第2話 一度目の旅立ち  前編

 白い風の郷アウルビオンができ千と数百年がたった今日、一族をまとめ上げている族長の長女が洗礼を迎え、旅に出る。それがあって一週間ほど前からお祭り騒ぎだった。多くのものたちが彼女を慕っていて、旅に出ることを節目だと祝うもの、しばらく会えなくなることを惜しむものとさまざまだった。

 長女の名は「フィオーナ」という。この一族の特徴的な漆黒と見まごわんばかりの艶やかな宵闇色の巻き毛。海のごとく深みがあり全てを飲み込むような、ほかに類を見ないほどの神秘的で美しい青の瞳。そして降り積もったばかりの新雪のごとく真白い肌。さらには、一つ声を漏らせば誰もが聞き惚れる鈴の転がるような可憐な声。一つ笑みをこぼせば大倫の花々の咲き乱れ、並ぶものはないといわしめるほどに麗しくも凛々しく可憐な容姿をしているという。

 加えてそのひとみには「過去」と「未来」のすべてを写し、「声」までもを聴く。それだけでなく、干渉することもできるという。ほかにも、その「血」は穢れけがれを焼き払うともいわれている。

 「神の子」だとまでいうものまでおり、「蝶よ花よ一族の宝よ」と皆から慕われ愛されて育った。


 〇●〇


 細かな彫刻が施され、金の装飾の施された大理石の異国風の宮殿。その一室、茶と菓子を挟み話す母娘おやこの姿があった。


「フィオーナ、あなたは昨日ついに5歳となり、洗礼の儀を行いました。わたくしが言ったとこを覚えていますか?」

 お母さまは威厳に満ちた上王の顔で言う。

「はい、お母さま。『真名まなは例え如何なることがあっても何人なんびとたりと教えてはならぬ』でしたよね」

 ……そして「真名」は、この器との繋がりを強め、に踏み込んでも地上へ出ることのできるえにし

 「真名」は「真の名まことのな」とも呼ばれている。なぜ教えてはならないかというと、己の支配権を渡すということになるからだ。力を載せて呼ばれれば、己が意にそぐわないことでも命令することができる。わたくしたちには「世界を終わらせろ」と命じられれば、実行し本当に終わらせるだけの力がある。だから幼子のうちから言い聞かせられ、「真名」は誰かにつけてもらうものではなく自分でつけ、たとえ親であっても教えることのないものなのだ。

「わかっているのならいいのよ。だけど、あなたはいつもふわふわしているから心配だわ。本当に、どんなことがあっても、絶対に誰かに知られるようなことがあってはだめよ?」

 先ほどとは打って変わり、心配で仕方ないといった母の顔をして言う。

「そんな心配しないでください。わたくしはもう5つになったのですよ。そして今日旅に出るのです。…………だから親バカだ、過保護だといわれるのですよ」

 つい、最後にボソリと付け加えてしまう。

 ムッとしたようなうんざりしたような顔をしてしまう。やはり精神は肉体に引きずられてしまうのかもしれない。

 ……ほんと、お母さまは心配性なのだから。でも、そういうところに周りは親しみを覚えるのでしょうね。

 ……「わたくし」はきっと、このようなところに惹かれたのですね。

 ふっ、と目を伏せ、ひねくれねじ曲がっていた「わたくし」を思う。

「そうだわ、あなたのもう一つの名前を教えないと。」

「フィオーナとシン以外にあるのですか?」

「あら、覚えていたの?あなたをそう呼んでいたのは産まれて半年ばかりの頃までだったのに」

 お母さまは意外そうな顔で言った。

「なら、お父さまのことは覚えていて?」

「いいえ」

 お母さまは残念そうに眉尻を下げる。

 ……仕方ないのではなくて。赤子の視力では、半年が経つまではぼやけて見えるのだもの。もしあったことがあっても髪の色や目?と鼻?と口?があるな、くらいしかわからないわ。

「あなたのお父さまはね、清嵐チンランというの。青龍の一族の公子でね、とびきりの美男子なのよ。艷やかでとても美しい濡羽色の髪をしていてね、切れ長で涼し気な目元をしているの。わたくしやあなたを見て、目尻を下げて微笑わらうのよ。それがとても可愛らしいの。きっとあなたに会えばとても喜ぶわ。会いたがっていたもの。」

