エピローグ
「お忙しい中、わざわざお越しいただきありがとうございます」
竹取翁旅館の玄関で出迎えてくれた、春色の着物姿の姫子は若女将としての貫禄を兼ね備えていた。
「こちらこそお招きいただきありがとうございます。なんだか、もったいない気もしますね、せっかくこれだけ立派な旅館なのに」
礼を言った雪上は、九曜と二人して、旅館を見上げた。
先日の事件があって、旅館を閉じることにしたと連絡をもらっていた。そして、今日が最後の営業日だというので、大学の春休み期間で、九曜と予定を合わせ訪れた。
「盛道さんはあの後、どうなりました?」
九曜の言葉に姫子は悲し気な笑顔を見せる。
「自ら、警察に参りました。しかし、捜査が進む途中、残念ながら体力が持たず、命を落としてしまって」
「……久恵さんは?」
九曜の言葉に雪上もそう言えばと思う。久恵の性格であれば、体がつらかろうが、誰に何を言われようとも、最前線に立っていそうなものだったが、
「祖母は祖父の事で、非常に落ち込んでしまって……体を壊して病院に」
「すみません」
雪上は反射的にそう言って、身を縮こませる。
「いえ、いつかはこうなるのだろうと思っていましたから――今日はその祖父が必死で守ってきたこの旅館の最終日です。ぜひ楽しんでいってください」
姫子はゆっくりとお辞儀をすると、次の客の方に向き直っていた。
雪上は、前に来た事があるはずなのに、以前来た時とは全く別の旅館に来たかのような、そんな気持ちになった。
「九曜さん?」
いつもなら、一人で突っ走って行くはずの九曜が、やけに無口で、心なしか元気がないように見える。
「どうしたんです?」
雪上は思わずそう聞いてみたのだがからの返答はない。
ただ、別のお客様に挨拶をしている姫子の方をずっとみていた。
「かぐや姫の正体を知っているか?」
「かぐや姫の正体ですか?」
いきなり突拍子もない質問を浴びせられた雪上はぽかんとした表情を浮かべる。
「かぐや姫は月の住人だと言う話」
「ああ、はい」
竹取物語のラストは、かぐや姫が月に帰るシーンで締めくくられている。
「まさか、姫子さんが月の住人であるとそう言うのですか?」
冗談交じりに、笑いを交えて、雪上はそう聞き返すのだが、九曜は大真面目な表情なので、ついに雪上も笑っていられなくなる。
「月の住人は言い過ぎだが」
「ですよね」
妙な緊張感で手を握っていたのだが、力を緩め、雪上はほっと息を吐く。
「ただ、竹取物語でかぐや姫はおじいさんとおばあさんの血族ではなかったことは確かだ。だって、竹から生まれたのだし。その意味では、姫子さんにも同じことが言える」
姫子のご両親は子供に恵まれず、姫子を引き取ったのだと盛道が話したことを思い出す。
「確かにそうですね」
「じゃあ、姫子さんのご両親が本当は誰なのか気にならないか?」
「え? ……うん、と、えっと……」
どう答えるべきか雪上は口ごもる。
気にならないと言えば、嘘になる。何よりあの一連の事件を発端は姫子の存在でもあるのだから。そしてあの姫子の見た目と雰囲気から、それ以上のなにか謎めいたものを感じていたのも事実だったが、しかし、個人的なセンシティブ部分でもあるし、プライバシーもある。そんな部分に他人が踏み込んでもいいものかためらわれた。
「ちょっと部屋に荷物を置いたら、付き合ってほしいところがあるんだ」
「あ、はい」
拒否権はないらしい。
さっさと、チェックインを済ませ、部屋に向かう九曜の後ろ姿に遅れを取らぬよう、雪上は小走りについていく。
◇
「ここって、白鹿寺……ですよね?」
荘厳な山門を見上げる。
「そうだな。あまり興味がないことだったのなら、雪上くんには悪いが……」
九曜は山門に続く石段を軽快なステップで駆け上がる。
「そんなことはないです」
