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トム

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 ここに一冊のノートがある。


 それは巷にあふれる、一般的な大学ノート。表紙には何も記されておらず、裏表紙にも何も書かれてはいない。……そのノートは書き込まれているのだろう。付箋などの余計なものは貼られていないが、ノート自体は膨れ、折り目なども中にはあるのか、縒れた箇所がいくらか見れる。


 人によって呼び方は様々だろう。「ネタ帳」「覚書」「ヒント帳」「アイデア帳」等など……。それらは物を書く作業を行う者にとって、必携とも呼べる。


 ……今の世の中、それは手で書く物というより、スマホやパソコンと言った、電子機器に記憶させることが殆どとなり、余程のことがない限り、ノートに書き溜めるなどというアナログ作業は減ったと思う。



 かく言う私自身も、ウェブサイトでそう言った「お話」を書いている人間で、当然、下書きや書いたものの殆どは、パソコンに保存されている。


 ……ただそれとは別に、ふとした時に浮かんだフレーズや、「言葉」などを雑記のように意味もなく書き留めているノートが有ったりするのだ。それこそ『アイデア帳』とでも呼べるように、そこからお話がぽんと浮かんだりしたりする。


 そのノートを捲ってみれば、一体何を書いているんだとでも思うような、意味不明な文言が雑多に並び、横に書いたり縦に大きく書かれていたり……。恐らくは感情のまま、ただ書きつけていかれたその文字たちが、当人にとっては大切なモノへと変わる瞬間が、いくつも散りばめられている。



 人は日々、なにかが変わっていくものだ。ルーティンや、何気ない日常を繰り返していたとしても、街を歩けば天気は変わるし、すれ違う人も違う。毎日同じ食事をしていても、都度思うことが同じとは限らないし、目にするものも同じに見えて、実は変わっているのかも知れない。そんなふとした瞬間に、「ヒント」を見つけられるのかも知れない。『書く』事を趣味や仕事にしている人間は、頭で何でも考えていると思われがちかも知れないが、私は生憎、そこまで教養が豊かではないし、語彙が豊富なわけでもない。だから、その分を自分の足や目で。見、聞き、味わい、感じて、その感想を膨らませ、それをパッチワークのように繋いで、広げて形にしていく。当然そこには妄想や、想像も多分に含まれている訳で、実際とは違うものも多々有るだろうし、抜けも粗も見て取れるだろう。ただ、私は歴史書や史実書を書いているわけではない。



 ――『オハナシ』を書いているのだ。



 所謂、フィクションと呼ばれる架空の、想像の産物を書き連ねているのだ。だからという訳ではないが、現実に即していない事や、視点なども見る人の角度に拠ってそれは千変万化する。勿論、書いて公開している以上は、多少なりとも誰かに読んでもらいたいと思うし、少しでも感動や共感を得たいとも思っている。……ただ、その違う部分に対して、嫌悪感を抱く方がいる事も理解している。だから、苦言は聞くし、誤字脱字報告などは有り難い。……まぁ、誹謗中傷や、唯の難癖はスルーするが。


 でも。


 そんなコメントが付いていたとしても。


 当の本人は、嬉しいのである。……例え、どんな言葉であろうとも、それは自分の書いたモノを読んだ結果であり、その反応なのだから。……人によってはその言葉に傷つき、筆を折ってしまうほどのトラウマになってしまう場合もあるが、私はまだそこまでの経験はない。




 ――そこに置かれた一冊のノート。


 知らぬ人が見れば、意味の無い唯の言葉の羅列。書き殴られた文字の集積物。


 だけどそれは。


 それを書いた者にとっては大切で――。


 その文字を見た時。


 思いつくのは、オハナシと……。


 その時の感情や。


 思い出なのかも知れない。



 ――だから。



 どうか、忘れないでいてください。




 ――それはアナタにとって、かけがえのないモノなのだから――。


 


 

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