賽銭泥棒

縦縞ヨリ

賽銭泥棒

 故郷は田んぼと畑しか無いような田舎で、その頃の遊び場と言ったら、もっぱら自分家か友達ん家。

 親に泣きついて買って貰ったPSVitaを持ち寄って、皆でモンスターを狩るのが何より楽しかった。

 そんな感じで毎日大騒ぎしていると、母が、

「ちょっとは外で遊んで来なさい!」

 と怒鳴る。

 俺らは仕方なく外に出て、夏空の下自転車を漕いで、あぜ道を走るのだ。

 見渡す限り広がる、青々とした稲の植わった水田。

 俺たちは何時でも何処でも、小さな画面の中、仲間と胸躍る冒険に行けた。

 自転車を乱暴に停めて、鳥居を潜り、石段を駆け上がり、自然と、誰が一番に登れるかの競走みたいになる。

 必死に駆け上がった先で、ゼイゼイ息を切らして振り返ると、見慣れた故郷の景色が一望できたものだ。

 一面の夏の田畑は青々として、遠くには山々が連なり、雲で尾根が霞んでいる。

 俺たちはそんな田園風景が美しい事なんて知らずに、賽銭箱の横の日陰に座って、また画面越しの冒険に飛び込むのだ。

 外の世界なんてどうでも良くて、友達といるのが楽しくて、涙が出るくらい沢山笑って。

「おう小僧共、また来たんか」

 神社の爺ちゃんが呆れるくらい、ずっとそうだったのに。

 

 いつから皆で集まらなくなったんだろう。

 何処からが分かれ道だったんだろう。

 俺はどうして、こんな所に居るのだろう。


 俺は県内の高校を卒業して十八歳で上京。

 ボロアパートに住みながら一年必死にバイトして、十九歳で大きな芸能事務所がやっている養成所に入所した。

 自分は人を笑わせる事が得意だと、本気で思っていた。周りには何時でも友達がいて、俺がふざけたら皆大笑いしてくれた。

「みんなで笑うのが楽しい」から、「人を笑わせたい」に変わったのはいつ頃だっただろう。

 テレビを付けると、お笑い芸人が冠番組で、観客をドッカンドッカン笑わせている。俺もそれを画面越しで見ながら大笑いする。

 見ているだけでも良かったのに、いつからか画面の中に憧れた。

 

 それが、俺の一番の失敗だったのかも知れない。

 

 養成所のネタみせでも、ほとんど誰も笑ってくれない。

 高校生の時は、あんなに人を笑わせるのが得意だったのに。

 白けた空気と同級生の憐れみを込めた目が、俺の自尊心を日毎削ぎ落とす。


 加えて、大学でも無く芽が出るかも怪しい養成所通いに、親が援助してくれる訳もなかった。

 養成所に通いながらバイトもして、わずかな時間で必死にネタを書く。しかし、評価に繋がらない。

「俺は結構好きだったよ」

 なんて言ってくれる奴も居たが、そんなのは所詮馴れ合いだ。それじゃ食べていけない。


 もしや自分のネタは、同業者には分かって貰えないのでは無いか。

 気持ちを奮い立たせて動画サイトにも投稿してみたが、視聴数は二桁位のもので、叩いてくれる人すら居なかった。


 養成所を卒業し、空いた時間はバイトを詰めて、事務所のやっている劇場の中でも一番下のランクの所何とか出演し、同じ様に中々芽の出ない連中に混じってネタを披露し、案の定観客の笑いはまばら。

 そんな毎日に戦意喪失した同期は、諦めて実家に帰る事にしたらしい。

 光の無い目をしてそいつは言った。

「なんか最近賽銭泥棒あったらしいぜ?……俺らみたいな奴かね」

 嘲笑に歪んだ口元。それはきっと、賽銭泥棒に向けられたものでも、俺に向けられたものでも無い。

 鳴かず飛ばず、貧しさに疲れ果て、夢破れて故郷に帰る自分自身に向けられたものに違いなかった。

 

