二十六夜
「すみません」
九曜は盛道の部屋の扉をノックする。
応答はなく、しんと静まり返った扉の向こうに人の気配は全くないように思われた。
九曜はもう一度、扉をノックしたが、やはり反応はない。ため息まじりに息を吐くと、
「失礼いたします」
扉のノブに手をやる。鍵はかかっておらず、難なく部屋の中に入ることが出来た。
「九曜さん」
咎める雪上の声が、虚しく響く。
相変わらず、室内は薄暗い。
扉のすぐ向こうのベッドに上体だけ少し起こす、部屋の主がゆっくりとこちらを見る。
盛道だ。
その光のない、虚無しか感じられない瞳が向けられた時、雪上の心の中に、なんとも言えない恐怖感がさあっと波の様に押し寄せた。
「失礼いたします。少しよろしいでしょうか?」
九曜がもう一歩、足を踏みいれると、ベッドの向こう側から女性のすすり泣く声が聞こえ、そちらの目を向けると、崩れ落ちる様にして姫子がいた。
「あっ……今は、……」
姫子はなんとかこちらを向こうとしていたが、嗚咽で、上手く言葉にならず、声も顔も髪の毛もぐちゃぐちゃだった。
「お取込み中に申し訳ございません。少しだけお話を伺いたいと思いまして、よろしいでしょうか」
畏まった言い方をしているが、相手に拒否権はないのも同然だった。九曜はもう盛道のベッドサイドまで足を忍ばせている。雪上も、入り口の前で突っ立っている訳にもいかないので、扉をゆっくりと閉めて、九曜の隣に並んだ。
盛道は、ただじっと九曜を見据える。二人は目が合ったまま、無言でいたが、少しして九曜が口を開いた。
「少しだけお話をよろしいでしょうか」
盛道は何も言わない。
「これから話すことは、あくまでも私の想像による話ですが、気が付いてしまったので話さなければ、誰かが終止符を打たなければならないと思ったのでこちらに伺いました」
盛道は、はいともいいえとも言わず、ただ一文字に口を結び、九曜を見つめるばかりだ。
「以前にもお伝えしたと思いますが、僕らはS大の学生で、この地にまつわる寒蝉寺の伝承について調べるためにここにきました。大抵、そういった昔話は、迷信とされて、現代のこの世の中では忘れさられてしまっているものがほとんどです。今まで調べたものは割とそういった方が多かったのですが、ここに来て事件に遭遇すると、”寒蝉和尚の祟りだ”と、伝承の通りに、皆さんがそう話されるので、大変驚きました。大旦那様の盛道さん、その話はもちろんご存知でいらっしゃいますね? そして尚且つ興味深いのは、今回の事件は竹取物語にもなぞらえられていること」
九曜は少しだけ反応を待っていた様だが、盛道は何も言わないので、再び口を開き、話を続ける。
「石平さんが灯篭の笠に頭を強く打った衝撃で、亡くなられていましたが、灯篭の笠を反対にすると、鉢にも見えます。これは竹取物語に出てくる、かぐや姫が求婚者に持ってくるようにした、仏の御石の鉢を模していると思いませんか? それと同時に、姫子さんの婚約に纏わる方で、命を落とされたのは、石平さんが二人目だと言うことを知りました。つまり、石平さんのその前に、一名、亡くなった方がいらっしゃると」
姫子はその言葉にはっと顔を上げた。時が止まった様に呆然として九曜を見ている。九曜はその視線に気がつかないのか、ふりをしているのか、どちらにしろ姫子には気にもとめず、話を続ける。
「その方は阿部さんという方だと聞きました。彼は姫子さんの婚約者でこの旅館で一緒に仕事をされた時期もあったと。ちらりと聞いた話では、阿部さんはとても人当たりがよく、仕事をそつなくこなし、他の従業員の方とも上手くやっていたと言う話でした。ですが、そんな彼が忽然と自殺を図った。白鹿寺の境内で首つり自殺。不審なのは、首吊りを図ったのは縄ではなく、布だったと。そこから連想されるのは、これも竹取物語の求婚者に依頼した火鼠の皮衣。そして石平さんの次に亡くなった若松さん。彼の周りには、ナンテンの実が散らばっていました。やはりそこから連想されるのも竹取物語に出てくる、蓬莱の玉の枝――竹取物語になぞらえて、人が亡くなって行くので当初は戦慄しました」
