第3話

 ――そして現在に至るのだが。


 フィリーネの身体は長時間雨に当たっているせいで体温が奪われ、ガタガタと震えていた。その上、歯もカチカチと音を立てている。

 しかしそれでも、フィリーネは歯を食いしばってこの場を耐え忍んでいた。


(きっとカレンがこの事態をお父様に報告して、助けを要請してくれているはず)

 学園にはフィリーネ付きの侍女・カレンが公爵家から一緒について来てくれている。

 カレンは歳が近く、幼い頃から一緒にいるので信頼できる人物だ。彼女なら舞踏会から一向に戻ってこないフィリーネを不審に思い、公爵に報告してくれるだろう。


(お父様が動いてくだされば陛下たちにも話が伝わるはずだし、すぐに助けが来てくれるわ)

 現状、フィリーネがマツの木に縄で括りつけられてから一日が経とうとしている。移動に使った三日を合わせても四日だ。


 早馬を使えば二日足らずでここまで来られる。そろそろ助けが来てもおかしくはない頃合いだ。

(お願い早く来て)

 助けが来るのをひたすら祈るフィリーネ。マツの木の幹に縄で括りつけられている以上、自力では動けない。

 しかしどれだけの時間が過ぎても、助けが来る気配はなかった。


 有事の際に迅速な行動を取るため、日頃から公爵家の騎士や近衛騎士は訓練をしている。これくらいの悪天候はなんともないはずだ。

 だからフィリーネには助けが遅い気がしてならなかった。

(あと数時間後経っても助けが来なかったら、身体が冷え切って死んでしまうかもしれない)

 焦燥感と不安感に襲われていると、遠くの方からパシャリという水たまりの水がが撥ねる音と、馬の駆ける足音が聞こえてくる。


 反射的に顔を向けたら、見慣れた外套を纏った騎士がこちらに向かってきている。

(外套の刺繍からしてうちの騎士で間違いないわ。嗚呼、お父様が助けを寄越してくださったのね!)

 愁眉を開くフィリーネは、大きく息を吐く。

 あの騎士が馬から下りて速やかに縄の拘束を解いて自分を助けてくれる。

 フィリーネはそう信じて止まなかった。

 次の言葉を聞くまでは……。



「フィリーネ・アバロンド公爵令嬢、私は公爵があなたを勘当したと伝えに参りました。公爵家に仕えている身として、私にはあなたを助ける義理はありません」

「な、なんですって……!」 

 フィリーネの表情からは血の気が引く。それと同時に平静を失った。

(お父様は、私を切り捨てる気なの? 実の子なのに?)

 だが、相手は厳格なアバロンド公爵だ。フィリーネを切り捨てる可能性は充分にある。


(そうね、お父様ならやりかねないわね。だって、私はお父様の理想像に到底辿り着けていないから)

 アバロンド公爵は、いつも自分が思い描く妃像をフィリーネに押しつけていた。

 それは王族としての務めを完璧に全うし、人々に対して公明正大であること。王太子の良き理解者であり、時に諫言も行う支持者であることなどが挙げられる。

 求められている理想像に近づくためにフィリーネは必死に励んだものの、最後の部分だけは自分にはどうすることもできず、クリアできなかった。

(殿下とは手と手を取り合って互いに協力するどころか、背を向けられてしまっていたから。私の努力が足りないと言われてしまったらそれまでだけど……でも……)

 これまで必死にやってきたことは何だったのだろうか。ただ無駄骨を折っただけだ。


 言いようのない悲しみと虚しさが胸の奥から込み上げてきて、涙が幾筋もの滂沱として流れる。

 涙で騎士の顔がよく見えない。彼は感情を消したように淡々とした声音で「これで報告は終わりましたので」と言って馬に乗り、踵を返す。

「いや……置いて、いか……ないで」

 先ほどよりも雨風に体温を奪われているフィリーネは掠れた声で騎士に訴える。

 やむ気配のない豪雨と狂風にその声はかき消され、とうとう騎士に声が届くことはなかった。


 雨風はさらに激しさを増し、括りつけられているマツの木がギチギチと悲鳴を上げながら激しく揺れる。その度に、身体に巻きついている縄が肌に食い込んで痛かった。

 きっと婚礼衣装の下は縄の跡がくっきりと入っているはずだ。

 痛みに表情を歪めていたら、突然空に閃光が走って雷鳴が轟き始めた。

(嗚呼、このままじゃ雷がマツの木に落ちて、丸焼けになってしまうわ)


 括りつけられているマツの木は、崖の上に一本だけ立っていて周りに何もない。

 なんとかしてこの状況を脱しなければ雷が木に落ち、側撃を受けて死んでしまうかもしれない。

(だけど、私にはもう……気力も体力も、残ってない)



 震えが悪化して浅い呼吸を繰り返していくうちに、意識が朦朧とし始める。

 フィリーネの頭上にある曇天には、再び閃光が走った。

 次の瞬間、ドオォンという雷鳴が響く。どうやら雷がどこかに落ちたらしい。

 次に雷が落ちるのは、自分が括りつけられているマツの木かもしれない。そんな確信めいた何かがフィリーネのぼんやりとした頭の中に広がっていく。


(私は、ここで死ぬのかしら)

 心の中で呟いた途端、雷鳴ではないバキリという激しい音が背後から聞こえた。ゆっくりと頭を動かせば、それまでしなっていた幹が根元近くで折れかかっている。

 どうやら風とフィリーネの体重を受けて幹が限界に達してしまったらしい。

 重力に従ってマツの木が倒れていく。

 括り付けられているフィリーネの身体も当然下に傾く。やがて、根元と繋がっていた最後の幹はバキバキと不気味な音を立てて完全に折れ、崖下へと落ちてしまった。

 フィリーネの瞳には、風によって激しく波打つ大湖が映る。


(嗚呼、本当にこれで終わってしまうのね。……次に生まれ変わるなら、もっと幸せになりたい)


 ――願わくは、政略結婚などではなく運命の相手と幸せな日々を過ごせますように。


 縄で両手が縛られて泳げないフィリーネはゆっくりと瞼を閉じると、そのまま大湖へと落ちていった。


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迷信でマツの木と結婚させられたカタブツ令嬢、何故か暗黒竜の嫁になる 小蔦あおい @aoi_kzt

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