 花が咲くようにふわりと微笑んで話す。

 ……なぜ名の話から父親の話になったのかしら。乙女のような顔をして話すお母さまは、可愛らしいけれど。

「……あなたはわたくしには全然似なかったのに、清嵐チンランには似たのね。この目元なんてそっくり。……あら、聞いてるの?」

 わたくしの目尻を親指で上げたり下げたり、ぐるりと捏ねたりと、いたずらに揉みながら言う。

 ……わたくしの顔はむかしと変わらないもの。わたくしが似たのではなく、たまたま父親の方が似ていたのだわ。

「あなたはこれからお父さまのところへ行くのだもの。きちんとお聞きなさいな」

 思わずきょとんとしてしまう。

 ……?好きに旅をするのではなかったのかしら。父親のもとへ行くなんて聞いていないわ。

「あら、話していなかったかしら」

「聞いていません、お母さま」

 お母さまが話すには、わたくしはまず人間界の大陸の東、「青龍」の一族の暮らす峰に行き、父親に会わなければならないらしい。そして半年経ったら帰ってこいということだった。

 ……「青龍」って。……お母さま、よく龍なんて射止めたわね。

 書物で読んだだけしか知らないが、四方の方角を守護する神獣の一つで、東を守護し春を司るのが「青龍」だ。他にも「白虎」、「朱雀」、「玄武」と存在する。「白虎」は西を守護し秋を司る。「朱雀」は南を守護し夏を司る。「玄武」は北を守護し冬を司る。

「そうだわ。荷物を用意するといって、渡し忘れるところだったわ」

 そういって巾着を渡された。

 ……「綿」かしら。

 開けてみると、中には小さな巾着が五つ入っていた。細かい刺繍が少しづつ施されている。こちらは服には劣るが、小物入れとしてはそれなりな生地だ。

 ……この光沢、「絹」といったかしら。あちらだと、とても高価だと聞いたけれど。

「これは何です?」

乾坤袋けんこんぶくろといってね、見た目よりもたくさんのものが入るのよ。すべて出してみるといいわ」

 そういわれひとつずつ広げてみる。一つ目には、白い風の郷こちらでは見かけない生地、形のたくさんの衣装。

 ……あら、これは「」ね。こちらは「領巾ひれ」。

「夢月国」での衣装によく似ている。美しく手の込んだ刺繍が施されていて、旅に向いているとはとても思えない。それと3つの小さな巾着。

 ……巾着の中に巾着。どこかの民芸品のようだわ。……「マトリョーシカ」といったかしら。

 巾着もすべて広げてみる。出てきたのは、衣装に揃えて誂えられた、たくさんの簪や耳飾りなど装飾品の納められた木箱たち。どれも繊細な細工が施された金や玉が使われている。そして同じく、衣装に揃えて誂えられ刺繍の施された、たくさんの布の靴の納められた木箱。それから刺繍の施された団扇、刺繍が施されたり風景の描かれた扇子の数々。ほかにも、長い紗の垂れる中心に穴の開いている「笠」、一目で最高の職人の最高傑作とわかるような、装飾の施された深紅の房飾りの垂れる剣。どれも丁重に木箱や巾着へ納められいて美しい。換金して旅費にすれば、いつでも食事や宿、足に困らない快適な旅になるだろう。

 ……この衣も靴たちも全て「絹」だわ。

 こんな物を着ていたら連れ込まれて、追い剥ぎにあって、売られるだけではすまないだろう、きっと。とても旅の持ち物には見えない。

 ……一つ目の巾着からこれって、お母さまは何をお考えなの?

「…………。どれも『絹』ですよね。旅には確実に不向きかと思いますが……。資金を得るために質にでも出すのですか?」

「……そうではないのだけれど。……フィオーナ、あなたはこれを見て美しいとか、着てみたいとは思わないの?」

 お母さまは、左手を頬に添えおっとりと首を傾け、溜息交じりにいう。

「確かに美しいとは思いますが、着てみたいとまでは……。それに、子どものひとり旅でこのような物を身につけていては攫われて、盗まれて、売られてしまいます。ですからこれらは不要です」

 キッパリというと眉尻を下げて微笑まれた。

 ……いつも着ているほうがよい生地で、肌触りもよいのだもの。おまけに丈夫だわ。転んでの傷つかないし。失敗しても燃えないし。血もすぐ落ちるし。

 そんな思いはそっと胸の内にしまっておく。

「まあ、そう言わず持って行ってちょうだいな。あなたのお父さまがあなたのためにと用意したのだから。会うときだけでも着てあげて」

 ……お母さまがそうおっしゃるなら仕方ないわ。

「それに、あなたのお父さまがいるのはわたくしたちの国の西側にある、海を一つ挟んだ大きな大陸の支那しなだもの。さすがに初めての旅でいきなり1人で海を渡らせるのは恐いわ。だからわたくしが大陸まで送ります。安心してその衣装たちを着なさいな」

