迷える美女と赤い屋根

第6話 迷える美女

その女性は、深淵の森に入ってまだ一時間も経っていなかった。

深淵の森に入った理由は簡単だ。

木の実が欲しかったから。

その女性の家は貧しく、人の出入りが少なく木の実が豊富な深淵の森の入り口付近で木の実を取り、家で食べるのが日常だった。

しかし今回は、帰る方向を間違えてしまい、うっかり奥深くまで来てしまったのだ。

その女性は貧しい農村にはもったいない美貌を持っていた。

夜空に輝く星を閉じ込めたような、ぱっちりとした金色の目。夜の闇を思わせる黒い髪は、肩のあたりまで伸びており、毛先は少しだけパサついている。

貧しい農村の出を感じさせない、シミや怪我、日焼けすらも感じさせぬ美しい白い肌は、じっとりとした森の中で汗ばんでいる。

熟れたリンゴのように真っ赤な、形の良い唇が、時折荒い息を吐く。

無論、少し古びている麻の服で隠れた彼女の胸部にも、熟れた果実がしっかりと備わっていた。

その姿はまるで、森に捨てられた白雪姫のようだ。

「ここは、どこなのかしら」

下手に動けば余計に迷う。

女性もそれはよくわかっていたが、動かなくては出口は見つからない。

結局どうしようもないのだ。

「あら?あれは…」

少し先に赤い屋根が見える。

もしかしたら森から出られるのかもしれない。

そんな希望を胸に、彼女は赤い屋根の家まで向かった。

残念ながら出口は無く、ただ赤い屋根の家がそこに建っているだけだった。

チリン…。

扉を開くと、軽やかな鈴の音が鳴る。

奥には、緑の淵の眼鏡をかけた一人の男性が座っていた。

「ん…?お客人かな?」

その男もまた、整った容姿をしていた。

20代の男性だ。ほっそりとした足と程よく引き締まった体。華奢に見えるが、白い長そでのポロシャツの裾から覗く腕に走る太い血管が、彼が確かに男なのだと証明している。

暗く深い深海を思わせる深みのある青の髪。まるで深淵の森のような、茶色がかった緑の目は、レンズの薄い眼鏡の向こうから、女性をしっかりと観察していた。

女性はその美貌に驚きつつも、声を発する。

「あの、迷ってしまって…。出口を知りませんか?」

「…ああ、迷子だったか。すまないが俺は出口を知らない。もうそろそろオーナーが帰ってくるから、もう少しここで待っているといい。俺は紅茶を淹れてこよう」

「でも私、お金は…」

男は驚き目を見開くが、その後すぐに、プッとふき出した。

「迷われたお客人からお代を請求するほど鬼じゃないさ。

これはサービスだ。気にせず受け取ってくれ」

「はあ…」

男が美しく丁寧な仕草で紅茶を淹れる。

フワリと辺りがいい匂いに包まれた。

「アッサムティーだ。お好みでミルクを入れて飲んでくれ」

「ありがとうございます…」

改めて店内を見ると、変わった内装だ。

大量の本に囲まれているし、調理場が丸見えだ。

「ここは?」

「ここは読書喫茶。オーナーのアヤさんが経営している、深淵の森の喫茶店だ」

「そうなんですね…ところで、あなたのお名前は?」

男は美しく微笑む。

「俺はレイ。好きに呼んでくれ。お客人は?」

「シノです。紅茶ありがとうございます、レイさん」

「どういたしまして、シノ」

最初から呼び捨てのレイに、シノは少し違和感を覚えたが

別に気にすることでもないので放っておいた。

「戻りましたよー…って、レイ、お客さんですか?」

「はいオーナー。深淵の森を迷ってここにたどり着いたそうです。

疲れていたので、アッサムティーをごちそうしました」

「そう。わかった」

オーナーと呼ばれた栗色の髪の女性は頷くと、こちらに歩いてくる。

私の真正面に立ち、丸眼鏡の奥の空色の目と目が合う。

女性は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに人当たりの良い笑みを浮かべた。

「いらっしゃいませ、お客様。私はオーナーのアヤ。こちらは店長のレイです」

(店長だったんだ…)

シノが密かに驚いていると、アヤは不思議そうに首をかしげる。

「ところで、あなたはどのようなご用件で深淵の森に入ったのですか?」

「ああ、木の実を取りに来ていたんですよ」

「「木の実?」」

アヤとレイは同時に首をかしげ、目を合わせる。

こうしてみると、兄弟のようにも見えた。

「私の家はご飯を買うお金もなくて…。私一人で住んでいるので、食事は粗末なものでも大丈夫だと思い、深淵の森の入り口付近で木の実を取っていたんです。

ですが、間違えて奥まで入ってしまい、ここに…」

「それは大変だったでしょう。なにかご注文なさいますか?

サービスしますよ」

アヤさんは人当たりの良い笑顔でメニュー表を渡す。

こういうのを、商売上手と言うのだろう。

「えぇっと…あら?このタルトというのは…」

シノはメニューを見ていると、不意にタルトという言葉が引っ掛かった。

共に載せられている絵には、細かく砕かれた木の実が土台の上に乗った謎の食べ物が描かれている。

「ああ、遠い国の焼き菓子です。甘くておいしいですよ」

「甘い…砂糖が使われているのですか?」

「はい!このあたりでは珍しいですが、砂糖をふんだんに生地に混ぜております」

砂糖といえば、王都でしか買えない高級な物のイメージがある。

しかし、このタルトには、そんな砂糖をふんだんに使っているのだという。

「…食べてみても、いいですか?」

「はい!リンゴタルトとナッツタルト…あと、レモンタルトもありますが

どれになさいますか?」

「では…ナッツタルトで」

正直「りんご」や「れもん」は聞いたことが無い。

後でレイさんに聞くと、果物の一種だと教えてくれた。


「お待たせいたしました。ナッツタルトです」

甘い香りに包まれたアヤさんと共に、焼き立てのパンとはどこか違う良い匂いが漂ってくる。

「これが…タルト?」

「はい!どうぞお召し上がりください」

恐る恐るフォークを手に取り、一口食べる。

サクッとした触感と共に、今まで食べてきた木の実とは違うナッツの香ばしい匂いが口いっぱいに広がった。

「…!おいしい!」

タルトを食べ進めていく私を、アヤさんは優しく微笑みながら見つめていた。


「おいしかったです…」

「それはよかった」

レイさんは食べ終わった皿を片付けるために、台所に入っていった。

「…そうだ、私出口が知りたくて…」

「この森の出口ですね?ご案内します」

裏口まで案内され、その扉を開くと

そこには一本道があった。

「ここを歩いていけば、人里に戻れますよ」

「あ、ありがとうございます」

言われた通り一本道を歩いた。

5分ほど歩くと、私が住んでいる村の灯が見えてきた。


「…オーナー」

「分かっています、レイ」

アヤは、人と目を合わせるとその人が願っていることが大体わかる。

その人の今までの人生、思っていること、感じてきたこと。

その全てが「背景」となって映し出されるのだ。

だからこそ、そんな背景が今まで見えてきていたからこそ、こんなことは初めてだった。

「あの人―――」



(本当に帰ってこれるなんてね)

思い出したようにポケットに手を入れて、今日収穫した木の実を出そうとした。

不意にポケットに入れた手に何かが当たる。

(…?)

それを引っ張り出してみると、それは先ほど自分が行った店と同じような見た目の金属プレートだった。

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赤い屋根の家 青空 冬 @aozora0001

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