明けの三日月
九曜の言葉に雪上は息をのんだ。
(まさか、何を言っているんですか九曜さん。こんな状況で冗談を言うのはやめてください)
そう笑いながら言い返したかったのだが、部屋の体感温度はさらに下がり、奇妙な緊張感が漂う。間違っても笑いながらそんなことを言える雰囲気ではなかった。
「……そうだ。全て儂がやったことだ」
盛道はしゃがれ声でそう言うも、
「それは難しいのでは? 盛道さんはこの部屋から、ベットから起き上がるのもやっとのようですし、ましてや殺人なんて、到底無理な話ですよね?」
雪上の叫びは部屋の中に消える。九曜は首を横に振った。
「本当に動けないのだとしたら、この部屋にあるべきものがない」
「あるべきもの?」
「本当に歩く事すらままならない状態なら、車椅子と紙パッドやパンツ。もしくは杖があるべきところだと思うが、それが全く見当たらない。尚且つ、姫子さんだって付きっきりで盛道さんの介護をしていると聞いている。確かにそうなのだと思う。だがそれでも、二十四時間張り付いている訳には行かない。旅館の仕事だってあるだろう。だから、盛道さんを部屋に一人残していかなければならない時もあるだろう。そんな時、トイレはどうする? ずっと我慢している訳には行かないだろう? 一般的には紙パンツやパットで対応するなどの方法をとるだろうに、それがないとなると、つまり――盛道さんは僕らが思っているより、体がお元気だということ。そうではありませんか?」
九曜は姫子に視線を向けた。彼女はいたたまれない様子で視線を外すが、ひと息吐くと、覚悟を決めた表情で九曜を見返す。
「そうです。祖父は基本的には自分で動けます。ただ、心臓がよくないので、激しい動きをしないように、部屋でゆっくりと過ごすことをドクターから厳命されているのです」
雪上と九曜は姫子の言葉に大きく頷く。
「その言葉を聞いて、納得しました」
九曜はそう言うが、雪上は全く納得がいかない。
「九曜さんはどうして納得がいったのか、説明して下さい」
強い口調で言った、その言葉に反対の声はない。
「じゃあ」
と言って、咳払いをして九曜は再び、話を始める。
「まず、石平さんの件。僕らがあの白鹿寺に行くことを知っていた人物は、もちろん僕と雪上くんと、姫子さんと石平さん本人。そして亡くなった丹波さん――それから、若松さんが亡くなった時、彼の態度に少々違和感を覚えていた。だから最初は、丹波さんが怪しいと思っていた時もあったが、彼の死で、犯人の疑いから外れた」
「丹波さんは自殺では?」
「ないな」
雪上の問いにずばりと九曜が答える。
「九曜さんがそう思われる理由は?」
「あまりにも出来過ぎている」
「と、言われますと?」
雪上は、折り目正しく言い返した。
「遺書があって、ためらい傷もなく一撃で自身の息の音を止めている。その状況があまりにも出来過ぎている」
「だからこそ自殺ではなく、誰かに殺害されたのだと思ったのですね」
九曜はこくりと頷く。
「残された手紙、丹波さんがしたためた本当の意味は、本当の意味は犯人の目星がついていたにも関わらず、逆に煙に巻くような行動をとってしまったことに対しての謝罪だと思う――話を戻すが、石平さんを殺害するには、石平さん自身が僕たちと一緒に白鹿寺に行ったことを知っていることが条件だ。それを知っていたのは、もちろん、私と雪上くんと姫子さん本人。あと、あの時その場にいた丹波さん。そして、もう一人知っている人物がいる」
そう言って九曜は盛道に視線を向ける。
「それは盛道さん貴方です。姫子さんが出かける時に、盛道さんに声をかけたといっていましたのを聞きました。間違いありませんね?」
九曜は姫子を見る。
「……はい。出かける際に、祖父に声をかけたのは本当です」