 そういって微笑んだ。どうやらわたくしがこれらを着ることはお母さまの中では決まっているらしい。

 「わたくしたちの国」というのは三代ほど前の族長の頃にできた国だ。「夢月国むつきのくに」、または「天満月国あまみつつきのくに」という。その国はそら高くにあり、あやかしが主に暮らしている。はじめは当時の族長の遊び場であったらしい。「白い風の郷」の満月の晩の景色をもとに創られ、いつ空を見上げても大きく輝く満月が浮かんでおり、地上に咲く四季折々の草花が咲き乱れていた。今ではすっかり別の場所という感じだが、よく見ればところどころ「白い風の郷」との類似したところがある。

 類似というより、同じ要式の建造物がどん、とあったり、「白い風の郷」以外では生息しないはずの動植物が、「初めからここにいますがなにか?」といった風体で生息している。連れ込んだりしたのでしょうね、明らかに生態系が変わっているのだわ。

 住処や親をなくし生活に困っていたあやかしを住まわせたのがはじまりだ。そのうち人間をも庇護するようにもなり、地上をも治めるようになった。そして手が回りにくくなり、ところどころ管理を任せたりするようになった。任されたものたちが「王」と呼ばれるようになり、族長は「すめらぎさま」と呼ばれるようになった。それから「いつも満月の国を治める皇帝」と讃えられ、民は敬愛と親しみを込め「天満月あまみつつきの君」と呼ぶようになった。ちなみに、太子は「月の君」と呼ばれている。

 「夢月国」の皇帝は「白い風の郷」の族長が担うことになった。お母さまは今の族長だからみかど、その子になるわたくしたちは皇族になる。

「……これはどのようにして着るのですか?」

 わたくしは観念してそういった。

 この衣装たちは「夢月国」で着ているものに似ているが、少し違うようだった。

「国についたら教えるわ」

「族長、お連れいたしました」

 お母さまが楽しそうに笑うのと部屋の外から声をかけられたのは同時だった。

 ……アイシャかしら。誰を連れてきたの?

 アイシャはお母さまの補佐をしている者の一人で、今は見習のような立場だ。三人いるお気に入りのうちの一人の娘で、歳はわたくしの丁度十歳上で、お母さまは将来わたくしの補佐にしようと考えているようだ。

「あら?忘れていたわ。どうぞ入って、アイシャ」

「失礼致します。アイリーネさまをお連れいたしました」

「ありがとう、アイシャ」

 すこし微笑んでいった。それにアイシャは、両手を腰の左で重ね、右足を一歩引き腰を落して返した。

 ひょこりと隠れるようにアイシャの後ろにいた、膝よりも背の低い女の子が出てきた。ふんわりとした癖っ毛に、パッチリとしたまんまるな裏葉色の瞳、お母さまの面影を強く感じる顔に満面の笑みを浮かべた。そしてまだ拙い動きながらも左手を胸元に添え、左足をすこし引き軽く腰を後して挨拶をする。

「おはようございます、おかあさま、フィーアねえさま。だいじなおはなしってなんですか?」

 まだ拙い口調でいう。

「いらっしゃい、アイーネ。まあ、まずは座って」

 わたくしの隣を指していう。アイシャはさっとわたくしの隣に椅子を用意し、アイリーネを座らせた。それからわたくしたちのお茶を入れ替え、アイリーネのぶんも用意し新しいお菓子を並べると退室していった。

 アイリーネは三つ下の妹で、わたくしの名を「フィオーナ」ではなく「フィーア」だと思い込んでいる。ちなみに、自分の名も「アイリーネ」ではなく「アイーネ」だと思い込んでいたりする。

