりの光がひしめいていて、容赦ない圧力の美しさというものがある気がした。

 翻って左は、鮮やかさこそ右には劣るが、柱の周りにある青いガスとの色合いが、荘厳さを引き出しているようにも見えた。


 深夜のコンビニ。

 いつか守山が宇宙の地図を見せてくれたときのように、俺と彼は一つのスマホ画面を、レジを挟んで覗き込んでいた。


「星雲M16、わし座星雲の中心にあるガスの柱だよ。

 左はハッブル宇宙望遠鏡、右がジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が撮影してる。

 見て分かるかもだけど、右の方が解像度が高い。ハッブルでは奥の光を遮っていた柱の中の様子が、ジェイムズ・ウェッブの方では良く見えてる」


 解像度が高いということは、右の写真の方が年代が新しいということか。

 守山は画面を操作して右の写真を拡大する。

 砂埃の先端、そこに無数の赤い光と、溶岩のような赤い塊がある。


「この赤い星は新しい星。星の誕生に必要なものは、こういう塵の中にたくさんあるんだ。

 若い星は勢いがあって、この若い星からのジェットが柱の物質に衝突して、こうやって赤い塊が輝いている」


 守山が指さした赤い塊は、溶岩とも崩れた宝石とも見える。

 星を産む柱─── 『創造の柱』、ということなのか。

 個人的には、柱と言えば柱にしか見えないのだが、俺の第一印象はもう少し違っていた。


「これは宇宙の中でも珍しい現象だったりするのか」


 俺でさえどこかで見たことがある、と思うのだから、よほど有名な写真なのだろう。

 守山は笑顔のまま首を傾げた。


「星が形成される経緯としては、こういう柱状のガスはよくある現象なんだそうだ。

 実はこのホッブスの写真も、オリジナルはここまで色鮮やかなものではなくてね。

 これは、天文学者によって着色されたものなんだ」

「なんだ、作られたもんなのか」


 作られた美しさ。途端に写真の見方が変わる。

 荘厳な雰囲気だった写真が、急に色褪せてしまった感覚を覚えた。


「まあね、作られたといっても、分かりやすいように物理現象に則って色を付けたんだそうだ。

 酸素を青、水素を緑、硫黄を赤のようにね。

 そうしたら、美しい写真が出来上がってしまった」

「ああ、そういうことか……」


 自分の高速掌返しには自分自身で呆れてしまうが、意図して美しいものとして作られたものではないことに、何故か安心を覚えた。

 …… なぜだろう。

 自分が気づいた美しさではなくて、誰かが「そう」として作った美しさを、俺は受け取れないのだろうか。


「偶然色を付けたものが、多くの人に持て囃されてしまって、びっくりしただろうな」


 軽く笑いながら、守山は言う。


「色を付けた人は、色がついたあとの写真を、美しいと思ったのかな」


 ふと俺が呟くと、守山はぱたりと瞬きをした。驚いたように見えた。

 そして、彼はゆっくりと話し出す。


「色付けに関わった一人が言っているんだ。

 『写真が美しいから色を付けたわけではなく、物理現象に則って色を付けたら、非常に美しい写真になった』

 それを聞いて、俺は友人の一人の言葉を思い出した。

 そいつは数学を学んでる奴なんだけどね。

 『神さまは、世界の中にいくつも美しいものを隠している。数学は生み出すのではなく、ただその美しい欠片を見つけているだけだ』てね」


 いつもながら守山の友人たちは謎が多い。

 彼自身は文系の学生だと本人が言っていたが、大学の中に数学科もあるということなんだろうか。


「美しい写真ができたのは、ただの偶然ではなくて、神さまが隠していた欠片だって言いたいのか」

「おお、ご明察だな。

 友人に言わせれば、そういうことなんだと思う」

「ちょっと馴染みのない考え方だ。カミサマが世界を作ったって前提だな」


 日本人にも世界創造がカミサマによるものだという神話はあるが、よくSNSで話題になるように、俺も実質無宗教である。

 世界が何によって作られたのかを問われると答えることはできないが、逆に神さまであるとも答えることは無い。

 守山は「そうだなあ」とのんびり頷いた。


「数学者ってのは、不正解かもしれない道を生涯かけて進んでいるわけだから。

 致命的に心を折らずに進むには、が必要なのかもしれないよな」


 それが神さまということか。

 そうならば、もし俺が数学者だったら何をよすがにするだろう。…… 何かを進む上で、信じるものがないから、何者かになることができないのかもしれない。


「俺はね、松島。

 美しいっていうのは、正しいということなんだと思う。

 宗教画や建築物が美しいのは、それらを作った人たちが、自分たちの信じるものが正しいと信じているからだ。

 簡素な数式が美しいと言われるのは、世界の理をそこに詰め込んでいてもなお、僅かな言葉で受け止めて支えているからだ。

 美しいものを見たとき、人はそこに正しさも見るのだと思う」


 俺はホッブスの写真を見下ろす。

 正しく色付けされた美しい写真。なぜか先ほどとは別の意味で、それに触れにくくなってしまった。

 美しさに内包された意味合いが変わると、見え方も変わるらしい。


「松島は、そういう信じるものってあるかい」


 俺の心理を読んだわけでもないだろうけど、守山がジャストタイミングで尋ねてくる。

 俺は素直に首を振った。


「いいや、ないな。

 そんな大層なものを持って生きなければならない必要が、ないってことなのかもしれない」

「はは。自由なんだな」


 守山はなるほどと言って、朗らかに笑った。

 なるほど。そういう考えもあるのか。

 何かを信じるということは、そこに縛られているということでもある。


「美しくなければ───

 正しくなければ、存在してはいけない、なんてことはないし」


 守山は軽く言ってのける。

 何かを励ますわけでも、何かを貶めるわけでもなく、ただ当然のことをそのまま口にしただけのように。


「でも、綺麗だな」


 ただ一つのことを信じて歩く姿は、厳しくも美しいものだろう。

 そう思えるのは、今、守山が笑ってくれたからだ。


 守山はスマホを手に取り、何やら操作して俺の方へ差し出した。

 先ほど見ていたジェイムズ・ウェッブの写真の下部まで映している─── 全体像のようだ。

 はじめの写真を見ていた時も思ったが、それは何かを掴もうとして伸ばされた手のように見える。

 その内側に星を産みながら、宇宙の虚空へ伸ばされた指先。


 宇宙の果てにも藻掻いている手があると思えば、多少の辛いことは乗り越えていけるものだろうか。

 そう考えて、俺は小さく笑ってしまった。

 それを信じるだけの気力が、自分には残っていない。


「? 楽しそうだな」


 不意に笑ってしまった俺を、守山が不思議そうにのぞき込んだ。

 俺は「いいや」と言及を逃れる代わりに、ホットドリンクのケースから、カフェラテを二つ取り出して、いつも通り会計を済ませると彼に一つ渡す。

 急な差し入れに戸惑いつつも受け取る守山に、「写真の礼」と言った。


 もしも俺が何かの苦境に立たされたとき思い出すのは、このカフェラテの甘さかもしれない。

 それは正しいだろうか。

 いや、正しくなくともいいのだ、別に。




(創造の柱 了)


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