両手に花
脳幹 まこと
手を繋ぐ相手もいなくて
男は子供の頃から一人だった。
両親は共働き。内気な彼は手遊びばかりしていた。グーチョキパーで何かを作っていたり、戦わせたりしていた。
特に好んでいたのが一人ままごとであり、両手で「ぎょろ」というカタツムリ(左手でグーを作って殻にし、本体と見立てたチョキの右手の上に置く)を作っては、それと延々と遊んでいた。
場所を選ばず自分の世界に浸る彼を、周りはきちんと扱うことが出来なかった。馬鹿にされ、気味悪がられ、距離を置かれた彼は、ますます殻の中に入り込んでいったのだ。
高校二年の夏ごろから、彼には
姉の佑子は活発で男勝り。気後れする彼を度々後押ししていた。男とは趣味も合っていて、話もよく弾むのだった。
彼女に対する恩は数えきれないほどあるが、佑子は「こんなのお礼を言われるほどでもないわ。当たり前のことだから気にしないで」と返す。このフランクさには感謝してもしきれない、と彼は思っていた。
対して妹の佐智は奥手で不器用だった。滅多に主張してこない。男も同様の性質なので、佑子なしでは気まずい瞬間があった。
だが、彼女が誰よりも心優しく、良い子であることを男は知っていた。彼女に自分の姿を重ねることがあり、自然と穏やかな表情になる。(これも滅多にないが)彼女に頭を撫でられるのはくすぐったいが、とても嬉しい。
男が大人になっても手遊びをする癖は残っていた。タクシーにいても会社にいても、葬式でも会議でも、彼は自分の分身との交流を止めることができなかった。
すっかり社会は彼を白眼視しているが、彼の関心は人事評価や将来設計より、利き手とのスキンシップの方法だった。
そこから数年が経っても男の状況は大きくは変わらなかった。
強いて挙げるなら、奥手だった佐智が活発になろうと頑張っている点くらいだった。
例えば、佑子がやっていた荷物持ちや電子機器の操作を「私だって、これくらい、できます」と代わろうとする。
とはいえ明らかに疲れている。無理をさせるのも可哀想だと思ったので、途中で佑子にバトンタッチさせた。
「もう仕方ない子ね。こんな仕事は私に任せておけばいいのよ」
疲れか恥ずかしさか、
例えば、佑子がいない時でも、どもりつつも男に話しかけるようになった。
「新鮮な気持ちだなあ」という彼の感想を、紅潮した様子でじっと聞いていた。
ある日の深夜。
男の頬に佐智が勢いよく触れた。
「あの、あの……」とどぎまぎする彼女を、彼は困惑した様子で見ていた。
利き手がぴくりと動いて、握り拳を作った。
佐智のアプローチはそこまでだった。気まずそうに離れて「お、おやすみなさい……」と消え入りそうな声で呟いた。
その日以降、佐智は元の様子に戻ったようだった。
佑子は事情を知ってか知らずか「あんまり気にしちゃダメよ」と気遣った。
力強くて、器用で、明るい子。佑子はいつでも適切に振舞うことが出来た。
男は何度だって思ってきた。「自分に佑子は勿体ない」と。でもこうして隣にいられることが幸運でそして嬉しかった。
雑踏の音と幸福感に隠れて、男はもう片側からの声に気付かなかった。
「こんなに、似てるのに……どうして、お姉ちゃん、ばっかり」
それから数か月して――
自室で、男は佑子を
言葉にするなら、彼の心を世間が
一生をそのまま生きていくにしても、
彼は自分と世界で感性がずれていることを理解しているが、それは自分が世界と同じ欲望を抱くこととは別の問題だった。
まあひょっとしたら、最近始まった不眠によるイライラを、頼りがいのある彼女にぶつけているだけかもしれない。
とにかく彼は自分が長らく
舐めて、噛んで、嗅いだのだ。佑子は
お互いにうっとりとした表情を浮かべている。
男と佑子はそのまま、眠ってしまった。
目覚めた時、男は自分が全裸で直立になっていることに気付いた。
「わ、私を見ないのが、いけない、んだ……」
左手には――包丁が握られている。
「ぶ、不器用な私でも、ほ、包丁くらいなら……」
佐智は震えるような声で、発していた。
「やめなさい! どうしちゃったのよ、アンタ!?」
普段は冷静な佑子も、流石にこの状況では
佐智はとぎれとぎれに本音を打ち明けていった。
いつも姉ばかり
でも、そんなのは、関係ない。目の前で自分以外が想い人と
だから――
佑子は懸命に佐智から包丁を放そうとした。
しかし、彼女は振り切って、彼はそれを受け入れた。
「どうして?」
「サッちゃんは――ボクによく似ているから。仲間外れにされて、寂しい気持ちはよく分かるから」
包丁は彼の腹部に深く突き刺さった。
「ふたりともごめんよ」
必死に佑子が男をさする。
佐智はしばらく呆然としていたが、自分の罪に気付いてからは、延々と謝罪の言葉を投げかけていた。
彼女らが少しずつ消えていく。
男は自分の持てるすべての力で、顔を彼女たちに近づけた。
「ふたりのおかげで……とっても……たのしかった」
・
後日。
ある不可解な事件の調査のため、警察が部屋に来ていた。
以降は、その際に判明した情報である。
被害者は会社員の男性。既に死亡が確認。
男性は全裸。腹部に包丁が深々と刺してあり、これが直接の死因と見られている。
発見当初は顔を両手で覆っており、手遊び「いないいないばあ」の途中であるかのようだった。
自殺や事故にしては異常な状況である。
刀傷による自殺ではほぼ出現する、
また、周囲の聞き込みから、男性には少々内向的な面があるものの、精神的なストレスをはじめ、何らかの自殺に繋がる要素は見られなかった。
上記の要素から、猟奇的な人物による他殺の可能性が上がってきた。
それを裏付けるのが、男性の所有するデスクの中にあったノートである。
表紙にある名前から「佐智」という人物が
なお、「佐智」という名前を持つ人物は、クラスメートなどの過去の関係を含め、男性の周辺には見られなかった。
各ページの右上には日付時刻が書かれており、その日付を信用する限り、事件の一カ月前から毎日、午前二時に記載されている。
ノートにはあるフレーズがびっしりと、繰り返し書かれていた。
「彼の右腕になりたい」
両手に花 脳幹 まこと @ReviveSoul
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