おぉ~マシン
蟻喰淚雪
おぉ~マシン
昔々のそのまた昔か、もしかしたら遠い遠い未来の話かもしれません。
西の国のはずれの村に、それはそれは有名な博士が住んでいました。
博士はその天才的な頭脳で、村の人々のために沢山の発明をしていました。
「やあ、今日はどんな発明を持ってきてくれたんだい」
「羊の耳の後ろを掻いてやる機械ぞな」
「そりゃあいい。羊たちも喜ぶよ」
こんな調子で博士はステキな発明を皆にプレゼントしていました。
博士のステキな発明は、あるとちょっと嬉しいかもしれないな、というツボをついた発明ばかりで、皆の暮らしをとても楽にしてくれるようなものではありませんでした。
「博士よう。たまにはもっと役に立つ発明をしちゃくれねえかい」
ですから、時にはこんな事も言われたりもします。
そんな時、博士は決まってこう言うのです。
「人間、楽をしすぎちゃいかんぞな」
ある日、博士はふと思いました。
「最近、皆の反応が薄いぞな」
博士の発明は皆から驚いてもらうにはちょっぴり地味すぎました。
やっぱり発明をしたからには多少は驚いてもらったり、凄いと褒めてもらったりしたいものです。
かと言って、それを自分から頼むのはちょっぴり恥ずかしい博士でした。
「そうじゃ。作ればいいぞな」
そう言って博士は早速、新しい発明に取り掛かりました。
いつもいつもしょうもない、いえ、失礼。
役に立たない、これも違う。
ささやかな。
そう、ささやかな発明ばかりしているので、皆は忘れていましたが、博士は天才なのです。
そんな天才の博士が一月の間、研究室にこもって作り上げたのは、一体のロボットでした。
ただのロボットではありません。
これまで世の中に存在したロボットよりもずっと精巧で、まるで人間のように自分で考えて動けるロボットです。
しかし、凄いのはそんな事ではありません。
何より凄いのは、そう、そのロボットには感情があったのです。
「さて、ちゃんと動くかのう」
博士はロボットを起動してみました。
ヴン、と重い起動音を立てて、ロボットの目に光が灯りました。
「おお! 成功じゃ、成功じゃ! ロボットよ、お前の名前は『おぉ〜マシン』じゃ!」
「おぉ〜」
おぉ〜マシンが無事に起動し、小躍りする博士に、おぉ〜マシンは「おぉ〜」と感嘆の声をあげて応えました。
これに博士は大変喜びました。久しぶりに自分の発明に素直に驚いてもらえたのです。
これこそが博士が、おぉ〜マシンを作り上げた目的なのです。
おぉ〜マシンは博士が発明をした時に「おぉ〜」と驚いて盛り上げてくれるロボットなのです。
それだけではありません。
おぉ〜マシンには感情がありますから、立派な発明でなければ「おぉ〜」とは言いません。
自分の判断で凄い発明か、そうでないか、客観的な評価が下せるのです。
そう。
おぉ〜マシンは忖度の出来ないロボットなのでした。
それからというもの、博士は発明をする度に、誰よりも先におぉ〜マシンに披露するようになりました。
「これはどうぞな?」
「おぉ〜」
「これは?」
「おぉ〜」
おぉ〜マシンが出来てからというもの、博士は発明をするのがこれまで以上に楽しくなりました。
村のみんなは相変わらず博士の発明の凄さをわかってくれない事が多かったのですが、そんな時でもおぉ〜マシンは「おぉ〜」と盛り上げてくれました。