「そして、この部屋の出た廊下の先に、白鹿寺へ抜けることのできる、道があります」
「……はい」
――お寺の向こう側に突っ切っていくと、小さな獣道があってそこから旅館まで直接行けるので。
雪上はいつかの姫子の言葉を思い出した。
「そして、石平さんが亡くなったあの現場の第一発見者であるのは姫子さん。貴女ですが、本当はあの時、盛道さんの後ろ姿をみたのではありませんか?」
「……そうです」
姫子はぐったりと、もうとりつくろうことも出来ない様子で、ただ、そのままに言葉を続ける。
「私が見た時、動かないでいる石平さんの遠くに祖父の後ろ姿を見ただけです。でも石平さんが血を流して倒れていて、私、パニックになって。なにがあったかわかりませんでしたが、ともかく祖父を巻き込むことは避けたいと、ただそう思って。私が、石平さんの方に意識を取られていると、祖父の姿は見えなくなり、もしかして私がただ見間違えただけなのかとも思ったのです。旅館に戻って来てから、その事を祖父にたずねるべきか迷いました。でも、まさか、自分の身内がそんな事件に関わっているなんて、思いたくもなかったし、まさかそんなことある訳ないと思っていました。だから……ねえ、そうなんだよね? 九曜さんはああは言っているけど、なにも関係ないんだよね?」
姫子は確かめるように、まとわりつくように祖父である盛道を見た。盛道は何も答えない。
心が、魂が抜け落ちているかの様に、呆然と、現実ではないどこかを見ているように思われた。
姫子は何度か頭を振って、両手で頭を掻きむしった後に、ふっと顔を上げた時、九曜が口を開く。
「盛道さんは石平さんに、手は出しておりません。あの場には来られましたが、その理由は、先ほどご自身で仰ったように、石平さんに婚約者候補をおりてほしいと、誰にも聞かれないうちに話をしたかっただけなのでしょう。だから、殺人はされていません。と、言うのも、確かにご自身で歩いてトイレに行くなど、日常生活のことはご自身で出来るのでしょう。ですが、あの石灯籠の笠を持ち上げて、石平さんに襲い掛かることが果たしてできるのかどうか疑問ですから」
雪上ですら、持ち上げられるかどうか危ぶまれる代物だ。ある程度、自分の身のまわりのことができるとは言え、盛道が石平に襲いかかることは無理だろう。
「じゃあ、石平さんは?」
「事故です。ただ、盛道さんが事故の原因にはなったのだとは思います。恐らく、石平さんも盛道さんが部屋の中から一人で歩いてくることが出来ない重病人であると認識していた事でしょう。事実、失礼でしたら申し訳ありませんが、少なくとも私も最初はそう思っていました。話を戻しますが、あの時、盛道さんは石平さんの元に向かい、声をかけた。まさか後ろから盛道さんに、声をかけられるなんて思ってもみなかった石平さんは驚きのあまり、足を滑らせ、転んだ拍子に思いっきり石灯籠の笠に頭を打ってしまった。前日はかなり雨が降っていたと聞いていますので、足元の状態は良くありませんでした。彼自身、地面に倒れた時点では意識はあったのかもしれません。ですが、打ちどころが悪かったのでしょう、もがくうちに意識が遠のいてそのまま……」
「竹取物語に見立てたのは?」
「あの事件だけは偶然だった」
凄惨なあの状況と、竹取物語に見立てられた灯篭の笠から絶対に殺人だと、決め込んでかかっていたが、九曜にそう示唆されると、どうも肩の力が抜ける気がした。
「なんで石平さんは竹藪の、墓地の向こう側に行ったのでしょう? 迷子になるような場所でもありませんし」
雪上は首を傾げた。