 それでも、俺は夢にしがみついた。

 そうすると、何年もかけてだが、お笑いライブやオーディションに出れる機会は徐々に増えた。

 嬉しかったが、反面困った事も起きた。

 バイトを減らさざるを得なくなり、生活費が足りなくなったのだ。

 交通費や食事代もかかる。

 でも、オーディションに行かないと、現場に行かないと、夢見たお笑い芸人にはなれない。

 必死に考えて練習したネタを見せれば、小さな劇場の観客は笑ってくれた。でも出演料は決して多くない。

 オーディションではとっておきのネタをやって、「分かりづらい」「視聴者層の年齢には刺さらない」と苦言を言われて帰る。理由を言ってくれるならまだマシで、「はい、次」で終わる事の方が多いくらいだ。勿論お金は、減るだけ。


 中途半端に結果を出した俺は、皮肉にも生活に行き詰まった。

 電気とガスは滞納で頻繁に止まり、やっと払って、また手元の現金が底を突く生活だ。

 借金も考えたが、何せ返せるあても無いのだ。恐ろしくて出来ない。

 俺は追い詰められていた。

 そして食費を削り続けた俺は、ある日魔が差してしまった。

 

 ある蒸し暑い日の夜、コンビニで菓子パンを万引きしたのだ。

 

 ネタ帳なんかを入れていた少しくたびれた紙袋に、たかだか百円ちょっとのパンが入った時、俺は絶望した。

 冷や汗が吹き出す。きっと傍目にも真っ青だっただろう。

 入れ替わりに入ってきたカップルは、小走りに店を出る俺を不思議そうに見た。

 しかし幸運な事に、男性の店員はフライヤーで揚げ物か何かの作業をしていて、俺には気が付かなかった。


 蒸し暑い家に走って帰り、震える手で菓子パンを紙袋から出した。

 店に入る時は買うつもりだったんだ。ただ、誰も見ていなかったんだ。

 選ぶ余裕も無かったそれは、ジャムとマーガリンを挟んだコッペパンだった。

 袋を破き、齧る。

 甘いとか美味いとか、それを感じる舌先さえ汚れて思えて、俺は泣いた。

 泣きながら食べたパンは、途中から味さえよく分からなくなり、それでもほんの少しだけ腹を満たした。

 今日は凌げた。明日はどうする。請求書が溜まっている。住民税の支払い期限も近い。

 生きているだけで、金がかかる。

『なんか最近賽銭泥棒あったらしいぜ?……俺らみたいなやつかね』

 故郷に帰ったあいつの、自嘲を込めた声を思い出した。

 そう、きっと俺みたいな奴だったのだ。


 スマホで近くの神社を検索する。幾つか出るが、ビルの上にある様な所は入れない。大きすぎる所もダメだ、流石に監視カメラなりあるだろう。

 そんなに規模が大きくなくて、夜は暗そうで、賽銭箱がありそうな神社。

 何とか歩ける範囲に、一軒だけあった。


 飲食店が建ち並ぶ夜でも明るい大通りをちょっと逸れると、比較的小さな会社や店、住宅が密集する閑静な地区がある。

 そして、建物の屋根の奥に目を凝らすと、明らかに暗い場所があった。そこだけは鬱蒼として、生い茂る無数の木々が見える。

 都会はこうやって、周りの景色とちぐはぐな所に突然神社がある。そう思うのは、やはり俺が田舎者だからだろう。

 初めて訪れたその神社は高台にあるらしく、鳥居の先は石段が続いていた。

 ほんの五分程歩けば深夜でも明るい大通りなのに、見上げるそれは、異界に続くように闇深い。

 両脇は雑木林。立て札には「𓏸𓏸区特別保護区」とある。お役所でも潰せない土地なのだ。

 真っ暗な石段を一歩踏み出す。ザリ、と汚れたスニーカーが音を立てた。人の気配は無い。しかし、足音を殺す。

 一歩、また一歩と登る。

 見上げる石段の先には神社がある筈だ。

 ふと、この光景を知っている気がした。


 見上げたそれは青空だった。

 五月蝿いくらい蝉が鳴いていて、足音なんて気にせず石段を駆け上がって、皆でゼイゼイ言いながら登り、誰が一番だとか言いながら汗をTシャツで拭いて、PSVitaを取り出して。