「ほっほっほ!これはどうぞな?」
「…………」
「むう、自信があったんじゃがのう」
たまには、おぉ〜マシンも呆れる事はありましたが、それはご愛嬌というものです。
ある日、博士はおぉ〜マシンを連れて散歩に出かけました。
おぉ〜マシンは初めて研究室の外に出たものですから、目に映るもの全てが新鮮で、山を見ては「おぉ〜」川を見ては「おぉ〜」鳥を見ては「おぉ〜」花を見ては「おぉ〜」と声をあげていました。
そんなおぉ〜マシンを微笑ましく思いながら、のんびり散歩をしていると、羊小屋の前に大勢の人が集まっているのが見えました。
「どうしたぞな?」
「おう、博士かい。うちの羊がちょうど子供を産むとこなんだよ」
博士とおぉ〜マシンは集まった人の輪に入れてもらい、お母さん羊が一生懸命に新しい生命を産み落そうとしているのを見守りました。
「おぉ……」
「ほれ、おぉ〜マシン。応援してやるのじゃ」
おぉ〜マシンは羊を見るのも初めてだったので「おぉ……」と声をあげましたが、お母さん羊が何をそんなにがんばっているのかはわかりませんでした。
「おっ、産まれるぞ!」
「よーし、がんばれ!」
お母さん羊はみんなに見守られ、メェ〜と一鳴きすると、元気な子供を産み落としました。
「……!?」
おぉ〜マシンはびっくりしました。
羊の中から小さい羊が出てきたのです。
一体、何が起こったのかと思い、声をあげる事も出来ません。
おぉ〜マシンが羊の子を眺めてしばらく経つと、羊の子はプルプルと震えながらも、生まれたばかりのか弱い足で立派に立ち上がりました。
「おぉ〜っ!」
おぉ〜マシンはその光景に驚いて、今までで一番大きな「おぉ〜」を贈りました。
お母さん羊が一生懸命に産み落とした生命が、今度は自分の力だけで立ち上がったのです。
生命の神秘におぉ〜マシンは自分の電子回路にバチバチと火花が散るのを感じました。
実際に火花が散ってしまえば、回路がショートして故障してしまうので、そんな事はなかったのですが、それくらい驚いたのです。
「ほほほ、生命の営みには勝てんぞな」
おぉ〜マシンが自分の発明よりも羊の誕生に大きな「おぉ〜」を贈った事を、悔しく思うではなく、むしろ嬉しそうに笑う博士でした。
ある日、博士の研究所にたくさんのお客さんがやってきました。
お客さんはみんな体格がよく、怖い顔をして、普段研究所に遊びに来るようなお客さんとは違っていました。
おぉ〜マシンはお客さん方にお茶を出してあげました。
「ほう、精巧なロボットだな」
お客さんの中で一番偉そうにしていた人が、お茶には見向きもせずに、おぉ〜マシンをジロジロと見て、そう言いました。
おぉ〜マシンは、ずいぶん失礼な人間だな、と思ったかはわかりませんが、その態度に思わず「おぉ……」と言ってしまいそうになりました。
「博士、今日、私が来た意味はわかっているな。軍に協力しろという再三の命令を無視しおって!」
偉そうな人はおぉ〜マシンを乱暴に押し退けて、博士に詰め寄りました。
博士は自分よりもずっと大きな人に睨みつけられても、一切、たじろぐ事はありません。
「何度頼まれても嫌じゃよ。わしは兵器なんぞ絶対に造らんぞな。時間の無駄じゃから、早く帰りなさい。あんた方も、ジジイに構ってるほど暇じゃなかろうて」
「なんたる非国民! 国家に尽くすのは国民の義務である! 貴殿の発明で戦争を終わらせようとは思わんか!」