「恐らく、単純に、私と雪上くんが邪魔だったんだろう。姿が見えなくなれば、姫子さんが探してくれると思って、二人になる時間を作りたかったのかもしれない。丹波さんから聞いた話によると、あまり姫子さんは、新たな婚約者をつくることに対してあまり乗り気ではないと聞いた。それでも、石平さんは姫子さんに対してあの三人の中では、一番気持ちを抱いていたのでしょう――まあ、そんなことも手伝って、一人道を逸れて竹藪に行くと、逆に盛道さんに遭遇し、驚いて足を滑らせた。ただ、足を滑らせただけで、命までも落としてしまった運の悪さについては、祟りのせいではないかと言わざるを得ないのかもしれません」
姫子はただ、九曜を見つめるだけで、口を開く気配はなかったので、九曜に向き直り、
「じゃあ、次の若松さんが亡くなったのは? 若松さんは殺人、ですよね?」
と、聞くと、九曜はポケットから一枚のメモ紙を取り出した。
「これは、盛道さんが書かれたものだと伺いました。雪上くん、この筆跡に見覚えはないかい?」
雪上はメモを見てハッとした。
「和田刑事が確認に持ってきた」
九曜はこくりと頷いた。
「これは、賀田さんから、盛道さんから渡されたメモだと伺いました。――実は、若松さんの部屋に落ちていたメモだと刑事に見せられた手紙がありまして、これを見たときに非常に筆跡が近い、素人鑑定ですが、同じ人物が書いたものだと思いました」
九曜はそう言って、盛道にわかりやすく見せるのだが、うんともすんとも言わないので、紙を下ろして、話を続ける。
「若松さんは、私と雪上くんが、旅館のラウンジで会った直後に、殺害されたのだと思います。多分、僕らに話かけて来た時点で、あの手紙を受け取っていて、何か自分の身に迫る危険を察知していたのかもしれません。だから、若松さんは見知らずの僕らに、阿部さんのことを話したのだと思います」
雪上は頷く。若松が『はじめまして』と挨拶をした人間に、おおよそ話しにくい内容をどうして明かしたのか疑問に思っていた。
「つまりあの話をわざわざ持ち出したのは、ある意味、若松さん自身の保険の意味があったのだろうと思う。【話がある】と書かれた、あの手紙を受け取り、若松さん自身がどんな状況に陥るのか、最悪の状況を想定していた。若松さん自身が亡くなってしまった今、本人に問いただすことは不可能ですけどね」
「つまり、若松さんに手紙を差し出したのは、大旦那様である盛道さんで、盛道さんが若松さんを刺したんですか?」
「若松さんは恐らく、手紙を受け取った時点では、差出人が誰かまではわからなかった。あの手紙に差出人に名はなかったですし。だから部屋に現れたのが、盛道さんで、もしかしたら逆にほっとしていたのかもしれません。まさか盛道さんがナイフを向ける事はないだろうと思っていたから。それが、若松さんが殺害された要因です。まさか、と、思っていたから、驚きのあまり抵抗する間も無かったのだろうと。盛道さんにとっては、根掘り葉掘りこの家のことを調べる婚約者候補の若松さんが自分たちに害をなす存在だとそう、目に映った」
「…………阿部さんも……殺害されたのですか?」
九曜は首を横に振った。
「いや、彼は自殺なのだろうと思う。過去のことだから詳しいことはわからない。けれど、阿部さんが、自殺を考えるだけの何かがあったのは確かだと思う」
最後にラウンジで阿部の話をした、若松のあの冷たいまでの意志の強い眼差しを思い出して、雪上はぐっと両手を握りしめた。
「話を戻すが、若松さんは手紙を差し出した人物に会って、殺害された。そして、さっきも言ったが、ここで重要なのは、殺害した犯人と、別に犯人に加担した人物がいると言うこと」
「犯人は二人?」
九曜はゆっくりと頷く。
