恋なら玉川上水で

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恋なら玉川上水で

「恋なら玉川上水」

「犯罪なら東尋坊?」

「受験ならやっぱり高校かな?」

「覚悟があるなら清水の舞台!」

「いいね、東尋坊と清水寺は旅行ついでで楽しそう」

「覚悟がなきゃ出来ないからな」

「それならとりあえず清水の舞台から飛び下りとけばいい?」

「それは安直だろ。しかもあれって自殺の名所ではなくて願掛けのために飛び下りるっていう話だろ?」

「僕らだって願いがない訳じゃないじゃん?」

「例えば」

「次はちゃんと死ねますように」

「ああ、今度は死ねるといいよな」

 あははははと抜けるような青い空に届くほど爽快に、枝南えなみと二人で笑い合う。放課後の屋上で俺たちは毎日『死に場所』はどこがいいかを語り合っている。けれど、まだ一度も死んだことは無かった。



 江南と初めて会った日は、お互いに一番『死』に近かった日だったと思う。その日は梅雨の晴れ間で驚くほど空が澄んでいた。湿気も風が連れ去って、天を仰げば視界を何も邪魔せず深い青い空が見えた。吸い込まれそうな空だった。この天を上へと進めば宇宙があることを信じられそうな空だった。無になることを許されそうな空だった。この空になら身を任せてもいいかもしれないと、心の赴くままに土曜日の朝に高校の階段を上がった。

 錆び付いた鉄製の扉が軋んで耳に嫌な音を残しながら背後でしまったとき、俺の空の下に俺以外のやつがいた。想定していなかった異物だ。

 異物は柵から下を覗き込むように身を乗り出していたが、こちらを振り返り目を見開いて動きを止めた。向こうにとっては、俺が異物であったらしい。

「なんで」

 『誰』ではなく『なんで』と聞いた。それだけで、目的は同じだと言外に理解する。他人に興味なんか無くて、自分のことしか考える余裕はない。だから出てくる言葉は相手についてではなく自分の都合のこと。『なんで今に限って人が現れたのか』についてだ。

 上履きの爪先は緑色で、同学年ということだけが分かった。今にも飛びそうな死相の強い顔。俺も大概だが、こいつほどでは無いと思う。きっと向こうも同じことを思っていそうだな、とも同時に思う。だから、俺たちの会話に主語はない。