雪上はこくりと頷いた。
盛道は何も言わない。姫子は、泣き止んでようやく九曜を見た。
「しかしここから風向きが変わります。その次に亡くなった丹波さん。彼はこの竹取翁旅館の一介の従業員です。そこで、姫子さんに念のため伺いたいのですが、丹波さんと姫子さんは特別な関係だったんでしょうか?」
姫子はふるふると首を横に振った。彼女の気持ちを代弁するように、九曜は再度口を開く。
「いいえ。確かに姫子さんが幼いころから知っている人物だと、その意味では特別かもしれませんが、恋愛的な意味では違います。それに丹波さんには竹取物語になぞらえた品物はありませんでた」
「品物?」
姫子がふっと顔を上げた。
「阿部さんの火鼠の皮衣。石平さんの仏の御石の鉢。若松さん蓬莱の玉の枝。しかし、丹波さんの亡くなった現場にはそれがなかった」
「はあ」
姫子は、困惑した表情を見せる。
「丹波さんの次に亡くなったのが、寒蝉寺の住職さんです。住職さんの亡くなった現場でも竹取物語になぞらえた品物はありませんでした。そして、姫子さんに念のため伺いたいのですが、家同士の付き合いは、あるのだと思いますが、それ以上の私的な関係性は、どうでしょう?」
姫子は精一杯首を横に振った。
「ありがとうございます。最初は、姫子さんとの婚約にまつわる方々とは違い、丹波さんと住職さんの二人はそれぞれ、自殺と事故で、関係のない死なのだろうかと思われました。特に丹波さんの自室から遺書らしきものも見つかったようですし。しかし、そうではないと私は思いました。二人の死にも誰かの意図があると。犯人が丹波さんと住職さんをそれぞれ、自殺と事故死に見せかける様に殺害したとしたならばと考えた時、導きだされる答えは、竹取物語になぞらえたと言うのは、犯人が意図して行ったものではなく、たまたまそうなった。もしくは、共犯者がそう見える様に後から細工したということではないかと思いました」
「共犯者?」
思っても見ない言葉に雪上は思わず声を上げた。
「若松さんが亡くなった時、ナンテンの実は流れた血が乾いたところに撒かれていた。つまり、殺害した後に再度、あの部屋に入った人物がいることを示唆しています。犯人が意図的に行っていないので、舞い戻ったと言うことは考えにくい。つまり別に犯人のサポートをした人間、共犯者がいると言うこと。そして、丹波さんと住職さんを殺害したのは、二人が犯人にとってよろしくないことを知られた。もしくは知っていたので、口封じのために殺害されたということです」
しんと部屋の中が静まり返る。
姫子のすすり泣きは完全に止まり、雪上も息をすることすらためらわれるようなぴんと張りつめた緊張感があった。盛道はなにも言わない。生きている人間というよりも、ただそこにある、置物じみたなにかのようにも見えた。九曜は他の三人を一周視線をやり、話を再開する。
「一番最初に疑いを持ったのは姫子さんです。亡くなった方々の中心人物でしたから。そして、それを裏付ける様に、姫子さんがほぼ第一発見者としていらっしゃいます。ですが、姫子さん自身に動機が何一つ見当たらない。そこが非常に不可思議な部分でした」
九曜そこでまた言葉を切った。
雪上は九曜の言葉を固唾をのんで見守る。
「ヒントをくれたのは住職さんの死でした。車で小一時間かかる距離の、ひっそりとしたお寺で暮らしている人をどうして殺害する必要があったのか」
「住職様は薬の分量を誤って服用した事故死だと、そうではないのですか?」
姫子の声がすがるように九曜に突き刺さる。
「私も、そうだと思いたかった。しかし、そうではないと思います。事故に見せかける様に仕組まれた意図的な死である可能性が限りなく高いと、そう考えています」
「でも、しかし……」
姫子の雰囲気は図星をつかれた、そんな雰囲気が一瞬あった。しかし、それを認めるたくないのか、なんなのか。
