そんなこともあるよね

犀川 よう

🍀

 あなたが恬然とした態度で好きという言葉を使わずに同じ意味のフレーズを囁くたびに、わたしの心の中に溜まっている戸惑いから、ねっとりとした水銀のような液状の塊が零れ落ちる。その困惑という理性から生き別れた落下物に名前を与えるとしたら、悦びなのだろう。わたしにとっては、あなたは存在してはいけない劇物であるにも拘らず、どこか魅力的でわたしの弱い心に上手に吸い付いてくる。何も交えたことのない間柄であるのに、あなたはどこかに繋がりを求めたくなるよう巧緻な卑劣さを持っていって、わたしの漂流する気持ちという穏やかならざる海の上であっても、上手に操舵してわたしに近づいて誘惑してくる。それも直接ではなく、あの嘘くさくて——いとおしい笑顔と声によってだ。

 わたしたちの生活どころか人生の基軸は乖離していて、お互いがそれぞれひとつの駒として芯を中心に回転している。わたしはわたしの軌跡を描き、あなたは遠くで別の人のために回り続けている。でいながら、あなたはあなたの思惑でわたしに寄ってきて、わたしはわたしの言葉にならない寂しさを埋めるためにいつの間にか近くに行こうとしてしまう。何故だろう。実生活に大変さはあっても破綻に導くまでの不満はないはずだ。壊滅的なスリルを味わいたいようなストレスを溜めているわけでもない。いかなる不安があろうとも、わたしという駒は家族のために回ることができる。夫も子供たちも家族というカテゴリーで、穏やかで光さす公園の中で回っている。どこまでも、あなたがそばにいる必要もない、立派で誤ちのない光景の中でわたしは生きている。なのに、ふとした瞬間に別の世界にいるあなたを思い出すと、わたしの不安や気鬱という債務が見かけ上では完済されてしまう。子どもたちが手を繋いでブランコへ向かう後ろ姿を眺めている間も、あなたの背中を頭に浮かべていることがあるのだ。馬鹿馬鹿しい恋愛感情からではない。目に見えないけれど感じられる風が吹いたときのような肌に触れる感覚が脳内までやってくると、わたしはあなたを求めようとしてしまう。

 子どもたちがブランコの順番を競うような無意味な真剣さでスマホを取り出してメッセージを打とうとする。——今、大丈夫? 大丈夫ではないのはわたしの振る舞いの方なのに、わたしはあなたと乖離した気持ちを接着しようとする。駒と駒が互いに近寄れば、ただクラッシュアウトしてしまうことなど、頭では理解しているのに。

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