下弦の月
朝食を終えると、今度こそ厨房に行ってみようと九曜は立ち上がるので、雪上はお茶で食事を流し込み、追いかける。
昨夜来た時とは違い、明るい厨房で人が動きまわる姿が入り口からでもわかった。
「すみません」
九曜が声をかけると、一番近くにいた男性がこちらを振り返る。
「はい?」
よく通る声で返事をした男性は雪上と九曜を交互に見た。
「えっと……賀田さん?」
「ええ?」
九曜と賀田が二人して、疑問形で質問を言い返しあっている図に、雪上はどう会話に混ざりこめばいいのかわからずに笑顔を作って場にとけこむ様にする。
「厨房で丹波さんを発見された時に、僕らもこちらに……」
「ああ、そうだ、そうでしたね。すみません、あの時のことは正直、あまりにも衝撃的すぎて、記憶があやふやなところがあって」
「いえ、僕らだって同じことです。今日はようやく厨房の出入りが出来る様になったんですね」
「早いところ出入が出来る様になって良かったです。食材も痛みますし。まあ、正直、色々と思うところはありますが」
賀田はなんとも言えない表情を浮かべ、厨房の中を見渡した後、九曜と雪上に視線を戻し、
「それでお二人はなにか? お食事が足りなかったとか?」
「いえいえ、朝食は十分、美味しくいただきました。ありがとうございます。伺ったのは、ちょっと聞きたいことがあったからでして」
「なんでしょう?」
「昨夜、お茶とお茶菓子を出していただいて。そのお茶菓子が非常に美味しかったのでお礼と、あのお菓子はこちらで作っているとのことだったので、お土産にできるなら、もし購入できるのならと思って」
”お土産”の言葉の部分で雪上はぽかんとしてしまった。
「ああ、あの二色団子?」
「はい。美味しかったよな?」
九曜がわざわざ、笑顔で雪上の方を振り向くので、
「とても美味しくいただきました」
と、雪上は大げさに笑顔を作った。
「そう言ってくれるのは嬉しいんだが、あの団子はもうあれで全部で、これ以上の在庫はないんだ」
「常に作っているお菓子ではないんですか?」
「ちょうど年末年始の挨拶周りだとかに合わせて食材を仕入れて作っていたものだったんだ。もう、材料は全て無くなってしまって、出来上がった分の団子も昨夜の夜食分で最後。もしまた作る機会があるとしたなら、また今年の年末辺りだろう」
「それは残念です……でも年末年始の挨拶のためだとなると、結構もう時間が経っていますよね?」
「一気に作らずに、少しずつ作って、多少の日持ちがするように、製品化している。と言うのも、急遽挨拶に行かなければならなくなってしまった場合や、その逆の場合を想定して、多めに用意しているのですが、もう流石に必要ないだろうと」
確かに、もう一月の半ばを過ぎている。
「なるほど。参考までに伺いますが、あの和菓子はこの厨房で一つ一つ手作りされたもので?」
「もちろん」
賀田は誇らしげな笑顔を見せる。
「あの和菓子を提案したのも賀田さんですか?」
九曜の言葉に賀田はすっと笑みを消した。
「いや。お菓子としてつくり上げたのは我々ですけど、提案をされたのは、姫子お嬢さんです」
「へえ、食事についても姫子さんが取り仕切っているのですか?」
「食事一つとっても、お客様に何をお出しするかなど細々決めているのは、今は姫子お嬢さん――と、表向きはなっているが、どうも大旦那様から指示を受けているって話ですよ」
「盛道さん?」
九曜の言葉に賀田は神妙に頷く。
「姫子お嬢さんは、はっきりとそうと言わないが、従業員の間では暗黙の了解だ」
「この旅館に来た初日に、盛道さんにお会いしましたが、体調はあまり良く無いご様子でしたが……」
雪上は思わずそう口にした。
「失礼な言い方でしたらすみませんが、盛道さんはお仕事は出来る状態なのですか?」
九曜もそう言葉を付け足す。賀田は腕を組んだ。
「俺も、大旦那様の詳しい病名なんかは知らないけど、あの人時折、厨房に顔を覗かせて、あれやこれやと指示を出していくぐらいの元気はあるみたいだから」
「厨房にわざわざいらっしゃるのですか?」
九曜は素っ頓狂な声を上げる。
「まあ、たまにだけど」
「でも、その……お一人で?」