「若松さんを手紙で約束を取り付けたのは、盛道さんです。そして、若松さんを殺害します。犯行に使われたのは、旅館の備品であるナイフです。ここに住まわれている、盛道さんがナイフを手に入れるのは訳ないことでしょう。もしかしたら、事前に用意をして、この部屋の何処かに隠されていたのかもしれません。ともかく、若松さんを殺害し、自身の部屋に戻ります」
「じゃあ、ナンテンを散らした共犯者は?」
「丹波さんです」
「丹波?」
姫子が驚いた声を上げる。
「単純なことだ。夕食時のあの時間、早い人――姫子さんや、大奥様の久恵さん。そして、もう一人の婚約者候補と言われる、麻生さんはもう既に席について夕食を始めていた。丹波さんもお仕事で忙しく動かれていたでしょうが、納屋から不要になったナンテンの実をかき集めて、部屋に撒くぐらいのことは出来たでしょう」
「でもどうして、丹波さんがそんなことを?」
「丹波さんはこの旅館に長く勤められており、他の授業員の方と比べても立場が少し異なります。そして、久恵さんから丹波さんはその家庭環境から家族も同然に過ごされ、盛道さんが現役の頃は大分目をかけていらっしゃったと」
「……」
姫子は視線をわざとらしく彷徨わせた。
「共犯だと表現したが、丹波さんは自分ある意味、盛道さんを庇おうとして共犯になったんだと思います。恐らく、石平さんが亡くなった時、丹波さんはすぐにもしかしたら盛道さんが関わっているのではないかと思った。それから、程なくして若松さんが亡くなった。多分丹波さんは、若松さんの死を姫子さんよりも早く気が付いていたのでしょう。盛道さんが関わっていることも。それで少しでも疑いがそれるように、ちょうど竹取物語になぞらえて人が死ぬと町で噂になっていましたから。その噂に乗じて、殺人現場を偽装し、捜査を混乱させる目的で、正月飾りで残っていたナンテンの実を撒いた。お世話になった人ですからね。しかし、これ以上殺人を重ねられては、自分自身も対処しきれないと思ったのでしょう。丹波さんは盛道さんを説得するためにひっそりと会談の場が設けました。その時、盛道さんと丹波さんの間でどんな会話が交わされたのか。そこまでは流石にわかりませんけれど、盛道さんは丹波さんを殺害した。丹波さんもまさか、自分の両親が蒸発して、唯一引き取って面倒を見てくれた人だ。自分が刃物を向けられるとは思っていたかったのだろう。だから、抵抗する暇もなく、そのまま」
「まさか、祖父や丹波さんがそんなことを……」
姫子はヒステリックに声を上げる。
「姫子さん。貴女はそうは言われますけれど、本当はどこかで、そうではないかと、疑念を抱かれていたのではないでしょうか?」
九曜の鋭い言葉に、
「丹波さんが亡くなる直前、姫子さん。貴女は、丹波さんと会いましたね?」
「……」
「中庭で、貴女と丹波さんが話をされているのをここにいる雪上くんが目撃していたのです」
姫子がはっとして雪上を見る。悪い事をした訳でもないのに、なぜか悪い事をしてしまったかのような気になって、思わず目を反らした。本当は九曜の言葉を一部訂正したかった、目撃したのではなく、話が少し聞こえて来ただけなのだと。
でもあの時の話声は、姫子と丹波だったのだと聞いて、驚きはなかった。むしろそうだったのかとすとんと雪上自身で納得できた。
「丹波さんはその時、何と仰っていたのです?」
九曜の問いに、ゆっくりとためらった後に、口を開いた。
「その日の夜は、……本当に色々あったので、なかなか目を閉じても眠りにつくことが出来なくて。でも少しだけ眠ったと思って目を開けると、あの時間でした。それ以降眠ることも難しそうだったので、外の空気を吸うために部屋を出て、ふらふらと廊下を歩いていると中庭に出ました。そこに、丹波がいて、こんな時間にどうされたのかと聞くと、祖父とこれからちょっとした話をすると。私、ぞくりとしました。まさかと思ったのです。だから、祖父の所に行くのは、事件に関係しているのかと。単刀直入に聞くと、『そうだ』と、言うので……それで、ちょっと口論になりました。でも、私は丹波を殺害してなどいません。でも、そうなると……」
