走れ、瞬
小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】
第1話
足が速いなんてのは、それは人生の役に立つことはない。大学の単位も取れないし、テストも赤点だらけだし、友達を作れるコミュニケーション能力もなければ友達も一人もできずにいつもひとり、小学生の時に少し速くて取った表彰状とトロフィーが実家に並ぶだけで社会が進むにつれて埋没していく。運動神経もよくはなく、速いだけで、サッカーも野球もバスケもドッジボールもバドミントンも陸上でさえもできない。文才もなく、相手の気持ちも作者の気持ちもわからない。女の子との接し方なんて尚の事わからないし、メガネをかけていない視力の良さだけは人並かもしれない。バイトを始めてもすぐに怒られまくってやめてしまったし、協調性も、人に合わせることも、人の顔色をうかがうことも不得意である。何をしてもだめ。他人から認めれることはなく、自己肯定感の低い大学生活を送っていた一年生だった。これが四年も続くと思うと、なかなか辛い。何をして生きればいいのか、生きる意味とは何なのか、生きるのが既にどうにもどうしても嫌になってしまっている現状では、どうにもならないのがどうしようもない。希死念慮を抱いても、それは不思議なことではなかった。
「やあやあ、瞬くん。元気してるかね」
「セクハラくん」
それはセクハラという名前のついた本名夜神という男であった。彼は年が一つ上の二年生で、いろんなところに顔を出してはいろんなことにちょっかいを出している奇人であり変人である。僕が本を読んで、少しでも授業への貢献にしようと励んでいたときに話しかけてきやがった。この男に関わるとろくな目にあわない。逃げるが勝ちである。
「僕、これから授業があるので……」
「あなた、今日はもう講義ないでしょ。うふふ、私の目は誤魔化せませんよ。全てお見通しです。さあ、これに着替えてください」
「これって……」
「いいから早く。トイレは向こうですよ」
着替えた。着替えなかったあとのことのほうが怖かったから。逆らったらどうなるか、何をされるかわからなかったから。怖かったから、仕方なく着替えた。しかし、これは……。
「いいですね、似合いますね。さあ、ではいきましょう」
「ど、どこへ」
「グラウンドですよ」
※ ※ ※
グラウンドではサッカー部が複数のチームに分かれて練習していた。サッカーコートでは練習試合のようなものであろうか、必死に行われていた。僕のような人間が来るべき場所ではない。来て良いところではない。
「セクハラくん、ここで一体何を……」
「部長さん。ああ、小川部長さんこんにちは。セクハラです」
「……夜神。何しに来た。もううちの選手には関わらないでほしいと言ったはずだぞ。お前に対する恩を忘れたことはないが、あのことは大きかったが、それとこれとは……なんだよ、今日は何しに来たんだよ」
「いえ、今日は新しい子を入れてくれないかと思いまして。サッカーはあまりやったことないんですが」
「初心者の入部? 勧誘時期はとうに過ぎたぞ。もう既に編成も決まっている。いまさら、無理だ。いくらお前の頼みでも」
「いえ、実はごにょごにょーー」
「それが本当なら、それは面白いかもしれないが」
「まあ、試しに少しだけ。どうです?」
「……ふう、まあ、いいだろう。三軍の練習試合なら、選手を休ませている間に入ってもなんとかなる。そこのお前、名前は」
「は、はい。青山瞬です」
「瞬。このセクハラがお前をサッカー部で通用するか試したいと言っている。俺はこいつの頼みであるならば、断れない。どうする。やるか?」
さ、サッカー? やっぱりやるのか。やらないといけないのか。全然やったことないぞ。どうすればいいのか、全然わからないぞ。ドリブルも、シュートも、ルールも今ひとつわからないかもしれない。なんでサッカーを、どうしてやらないといけないんだ。また、この人の気まぐれか。しかたないのか。
「やります。やらないといけないなら、やるしかない」
選手交代で俺は右サイドバックに配置された。試合が始まってからしばらくはボールは回してもらえず、ウロウロするばかりだった。相手にさえしてもらえない。仲間にも入れてもらえない。やはりここでもそうなんだと思った。変わらない。同じ。僕はいつだって情けないし、呆然としてしまうのだ。
「いくぞー」
声が飛んだ時、ボールは遥か彼方向こうへ飛んでいた。それでも僕の方向だった。初めてのボールしかし、到底追いつけない距離。相手の守備の遥か向こうでもあるが、転々としているボールに追いつけなければ意味がない。
無茶苦茶なパスだった。
俺は試されているんだろうと、そう思った。そしてどこかで声がした。それが聞こえた時、僕は走った。
「走れ! 走れ、瞬」
一瞬だったと周りの人たちは口々に言った。あまりの速さに誰もついていけなかった。初速から最速まですぐに乗って走り、ボールにたどり着いた僕は少し蹴った。触れるように、自分のものだと言うために。相手守備はまだ距離がある。独壇場だ。どうする。
手を振って何か叫んでいる。あそこにパスしてゴールを決めてもらえればいいんだ。
思いっきり蹴った。久しぶりにボールを蹴ることをした。そう思っていたはずなのに、何故か懐かしい気持ちになった。とても馴染みのあるような光景のように、それは思えた。デジャヴというのかもしれない。
ゴールは見事決まり、アシストとして、喜びの輪に混ざることを許された。大学に入ってからは初めてのことだった。こんなに誰かのためになったことはないし、みんなに喜んでもらえることはないし、たった一つのどうしようもなく取るに足らない練習試合でしかないわけだけども、でもこれが始まりだったことは言うまでもない。この部活に、セクハラくんに、あの部長さんと、なによりサッカーに、これから自分が巻き込まれていく。余りも多すぎる過去と前世を引っ提げて。その俊足を唯一の武器として。
走れ、瞬。自分のために。ゴールへ向かって。
走れ、瞬 小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】 @takanashi_saima
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