なぜ白鹿寺に。
その疑問は飲み込んで、雪上は続いて、石段を駆け上がる。
本堂の前を素通りして、隣にある事務所に向かった。
「こんにちは」
九曜は閉まった扉の向こうに向かい大きな声で、呼びかける。
少し待つとがらがらと扉が開いた。
「あら、こんにちは」
朗らかな笑みを浮かべ立っていたのは、久恵とそう変わらないくらいの年齢の尼僧だった。肌がつやつやと白いのが印象的だ。
お寺の雰囲気からして、もっと厳めしい雰囲気の住職が出てくるのではないかと思っていたので、尼僧の持つ柔らかな空気感に雪上は少々拍子抜けしてしまう。
「こんにちは。事前に連絡していました、九曜です」
「S大の学生さんね? どうぞお入りになって。それとも先に境内を案内した方がいいかしら?」
「ぜひ、お手数でなければ先に境内を見せていただいてもよろしいでしょうか?」
九曜はきらきらとした眼差しを尼僧に向ける。
「もちろん。では参りましょう」
前に来た時は寒いさかりだったので、淋し気な雰囲気を感じたが、季節が進み緑が芽吹くと、印象が異なるのだと感じる。
本堂の手前にある桜の木も、もう少しで花を咲かせようとしていた。
「創建は室町時代にさかのぼりますが、今の本堂は大体百年くらいでしょうか。度重なる焼失などの影響を受けながらも、今日まで細々とこの地に根付いて来ました。ここまで時代を越えて残って来れたのは、ここが加具家の菩提寺にあることにございます。あちらに漆喰の白い御廟が見えますでしょう? あの中には、加具家の代々のご先祖様のお位牌をお祀りしております」
御廟の扉は固く閉ざされているが、最近ぬられたような白色が、浮かび上がって見え、どこか霊的な存在を思わせる。
「もし、加具家が途絶えてしまったら、どうなるのでしょう? ……すみません、失礼な質問でしたら。単純に、私自身の知的好奇心から出た疑問でして」
「多分、墓じまいならぬ、寺じまいをするしかならないかもしれません。大昔は、お殿様の菩提寺ならと、皆さまこぞってこのお寺に墓所をと口々に仰られた時代もあったと聞きますが、今は、新たにお墓を希望するって方はあんまりいらっしゃいませんからね。もっと手軽な納骨堂や、散骨なんて方法もありますし、そんなご時世で加具家のお墓もと、なりますとね」
快活な笑い声の、尼僧の様子から俗世のことにはあまりしがらみのない人なのかなと、なんとなく思う。
「その可能性が今、現実的なものとして迫っていますよね?」
九曜の言葉に驚くでもなく、悲しむでもなく、その朗らかな笑顔のままで、
「そうですねぇ」
と、答える。
「それで、事前にお話を伺いたいと思っていた、姫子さんの出自についてなんですけれど」
尼僧は笑みを深める。
新緑にはまだ早すぎる季節だが、風が吹き、さよさよと葉擦れの音が聞こえた。
尼僧はその音に耳を澄ませるように目を細めるだけなので、しびれを切らせた様に九曜が、
「あの痛ましい事件は解決したはずなんですがね、どうしても私の中でわだかまりが残るんです。そのわだかまりを解く鍵は、姫子さんの出自にあるとそう思いましたので、ぜひどうしても伺いたいと。こちらとしても、意図していた訳ではありませんが、乗りかかった船でしたので」
尼僧は九曜を見て小さく頷いた。
「姫子さんの、今は亡き加具家のご両親から相談を受けたのが始まりでした。なかなかお子様に恵まれないのだと。奥様は非常に子供さんが好きな方でしたが、現実と言うのは、いつも不公平なものだと思います。まあ、それも諸行無常――失礼、話が脱線してしまいました。姫子さんは、とある女性がやむなしに、出産された御子さんで。誰とは、言えませんが、その女性の方は色々と事情があって、相手の方とは結ばれず、女手一つで、姫子さんを育てていらっしゃたのですけど、お体を悪くしてしまって、行き場を失くして、途方にくれていらっしゃったところ、ちょっとしたご縁でこのお寺で過ごされることになりまして、そんな時に加具家の姫子さんのご両親から、相談を受けておりました。加具家の方はこれも何かのご縁だから援助させてほしいとお申し出されていたのですが、姫子さんを産んだお母様はなんとか自分の手で育てたいと拒まれて、でも力尽きてしまったんです。それで、死の淵に、姫子を頼まれてほしいと仰って……」