姫子はためらいがちに盛道の方を見る。
「そこで姫子さんは丹波さんそこで別れたのですね?」
「はい。部屋に戻って、布団に潜り込みましたが、ほとんど眠れず、朝方、胸騒ぎがして、一人になりたくて旅館を出ました。でもその時にちょうど、丹波が亡くなったと叫んでいる他のスタッフの声を聞いて」
九曜は息を吐いて、盛道を見た。
「丹波さんは、姫子さんと話をした後に、盛道さんに会いに行ったのでしょう。一体、お二人でなんの話をされたのか伺っても?」
盛道は九曜の言葉に、反応を見せ、ゆっくりと口を開いた。
「アンタが思うほどあの男は性格の良い男ではない。人の隙を見つけるとためらわずに、無理矢理つけ込んで来るやつだ。今回だって、『黙っている代わりに姫子との結婚を許可して欲しい』と、そう迫ってきた。そして、今後この竹取翁旅館の実権を全て自分に譲る様にと。そんなたわけた話をしてきた」
きっぱりとした声だった。まるで盛道自身は悪いところなど何一つないのだとでも言うように。
「話された内容はそれだけですか?」
「ハッ……なるほどね。そちらの学生さんは相当に頭の回転が速いと見える。人生の先輩である儂から言わせてもらうと、周囲を観察し、先手を打って取り組むことは悪い事ではない。ただ、出来過ぎるものよくない。そんな目で見るな。お前は……」
笑い声を交えていた盛道だったが、何が引き金になったのか、全くわからかったものの、いきなり激高した様子を見せた。びくっと体をこわばらせた姫子だったが、それでも盛道の体をいたわるように気遣う様に、手を伸ばそうとしたが、ぴしゃりと盛道はそれを拒否し、ふうと唸り声にも似た息を吐いた。
「盛道さん、もう一度伺います。丹波さんと、どんなことを話されたのですか?」
先ほどまで、厳めし気な表情を見せていたのだが、急に泣き出しそうなほど、苦痛を帯びた表情に切り替わる。
「あのいくじなしは、警察に全てを話すと言ってきたんだ。アイツが姫子と添い遂げたいと、ずいぶん強く言うから、儂は……」
盛道の声が震えていた。それ以上の言葉はなく、振出しに戻ったように真っ暗な部屋の隅をただ見つめるだけで、口を心を閉ざしてしまったように見えた。
「姫子さん。貴女も先ほど嘘をつきましたね?」
姫子の方が今度はわかりやすく、九曜の言葉に、がたがたと音でも聞こえてきそうなほど体を震わせた。
「貴女はここを出る時に他のスタッフからの噂話で、丹波さんが亡くなったことを知ったと仰いましたが、それには無理がある。丹波さんが亡くなった後に、姫子さんはひっそりと一人で出かけたなると、他のスタッフの誰かが、姫子さんが車に乗って出かけられる様子を目撃しているはずでしょう。でもそうじゃない。だれも貴女が一人、旅館から姿を消したことに気が付かなった。となると、丹波さんが亡くなり、発見され、騒ぎになる前に姫子さんはとっくに旅館を出ていた。そうではありませんか? つまり、その現場を偶然見ていたから知っていたのではないでしょうか? 律儀な人です。僕たちを白鹿寺に案内してくれる時だって、盛道さんに一言声をかけてから出かけられた。だから、今度も、盛道さんの様子をほんの少しだけ覗くために部屋に行った。丹波さんのことも気になっていたでしょうから。何もなければそれでいい。だけど……部屋に行くと盛道さんはいなかった。気になり、探してみたところ、その現場に遭遇してしまった。ともかく盛道さんを部屋に帰さなければと思い、手を引いて、部屋に戻った。盛道さんを着替えさせ、ベッドに寝かせ。それから自分は早々に車で走り出た。盛道さんが着ていた血まみれの服をどうにかしなければならないと思ったから。そこで、どうしようもなくて、困った時にいつもいく寒蝉寺へ向かった。盛道さんの衣服をどこかで、山林か海か人気のない場所で処分するために。違いますか?」