 皆で笑っていた。 


 足音を殺す。でも、呼吸が荒くなる。


 俺は何をしてるんだろう。

 何をしに、故郷を出たんだろう。

 皆で笑ってるのが楽しかった。

 誰かを笑わせるのが好きだった。

 まだ見ぬ人を笑顔にしたいと思った。


 沢山の人を幸せにしたかった。


 俺は泣いていた。涙が止まらなかった。

 もう足音を殺す意味なんて無い。

 俺はしゃくりあげて鼻水を垂らしてみっともなく嗚咽しながら、石段を登っていく。


 やっと登り切ると、闇の向こうに思いの外立派な神社が鎮座していた。暗くて見えないが、賽銭箱もあるだろう。

 俺は背後を振り返った。

 記憶の中のそれは、一面の田畑だった。遠くには大きな山の尾根が霞んで、夏は稲や葉物の緑が眩しく、秋は稲穂が輝いた。

 今は、都会のビル街の夜景が目の前に広がっている。

 その明かり一つ一つは、飲食店かも知れないし、家族が団欒するマンションかも知れない。或いはこの時間になっても家に帰れず、死に物狂いで働いている会社員のデスクライトかも知れない。

 俺は益々情けなくて、悲しくて泣いた。

 俺は故郷を離れてあの景色を捨てたくせに、あの沢山の光の中にも居場所を作れず、しまいには小銭惜しさに万引きまでして、今こうしている。


 俺は石段に座り込んで、しばらくボタボタと涙を流していた。とても賽銭泥棒なんてする気にはならなかった。正直、どうかしていたとしか思えない。

 魔が差したとはこの事だ、きっとパンを盗んだ時からおかしくなっていたのだ。

 

 ジャリッ

 はっと顔を上げる。誰かが懐中電灯片手に、社務所の方から歩いて来るのが見えた。

 みると、それは作務衣を着た爺さんだ。八十歳くらいだろうか。

「あんたどうした? こんな夜分に」

 何となく、田舎の神社に居た爺さんに似ていた。崩壊した涙腺はそんな些細な事にも涙を零す。

「……あの、俺……」

「おい、あんた目もすごいけど汗びっしょりじゃないか! ちょっと入んなさい!」


 爺さんは神社の神主さんだった。

 兎に角上がれと促されたのは、板間に長椅子を並べた部屋で、厄祓いや七五三の待合室らしい。

 恐る恐る端に座って待っていると、神主さんがガラスのコップに入れた麦茶を持ってきてくれた。おずおずと受け取ると、氷がカランと音を立てる。

「あ、ありがとうございます……」

「こんな遅くにどうした、何があった」

 しわしわだけど優しそうな顔が、心配そうに俺の顔を覗き込む。汗臭いだろうに、申し訳ない。

 やっぱり田舎の神社の爺さんに似てる……たぶん、あの人も神主さんだったのかな。

 心配されるのなんてどのくらいぶりだろう。

 やっぱり涙が溢れた。

 俺は泣きながら、必死に言った。


 賽銭泥棒をするつもりでここに来ました。

 今日、コンビニでパンを万引きしました。


 たったそれだけ言うだけで、しゃくりあげて過呼吸みたいになって、時間がかかって、でも神主さんは「うん、うん、そうか」と言いながらじっと聞いてくれた。

「賽銭には手をつけなかった。でも物は盗んだ、そうだな?」

「はい……」

「あんた、これからどうしたい?」

 俺は泣きながら鼻をすすり、何とか言った。

「……自首します……」


 俺は付き添われて石段を降りた。細い老人の手に励まされる。神主さんはずっと俺と手を繋いでくれていた。

 駅前の交番で、俺はお巡りさんに洗いざらい話した。

 とりあえず確認しに行きましょう、という事になり、お巡りさんと一緒にコンビニに向かう。その道すがらでも、神主さんは俺の震える手を握ってくれていた。

 コンビニの店長に頭を下げて事情を説明し、自首した事もあって、今回だけは商品の代金を支払うだけで許してくれる事になった。


 何とか長期派遣の仕事にありついた俺は、食品工場で働く事になった。

 朝から電車に揺られて、工業地帯の駅でバスに乗りこみ、一日中精肉をパック詰めする様な仕事だ。楽しくは無いが、ちゃんと給料が入るし、自分の力で生きて行ける。

 鳴かず飛ばずの芸能活動は辞めて、事務所も退所した。


 仕事が決まった時、親に電話した。

 芸能活動に見切りをつけた事を残念がっていたが、内心ほっとしているのも何となく伝わってきた。

「辞める時お世話になった神主さんがさあ、そっちの神社の神主さんに似てんだ」

「あの神社普段は神主さんなんて居ないわよ? お祭りの時だけ隣町から来てくれんのよ」

「……そうだっけ?」

 