「そんなぎりぎりになるまで、どうしてそこまで拒まれたのでしょう? 姫子さんの今後を考えても悪い話ではないと思うのですが。……すみません、私には子供がいないので、冷たく思われてしまえば、それまでですけれど」
「……その、加具盛道さんの叔父にあたる方の話はご存知?」
「はい、ちらっとだけ。色々と問題事を起こされる方だったとか」
尼僧は神妙に頷く。
「そう。その方が、姫子さんの血筋の祖父と呼べる人を殺害してしまったの」
「殺害?」
九曜は驚いた声を上げた。
「些細なことで盛道さんの叔父様は激高してしまう性格だったようです。自分の思い通りに進まないとすぐに手が出るタイプの人だったみたい。そういうタイプの人ってお酒を飲むと更に輪をかけてひどくなると言うでしょう? 私も当時の状況を見ていた訳じゃないから、はっきりとは存じませんが、ともかく殴りかかって殺害してしまったと。今までに何度も事件を起こしていたようだけれど、人を殺害するまでには至っていなかった。しかし、その時ばかりは死に至ってしまって……」
「その時に亡くなったのが、姫子さんの血族で、祖父にあたる方だと?」
尼僧は九曜をしっかりと見て、頷いた。
「要するに、当時は一家の大黒柱だった方が亡くなってしまった訳なのね、姫子さんの血のつながったお母様やおばあ様は本当に苦労をされてきたと話には聞いていたの。だから、姫子さんを産んだお母様が姫子さんを連れられてこのお寺に訪ねて来られた時も、そのことを知っていたから不憫だと思って」
「それで、受け入れられたのですね」
「ええ。姫子さんの血の繋がったお母様も真面目で、仕事熱心な良い方でした。ご病気で体を動かすのだって、お辛いはずなのに、このお寺のお掃除だとか細々としたことを、別に私たちから声をかけた訳でもないのに、何も言わずに手伝ってくださって」
「だけど、加具家とはそれなりの因縁があるから、娘をやりたくないと、強い意志を持っていらっしゃったのですね」
「はっきりとそう仰った訳ではありませんが、そう思いました」
「でも、その考えが、亡くなる間際には大きく変わったのは……なにか心の中で大きな変化があったのでしょうか? もちろん自分の死が目前に迫ると、残していかなければならない娘が心配になり、今までのわだかまりを水に流して受け入れた。そう考えることもできるとは思うのですけれど。――その当時はどんなご様子だったんですか?」
「そうですね――、ある意味、悟りを開いた。そこに近い状況ではあったのだと思いますが、それともちょっと違和感があったように思います。これは私の直感ですけど」
「違和感ですか? その、姫子さんのお母様の態度に?」
九曜の言葉に尼僧は言いにくそうに、口を一文字に結んだあと、九曜と雪上の顔を交互にみて口を開いた。
「その、姫子さんの方です。違和感を感じたのは」
「姫子さん?」
雪上は大きく目を見開いた。
「はい。自身のお母様の行動に習ってか、自分から加具家の人に対して寄り付くこともしなかったのですが、本当のお母様が亡くなる直前には、自分から加具家に歩み寄って『よろしくお願いします』と、礼儀正しく挨拶をしてみせたりだとか」
「なるほど。それで、お母様が亡くなって、加具家に引き取られた姫子さんと、加具家の人達とは上手くいっていたのですよね?」