「……」
姫子は再度、涙をこぼした。
「しかし、今度は逃げた寒蝉寺で住職さんが命を落とした。原因はさっき話した、二色団子だ。年末年始の挨拶として渡したお菓子の中に、まさか薬が混ぜ込まれているなんて思ってもみなかった。多分、絶対に殺害をするとそこまでの絶対的で明確な意思はなかったのかもしれません。ただ、ほんの少し、引き金になる程度の量の薬を摂取させ、何かの拍子で発作を誘発させる――例えば、アルコールを飲んだとか、そこで死に至ったとすれば、事故死としてされるのではないかとそう考えたのでしょう。だから、今回の分で亡くなるとはまさか考えてなかった。最悪のタイミングですからね」
九曜はそこで一旦、言葉を区切って再度盛道を見た。
部屋の中は水を打った波紋だけが残し、しんと静まり返る。
雪上は呆然と九曜と盛道と姫子の顔を順番に見た。そして、もう一度九曜を見て、
「そうだったとしても、動機の、その結婚してはならない理由とは……?」
九曜が雪上を一瞬見た。
「そこで話が戻る。姫子さんの出自についての話に」
「姫子さんの、出自」
「つまり姫子さんのご両親にお子さんが出来なかったことについて、盛道さんはそれ自体が寒蝉和尚の祟りだと思っていた。そして、天命に反して、姫子さんを迎えてしまったので、更に祟りが起こったと考えた」
「祟り?」
「ご両親の交通事故」
「あっ……」
「盛道さんはあまり表に出すことは無かったかもしれませんが、家族思いで姫子さんのご両親の死について誰よりも心を痛めていた。そして、その死から立ち直れず、それでもどうにか自分の心に決着をつけるために、ご両親の死が寒蝉和尚の祟りのせいであると、そう結論をづけた。そして、これ以上、自分の家族が祟りのために悲しむ姿を見たくないと、祟りを終わらせるべく、今回の事件が引き起こされた。姫子さんが誰とも結婚せず、このままで終演の幕引きをすべく」
「でもそれなら、ただ姫子さんを結婚しないようにと、そう諭すだけで、殺人まで犯す必要はなかったのでは?」
「今回の婚約者候補が集めたのは、久恵さんの一存だったと聞きました。恐らく盛道さんは久恵さんには自分の意志を考えを伝えたのでしょう。しかし、もともと加具家の一員でもない久恵さんが、祟りなんてものをそれほど信じていなかった。意見が分かれてしまい、盛道さんはお体の事情もあり、それ以上の意志を通すことは出来なかった」
盛道は九曜にそこまで言われ、ようやく閉ざしていた口を開いた。
「呪われた一族とはよく言われたものです。特に私が子供のころはひどいものでした。私の両親と当時、健在だった祖父母はこの辺りで何かある度に、加具家のせいだと、全く身に覚えのないレッテルを貼られ、それでも必死で家族を守ろうと……ご先祖様は明治維新がはじまると、地位を追われ、なんとか、苦肉の策で、この旅館を開業しました。今でこそですが、当時のこの辺りは交通の便もよくなく、閉鎖的な町でしたが、旅館の開業にともなって、少しずつ、観光客が訪れ、旅館の温泉も集客としての要因になったそうです。町に賑わいをもたらしました。地域の住民たちはその恩恵に与り私達一族の陰口をたたく者も少し減りました。そうなると、寒蝉寺の住職は面白くないようで……まあ、色々と言ってきました」
「あの住職さんがですか?」