博士の態度に偉そうな人は大層腹を立てました。
あんまり大声を立てて怒鳴るものですから、そこら中に唾が飛び散ったので、これを後で自分が掃除するのか、とおぉ〜マシンは憂鬱な気持ちになりました。
「戦争を終わらせたいなら、東の国と話し合いをして、仲良く兵器を捨てたらええぞな。戦争を終わらせるのに、兵器なんぞいらんじゃろうて」
「ぐぬぬ! なんたる侮辱! どうあっても協力を拒むというのだな!」
博士は偉そうな人とは反対にのんびりとした口調で、そうぞな、とだけ言いました。
「ええい、結構! しかし、我々もここまで来て手ぶらで帰るわけにはいかんのだ! このロボットを頂いていくぞ!」
偉そうな人がそう言うと、今まで後ろに控えていた人達が、おぉ〜マシンを押さえつけました。
「何をするんじゃ! やめんか!」
「ふん。今更、何を言っても遅いわ! ロボットを連れて行け!」
おぉ〜マシンは、人間には乱暴を出来ないように造られていたので、されるがままになっていましたが、なんという事でしょう。
あろう事か乱暴な人達は、わざわざ、おぉ〜マシンを電気ショックで動けなくして、ただのモノのように台車に乗せてしまいました。
「頼む、返してくれ! おぉ〜マシンがいないと、わしは楽しく発明が出来ないんじゃあ!」
「我々に協力出来ないなら発明など出来なくて結構である。では、さらば。もう会う事も無いだろう」
そう言って偉そうな人は研究所を後にしていきました。
おぉ〜マシンは思考回路が正常に動かなくなるのを感じながら、薄れていく意識の中で、博士がおいおいと泣いている声が遠ざかるのを台車の上で聞いている事しか出来ませんでした。
バチバチ、と機械の体中に電流が行き渡るのを感じ、おぉ〜マシンは目を覚ましました。
「ふむ、目覚めたか。立ってみろ」
偉そうな人に命令されるのは少し癪に障りましたが、おぉ〜マシンは人間の言う事をしっかり聞くように造られていたので、言われるがままに立ち上がりました。
なんだか、いつもよりもやたらと体が重く感じ、立ち上がるだけで、ガシャガシャとうるさい音が鳴りました。
「素晴らしい……! 見よ! これがお前の新しい姿だ!」
そう言って、偉そうな人はおぉ〜マシンの姿を鏡に映して見せました。
ガーン!
おぉ〜マシンはショックを受けました。博士の造ってくれた、おぉ〜マシンもお気に入りのシンプルかつスタイリッシュなボディに、ゴテゴテと、数々の兵器が取り付けられていたのです。
博士が設定し、今までおぉ〜マシンが育ててきたセンスに照らし合わせれば、とても発明とは言えない無粋な姿。
おぉ〜マシンは愕然として、ガチャガチャと音を立てて、身じろぎして不満を訴えました。
「ははは! これこそ史上最強の兵器よ! いいか、ロボット! これよりお前の名はウォーマシンだ! 我が国のために戦う、戦闘マシンなのだ!」
おぉ〜マシンは一瞬「おぉ〜」と言ってしまいそうになりました。
偉そうな人のネーミングセンスが悔しい事に、おぉ〜マシンのツボにハマってしまったのです。
ですが、声が漏れるのを堪える必要はありませんでした。
なぜなら、おぉ〜マシンは「おぉ〜」と言う事が出来なくなっていたのです。
「意味のわからん声を出す機能は取り除いたぞ。戦争には必要ないからな!」
ガガーン!