「そうですよ。頭ははっきりとしていらっしゃるようで、厨房に入ってくるとあれやこれやと指示を出されて。こちらとしてもそれを無碍には出来ません。その指示も、まあ的確でいらっしゃるのでね。時々、体調が優れない時はこんなメモを渡されることもあった」
賀田はポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出して見せる。
「これは?」
「大旦那様からのです」
九曜は大きく目を見開く。しばらく呆然として何も言えないでいた。雪上の位置からちょうどメモは見えなかった。
「これ、少しお借りしてもいいですか?」
「ええ、大丈夫ですけど」
何がそんなに衝撃なのか。
雪上と賀田は互いに目を見合わせ、首を傾げ合っていると、九曜はポケットにメモを仕舞い込むと、ようやく現実に戻ってきて、はっと雪上を見て、賀田に目をやった。
「すみません。ちょっと色々考えがわあっと頭の中に流れ込んできて――話を戻すのですけど、二色団子のお菓子を作るのを盛道さんが手伝われたり……なんてことは、あったのですか?」
「手伝うとは?」
「その、お菓子をつくるのを」
賀田は横に首を振った。
「流石にそれはないですね。大旦那様にそこまでされてしまうと、我々の仕事が無くなってしまいますから」
「そうですよね」
雪上は賀田に同意してハハっと笑い声を立てる。九曜はその話に意気消沈した様子だったが、賀田はそう言えばと口を開く。
「あの……こんな時に言いにくいことですが、亡くなった寒蝉寺の住職さん」
九曜は俊敏な動きを伴って、賀田を見た。その目はぎらぎらとして獰猛な肉食獣を思わせる。賀田は半歩あとずさったが、九曜が話を続きを促すので、戸惑いながらも再度口を開く。
「いや、別に大したことではないんです。ただ、先ほどから大旦那様のことをやたらと聞かれるから、そう言えばと思って思い出しただけで」
「で、一体何があったんです?」
「その、寒蝉寺にもいつも季節の折々に挨拶にまわっているんです。大旦那様はなかなか体の自由が思うままにならならないご様子なので、最近は姫子お嬢さんが主に挨拶周りに行かれるんですけど。お寺との関係については、お二人はS大の学生さんだと他の従業員から噂に来ていています。――あの、不快に思われないでください。従業員同士で、お客様の情報を共有するというのは、仕事の基本ですからね――ですので、寒蝉寺と加具家とのつながりについては、私からあえて説明しなくともご存知かと思います。まあ、懇意にしておりまして、昔は大旦那様が大奥様を引き連れ、仕事の合間をみて挨拶に回っていたようですが、今は先程も言った通り、姫子お嬢さんが全て引き受けていらっしゃって。それで大旦那様は自分は行けないから、包む前のお菓子の状態をチェックしたいと、なにやら仰られて。正直、お菓子を作る段階で、これはどこに渡す分とかって、決めていないのですが、大旦那様が色々と仰られるので、住職様の分だけは事前に決めて、確認をしてもらっていました」
「それは、今回の分だけですか?」
「いえ、最近は、ほぼ毎回です。まあ、大旦那様も色々と思う事がおありになるのだろうと思って、僕らはもう仰せのままにと言う感じでやってましたけど」
「状態をチェックしてお菓子箱の中に一筆手紙を書き入れるようです。だから、住職さんの分だけ大旦那様に渡しました……去年のお中元の時もそうでしたよ」
三人の話を聞いていたらしい、別の厨房スタッフが声を上げた。茶色の短髪のこざぱっりした若い男性だ。
「盛道さんが、お手紙を忍ばせると仰ったのは、住職さんに渡す分だけですか? 他に懇意にしている関係の方には?」
「いえ、大旦那様は寒蝉寺の住職さんの分だけだったと、でしたよね?」
茶髪のスタッフが賀田の方をみると、賀田もその言葉に同意するように頷いた。
「じゃあ、盛道さんはお寺に挨拶に行くのが難しくなってからはずっとお手紙を同封されていたのですか?」
「俺が知る限りはそうです。渡すお菓子についても念入りにチェックされていましたよ」
茶髪のスタッフは顎をさすり頷く。
「でも寒蝉和尚の命日などの日には、盛道さんもお寺には行ったんですよね?」
「まあ、よっぽど体調が悪くない限りは、そうですね。色々因縁もあるみたいですし、本来であれば、もっとやるべきなんだと、大旦那様も色々思うことがあるのでしょう」
