迷信でマツの木と結婚させられた悲運令嬢、何故か竜王様の嫁になる
小蔦あおい
第1章 マツの木と結婚させられます
第1話
嵐吹き上げる森の中、侯爵令嬢であるフィリーネ・アバロンドはオーガンジーが幾重にも重なった純白のドレスに身を包み、アカマツの木に縄で括りつけられていた。
暴風雨によって全身はびしょ濡れ。
さらにオーバル形の銀縁眼鏡にはたくさん雨粒がついていて、視界を遮っている。
頭につけていたショートベールは、気づけばどこかへ飛んでいってしまっているし、結い上げていた白銀色の髪は解けてしまい、風によって好き勝手に暴れている。
(嗚呼、どうしてこんなことになってしまったの。……というより、今どきマツの木の精霊と結婚なんて迷信を誰が信じるの)
こんな馬鹿げた行いをフィリーネに強制させたのは、元婚約者でありオルクール王国の王太子・アーネストだ。彼とは六歳の時に婚約が成立した。所謂、政略結婚だった。
婚約が成立した次の日から、フィリーネは王太子妃に相応しい振る舞いをするよう、教育を受けることとなった。
朝早くから夜遅くまで礼儀作法に始まり、王家にまつわる系図や国の歴史、外交問題など、さまざまな知識を王室専属の教師からたたき込まれた。また、王妃指導のもとで
あと一年経てばフィリーネは成人してアーネストのもとに嫁ぐ。
王太子妃として、王族の一員として、必ず責務を果たす。来るべき日のためにフィリーネは、教養を身につけて着々と準備を進めていた。
ところが、その努力が水の泡となったのはつい三日前の話。
「アバロンド侯爵家のフィリーネ、おまえは可愛いミリエラに難癖をつけて散々罵り、ひどく虐めていたらしいな。ここまで狭量な人間だとは思わなかった。おまえの様な人間は王太子妃に相応しくない。この場をもって、婚約を破棄させてもらう!」
オルクール王国の貴族や富豪の子供が入学する名門、フロエンス学園の舞踏会にて。
フィリーネはアーネストから一方的に婚約破棄を告げられた。
アーネストはフィリーネの一つ年上で、現在十八歳。さらさらとした金髪に大海を思わせる青色の瞳をしていて、すっと通った鼻梁に形のいい唇は均整が取れており、おとぎ話でいうところの『白馬に乗った王子様』のような完璧な容姿をしている。
アーネストはその完璧な顔を歪めてフィリーネを睥睨していた。
フィリーネは参加者の輪から進み出ると、困惑した表情を浮かべて問う。
「殿下、それは本気でしょうか?」
「ああ本気だ。そして俺は、ミリエラと結婚すると決めた!」
アーネストがフィリーネから視線を移した先には、可憐な少女――ミリエラ・イザート男爵令嬢が腕にそっと寄り添っている。
(まさか、初めて参加した舞踏会でこんな目に遭うなんて……)
心の中で嘆くフィリーネは整った眉を下げた。
フロエンス学園では未来の王国を担う彼らの親交を深めようと、数ヶ月に一度舞踏会が開かれる。しかし、入学してから一度もフィリーネはそれに参加したことがなかった。
その理由は、毎年開かれる王妃主催の王室展覧会に補佐役として関わっていたからだ。毎日授業が終わった後は学園と王宮を往復していた。
王宮での打ち合わせが終って帰ってきたら議事録を作成し、その後で任されている公務の書類に目を通し、授業の課題をこなす。就寝するのはいつも深夜を回ってからだった。
日中も授業以外の休み時間は王太子妃となるための分厚い本を読んだり、公務の準備に追われたりして机にかじりついていた。その上、生徒たちの模範になるよう学園長から頼まれていたので、規律正しい生活も心掛けていた。
周りは教室に根が生えたフィリーネを見て、舞踏会のような楽しい催しには絶対に参加しないと認識していた。しかし、今回のフィリーネは違っていた。
というのも、アーネストから必ず舞踏会へ出席するよう念押しされたからだ。
