第2話
何を言っても無駄だと困却していたら、アーネストはフィリーネが自分の非を認めたと勝手に解釈したらしい。途端に勝ち誇ったような声を出す。
「ふはははは。やっと自分の非を認めたか。何も言えないようだな」
フィリーネはふるふると首を横に振ってアーネストの言葉を否定した。
「いいえ殿下、わたくしは何も悪いことをしていませんわ。それに、まずは双方の話を聞いてから判断するのが妥当ではございませんか? ミリエラ様の話だけを信じるのは見解に偏りが生じます」
言っても無駄とは分かっていても、考え直して欲しい一身で諫めてみる。
しかしその言葉は、アーネストの逆鱗に触れてしまったらしい。
たちまち彼の額に青筋が浮き出る。
「年上の俺に口答えするとは偉くなったものだな。自分のことは棚に上げ、こちらを批判するなど傲慢にもほどがある。その性格の悪さではいくら公爵家の令嬢とはいえ、誰もおまえと結婚したいだなんて思わないだろう。心の底から同情してやる!」
最後に憐れみの言葉を吐き捨てられ、フィリーネはもうどにもできないと閉口した。
すると、今まで静かにしていたミリエラが言葉を発する。
「殿下ぁ、すべてはフィリーネ様の機嫌を損ねたミリィが悪いんです。それと、誰とも結婚できないだなんて言っちゃダメですよ。フィリーネ様が可哀想じゃないですかぁ」
「嗚呼、ミリエラ。虐められたというのにおまえはどこまでも優しいんだな!」
アーネストに褒められたミリエラはほんのりと顔を赤らめ、頬に手を当てる。それからフィリーネの方をちらりと見やった。
「ねえ殿下ぁ、ミリィに良い考えがあります。昔、大湖に旅行に行った時に聞いた話なんですけど……」
大湖――それは王都から馬を三日ほど走らせたところにある、ガルシア領のテネブラエ湖のことだ。
国内最大級の湖で、尚かつ緑が美しい丘と谷に囲まれた自然豊かな場所だ。人気の景勝地ではあるが国の特別警戒区域にも指定されている。
ミリエラの話を聞いたアーネストは目を見開いた。
「まさか、フィリーネを大湖の暗黒竜の嫁にでもする気か?」
アーネストの口から出た言葉に周りはどよめいて、何人かが表情を強ばらせる。
テネブラエ湖が国の特別警戒区域に指定されているのは、湖底に暗黒竜が眠っているからだ。オルクール王国が建国された七百年前のガルシア領一帯は、暗黒竜が幅を利かせて暴れ回っていた。
当時の国王がどれだけ兵を率いても討つことはできなかった。しかしそこへ現れたのが人間に味方をする竜王だった。竜王は宝玉を使って暗黒竜を眠らせると、湖底に沈めた。
したがって、暗黒竜は湖底で深い眠りに就いているだけで死んではいない。それが古くからの言い伝えで、多くの王国民の見解だった。
そして、アーネストが言った暗黒竜の嫁とは、つまるところの生け贄だ。
まさかミリエラに生け贄を提案されると思ってもいなかったので、フィリーネは論理的に反論する。
「生け贄なんて冗談じゃありませんわ。そもそも、三百年前に大湖の生け贄の儀は廃止され、現在は禁止されております。クリム法典にも生け贄の儀を執り行った者は刑罰に処すと書かれておりましてよ」
すると慌てた様子でミリエラが両手を左右に振り、弁解する。
「ち、違います! 私が聞いたお話は、大湖の近くにどんな相手でも嫁にもらってくれる素晴らしい方がいらっしゃるという内容です。だからその方にフィリーネ様をもらっていただくというのはどうかと思ったんですぅ」
ミリエラの内容に耳を傾けていたアーネストは顎に手を当てた。
「ほう。そんなもの好きがいるのなら、是非教えてもらいたいものだ。今すぐフィリーネをその者のところへ送ろうじゃないか! 一体誰なんだ?」
乗り気になったアーネストを見て、ミリエラは一層笑みを深くする。
「その相手は、大湖近くの崖に自生しているアカマツです!」
「は?」
思わず素っ頓狂な声を上げたのはアーネストだ。
フィリーネの方も思考が停止し、理解するまでに数秒かかった。
(アカマツって木の名前だと思うんだけど……まさか、マツ木と結婚しろって言うの!?)
あまりにも衝撃的な意見に、フィリーネは開いた口が塞がらない。
ミリエラはうふふ、と無邪気に笑いながら話を続けた。
「そのマツの木には古くから精霊が宿っているらしく、行き遅れの娘がいたら精霊が嫁としてもらってくれるのだと宿屋の店主が教えてくれました。ね、フィリーネ様にぴったりのお相手でしょ?」
恐らくそれはただの迷信で、なかなか結婚しない娘に痺れを切らした親や親族たちが「結婚しないならマツの木の精霊と結婚させるぞ」と脅し文句に使うのだろう。
にもかかわらず、ミリエラはその話を本気で信じている。
いよいよ目眩を覚えたフィリーネはこめかみに手を当てて、ため息を吐いた。
「ミリエラさんは何を言い出しますの? マツの木と結婚だなんて悪い冗談にも程があります。そもそも、人間以外と結婚だなんて法律的に無理な話ですわ!」
ミリエラを眺めていたフィリーネは、続いてアーネストの方へと顔を向ける。
「殿下、まずは国王陛下に私の処遇をどうするか伺ってくださいませ」
この婚約は政略結婚なので、当事者同士が勝手に婚約を解消するなど許されない。解消したいのであれば各家長の許可が必要になる。
冷静な声音で訴えたら、アーネストがニタリと笑った。
「父上は日頃から俺に学園内の問題は自分で処理せよと仰っている。そしてこれは学園内で起きた問題だ。だから婚約破棄もおまえの処分も俺一人で決められる。おまえは俺が婚約破棄しないと高を括っていたようだがな」
フィリーネは心の中で違うと叫んだ。
(陛下は学園内で殿下が起こした問題を自分で解決しろと仰っただけ。誰かの諍いを解決しろなんて仰っていないわ)
思考は恐ろしいほど冷静なのに、呆気にとられて肝心の言葉が口から出てこない。
黙っていたらアーネストが毅然とした態度でこちらに臨む。
「ミリエラを散々虐めたんだ。今さら悔いてももう遅い。精々、新しい夫と仲良くするんだな」
「……せいぜい、精霊に幸せにしてもらえ」
そう言葉を吐き捨てたアーネストは、会場の隅で控えていた彼付きの護衛騎士や侍女たちに顎で指示を送り、ミリエラを伴ってフィリーネの側を横切っていく。
「お、お待ちになって!」
やっと言葉を発したフィリーネだったが、振り返ってアーネストたちを追いかけるよりも先に護衛騎士に羽交い締めにされてしまった。
こうして護衛騎士に連行されたフィリーネは、別室で侍女に無理矢理純白のドレスを着せられた挙げ句、マツの木の元へと送られた。
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