「実際の証拠としては、今、警察が調べてくれているので、これから結果がでるでしょう」
「なにを調べているのです?」
雪上は口を挟んだ。
「住職さんが亡くなる前に茶菓子を食べた形跡があると、警察に聞きまいsた。それで、その茶菓子の成分を分析して欲しいと進言しました」
「茶菓子と言うのは?」
「二色団子のことです」
「あ……」
雪上は思わず言葉を失って。姫子と盛道を見た。
「関係者の方へ年末、新年の挨拶として、この旅館で作った、二色団子を手土産にされていたそうですね?」
「はい」
姫子の声は震えている。
「住職さんへあの御団子は姫子さんが直接持っていかれたのですね?」
「はい。仰る通りです」
「厨房にいらっしゃるスタッフの方から奇妙な話を聞きました。盛道さんは、住職さんの分だけはやたらと、気にかけられており、自室にお菓子を持ち帰り、熱心に確認され、お手紙を一筆したためていると。そうなんですね?」
九曜は盛道に聞こえる様に大きめの声を出したのだが、盛道からの反応は全く無い。魂が抜けてしまった人形のようにただ、こちらを見ているだけだった。
「私は、お菓子の二色団子の中に心臓の薬を仕込んでいたのだと考えています。薬は盛道さんがご自身で服用されている分がありますね? 特別用意する必要はありません」
「でも、あの二色団子だってそれほど大きなものではありません。御団子一個の大きさなんて、一口で食べられるくらいの大きさですし、そんな御団子にいれられる薬の分量だってたかが知れているでしょう」
雪上はそう言った。
「その御団子一個で殺害しようとは思っていませんでした。それが発作のきっかけになればとその程度に思っていたのでしょう」
九曜の言葉にぞっとした。
先ほど厨房にいるスタッフから聞いた話だと、盛道は今回だけでななく、ここ最近はずっと住職に持って行く分を気にかけていたと話していた。それはつまり……思考がフリーズしそうになるところ、九曜が口を開く。
「その考えに至った時、霧が晴れるような感覚がありました。そして、ヒントをくれたのは、この旅館の名前でもある竹取翁から連想される、竹取物語。そこから、今回の殺人は姫子さんの出自にまつわるなにかがあると、思ったのです」
盛道の瞳が一瞬、鋭くなったような気がしたが、言葉は何一つ発しない。やはり、ただ九曜を真直ぐに凝視するばかり。
「でもそれでも、姫子さんの婚約者、もしくは候補の方が亡くなった理由がわかりませんでした。つまり動機の部分です。石平さんは私達もほんの少しの側面しか知りませんが、確かに押しの強そうな人ではありますが、悪い人には見えませんでした。阿部さんのことについても、私達の耳に入って来る話では、姫子さんとの関係は非常に良好で、人柄も問題ないくらいに好い人だったと。その話は聞いて、私が感じたのは、どうして阿部さんは自殺をしたのだろうか、もしくはせざるを得なかったのか。それが、若松さんを殺害にいたったその理由ではないかと思いました」
阿部の名前が出た時に姫子はただ、少しだけ祈る様に目を伏せた。
「私はその理由についてずいぶん悩んだ後に、こう結論をつけました。姫子さんが結婚してはならない理由がなにかあるのではないかと」
「結婚してはならない理由?」
抽象的な物言いに、九曜が何を言わんとしているのか、雪上にはわからず、思わずそう聞き返すのだが、当の今日は盛道と姫子を一瞥してため息を吐いた。
「そう考えると、話がつながってくるのです。後に殺害された、丹波さんと住職さんがどうして殺害されなければならなかったのか。特に住職さんですね。彼はどう考えても殺害をされるような人ではありません。でも、こう考えるとどうでしょう――今回の事件の動機である、姫子さんが結婚してはならない理由、それを知っていて口封じのために殺害されたのではないという理由に結び付くのです」
「住職さんはその理由を知っていたから。それだけの理由で殺害されたと?」
