【SF短編小説】「永遠の命を生きる者の戒律」
藍埜佑(あいのたすく)
【SF短編小説】「永遠の命を生きる者の戒律」
#### 序章: 不老不死の発見
21xx年、科学界に革命が起こった。紅クラゲの驚異的な若返りメカニズムを解明した正能沙織博士は、その技術を人間に応用する方法を発見した。紅クラゲは通常のクラゲと同様に、ポリプから成熟したクラゲへと成長する。しかし、ストレスや傷害を受けた場合、成熟したクラゲの状態から若返って再びポリプに戻ることができ、またそこから成長することができるのだ。
彼女自身が実験台となり、遺伝子編集技術を用いて自らの体内に紅クラゲの遺伝子を取り入れることを決断した。その決断が、彼女の一生を一変させることになる。
#### 第1章: 若返りの実験
沙織の体内に紅クラゲの遺伝子が導入された最初の数週間は、驚異的な変化の連続だった。最初は細胞レベルでの変化にとどまっていたが、徐々に目に見える形で若返りが始まった。肌は滑らかになり、体力は増し、老化の兆候が消えていった。彼女の研究室は歓喜に包まれ、メディアはこぞって「不老不死の科学者」と彼女を称賛した。
#### 第2章: 永遠の青春
数年が過ぎ、沙織の若々しい姿は変わらなかった。彼女は二十代の外見を保ち続け、次々と新たな研究成果を発表していった。しかし、彼女の不老不死は次第に孤独感をもたらすようになった。周囲の友人や同僚は老い、次第に離れていく。彼女だけが時の流れから取り残されたように感じ始めた。
#### 第3章: 親しい人々との別れ
永遠に若く、美しくあり続けることが沙織にとって喜びではなくなったのは、最愛の母が他界したときだった。母の死を看取った瞬間、沙織は初めて「永遠」の重みを実感した。
自らの不死性が、愛する人々との別れの痛みを永遠に繰り返すことを意味していることに気づいたのだ。
#### 第4章: 永遠の孤独
数十年が過ぎ、沙織は世界中を旅した。科学の進歩に貢献し続け、多くの人々を助けたが、心の中の孤独は深まるばかりだった。彼女が出会った人々は次々と年老いていき、自らは変わらない。その悲しみを埋めるために、沙織は新しい挑戦を求め続けたが、どれも一時的な逃避に過ぎなかった。
#### 第5章: 愛と喪失
200年が経ち、沙織は数え切れないほどの愛を経験し、喪失を味わった。彼女は何度も人を愛し、そのたびにその人を失う運命にあった。今度こそは、と思う人と出逢い、熱烈な恋に落ちても、それはそれまでの焼き直しにすぎなかった。
彼女の不老不死は、愛する人々との永遠の別れを意味していたのだ。沙織は、自らの選択を後悔し始めた。
### 第6章: 沙織の変容
沙織は愛する人々を次々と失い、永遠の孤独と向き合うことになった。友人や家族が老いて死んでいく中、彼女は一人、若々しいままで生き続けた。その孤独と喪失感は、彼女の心に重くのしかかり、次第に精神的な限界に達していった。
ある日、沙織は研究室で突然の地震に見舞われた。実験器具が崩れ落ち、化学薬品が飛び散り、彼女の体に直接触れることとなった。さらに、彼女が開発していた新しい薬物の試験も失敗し、その結果が致命的な副作用を引き起こした。これらの出来事が連続して発生し、彼女の精神状態は極度のストレスに晒された。
#### 第7章:変容の始まり
体内に取り込まれた紅クラゲの遺伝子は、彼女の体に深く根付いていた。クラゲの遺伝子は、過大なストレスを感知すると、自己防衛のメカニズムを起動する。沙織の体は、細胞レベルで変化を始めた。
彼女の肌は冷たくなり、血液の循環が遅くなっていく。筋肉は弛緩し、彼女の体全体が異様な倦怠感に包まれた。彼女は、椅子から立ち上がることすらできなくなり、その場に崩れ落ちた。
沙織の体内で、紅クラゲの遺伝子が活性化し、細胞は未分化状態に戻るプロセスを開始した。皮膚の細胞が分解され、透明なジェル状の物質が表面に現れた。彼女の筋肉組織は縮小し、骨格は柔らかくなり、彼女の体は次第に液体化していくように感じられた。
内臓の細胞も同様に変化し、心臓の鼓動が弱まり、呼吸が浅くなった。彼女の視界はぼやけ、意識が遠のいていく中で、彼女は自分がどこか別の存在に変わりつつあることを感じた。その瞬間、彼女のゲル化しつつある脳に天啓が走った。
「ああ、私は……そうか、私は……そうだったのか……」
数時間が過ぎ、沙織の体は完全に透明なゲル状の物質に変わった。その中で、新しい細胞が再び集まり、ポリプとしての形を取り始めた。彼女の意識は完全に消失し、生物としての彼女の存在は、クラゲの原始的な形態へと逆転していた。
彼女の細胞は、紅クラゲの若返りプロセスに従って再構成され、原始的なポリプの状態に戻った。このポリプは、沙織の遺伝子情報を保持しつつも、紅クラゲの再生能力を持つ生物として存在することになった。
●
沙織の研究室に訪れた同僚たちは、彼女が消失し、研究室に残された透明なゲル状の物質と、微小なポリプを発見した。彼らはその意味を理解できなかったが、沙織がどのような運命を辿ったのかを推察することはできた。
この事件は、科学界に大きな衝撃を与え、紅クラゲの遺伝子研究における新たな倫理的課題として議論されることになった。沙織の物語は、永遠の命の代償と、科学の限界を超えることのリスクを示す警鐘として、後世に語り継がれることとなった。
彼女はポリプとして再生し、永遠の命を持つ存在として新たな形態での生活を始めたが、かつての正能沙織としての記憶と意識は、永遠に失われることとなった。
それが彼女にとって幸せだったのかどうかは、もはや彼女が失われている以上、誰にもわからないことなのだ。ただ彼女が最後に何を悟ったかだけは、ぜひ知りたかったものだと、今でも思う。
(了)
【SF短編小説】「永遠の命を生きる者の戒律」 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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