第33話 サイカイと、自意識過剰

幼少期からずっと「ひさしぶり」という言葉が怖かった。

記憶力のない自分にとっては、ほぼ見ず知らずの他人から投げかけられる「ひさしぶり」ほど怖い共通意識の確認が思い当たらない。大差をつけて、第二位は「あの人○○だったよね」という時差の悪口、あるいは愚痴である。


こうしてエッセイもどきと向き合うのも、おおよそ2週間ぶりとなる。

激動の2週間であった、と片付けてしまうには惜しいが、それ以外に適切な言葉が思い浮かばないゆえ許してほしい。楽しいこともあれば苦しいこともあり、2024年の大半を占めていた「起きて働いて書いて寝る」平凡なルーティンから逸脱した日々を送っていた。そんな日々を、だいたい健康に過ごせたことに心から感謝したい。


閑話休題。

身も蓋もない言い方をすれば、これは再開を告げる宣誓だ。


執筆から離れ、目の前の新しい景色を見ているときは正直怖かった。

このまま小説を書かなくても生きていけるのではないかと思ったし、誰にも気づかれずに投稿を終えてしまえば、それでいいじゃないかと無責任な思考放棄に浸った夜もある。傲慢ではあるが好きで投稿している以上、たとえ途中で中断したとて、物語を打ち切りにしたとて、自分にとって不都合が生じるわけではないのだから。


が、それは私が許さない。

どれほど遠くに行ったとて、めぐりめぐって帰ってきたのはここだ。

まだ書きたい話がある。書きたい人がいる。

続きを届けたい物語は大きさこそ日によって形を変えるものの、必ず自分の心の奥に絶えることのない炎として熱を放っている。


そして読んでくださる方がひとりでも存在するのなら、必ず物語を完結させる義務があると感じている。たとえ時間がかかっても、読者の方を満足させるような内容を考え、お届けしなければならない。無論、はやいに越したことはないだろうけど……。


例年、小説の賞が大々的にテレビやネットで取り上げられると、職場の人に決まって話題を振られる。自分はそんな賞を取るどころか、まず本という形にもならない文字列をインターネットの海に流しては一喜一憂している小さな虫だ。物語を書く、なんて表現だと大層すごいことのように聞こえるけど、実際のところは自分の中にある消化しきれない感情を義務教育で学習した日本語に変換しているだけで、人間社会に生きている以上はそれが人間で表現されたに過ぎない。個人的な意見です。


自分はずっと最下位だ。

それでいいと思っていた、最初は。

自分らしく書けているのならば、誰がなんと言おうと胸を張るべきだと。

でも今は、小説から離れた生活を送り戻ってきた今は、不思議なことに最下位を悔しいと思っている。自意識過剰にこんな感情が隠れていたなんて驚きだ。


今の願いは、もっと多くの人に自分の小説を読んでもらって、楽しんでもらうこと。

目標を表に出すのはとてつもなく怖い。心の奥に隠しておけば、誰にも見つからないように繕っておけば、このままでいられるから。でもそうしないのは、きっと2週間の出来事が強固な自意識過剰の殻を少し、ほんの少し砕いたからかもしれない。


まもなく2024年が終わろうとしている。

当初立てた目標は半分以上が手つかずのままで、それがいちばん悔しい。

もっとスケジュールを綿密に立ててから執筆するべきだった、改稿が難航した際の配分を計算すべきだった、短編という枠を意識しすぎた。反省点ばかりが両肩に重くのしかかっているけど、これは必要な重みである。しかと受け止め、まずは今年のうちにできることから全力で取り組みたい。


自意識過剰は執筆を忘れることができない。

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