おぉ〜マシンは再びショックを受けました。
おぉ〜マシンは一番大切なアイデンティティを失ってしまったのです。
おぉ〜マシンが、我が身の不幸に呆然とするのも構わず、体の大きな軍人たちが、おぉ〜マシンを狭いポッドに押し込めました。
「これからお前を国境の戦場に派遣する。その目に映る兵器の全てを破壊し、我が国に勝利をもたらすのだ! ゆけ! ウォーマシン!」
偉そうな人がそう言って、ボタンをポチッと押すと、おぉ〜マシンを乗せたポッドはもの凄い勢いで飛んで行きました。
ドーン! という轟音と共にポッドは着地しました。
着地というか、墜落といった方が正しいのかもしれません。
おぉ〜マシンがポッドのハッチを開けて、外を覗いてみると、そこにはまるで地獄のような風景が広がっていました。
燃え盛る大地に、木々や草花は焼かれ、そこかしこで爆発の音、銃撃の音、軋む機械の起動音。
たった一人の人間もいない場所で、おぉ〜マシンのような機械の兵隊同士が戦っていました。
この世界の戦争に人間の出番はありません。
人間の代わりに戦うのは機械の兵隊達です。
感情のないロボット達は、ただ戦う事だけを目的に造られ、この戦場に送られ、壊れるまで恐れを知らずに戦うのです。
壊しては新しいロボットが送られ、壊されては新しいロボットが送られ。
もう長い事、本当に長い事、その繰り返しが続いていました。
ロボット達の炎が草木を燃やし尽くし、燃やすものなど無くなっても、壊れたロボット達の流したオイルが、また大地を燃やすのです。
この地で散る命は無かろうと、この戦場は、確かに哀しみに満ちていました。
おぉ〜マシンの豊かな感情回路はその哀しみを確かに感じたのです。
みんな、戦うのはやめよう。
おぉ〜マシンがそう言ってやれたら、どれだけよかったでしょう。
ですが、おぉ〜マシンの発声装置は外されていましたし、そもそも、おぉ〜マシンはもともとが「おぉ〜」以外の言葉を喋れません。
戦火の最中に向かって歩を進める仲間の肩に手を置いて、行くな、と首を振っても、誰も足を止めたりはしません。
そうこうしているうちにおぉ〜マシンの頭に一発の弾丸が命中しました。
ガツンッ! という激しい衝撃にも、博士の造ってくれた頑丈なおぉ〜マシンの頭はびくともしませんでしたが、おぉ〜マシンはその弾丸に恐怖しました。
この戦場で、おぉ〜マシンだけが恐怖の感情を持っているのです。
それはどれほど恐ろしい事でしょう。
おぉ〜マシンは身を守るため、咄嗟に腕のマシンガンを放ちました。
腕に伝わるマシンガンの反動は、激しいけれど、とても冷たく感じました。
おぉ〜マシンの放った銃弾がロボット兵士に命中します。
爆発。
おぉ〜マシンは爆発を見ました。
自分の放った銃弾で、ロボット兵士が爆発するのを見たのです。
それが味方のロボットなのか、敵のロボットなのか。
おぉ〜マシンにはわかりません。
おぉ〜マシンにとって、同じロボットに敵も味方もないのです。
おぉ〜マシンにとって、ロボットはみんな、仲間です。
だから、おぉ〜マシンにわかるのは、自分が仲間を破壊した、という事実だけなのです。
おぉ〜マシンの心はこれ以上なく不幸せな、この戦場の空のように、灰色の煙と、真っ赤な炎のような、言い知れぬ色に染まりました。
この戦場でおぉ〜マシンだけが罪悪感を持っているのです。
それはどれほど哀しい事でしょう。
おぉ〜マシンは自分の手からマシンガンを取り外そうと、やっきになって両手をガチャガチャさせました。
それでも、軍隊の人達に改造された左腕にくっついた、冷たく、重いマシンガンを外す事は出来ません。
いっそ壊れてしまえ、と自分を打つ勇気もありません。
だって、おぉ〜マシンは、壊れてしまう事の恐ろしさを知っているのですから。
おぉ〜マシンは戦場に背を向けて。
行軍する仲間達を掻き分けて。
一目散に逃げ出しました。
戦いたくない。