優しそうな住職の顔が思い出され、雪上は話の途中だったが、思わず言葉がついて出た。
「今の住職が、という訳ではないが、まあ……一番ひどかったのは先々代の住職だと、父は良く言った。でも様するに、今の住職だってその先々代の教えを受け継いでいる訳だから。こちらとして出来るのは、なるべくお参りにはいくようにして、どうしても行かれない時。今、この体では、中々いくのも一苦労だ。だから、なるべく姫子にお布施を持って行く様に頼んで……できる限りはやって来たつもりだ。それでも」
盛道は言葉をつまらせ、
「うっ……」
薄暗い部屋の中に嗚咽が響く。
「姫子の、この子の両親は、寒蝉寺に向かう途中に事故に遭い亡くなったのです――あれこそが祟りだ」
ぴしゃりとした厳めしいもの言いの盛道の声が部屋の中に響き渡る。
「でも、あれは事故だって」
姫子が盛道の肩に手をやる。わなわなと体を小刻みに体を震わせていたことに雪上は気が付いた。震えを沈めるように大きない息を吐いて、盛道は姫子を見た。
「もう、一生言わないでおこうと思ったんだがな……お前の両親が、儂の息子が亡くなった時にあの住職はなんて言ったと思う? ――不相応な事をするからこうなるんだと、鼻で笑って切り捨てた。腸が煮えくり返る思いだった。その時、決心した。絶対に、復讐しようと。それから――加具家はもうここで終わらせなければいけないと思った」
「それだけの理由で、殺人を?」
「それだけのとは……お前に何がわかる? 我々が、あの祟りの影響で、どんな思いで今まで生きていたか。どいつもこいつも、加具家に嫁ぐの勢い余って来る割には、祟りなんぞ噂を立てられるのは、儂のせいだとか、どいつもこいつも言いやがって……そんな奴らに姫子を任せられるか? もうこれ以上、自分の家族が傷つく姿は見たくない。そう決心したのに、姫子を見ていると、申し訳ない気持ちになって、この子に罪はないというのに」
「そんなことない。十分にいつもやってくれていた。十分すぎるくらいに……」
「せめて、この子が大きくなって露頭に迷うことがないようにと思っていた。私の方がもう早々にくたばりそうな状態だがな。だが、まさか……こんな、と言っては失礼か。行きずりの学生さんに全てを見透かされるとは思ってもみなかった。寒蝉寺で会ったと言うことは、お二人さんが、儂の祟りだったのかもしれない。さて、儂は最後の務めを果たすとしようか」
盛道がベットからもそもそと立ち上がろうとしたところで、
「待ってください」
九曜が珍しく大きな声を出した。
「どうして、わざわざ姫子さんを一人にするようなことをしようとするんですか? そんなことをせずに、姫子さんのそばにいてただ、見守ってあげるだけではだめだったんですか?」
盛道は、ふらふらとしながらも自分の両足で立つと、九曜を見上げた。
「ずっと隣人や町の人達から、自分のせいでもない噂をあたかも全てが自分のせいだと聞きながら、生きて行く。そのつらさがどんなものか、君にはきっとわからないだろう」
諦めと、怒りと悲しみと。
様々な感情が入り混じった瞳が、九曜と雪上を捕らえる。
雪上はぐっと息をのんだ。
「九十年、それで生きて来たんだ。変えようと思っても変えられない。この子には叶うことなら、全く別の人生を歩んでほしいと思う。加具家にしばられることなく」
そう言って、姫子を見る目は慈愛に満ちたものだった。
――加具家。あの代々伝わる家柄は、やはり古いからと言わざるを得ないかもしれないが、激情に飲まれる程の激しい性格を秘めている者が時々あるということだ。
ふと、図書館で聞いた、時吉老人の言葉が思い出された。
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