「……止める?」

「止めないよ。お前は?」

「僕も止めない――と言いたいところだけど、やめた方がいいよ。ここ」

「なんで?」

「気付いてなかったんだけど、この下って給食室のゴミが置かれてるみたいで。上手く死ねなさそうだし生ゴミまみれになるのもちょっとなって」

 ここへ来たときにこいつがしていたように身を乗り出して下を見ると、確かに黒いゴミ袋が積まれていた。

「あーこれは確かに死ねなさそう」

「だから振り出し」

「困ったな。まぁ赤の他人なのに同じ日に同じ場所で死ぬのも変な話だし、止めとくか」

「死んでから変に関係性を勘繰られるのも嫌だよね。本当に偶然のただの他人なのに」

「他人だけど変な縁だし、ちょっと話そうぜ」

「……何を?」

 訝るようにそいつは目を細めた。死にたい理由とかそういうのは何もしゃべるつもりは無いし、ましてや説得されるなんて面倒臭いと思っているのがひしひし伝わってくる。

「何組? 俺は一組なんだけど」

「六組だよ。知らないはずだね」

 うちの高校は一から四組が三階で、五から八組が四階の教室にあるのだ。必然的に前半クラスと後半クラスの交流は少なくなる。

「俺は地小間ちおま

「僕は江南だ」

 それから清々しい空の下、二人で柵を背にして俺たちは世間話を始めた。柵のネジさえ緩んでいれば事故として死ねるのにとぼんやり思いながら。

 少し離れたところにある校庭からは、部活の始まった運動部のランニングをする掛け声が聞こえた。あまりに爽やかな朝だった。

「よりによって、なんで今日なんだ? 別に特別な日という訳でもないしこんな朝から自殺しようと思うやつが二人集まるなんて珍しくない?」

「僕が今日にした理由なんて些細なことでさ」

 江南は空を見上げたから、俺も同じ空を見上げた。ここへ来たときより少し太陽の位置が高くなり、色を濃くした空があった。

「死ぬなら晴れた日がいいと思ってたんだよね」

 新しい朝だ。

 死のう。

 そう思ったのは俺だけではなかったようだ。

「僕は雨男でさ。遠足とか修学旅行はもちろん、調べたら生まれた日でさえ記録的な大雨だったみたいだ。いつだって思いではどこか薄暗くみんな浮かない顔をしている」

 江南はきっとそのときの『みんな』のように薄暗く浮かない顔をしていた。その顔が、次の瞬間に晴れる。

「そこでふと気付いたんだよね。生まれた日の天気は選べないけど、死ぬ日の天気は選べるってことに。だから今日死ぬつもりだった」

「こんな清々しい朝は死ぬのに丁度いいよな。分かるよ。俺も今日は前向きに死にたいと思えたから、死にに来た」

 俺と江南の目的は同じ。俺たちは死に場所を探してさ迷っている。

「どこがいいんだろうな? 死に場所」

「案外難しい」

「ドアノブでも吊れるとは聞くが」

「家は、妹がいて。妹は家が好きだから、家では出来ない」

 その言葉に優しさが滲んでいたから、もしかしたら江南は優しさが原因で死ぬのかもしれないと思った。理由なんて知らないけど。俺たちにとって死ぬことは既に決定事項だから、理由なんてどうでもいいのだ。

「ちょっと真面目に考えてみない? こんな話できる人初めて会ったし」

「ありかもしれないな。 また放課後ここで会おう」

 それからというもの、授業が終わり放課後になると俺たちは屋上でどこでどうやって死ぬかについて話している。もはや部活動のようになっている辺り、内容にさえ目を瞑れば健全にも見えよう。

 俺たちはいつも前向きに死に場所を探していた。死に場所を探すことは自分探しでもあると思う。自分と向き合い、どこが自身に見合った場所なのかを探している。負の側面と向き合い続けているが、その側面も自分の一部だから死に場所について話している間は前を向けた。



 理由を元に場所を決めようという話をした後に、江南は「けどな」と煮え切らない反応をしていた。

「僕の場合は特定の場所に死に場所を決めるのは難しいかも」

「死ぬ理由からは明確な場所を探せないということ?」

「そういうこと。……僕は生まれつき人と違って、ままならなくて死にたくて、僕自身の問題だから場所は特に見付けられなさそうだ」

 今日の空は曇っている。それは単に梅雨のせいだからなのだが、もしかしたら優しい江南は自分のせいだと思っているのかもしれない。今日は夕方から晴れるそうだが。

「俺も似たようなものだよ。生まれたときから、親に生まれてきた意味がないと言われてきた」

「毒親? それなら家の問題だし家で死ぬのがいいんじゃないの?」

「ある種の毒親ではあったんだろうな。けど事実でもある。俺も俺自身の問題が大きかったから。だから家で死ぬのもちょっと違う」

 死ぬと決まっているから俺の理由なんて、今さらどうでもいい。どうでもいいから話したっていい。だから俺は、江南に話すことにした。

「俺の親は会社をやってるんだけど、元々跡継ぎのつもりで俺を作ったわけ。けど俺は跡を継げるような奴ではなかったから、失望したんだ」

「まだ働いてないのに跡を継げるかどうかなんて分からなくない?」

「能力の話ではないんだ」

 人に言ったことが無かったから、少し緊張する。けど江南なら構わないと思って俺は一息に言ってしまう。

「――俺、不能なんだ」

「不能?」

「生まれつき性器が機能してないんだよ。だから跡を継いだところで子どもが作れなくて俺の代で終わるから意味がない。だから生まれてきた意味がないと言われた。ちなみに、その後すぐに弟が生まれて親はハッピーエンド。俺は居場所を失くしてバッドエンドまっしぐら。親のせいで死んだなんていうのは癪だから、前向きに死ねそうなときに死にたいなと思ってる」

「前向きに、か」

「別に人生が生殖のみだとは思ってないけどさ、それでも誰からも愛されないままでいる人生ってどうなの? ってたまにどうしても思ってさ」

 返答がないから隣を向く。江南はこちらを向いていて、目があった瞬間どこか泣きそうな顔で目を逸らした。けれど腹を決めたように、口を引き結んでこちらに向き直る。

「……君のことが好きだよ」

 江南はおずおずとそう言って、真っ直ぐに俺を見る。優しいやつだな、とやっぱり思う。

「慰めてくれてありがとう」

「そうじゃ、なくて」

 本当に優しいやつなんだよなと思う。こんなに優しいやつの死にたい理由が気になってくるくらいには、優しくていいやつだなと思う。生き続けるならば、ずっとこうして話していたいと思えるくらいにはいいやつなんだ。江南というやつは。