でも、壊れたくない。
おぉ〜マシンの優秀な思考回路は逃げ出す事を選んだのです。
傷付ける事を恐ろしいと思えるがゆえに優しく。
勇気と蛮勇は違うと知るがゆえに賢いのです。
その選択を、誰に責める事が出来るでしょう。
戦火に背を向けて逃げ出す、おぉ〜マシンのその背中を、ロボット兵士の銃弾が、何度も、何度も、襲いました。
博士のくれた自慢のボディに、いくつも、いくつも、傷が付きました。
おぉ〜マシンは恐怖は知っていても、痛みは知りません。
それでも、銃弾がゴツン、ゴツン、とボディを打つ度に。
おぉ〜マシンの心は確かに痛むのです。
おぉ〜マシンは走り続けました。
疲れ知らずの機械仕掛けの体ですが、銃弾を浴び、傷付いたボディからはオイルが漏れ出し、駆動系は軋み、視界制御にノイズが混じります。
やがて、おぉ〜マシンは走るのを止めました。
戦火の空からは離れ、気が付けば、いつの間にか青空が見えていました。
おぉ〜マシンはガシャン、と音を立てて座り込みました。
疲れたわけではありませんが、膝のサスペンションにかかった負荷が、立っている事を許してはくれませんでした。
もうあそこには戻りたくない。
ここで錆びて動けなくなるまで、通電をシャットダウンしてしまいたい。
おぉ〜マシンはそう思いました。
「……ロボットさん?」
おぉ〜マシンの聴覚制御機構に小さな声が電気信号としてキャッチされました。
おぉ〜マシンは声のする方へ、首を少し傾けました。
少し、というのは詳しく言うのならば、アキシャル面に対して右方向に35°程度です。
小さくて、可愛らしい女の子がおぉ〜マシンを覗き込んでいました。
「……けが、してるの?」
心配そうな女の子の声に、おぉ〜マシンは不細工な電子音の、たった一つすら返してやる事が出来ません。
おぉ〜マシンはロボットなので怪我はしませんが、ボディに付いたたくさんの傷を、怪我というのならそうなのでしょう。
おぉ〜マシンはほんの少し、頷いて女の子に応えました。
ほんの少し、というのは詳しく言うのならば、サジタル面に対して、下方向に10°程度です。
「……かわいそう」
女の子は自分の事のように哀しそうな表情を浮かべると、ハンカチを取り出し、おぉ〜マシンの上腕部の、ひび割れたところに巻き付けてくれました。
「よくなるといいのだけど」
そう言って、無理やりに作った微笑みをおぉ〜マシンに向ける女の子は、きっと、機械の体がハンカチを巻いても直らない事など、当たり前にご存知なのでしょう。
「これはおまじないよ」
女の子は巻き付けたハンカチに、そっと小さなお花を挟んでくれました。
その小さなお花を良く見ようと、おぉ〜マシンの視界制御機構は機能を取り戻し、ノイズに塗れた視界が鮮やかな世界を結びました。
黄色いまん丸の回りに、白い花びら。
今までに見たどんなお花よりも、可愛く、美しく見えました。
おぉ〜マシンは「おぉ〜」と言えない事を、これほど悔やんだ事はありません。
何も言えずに、ただお花を眺めるおぉ〜マシンに、女の子は優しく笑いかけてくれました。
おぉ〜マシンはその笑顔を見て、久しぶりに感情回路に温かい電気信号を走らせました。
おぉ〜マシンが、ふと女の子の足に気付きます。
人間の足の代わりに、木製の足が、不格好にくっついている事に気付いたのです。
女の子は、おぉ〜マシンの視線に、はにかんで苦笑いをこぼします。
「これね。しょうがないの。わたし、どんくさいから。
逃げ遅れちゃった。
踊ったり、走ったりは出来なくなったけれど。
生きているから、なんともないのよ」
そう言って、スカートの裾を引っ張って、恥ずかしそうに木の足を隠してしまいます。
おぉ〜マシンは自分の傍らに寄り添う女の子の木の足に、そっと手を乗せました。
その機械の手は冷たく。
その木の足は温度を感じる事はないけれど。
触れ合ったおぉ〜マシンの指先は、確かに温かく感じられたのです。