雪上の声は自分で思ってもみなかったが、震えていた。姫子は死刑宣告を待つ被告人の形相だった。
「それで、その姫子さんが結婚してはならない理由というのはわかったのですか?」
雪上の声に九曜は真直ぐに姫子を見る。
「恐らくこの家と姫子さんの出自に関わることではありませんか?」
「あ……」
小さな悲鳴を漏らしたのは姫子本人だった。小さな悪事が見つかった子供のようにまた泣き出す。
「やはりそうですか。ここからは私の想像ですが、姫子さんは本当はこの加具家の血を引いていませんね?」
「……どうしてそれを」
ようやく盛道がしゃがれ声で聞き返す。
目を開けられるほど大きくして九曜を見つめる。
「旅館の名前からです。”竹取翁”の名前は姫子さんのご両親が事故で亡くなってからそう変えられたと聞きました。なぜ、その名前にしたのか。それは姫子さんの出自を竹取翁――竹取物語が示していることに他なりませんから」
「あ、えっと……?」
雪上は九曜が何を言わんとしているのかが飲み込めず、首を傾げる。
「竹取物語は知っているでしょう? 物語に出てくるかぐや姫は、おじいさんが竹を割った時に見つけた女の子です。つまり、おじいさんとおばあさんの実子ではないと言う事です。ですから、つまり……」
「そうです。おっしゃる通りです。私は両親と祖父母とも書類上では血縁関係にありますが、本当の意味で血の繋がりはありません」
姫子は震える声でそう言った。部屋の中にはしんと沈黙が訪れる。
それを破ったのは、しゃがれた盛道の声だった。
「息子夫婦の嫁さんは良い人だった。二人はいつもお互いに助け合って、良い関係を築いていたが、二人に足りないのは、子供だった。子供にだけ恵まれなかった。それで、幼い少女を迎えた。それが姫子だ」
盛道の一言一句聞きながら、姫子はハンカチを涙でにじませる。
「二人は姫子を我が子として、可愛がっていた。普通の家の夫婦なら、そのまま上手くいくのだろう。しかし我が家は普通の家ではない。呪われた加具家――石平くんには、悪いことをした。ちょっと話をしたかっただけなんだ。姫子の婚約者候補を辞退してほしいと」
盛道はそこまで話してせき込んだ。姫子は立ち上がると、盛道の隣に立ち、肩に手をやった。
血はつながっていないとは言うものの、雪上から見れば、十分、家族らしい家族に見える。
「我々は呪われた血族だから」
盛道の低いしゃがれ声だけが、部屋の中に響いた。
「それは、あの寒蝉寺の言い伝えと関連があるのですか?」
九曜の問いに、盛道は「ああ」と、声を震わせ、こくりこくりと頷く。
「今では昔話、まじない話みたいに伝わっているが、本当にあった話なんだ。ご先祖様はなかなかに横暴なことをされてだな……」
盛道の声がだんだんと暗くなる。
「心を奪われた女性に逃げられてしまったことに腹を立てた。それで半ば、腹いせのように女性が逃げ込んだというだけで、寒蝉和尚の殺害を命じた。その一連の行為が権力を振りかざした横暴に他ならないと言い訳のしようもないのは明らかだし、それが、全ての間違いだったと言えるもの事実である。あの女と和尚に手を出してはならなかったんだ」
盛道は遠いどこかを見て、わなわなと震える。
「その二人の念が、現在の加具家に影響をもたらしていると、盛道さんはそう思っていらっしゃるのでしょうか?」
盛道は震える頭を上げ、雪上と九曜を見るのだが、その瞳は亡霊でもみているかのようにぞっとする表情をしていた。
「祖父は昔から、目に見えない存在にも敬意を払う様にと。そう私も小さいころからずっと教わってきました。ですから、寒蝉寺には必ずお参りに行く様にしていまして」
姫子はぽつりとそう言って、呆然とした表情でいる盛道を気づかわしそうに見つめていた。
雪上は九曜を見た。
彼は一体、何を言わんとして言るのか。
「……今回の一連の殺人事件の犯人は盛道さん。貴方ですね?」
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