「好きだよ。本当に好きだ」

「江南は本当に優しいよな」

 だから俺はその優しさをしっかり受け止めようと思うんだ。

「ありがとう。俺も好きだよ。ずっとこうして話していたいって、ちょっと思っちゃった。死にたい江南にとっては迷惑かもしれないけど」

 江南と話すのがそれが最後になることを俺はまだ知らない。

「次はいつ晴れるかな」



 昨日の夕方から今日にかけて晴れていると思ったら、気象予報士がニュースで梅雨明けしたと言っていた。

 高校へ行く通学路をのろのろと進みながら、あいつに会った日もこんな晴れた日だったことを思い出す。

 校舎に入った時点で、何やら先生達が慌てている様子だった。そのせいか一時間目の数学は自習になった。先生たちの慌ただしさと俺とは全く関係ないことだと思っていたのに、そうじゃないことが俺の耳に届いたのは昼休みのことだった。

 授業が終わり皆が給食の準備を始めたときにスマートフォンを両手に持ったまま突然女子が泣き出した。

「嘘でしょ。江南くん、死んだとか」

 その言葉を聞いたときに、俺は悲しいとかそんな気持ちは湧かなくて、先を越されたなと負けたような気持ちになった。続いて、取り残されたなとか、放課後は暇になったなとか、そんなことをぼんやりと思っていた。

 その女子は、江南と同じ中学だったらしく母親繋がりで噂が回っているらしい。

「……玉川上水で死体が上がったって」

「え、本当に? なんで」

 思わずその女子に俺は聞く。

「なんでって、こっちが知りたいよ……自殺なんて………………あれかな、男の人が好きだったから、なんかまはまならないことでもあったのかな」

「え?」

 男が、好き?

 それを聞いて昨日の会話を思い出す。そして自然と足は動いていた。

「っていうか地小間って江南と知り合いだったっけ?」

 背にそんな言葉を受けながら、俺は教室を出た。

 玉川上水に着くとテープが張られていて、現場検証の終わった警察が引き上げようとしているところだった。

 玉川上水の水面は草が生い茂っていて、あまり見えない。この場所で江南は死んだ。

「つまり、恋の悩みだったということ」

 恋を理由に死ぬなら玉川上水だと言ったのは江南だった。

 昨日の江南の言葉が思い起こされる。俺が不能だと言ったから、江南は言った。

『君のことが好きだ』

 あの言葉はやっぱり本心からだったということか?

「そもそもなんで恋で玉川上水なんだ?」

 玉川上水といえば、幾度となく心中を図った太宰が最後に心中場所に選んだところだ。江南もそのイメージから、恋なら玉川上水と言ったのだろう。

 恋を理由にするならば、恋愛成就のご利益のある場所でもカップルが訪れる観覧車でも岬でもなんでもよかったのに、なぜわざわざこの心中場所を選んだんだろう?

 心中というのは、様々な理由はあれど多くは叶わない恋を憂いて来世で一緒になるためにする場合が多いのでは無いのだろうか。

 心中するということは、つまり一緒になりたくてもなれないと思った相手がいるわけで。

 俺は昨日、告白されていた訳で──。

「江南は俺を唯一本当に愛してくれていた人だったんだ」

 それならば、導かれる答えは一つなのでは無いだろうか。

「死ぬか」

 江南は本気だったのに申し訳ないことをした。俺も江南のことは結構好きなんだ。今は同じ日に同じ場所で死んでもいいと同じくらいに好きなんだ。死ぬくらいに俺のことを好いてくれる相手なんて好きになるに決まってる。

 一日の時間差はあるが、同じ場所で死んだなら一応まだ心中ということになるはずだ。少なくとも俺はそういうことにする。

 なんて前向きな死に様だろう。

 俺たちの死に場所は玉川上水。おあつらえ向きに今日は晴天。死ぬにはうってつけの日じゃないか。今から告白の答えを持ってそっちへ行くよ。待ってて。

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