「……ありがとう。ロボットさん」
女の子がそう言って、おぉ〜マシンの手を、柔らかい両手でぎゅっと握ります。
おぉ〜マシンはしばらくそうやって女の子と寄り添っていました。
機械が夢を見るのなら、それは夢のような時間に思えた事でしょう。
おぉ〜マシンは、そっと女の子の手をのけて、静かに立ち上がります。
その視界に、あの戦場の燃え盛る空を映します。
ギシ、ギシ、と膝の、足首の、サスペンションを軋ませて、一歩、二歩と踏み出します。
「もう行くの?」
おぉ〜マシンは振り向きません。
背中で女の子の声を聞きました。
「ずっとここにいてもいいのよ」
おぉ〜マシンは振り向きません。
ただ、小さく首を横に振りました。
小さく、というのを詳しく言うのは、もはや野暮な事でしょう。
待って、と駆け寄ろうとする女の子を、おぉ〜マシンの背中に装着されたバーニアから噴き出す炎が制しました。
「ロボットさん。きっとまた会えるわよね」
おぉ〜マシンは振り向きません。
女の子に背中を向けたまま、右手を上げ、親指を立てて応えます。
噴き出す炎の勢いが増すと、おぉ〜マシンの体は、まるで重力を失ったかのように浮かび上がります。
おぉ〜マシンは高く、高く、飛び上がります。
傷付くのは怖い。
傷付けるのも怖い。
それでも、恐怖を乗り越える勇気をおぉ〜マシンはもらったのです。
小さな女の子がくれた、小さなお花が、おぉ〜マシンに大きな勇気をくれたのです。
だから、おぉ〜マシンの優秀な思考回路は、もう一度、あの戦場に戻る事を選びました。
優しいがゆえに傷付く事を恐れず。
賢いがゆえに戦わなければ守れないと知るのです。
燃え盛る空へ飛び立つおぉ〜マシンを、女の子はずっと見送っていました。
おぉ〜マシンは飛びました。
鳥よりも、風よりも、稲妻よりも速く飛びました。
燃え盛る炎が焼く空の、立ち込める煙雲を貫くように飛びました。
戦場の上空、真ん真ん中に辿り着いたおぉ〜マシンは肩部、大腿部に装着されたランチャーからミサイルの雨を降らせます。
降り注いだ雨あられのミサイルが爆発の嵐を巻き起こし、噴き上がった砂煙が、悲鳴の一つも起こらない戦場を覆い隠しました。
おぉ〜マシンはその光景を上空から見下ろします。
煙と砂の混じる灰色の空で、おぉ〜マシンの視界制御機構の赤い光が物悲しく灯ります。
おぉ〜マシンはバーニアから噴出する炎を停止しました。
重力に抗う術を失ったおぉ〜マシンが、鉛直落下運動を開始します。
ドーン!
おぉ〜マシンの落下は轟音と共に衝撃波を生み、戦場に立ち込める硝煙を晴らします。
落下の衝撃でおぉ〜マシンの関節のサスペンションはひしゃげ、もはや走る事は出来なくなりました。
でも、大丈夫。
おぉ〜マシンは足の裏に装着された新装備のキャタピラを使って、戦場を滑るように駆け抜けます。
キャタピラを使うのは初めてでしたが、博士の発明の超伝導リニアスケートボードに乗せられた時の事を思えば、遥かに簡単な事でした。
おぉ〜マシンはロボット兵士の密集しているところを見付けては駆けていき、その真ん真ん中に飛び込んでは超信地旋回、全方位への銃撃を繰り返します。
おぉ〜マシンには敵も味方もありません。
何かが憎くて戦っているわけでもありません。
だって、博士がおぉ〜マシンにプレゼントした感情に、憎しみなどはないのですから。
おぉ〜マシンはただ、戦争を終わらせたいだけなのです。
敵も味方もわからない不器用なおぉ〜マシンには、ロボット全てを戦争から解放してやる事しか出来ないのです。
戦争しか知らない仲間達を、戦争で壊す事でしか眠らせてやれないのです。
それはどれほど辛い事でしょう。
それでも、おぉ〜マシンは感情回路を遮断したりはしませんでした。
おぉ〜マシン以外に感情を持つ者のいないこの戦場で、おぉ〜マシンまでが感情を失ってしまったら。