正直に言えば、アーネストから押しつけられた仕事が複数あり、舞踏会に裂く時間などなかった。けれどもしつこく頼まれたのでフィリーネ断り切れずに参加した。
そしてこのような事態に陥っている。
(殿下に婚約破棄されるなんて想像もしていなかった。しかもその理由がミリエラ様を虐めただなんて。こんなの完全に濡れ衣よ。だって、ミリエラ様とは学年が同じでもクラスは違うし、数回廊下をすれ違っただけなんだから)
突然の婚約破棄と降って湧いた虐め話に、フィリーネは当惑した。だが、すぐにある答えに辿り着き、納得したように目を細める。
「殿下、私はミリエラ様を虐めた覚えはありません。ミリエラ様が寮の門限を平気で破ったり、進入禁止の看板を無視して道を歩いたりしていたので、注意しただけです。監督生として」
フィリーネはフロエンス学園の二年生だが、優秀であるため三年生が請け負うはずの監督生に選ばれている。監督生は学園の規律を守るために素行の悪い生徒へ注意をし、指導しなければいけない。
フィリーネがミリエラに行った内容には正当性がある。
だが、いくらこちらが正しくともアーネストには通用しなかった。
彼はフィリーネの反論に
「おまえは昔から言い訳ばかり口にして愛嬌がない。監督生という権力を笠に着てミリエラを虐めていただけだろうが!」
アーネストはカッと目を見開いて怒鳴った。それからフィリーネから守るようにしてミリエラを抱き締める。
その様子を見てフィリーネは、肩を窄めて唇を引き結んだ。やはり自分の言葉には耳を傾けてくれないと痛感したからだ。
(どうしてか分からないけど、殿下はいつも私の話を聞いてくださらない。だけど他の人の話には傾聴する。……ミリエラ様に味方してしまうのも、想像に難くないわ)
昔はそうでもなかったが、成長するにつれてアーネストはフィリーネの話しに耳を傾けなくなった。今では何か意見を口にしようものなら全否定される始末だ。
そしてミリエラに肩を持つのは、彼女の容姿にも要因があるかもしれない。
ミリエラは、くるんと上を向いたまつ毛に縁取られた橙色の大きな瞳をしていて、肌は白く全体的に可愛らしい顔立ちだ。手入れが行き届いた長い髪は亜麻色で、ハーフアップにしている。彼女の性格を詳しくは知らないが、雰囲気からして天真爛漫そうに見える。
なるほど。自分とはかけ離れた存在だとフィリーネは心の中で感想を述べる。
フィリーネは浅緑色の瞳をしていて、オーバル形の銀縁の眼鏡を掛けている。さらさらとした白銀色の髪はポニーテールにしていて、深緑色のリボンをつけている。どう見ても地味な出で立ちだ。
そしてアーネストが言うところの愛嬌がない。
自分では愛嬌はない訳ではないと思っているが、アーネストが言うのだからそうなのだろう。しかし、容姿がどうだとか愛嬌がどうだとかそんなものは関係ないと思っていた。
もともと、アーネストとの結婚は親同士が決めた政略結婚。
王太子妃は国の繁栄と平和を願い、尽力するのが使命である。そこに当事者間の恋愛感情は一切必要ない。
(恋愛感情は必要ないけど、殿下とは信頼関係が築けたら良かったのに)
フィリーネは苦笑いしそうになった唇を噛みしめて目を伏せた。
本来
(殿下は自分のお気に入りの話は素直に聞くけど、気に入らない人の話はとことん拒絶するきらいがある。私は殿下の中で後者だから、どれだけ無実を主張しても、聞く耳を持ってくれない……)
仲良くなる努力をしなかったわけではない。これまで幾度となく、アーネストが好きなものを吸収して歩み寄ろうと頑張ってきた。しかしその度にアーネストには無視されて終わってしまった。
恐らく、今回もフィリーネの話は一切聞いてもらえないだろう。
フィリーネが困却して黙り込んでいたら、アーネストはフィリーネが自分の非を認めたと解釈したらしい。
途端に勝ち誇ったような声を出す。
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