 ……お母さまがいつまでも「アイーネ」と呼び続けるからだわ。本人以外にもそうだと思っているものはいるのだから……。

 おそらく洗礼の儀を迎えるまでは「アイーネ」と呼び続けるのだろう。わたくしがそうだった。

 アイリーネは見目も中身もお母さまにとてもよく似ていて、関係も良好だ。さらに先月二2つ下の妹ができた。外見はわたくしにそっくりだが中身はどうだろうか。

 ……あの「妹」のままでしょうからひと悶着あるでしょうね。

「…………だから急だけど、今日からあなたも出かけることになったわ。お母さまはフィーアとお話があるから、その間に荷作りをしなさい。お話が終わったらいくわ」

 ……あら、話を聞いていなかったわ。

「はい、おかあさま」

 そう返事をするとたたたっと走っていった。

「あなたの旅の旅程の説明をするわね。質問は全て話し終わってからにしてちょうだい」

 そうはいわれても口を挟んでしまう。

「わたくしの旅程をお母さまがお決めになるのですか?」

 少し棘のあるような口調になってしまった。

 ……ひとり気儘な旅だと思っていたのだけれど。

「ええ。あなたのように可愛らしく、将来とびきりの美人になることが確定しているを一人で旅に出すのは、いくら心配してもしたりないというものだわ。他の者のように『成人までには戻ってくる』なんて気軽にはいられないもの」

 左手を頬に添えため息交じりにいう。

 わたくしいだって独りで旅に出るのは確かに不安だ。しかし、どんなに内心「取り乱していたとしても自分よりも取り乱しているものを見ると、かえって冷静になってしまう」、という話は本当なのだと思った。お母さまの心配が大袈裟でわたくしの思っていた不安など、どうでもよくなってしまった。

「はあ……。本当ならわたくしも一緒に行きたかったわ。それにもし、……」

 ……お母さまの溜め息ばかりで話が全く進まないわ。

「お母さま、心配してくださるのは嬉しいですが、話を進めてくださいませ?」

 お手本のような微笑えみを浮かべて言うと、やっと本題に戻った。

「こほん、明日からのあなたの予定だけれど、朝一で出発するわ。あなたの目指すお父さまの暮す場所は大陸の東側、「中原ちゅうげん」にある峰の一つ。そこで何かしらの術を身に着けてきなさい。その後は帰ってくるもよし、留まるもよし、別のところへ向かうもよし。どう過ごしてもいいけれど、半年以内には必ず帰ってきなさい」

 あら、今日からだと思って楽しみにいていたのに……。

「わかりました。……善処はしましますが、過ぎると思います」

「はぁ。本当に、もう。放浪癖なんてつけないでちょうだいよ。帰りが遅くなって困るのはあなたなのだから」

 そんな心の声を漏らす。

 ……「放浪癖」ってなによ。

 すこしムッとしながらも続きを大人しく聞く。

「……話を戻すけれど、なぜあなたはお父さまに会わなければならないのかというのは、お父さまだけではなくあちらの一族のものたちにもあなたの存在を認められる必要があるからよ」

 ……なぜ認められなければならないの?一族のことや国のことを考えると知らせないほうがいいと思うのだけれど………。それに、認知されていないものなどたくさんいるわ。

 今まででもわたくしのように親の片方は外のものだというものは多くいる。そういうものたちの中でも、外のものである父か母に会いに行ったや、わざわざ知らせたということは聞いたことがない。それはすでに亡くなっているというものも少ないがいた。だが大半は外の問題を持ち込まないため、口出し(利用)されないためだった。

「そして、『はな』の入った名を貰ってきなさい。あちらの一族で『華』は直系の公主こうしゅの名に使われているから、青龍の一族の直系の血を引くと認められたということになるわ」

 ……わからないわ。個人ならいざ知らず、相手方の一族にまで知らせる理由があって?

 余計な疑いを持たれるか嗤われるだけだと思った。

「……なぜです?」


「『青龍』は『神獣』。そして、『天帝』との繋がりがあるわ。その『血』を引いているのということの証明になるのよ。友好的な関係を気づけているということだもの。きっとあなたの旅を進みやすいものにしてくれるわ。……そんな深く考えなくても大丈夫よ」

 最後に「ふっ」と微笑ってそんなことをいう。

 ……「虎の威を借るなんとやら」というのは好かないわ。

 お母さまは楽観的に考えているようだが、どこの世でも「反対勢力」というものは存在するのだ。それに、「一族」という体をなしているからと考えが統一されていることはなく、なにかしら高い矜恃、誇りを持っているからこそ「反対派」の思想は過激だったりする。そういうものは総じて「混ざりもの」を忌み嫌う。歓迎されないと思って警戒して向かったほうが無難だろう。

「……名をもらってくればいいのですね」

「ええ、そうよ。……さ、そろそろ行きましょうか。アイーネも支度ができる頃でしょう。忘れ物をしたのなら取りに来ればいいだけのはなしだわ」

 パンっと手を打ち、さっと立ち上がっていう。

「まだできていないでしょうに……」

 そうこぼしながらもおいて行かれないようについていく。

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〚いつか自由に生きられるのなら〛 五十嵐釉麗 @kamehasennenturuhamannen

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