尼僧は一度曖昧に頷いた後、きょろきょろと周囲を見回した。目視で確認できる範囲には、雪上たち三人以外に人の気配はない。
「表面上はそうだと思いますね。ただ――あまり、私から聞いた話だと他の人には言わないでいただきたいのですけれど――――初めて、体調の思わしくないお母様に連れられてこのお寺に来られた時の姫子さんは年相応の可愛らしいお嬢さんだったんですけれど、お母様が亡くなって、加具家のご養女として迎え入れられてからのご様子は一言で言うと、人形地味ていらっしゃると言うか。あの方、容姿が非常に整っていらっしゃるからか、余計にそう見えたのかもしれないけれど、妙に大人びた子になってしまったみたいに思えて」
「幼ない頃に実の母親が亡くなって、それが姫子さんの人格とか性格に大きく影響をしている可能性は十分あると思いますけれど」
「もちろん、それも仰る通り」
雪上の言葉に肯定するも、尼僧は納得のいかない表情を見せる。
三人は言葉少なくなり、境内を一回りした後、本堂の隣の寺務所に戻ると、
「お二人は、寒蝉和尚の伝承を調べてこちらにいらしたのでしたね?」
振り返った尼僧は、先ほどとは口調を変え、努めて明るい声でふるまう。
「はい。本当は姫子さんの案内でこちらに伺う予定だったのですが、その時、石平さんが竹林で亡くなる事件があって。お話も伺えない状況で」
九曜は苦い表情を見せる。
「じゃあ、遅くなりましたけど、どうぞこちらへ」
尼僧は畳敷きの部屋に二人を案内しながら、話を続ける。
「確かに、寒蝉和尚の名前はこの白鹿寺の歴代住職の一覧に名前を連ねているのは確かですけれど」
「やはりもともとはこちらのお寺の住職だったのですか?」
尼僧はこっくりと頷いて、
「ですから、事実上の左遷ですね」
と、つらっと答える。
「あの、伝承の事以外にも寒蝉和尚とお殿様との間に、何か諍いがあったのでしょうか?」
伝承では、寒蝉和尚は寒蝉寺にいたところから話がはじまるため、どうして寒蝉寺に来たのか。その経緯は全く触れられていない。
「そこまでの事情などの詳しいことはこのお寺にも残っていないので、わかりません。ただ、和尚が住職に就任して二年足らずで、別の住職に代わっているところをみるともしかしたら何かあったのかもしれないと考えられるかもしれませんね。それから……」
尼僧は畳の隅の方に置いてあった木箱を持って来て開けて見せる。
「これは……?」
九曜は目を見開いて、尼僧と木箱とを交互に見た。
「これは姫子さんのお母様の遺品です。念のため保管しておりまして」
「このことを姫子さんは?」
「ご結婚されて落ち着かれたらお渡ししようと思っていたですが……でも、次にいらした時にそろそろお渡ししなければならないなと――この家紋ですが」
「月紋ですか?」
雪上は驚きのあまりに声が裏返る。
「ええ、恐らく」
「雪上くん?」
いつもと異なる様子の雪上を見かねたのか、九曜が声をかける。
雪上はずっと、木箱の中のそれを凝視していた。
「これの紋様見たことがあります」
「見たことがある?」
「はい。寒蝉寺の灯篭の、あの……」
尼僧は顔を引きつらせる。
「灯篭って、もしかして寒蝉和尚の墓の隣にあった?」
「はい」
いよいよ尼僧の顔が険しくなった。
「一応お伝えすべきかなと思って、これをお見せしました……その灯籠は伝承の中で、寒蝉寺でかくまった女性の一族が和尚を死んで建立したものだと聞いたことがあります」
「じゃあ、その伝承の女性と、姫子さんとは……?」
「確証はありませんが、なんらかの繋がりがあったのかもしれません」
雪上は発見による驚きと、空寒さを感じて言葉を返せなかった。
「寒蝉寺の亡くなった住職さんは姫子さんの出自についての事情をご存知だったのでしょうか?」
「ええ、知っていました」