九曜は腕を組み直し、一瞬顔を顰めた後、賀田を見る。
「皆さんは正直な話、あの祟りについてはどう思います?」
「まあ、……」
賀田は言葉を濁した。それ以上は聞けるような雰囲気ではないことを察した九曜は、話を戻す。
「盛道さんに先に手渡した、住職さん宛のお菓子はそれからどうなったんですか?」
「大旦那様から直接、姫子お嬢さんに直接渡されたらしいと」
「それは、直接盛道さんから聞いた話ですか?」
九曜の問いに、茶髪のスタッフが代わりにこくりと頷いた。
「賀田さんからその話を聞いて、大旦那様に『準備できましたら、こっちで包んでおきます』と申し上げたんです。つまり、その後のことはこっちでやっときますよ、というニュアンスですね。なんですけど、『姫子に渡したから不要だ』と仰られて、そう言われたら、こっちもそうですかって言うしかなかったんで」
茶髪のスタッフは盛道のセリフの部分を本人に似せた口調でわざわざ言うものだから、張り詰めていた厨房の空気がすこしだけ和らいだものになる。雪上も思わず頬を緩めた。九曜だけは冗談が通じない人のように真剣に頷き、
「なるほど」
と言って、腕を組んだ。
「まあ、そんな訳だから、申し訳ないね。熱心に来てもらったけど、あのお菓子はあれ以上の用意も出来ないものだから」
賀田が申し訳なさそうにそう言ったところで、
「あ、ちょっと待って」
茶髪のスタッフがそう言って、冷蔵庫を確認し、何かを取り出した。
「あれと全く一緒じゃないんだが、もしよかったら、食べてみて。帰る前に感想をきかせてよ」
そう言って、二人が渡されたのは羊羹だった。
紙のパッケージには【竹取翁旅館】と達筆な文字が印字されている。
「ああ、それがあったか」
と、賀田。
「いいんですか、いただいて?」
雪上は両手で受け取り、周囲の了承を得る様に周囲を見回した。
「宿の土産物の新商品として開発したもので、まだ試作の段階だけど、結構いい出来なんじゃないかなと思っているんだ」
賀田の声は自信に満ち溢れていた。
「この羊羹は賀田さんのアイディアなんですよ」
茶髪のスタッフが付けたした。
「日々のお仕事プラス、新しい商品の開発まで。大変ですね」
九曜の言葉にいやいやと、賀田は謙遜した。
「まあ、忙しいことは否定しませんけどね。時間は自分でつくるものだと思っています。ちょっと早起きをして、仕込みがてら厨房に来て、仕事をしながらの方が、アイディアが浮かんだりもするので」
「じゃあ、昨日も?」
賀田は項垂れた様に頷き、
「張り切って厨房に行ったのはよかったんですがね。まさかあんな……」
がっくりと肩を落とした。
「この旅館だって、この辺りでは老舗で通ってきたんですけど、これからどうなるのか」
茶髪のスタッフのスタッフも笑ってはいるが、心なしか表情が暗い。
「もしご存知でしたら、伺いたいのですが、以前いらっしゃった阿部さんという姫子さんの婚約者の方はご存知ですか?」
「阿部? ああ、姫子お嬢さんと大学が一緒だったと言う人ね。あの人も残念なことだった」
賀田がしょんぼりとそう言った後、茶髪のスタッフも、
「すごく良い方でした。どのスタッフに対しても、人当たりがよくって。大旦那様も威厳に満ちて、すごい方だとは思いますけれど、こういってはなんですが、昔気質な方であることも否めませんのでね。そういう意味では、これからの時代に向けて、新しい旅館あり方を担っていくリーダーだなと阿部さんにはそんな印象を持っていました。それだけに、自殺されたというのは、ショックでしたよ」
しんみりとした空気が流れる。
「阿部さんと姫子さんのご関係は良好でしたか?」
「それはもう。お二人がお互いを支え合っている。そんな仲のよさが垣間見えましたし」
賀田の言葉に茶髪のスタッフもこくりと頷く。
「阿部さんと、盛道さんや大奥様の久恵さんとの関係はどうでしたか?」
賀田と茶髪のスタッフはお互いに顔をみあわせ、
「表面的には問題なかったと思います」
「つまり?」
茶髪のスタッフが言葉を濁らせた部分に踏み込む様に九曜はそう聞き返す。
「ほとんど接触がないんです。接することがなければ、衝突もないも起きないでしょう?」
