迷信でマツの木と結婚させられたカタブツ令嬢、何故か暗黒竜の嫁になる
小蔦あおい
第1章 マツの木と結婚させられます
第1話
嵐吹き上げる森の中、公爵令嬢であるフィリーネ・アバロンドはオーガンジーが幾重にも重なった純白のドレスに身を包み、アカマツの木に縄で括りつけられていた。
暴風雨によって全身はびしょ濡れ。
さらにオーバル型の銀縁眼鏡にはたくさん雨粒がついていて、視界を遮っている。
頭につけていたショートベールは、気づけばどこかへ飛んでいってしまっているし、結い上げていた髪は解けてしまい、今はミルクティー色の髪が風によって暴れている。
(嗚呼、どうしてこんなことになってしまったの。……というより、今どきマツの木の精霊と結婚なんて迷信を誰が信じるの!)
こんな馬鹿げた行いをフィリーネに強制させたのは、元婚約者でありオルクール王国の王太子・アーネストだ。彼とは六歳の時に婚約が成立した。所謂、政略結婚だった。
婚約が成立した次の日から、フィリーネは王太子妃に相応しい振る舞いをするよう教育を受けた。
朝早くから夜遅くまで礼儀作法に始まり、王家にまつわる系図や国の歴史、外交問題など、さまざまな知識を家庭教師からたたき込まれたのだ。また、王妃の指導のもとで研鑽を重ね、十四歳となった三年前からは王室の一員として公務も任されるようになった。
あと一年が経てばフィリーネは成人する。成人したらアーネストのもとに嫁ぎ、王太子妃として王族の一員として、責務を果たさなくてはならない。
その来るべき日のためにフィリーネは、着々と教養を身につけていった。
ところが、その努力が水の泡となったのはつい三日前の話。
「アバロンド公爵家のフィリーネ、おまえは可愛いミリエラに難癖をつけて散々罵り、ひどく虐めていたらしいな。もともと頭が固いとは思っていたが、ここまで融通の利かない狭量な人間だとは思わなかった。おまえの様なカタブツは未来の王太子妃に相応しくない。この場をもって、婚約は破棄させてもらう!」
オルクール王国の貴族や富豪の子供が入学する名門、フロエンス学園の舞踏会にて。
フィリーネはアーネストから一方的に婚約破棄を告げられた。
アーネストはフィリーネの一つ年上で、現在十八歳。
さらさらとした金髪に大海を思わせる青色の瞳をしていて、すっと通った鼻梁に形のいい唇は均整が取れており、おとぎ話でいうところの「白馬に乗った王子様」のような完璧な容姿をしている。
アーネストはその完璧な顔を歪めてフィリーネを睥睨していた。
フィリーネはアーネストの前まで進み出ると、静かに問う。
「殿下、それは本気でしょうか?」
「ああ、本気だ。そして俺は、ミリエラと結婚すると決めた!」
アーネストがフィリーネから視線を移した先には、可憐な少女――ミリエラ・イザート男爵令嬢が腕にそっと寄り添っていた。
(まさか、初めての舞踏会でこんな目に遭うなんて)
フィリーネは整った眉を下げる。
フロエンス学園では未来の王国を担う彼らの親交を深めようと、数ヶ月に一度舞踏会が開かれる。しかし、入学してから一度も、フィリーネはそれに参加したことがなかった。
理由は、もうすぐ開かれる王妃様主催の王室展覧会の補佐を入学当初からしているからだ。毎日授業が終わった後は学園と王宮を往復していた。
王宮での打ち合わせが終わり、帰ってきたら議事録を作成し、その後で任されている公務の書類に目を通し、授業の課題をこなす。就寝するのはいつも深夜を回ってからだった。
入学初日から友人を作る暇はなく、休み時間は立派な王太子妃となるために分厚い本を読んだり、公務の準備に追われたりして机にかじりついていた。その上、生徒たちの模範になるよう学園長から頼まれていたので、規律正しい生活も心がけた。
周りはそんなフィリーネの生真面目な姿を見て、いつしか『カタブツ令嬢』と陰で呼ぶようになった。そして、教室に根が生えたカタブツ令嬢は舞踏会には絶対来ない――というのが全生徒の認識だった。
しかし、今回のフィリーネは違っていた。
何故なら、アーネストから必ず舞踏会へ出席するよう念押しされたからだ。
本当は舞踏会にあてる時間の余裕はなかったが、アーネストにしつこく頼み事をされるのも珍しかったので同意した。その結果、このような事態に陥っている。
(殿下に婚約破棄されるなんて想像もしていなかった。しかもその理由がミリエラ様を虐めただなんて、完全に濡れ衣よ。ミリエラ様とは学年が一緒でもクラスは違うし、数回廊下をすれ違っただけ)
突然の婚約破棄と降って湧いた虐め話に、フィリーネは当惑した。だが、すぐにある答えに辿り着き、納得したように目を細める。
「殿下、わたくしはミリエラ様を虐めた覚えはございません。ミリエラ様が寮の門限を平気で破ったり、進入禁止の看板を無視して道を歩いたりしていたので、監督生として注意しただけですわ」
フィリーネはフロエンス学園の二年生だが、優秀であるため三年生が請け負うはずの監督生に選ばれている。監督生は学園の規律を守るために素行の悪い生徒を注意し、指導しなければいけない。
フィリーネがミリエラに行った内容には正当性がある。しかし、いくらこちらが正しくともアーネストには通用しなかった。
彼はフィリーネの反論に
「おまえは口答えが上手いだけでどこまでも愛嬌がない。監督生という権力を笠に着てミリエラを虐めていただけだろうが!」
アーネストはフィリーネから守るようにしてミリエラを抱き締める。
その様子を見てフィリーネは、内心で溜息を吐いた。
(ミリエラさんは如何にも殿下が好きそうな容姿をしている。殿下が彼女の言うことをなんでも信じてしまうのは、想像に難くないわ)
ミリエラは、くるんと上を向いたまつ毛に縁取られた橙色の大きな瞳をしていて、肌は白く全体的に可愛らしい顔立ちをしている。手入れが行き届いた長い髪は白金色で、綺麗に結い上げられている。彼女の性格を知らないが、雰囲気からして天真爛漫そうに見える。
一方のフィリーネは、さらさらとしたミルクティー色の髪に浅緑色の瞳をしている。銀縁の眼鏡を掛けているのでどちらかと言えば地味で堅苦しい出で立ちだ。性格も見た目通りに生真面目でアーネストが言うところの愛嬌がない。
しかし、容姿がどうだとか愛嬌がどうだとかフィリーネには関係がなかった。
だってこれは親同士が決めた政略結婚だから。そこに当事者の恋愛感情は必要ない。
(とはいえ、殿下にもう少し寛容さがあれば良かったのだけど……難しそうね)
フィリーネは苦笑いしそうになった唇を引き結ぶと目を伏せた。
本来諍いが起こった時は、双方の意見を訊くのが筋である。しかし、それが行われないのはアーネストの性格が起因している。
(殿下は思い込みが激しいきらいがあるから。私がどれだけ無実を主張しても、聞く耳を持ってくれないでしょうね)
こういう時に
だが、どれほど賢明な判断をするよう諭しても、アーネストにとって一つ年下であるフィリーネの言葉は煩わしいだけだった。
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