尼僧の言葉に何度か頷いた九曜は、
「だから、あの住職さんは姫子さんには、優しかったのか」
と、ぽつりと言葉をもらして、少し考えこんだ後、もう一度、尼僧を見る。
「若松さんと言うひとがこのお寺に訪ねられたことは?」
「ああ、そういえば、いらっしゃいましたね。でもその方も亡くなられてしまったとか」
「はい。誠に残念なことです。その、若松さんにも今の話を?」
「ええ、まあ。聞かれれば特に隠し立てするようなことでもないので、お話し致しましたが……」
◇
「お忙しい中、来ていただいて本当にありがとうございました」
チェックアウトの前に、姫子が最後の挨拶だと言って、部屋に来た。
昨日は春色の薄ピンクの着物だったが、今日は若草色の昨日より大人びた色の着物をきっちりと着込んでいた。
「私の、ただの独り言だと思って聞き流してもらえないでしょうか」
おもむろに九曜はそう言葉を切り出した。
「はい……?」
お辞儀をしていた姫子だったが、顔を上げると首を傾げ、九曜を見る。
「盛道さんをあそこまで追い込んだのは、姫子さん。貴女ではないでしょうか?」
何も言わずに、姫子は少し首を傾げる。
「本当は盛道さんをそう仕向けるべく、一人でずっとやってこられたのでしょう?」
何の冗談かと思って九曜を見るのだが、彼は至極真面目な表情で、姫子を見つめている。
「すみません、えっと、何を仰りたいのですか?」
「姫子さんのご両親の死から始まる、この一連の事件。引き起こすように仕掛けたのは、姫子さん自身ではないかとそう思っているのです」
「九曜さん、それは……」
雪上の言葉になど耳をかさず、九曜は話を続ける。
「まあ、ご両親の死については、もう今となってはわかりません。住職さんから当時のことについて、貴女が眠ってしまい、ご両親が用事のために外出され、その後、姫子さんをお寺に迎えにいった。その日は天気も良くない日で、ご両親は交通事故を起こしてしまった。事故の原因は天候不良のためと、言う話でしたが、姫子さん。貴女、本当にその時、眠ってしまったのですか?」
一瞬、空気が凍りついた。
「……覚えていません。幼い頃なので、両親の死についてはもちろん、覚えていますが、その前後の出来事は今でも自分の中であやふやなところもあるので」
「じゃあ、一番目の婚約者の阿部さんについてはどうでしょう? 若松さんから、阿部さんは大学時代からのお付き合いで、とても仲が宜しかったと聞いています。この町の人から伺った話でもお二人の仲は良好だと聞きました。しかし、本当にそうだろうか。そんな疑問を覚えました。若松さんは阿部さんについて自殺を考える様な人ではないと言いました。しかし、事実として、阿部さんは自殺をされてしまったのです。人柄の良い方だったと、誰もが口々に仰られるくらいの方なのに」
「阿部さんは……本当に優しくて、細やかな気遣いが非常に出来る方でした。他人をよく見ているといいますか」
姫子がの言葉に、九曜がにやりとする。
「それが、阿部さんが自殺を図った原因ですね?」
「はい?」
「”他人をよく見ていた”と仰られた部分です。恐らく、姫子さん、貴女の内に秘められた、決して人に知られてはいけない黒い闇の部分。ここは本当に想像の産物ですが、亡くなった、貴女の本当のお母様。その血筋の親族は、非常に加具家に恨みを持っていた。その報復を命を失った本当のお母様と誓い、加具家に養女となった。しかし、その部分を何等かの形で、阿部さんに知られてしまい、二人に関係に亀裂が入った。阿部さんは、これ以上、生きていくことができないと絶望してしまうほどの亀裂だった。しかし、阿部さんはただでは死ななかった。竹取物語に見立てた火鼠の皮衣を使って自殺を図った――そして、若松さんは姫子さんの闇の部分を阿部さんの足跡をたどることで知ってしまった。僕はどうして、盛道さんが若松さんを殺害したのかその強い動機がなんだったのか考えていたのです。それで辿りついた答えは、多分、若松さんが盛道さんに姫子さんの黒い闇の部分を告げたから。激高した盛道さんはそれで……あと、腑に落ちないのは、殺害された丹波さんがどうして、遺書なんか用意していたか。もしかして、姫子さん貴女が……」