 給料が入ったので、初めて入ったデパ地下で、ドキドキしながら菓子折を選んだ。

 見つけたのは、夏らしい色とりどりのゼリーの詰め合わせ。小さく賽の目に切られた果肉が涼し気だ。何より、御年寄でも安心して食べれるだろう。

 まだまだ生活は苦しい。しかし僅かばかりでも人の為に使えるお金があるのが嬉しかった。


「おう、よく来たね。上がんな上がんな」

 神主さんは俺を見ると、くしゃっと笑って、息子さんにを社務所を任せて、また前の部屋に上げてくれた。

 七五三の時期でも無いし、待合室には俺と神主さんしか居ない。

 菓子折を渡してお礼を言ったり、近況を報告したりして、やがて故郷の話になった。

「家の近くにあった神社がなんとなくここと似てて……って言ってもこんな立派なとこじゃ無いんですよ? でも石段上がる感じとか、雰囲気が。子供の頃そこで良くお爺さんに声かけてもらって、神主さんに似てたんです」

 神主さんは麦茶を足しながら、うんうん聞いてくれている。

「でも、この間母に電話したら、神主さん居ない神社らしくて。近所の人だったのかなあ」

「そうさねえ、わかんないけど、神様かも知れんねえ。知ってる子が万引きなんかしたから、心配してうちに連れて来てくれたんかもなあ」

「えー……どうかなあ?」

 俺も、そうだったらいいなと思った。


 石段を降りる前に、高台からの景色を臨む。照りつける太陽の下には、鈍く輝く大小のビルがひしめき合っていた。

 故郷の鮮やかに季節を映す田園風景は、やはり恋しい。

 しかし眼前に広がるのは、大震災と戦火に晒され、それでも立ち上がり一つ一つ積み上げられた力強い景色だ。

 この神社はそれをずっと見守ってきた。俺もきっと、見守られている。

 一人の人間として、自暴自棄にならず、ちゃんと前を向いて生きよう。

 そう思えた。だから俺はまだ、故郷には帰らない。


「そんでね、俺いっつも主任にいびられてるからって、心配して声掛けてくれたんです! でも『マウンテンゴリラがドラミングしてんなくらいにしか思ってないっすよ』って言ったら吹き出しちゃって!」

「やめてー! もうあの人ゴリラにしか見えない!」

「アハハ! 見たら笑っちゃう!」

 休憩時間、食堂で俺の話すのを聞いていた面々は、顔をくしゃくしゃにして沢山笑ってくれた。 

 俺も一緒になって笑う。皆が笑ってくれると俺も楽しいし、やっぱり嬉しい。

 

 休憩時間も終わる頃、同僚のおじさんに声を掛けられた。

「君面白いよね。お笑い芸人だったんでしょ?」

「いやあ、面白いって言って貰えるのは嬉しいんですけど、正直全然ダメで。もうちゃんと生活しなきゃと思って」

 おじさんはちょっときょろきょろして周りを伺ってから、内緒話の声で言った。

「僕、昔ピアニストを目指しててね。プロとしてはとても食べていけなかったんだけど、たまに刑務所に慰問に行ってるんだ。良かったら今度一緒に来てみない?」

 一瞬で、血が滾るみたいに胸が熱くなった。

 俺は、どうにもならない貧しさに追い詰められ、犯罪に手を染めた。

 犯罪に手を染める理由は人それぞれだろう。

 でも、俺の辛く苦しく情けない気持ちが、同じ様に苦しんだ誰かの、一時の癒しになるならば。

「行きます!」

 

 そうだ、俺はこれでいいんだ。

 自分の足でちゃんと立ちたい。

 辛かった分、人の心に寄り添える人になりたい。

 そして、まだ見ぬ誰かに笑って欲しい。

 一瞬でもいい。幸せな気持ちになって欲しい。


 ただ心から、そう思った。


 終  

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