「ああ、なるほど」
雪上は頷く。
「お互い、避けていらっしゃった?」
「阿部さん側は歩みよろうとされているのは、彼の行動から伺えましたが、大旦那様の方が阿部さんのことをほとんどあってないようなものとして見ていましたから」
「それはどうして?」
「さあ……最初はご病気の関係でそうなのかと思ったりもしたんですけれど、だんだんそうじゃないとわかってきて。ほら、大旦那様は……」
「頭は、はっきりとされているからですか?」
雪上の回答が満点だと言わんばかりに賀田は頷く。
「それに、人が寝静まった誰もいない時間、大旦那様の部屋から阿部さんと大旦那様が言い争っている声も聞いたことがあって……別にわざわざ聞き耳を立てていた訳ではないんですけど、窓が開いていてそれで聞こえたんですよね」
茶髪のスタッフは言いにくそうだった。
「どんな内容だったか覚えてます?」
九曜は鋭い視線を向ける。
「それが……俺も通りがかりにちょっと聞こえたぐらいなんで、内容までは……ただ、『もう無理だ』と、阿部さんが強く言った声だけは、はっきりと聞こえたんで、多分、大旦那様が結婚を反対するようなことをなにか言ったんだろうくらいには思いました。俺はただの一介の従業員ですから、さっさと立ち去ろうと思ってそのまま通り過ぎたので、それ以上のことはわかりません」
「大旦那様が結婚を反対されることについて、それほど驚きはなかった様な話ぶりだと思いましたが」
「そりゃあ、普段の大旦那の阿部さんに対する態度を見ていたので。それに、その言い争いを聞いて、間もなく阿部さんが亡くなったので……」
茶髪のスタッフはわかりやすく肩を落とした。
「賀田さんは、阿部さんと大旦那様のことで、見たり聞いたりしたことはありませんか?」
「ないですね」
「俺は、この旅館の一画にある、寮に住み込んでいるんで。でも、賀田さんは自宅から通いだからそういうのはあんまりないんじゃないですかね」
賀田は頷き、口を開く。
「家族もいるので、寮だと手狭で。あ、でもそう言えば、大奥様と亡くなった丹波さんがいつか、二人で話していたこのを聞きましたね」
「どんな話をしていたのですか?」
「流石に、内容はよく聞き取れませんでした」
「従業員の中で、一番大変だったのは丹波さんでしたよね?」
茶髪のスタッフは賀田を見た。
「確かにそうだと思う。だから、亡くなったのが本当に残念でならないですよ」
九曜は二人を交互に見て、
「お二人は丹波さんとは親しいご関係だったのですか?」
と、たずねる。
「特別親しい訳ではないですけど、丹波さんは旦那様と大奥様と我々、従業員をつなぐパイプの様な役割を買って出てくれていたので、仕事ではよく話すことはありました」
「丹波さんがいたから、大きな波風なく過ごして来ることができたけど、これから、どうなるんですかね」
「さあね。じゃあ、そろそろ仕事に戻るから」
そう言ったに賀田に二人は丁重に礼をした。
「お菓子の感想ぜひ、よろしく」
念を押すように、茶髪のスタッフは笑顔を見せる。
厨房を出ると、九曜は電話をかけると言って、その場を少し離れた。
「連絡通じました?」
戻ってきた九曜にそう声をかけると、
「うん。和田刑事にはすぐに繋がった。ちょっと思い当たる節があったので、一応と思って。じゃあ、次は姫子さんの様子を見に行こう」
そう言って、廊下をふいっと曲がった。
九曜の意見に反対するつもりはなかったが、
「姫子さんの部屋ってどこですかね?」
闇雲に進んで行く九曜に声をかけた。
「恐らく姫子さんは盛道さんの部屋にいると思う」
九曜の声は確信に満ちていた。
なぜ、そこまで自信を持ってそう言えるのか、雪上は口を開きかけて閉じる。
鋭い目をぎらぎらとさせる表情を浮かべている時の九曜は本当に確信を掴んだ時だったから。
雪上はゴクリと唾を飲み込んで九曜の後に続く。
「それと」
歩きながら、九曜が話しはじめる。
「今回の一連の事件については、やっぱり竹取物語が関係あると思うんだ」
「……」
九曜が何を言わんとしていたのか、雪上には汲み取れず、そのまま黙って九曜について廊下を歩いた。
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