「仰ることの意味がよくわからないのですが」
姫子はそう言って笑う。
二人のやり取りを聞いているだけで、口を挟む暇はなかった。九曜は相次いで言葉を続ける。
「先ほどの言葉の通りです」
「あ、あの先ほど、九曜さんが言った……盛道さんを追いやったと言うはのどういう意味です?」
雪上は勇気を出して、かろうじて口を挟んだ。
そのままにしておくと、どこまでも九曜の方が、姫子を追い込んでいきそうだとそう思ったから。
「言葉のままだよ。盛道さんは、とても家族想いの優しい人だ。姫子さんはその優しさにつけこんだ。特に両親が亡くなった後は、盛道さん自身が姫子さんを守って行かなければならないと強く感じていたでしょうから。姫子さんに仇なす人は加具家の敵だと、そう認識してもらうように、昔から仕向けていたのでしょう。もしかしたら、”祟りだ”と、町で話される様に噂を流したのは、姫子さん。貴女本人なのかもしれないと……」
「色々と、仰りますけれど……私がそこまで手の込んだことをしたと言う、証拠はあるのでしょうか?」
「物的証拠はありません。全て私の想像の産物でしかない」
九曜はそう言って、何が可笑しいのか、けらけらと笑い始める。
姫子は真顔になって、あっけに取られていたが、九曜につられてけらけらと笑い始める。
異様な笑顔の二人の応戦に、雪上はなす術を失くし、ただ、この空気を一刻も早く変えたいと思うばかり一心で、口を開いた。
「姫子さんは旅館を閉めた後、どうされるのですか?」
「まだ、詳しいことはなにも決めていません。ともかく、旅館の営業を終了させてからも、片付けですとか、やるべき事はまだ色々と残っているので――それが、終わったら。そうですね、自由に生きて行きたいとは思っています」
「そうですか」
雪上は相槌を打つ。
自由な生き方で思いつくのは、目の前にいる九曜だった。雪上は彼以上に自由な人はいないと思っていたのだが、
「私もそんな生き方に憧れます」
先ほどの神妙な話なんてまるでなかったかの様に、こんなことを言うのだから、首を傾げる。
「未来がどうなるのかはわかりません。でも、どうにかこうにか今までもやって来たんです。これからもそうして生きて行かなければならないのだと思います。お二人もお元気で、どうぞお気をつけて」
「ありがとうございます。まずは、なによりもこれから無事に帰ることが先決ですね」
九曜が立ち上がり、雪上が立ち上がる。
名残惜しいと言わんばかりに、これから朽ちて行くのだろう、部屋の畳なんかをもう一目みて、姫子に促され、部屋を出た。
「あ、これ厨房の賀田さんから預かりたものです」
姫子が差し出したのは、お菓子の包みだった。
「大丈夫です。変なものは入っていませんから」
にっこりと笑顔を見せながら。
雪上が受け取ると、ずっしりと重い。
「これって、羊羹ですか?」
「そうです。最後のご挨拶を兼ねて、皆さまにお出ししていました。お二人はこの羊羹の開発にお手伝いをいただいたとのことだったので、サービスで多めにご用意しています」
「ありがとうございます」
九曜も礼を言って、受け取り包を開いて、小さく声を漏らす。
包の中には羊羹と一緒に、二色団子が入っていた。
かぐや姫殺人事件 沙波 @nanashi_zyx
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