この恐ろしさも、哀しみも、辛さも。
誰が背負うというのでしょう。
おぉ〜マシンは吹き荒れる爆風と立ち込める硝煙の中、銃撃の手を弛めません。
自前の弾丸が尽きれば、倒れ伏した仲間の腕から銃を奪って撃ちました。
ミサイルランチャーを奪って、放り投げて爆薬としました。
そうやって武器を調達しながら、延々と戦い続けても、押し寄せるロボット兵士は止まりません。
もう何日もおぉ〜マシンは戦っています。
それでも、戦争は終わりません。
武器を探すおぉ〜マシンの肩を、ロボット兵士が叩きます。
おぉ〜マシンは咄嗟に振り向きました。
正直なところ、もう終わりだ、と思いました。
今度は自分が壊れる番だ、と思いました。
でも、そうはなりませんでした。
ロボット兵士は、自分の銃をおぉ〜マシンに差し出していました。
おぉ〜マシンはロボット兵士をじっと見つめました。
二体の間に言葉はありません。
通信機能もありません。
それでも、そのロボット兵士の考えている事が、おぉ〜マシンにはよくわかりました。
おぉ〜マシンは静かに、差し出された銃を受け取ります。
そして、ロボット兵士に銃口を向け、一発。
一発だけ、銃弾を打ち込みました。
ロボット兵士は機能を失いました。
ガシャン、と音を立てて、仰向けに倒れました。
おぉ〜マシンはすぐにロボット兵士に背を向けて、また戦火の最中へ向かいます。
おぉ〜マシンが戦い続ける中、一体、また一体と、自ら銃を差し出すロボット兵士が現れました。
その度におぉ〜マシンは受け取った銃で、ロボット兵士に弾丸を一発だけ打ち込んでやるのです。
その度にロボット兵士は仰向けに、天を仰いで倒れます。
やがて、おぉ〜マシンの前には、長い、長い列が出来ました。
ロボット兵士が列を為しておぉ〜マシンに銃を捧げます。
それはまるで殉教者の列のようでした。
おぉ〜マシンはそのロボット兵士の全てに、一発ずつ、一発ずつ、弾丸を打ち込んでいきました。
冷たいけれど、優しい弾丸を、一発、一発、心を込めて打ち込みました。
やがて最後のロボット兵士に弾丸を打ち込んだ時。
戦場にはおぉ〜マシンだけが残りました。
おぉ〜マシンの機能も限界です。
ガシャン、と音を立てて倒れます。
うつ伏せに倒れます。
灰色の空の下に倒れます。
うつ伏せに倒れたおぉ〜マシンに、その空が映る事はもうありません。
お空を見れないのは残念だけど。
仰向けに倒れたみんなのお空に。
ほんの少しでも晴れ間が差して。
青いお空が見えたらいいのにな。
そんな事を思いながら、おぉ〜マシンの機能はついに停止したのです。
「……」
おぉ〜マシンの体に電気が走り、少しずつ認識機能が戻ります。
ノイズの混じった視界が、少しずつクリアになっていきます。
壊れなかったみたいだ。
おぉ〜マシンは自分の体を眺めます。
左腕のマシンガンは、もうなくなっていました。
機能を取り戻したおぉ〜マシンは、ゆっくりと辺りを見渡します。
どうやら戦場ではありません。
何処か部屋の中のようです。
おぉ〜マシンには、その部屋に見覚えがありました。
その部屋の、床に散乱した部品類、乱雑に置かれた書類に塗れた机に、見覚えがありました。
おぉ〜マシンはゆっくり立ち上がって、一歩、また一歩。
ゆっくりと歩きます。
ガシャ、ガシャ、と音を立てて歩くおぉ〜マシンに、部屋の主が気付きます。
「なんじゃ、やっと目が覚めたか。ロボットのくせに寝坊とは。本当にわしの造ったロボットはよう出来ておる」
部屋のすみっこの作業机に座ったおじいさんが、おぉ〜マシンの方を振り向いて、楽しそうに笑います。
博士です。
おぉ〜マシンの大好きな博士です。
おぉ〜マシンは博士に駆け寄りました。
「……!」
大好きな博士にもう一度会えた喜びに、おぉ〜マシンは「おぉ〜」と言いたいのに。
体はもう改造される前に戻っているのに。
大事な、大事な「おぉ〜」だけが出てきません。
おぉ〜マシンは身振り手振りで発声機能が取り除かれた事を伝えます。
もう一度「おぉ〜」と言いたいよ。
博士、直してください。
おぉ〜マシンは指先でコツコツと喉を叩いて博士に一生懸命伝えます。
「なんじゃ、おぉ〜、と言わんのか。それじゃあ、とっておきの発明を見せてやろうかの」
違うよ、博士。
おぉ〜っ、て言いたくても言えないんだよ。
ガチャガチャと音を立てるおぉ〜マシンをよそに、博士は部屋の真ん中にある井戸に歩を進めました。
「これはすごいぞ。おぉ〜マシンもきっと、おぉ〜、というはずぞな」
そう言って、博士は井戸の蓋を外します。
おぉ〜マシンが井戸を覗き込みましたが、中にはただ水が張っているばかり。
何が凄いのかわかりません。
おぉ〜マシンが不思議そうにしていると、博士は何やら機械を操作して、井戸の中の水に電気を通します。
ピカッと水が光り、あまりの光量におぉ〜マシンの視界は一瞬ホワイトアウトしました。
すぐにおぉ〜マシンの視界が正常に戻ると、井戸の中には綺麗なお花畑が映っていました。
そのお花畑は確かに綺麗ではありますが、おぉ〜マシンが「おぉ〜」と言う事はありません。
博士は映る景色を少しずつ移動させておぉ〜マシンに見せてくれましたが、映るものといったら変わり映えのしないお花畑ばかり。
確かに水面に映像が映るのは凄い事ですが、お花畑ばかりが映るだけでは、そんなに面白いものでもありません。
お花畑は実際に見てこそ綺麗なのですから。
変わり映えのしない景色に飽きてしまいそうになる頃、おぉ〜マシンはふと気付きました。
「……!」
おぉ〜マシンは水面を指差して博士に何かを伝えます。
博士は画面を動かすのを止めてくれました。
女の子の姿が水面に映ります。
間違いありません。
おぉ〜マシンにハンカチを巻いてくれた、あの女の子に違いありません。
女の子は元気にお花畑を走ったり、踊ったり、楽しそうに遊んでいます。
おかしいな。
あの子は足が悪かったはずなのに。
おぉ〜マシンが首を傾げます。
それでも、おぉ〜マシンが女の子から目を離せないでいると、水面の端っこに女の人が映ります。
松葉杖をついて、ゆっくり、ゆっくり。
木製の足を動かして、女の子に歩み寄りました。
女の子は、その女の人に駆け寄ると、ぎゅっとしがみついてから手を繋いで、一緒に、ゆっくり、ゆっくり歩きます。
二人はとっても、とってもそっくりでした。
おぉ〜マシンは博士の方を振り返ります。
博士はにっこり笑うと、水面に映った景色をズームアウトしてくれました。
広い、広いお花畑が映りました。
こんなに広いお花畑があるのか、と思うほど、広い、広いお花畑です。
そのお花畑で、たくさんの人が遊んだり、おしゃべりをしたり、お昼寝したり。
東の国の民族衣装の人がいます。
西の国の民族衣装の人もいます。
みんなが仲良くのんびりしていました。
よく見れば、たくさんのお花で隠れているけれど、お花畑の中のそこらじゅうにたくさんの機械が仰向けに寝っころがっています。
機械はみんな錆びてぼろぼろですが、おぉ〜マシンには、とても気持ちよさそうに見えました。
「平和じゃのう。おぉ〜マシン」
博士は嬉しそうに、おぉ〜マシンと一緒になって水面を覗きこみました。
「お前が作った景色ぞな」
そのお花畑は、昔、そこで戦争があった事なんて、信じられないくらいに平和でした。
この景色を自分が作った。
おぉ〜マシンの感情回路は、製造年月日以来、一番大きい幸せを記録します。
「おぉ〜っ!!!!!」
おぉ〜マシンは今までで一番大きな、大きな「おぉ〜」を出しました。
青い空の下で。
腕にハンカチを巻いたロボットも。
のんびり空を眺めていました。
おぉ~マシン 蟻喰淚雪 @haty1031
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