読書感想文2

天川

穢月祓 ―ミナツキハラエ― / 祐里(猫部)さまの作品によせて

 心の体力が低下しているタイミングだったら読めなかったかもしれないな、と思うくらいには重い作中の空気感。折しも、今の私は少々弱っているのかもしれない。気持ちよく書けていないし、積極的に読もうという意欲も低いように思える。

 でも、同時に思う。


 この空気、嫌いじゃない

 もちろん好きじゃないが、あたしが……生きることは悩むことだと定義していた、ずっと慣れ親しんで、もがいていた……あの頃の緊張感だ──


 私の心は、主人公の二人の……この先の顛末を見届けたい……、そう言っていた。

 そして、この作品は弱った私の読書力を叩き直してくれた作品でもあった。



 ────────────



 こちらの感想文は、下記の物語をあらかじめ読んでいないと理解できない構成になっております。


 穢月祓 ―ミナツキハラエ―  /  祐里(猫部) さま作品

 https://kakuyomu.jp/works/16818093079571058307


 ちなみに、読んでいても理解できない場合も十分考えられますが、それは私の文章がおかしいだけですので、どうかご安心ください。




 掌編、短編と違い……中編クラスの作品の感想というものは、全体を大づかみにして全てに対応できる「ひとこと」というものが提示しにくいと感じてしまいます。実際、読んでは記し、記しては読み直し……と、結果出てきた感想文は非常に読みにくいものになってしまったように思えます。お目汚しだったら大変に申し訳ありません。


 しかし、私の感想文は感情を整理せずそのまま……ありのままに書き記す、という手法で一貫しております。


 よって、想起される思いがあったら容赦なく流れをぶった切ってそっちに話が逸れてしまったり、話が前後左右に飛びまくるのですが……、思いが溢れてしまうからしょうがないのです。読んでいて、書かずには居られないほど思いが溢れる作品というのは、決して多くはありません。この表題作品は、間違いなく心を揺さぶるものであると断言できます。


 翻って────

 この作品は私の記憶への干渉の仕方が非常に巧みであった作品と言えると思います。最終的に、感想とは読み手の主観であり同じ作品を読んでも悲しむ人と笑う人がいるのはしょうがないことなのかもしれません。この作品も、読み手によっては全く違う印象を持たれることもあると思います。


 それを踏まえていただいた上で………、

 私なりに、真摯にこの物語と向き合った結果が、こちらの感想文であります。


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 ※あらかじめ謝罪しておきますが先に述べた通り、私なりに真摯に物語に向き合った結果が、この感想駄文です。当該作品及び作者様を非難したり意見を述べるものでは無く、ただひたすらに想起された想いを綴ったものであることを、どうかご容赦ください。

 この感想が、作者様の心に水を掛けるようなものにならないことを、切に願いつつ……誰かの心に届きます事を望みます。



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 わずか半年……たった半年弱の期間。

 私は、とある授産施設に技術指導技士として呼ばれ、従事していたことがありました。(この施設は、知的障害者を主とする児童を成人後の就労までを含めて支援する総合支援施設でした)


 この期間に私が体験したことは、自分の中での重石となりずっと心にあり続けるだろうと思っています。

 以後文中にて、少々受け取りと判断に困るような表現が出てくるかもしれませんが、これは良い悪いではなく、事実として書き記すのだということを、あらかじめお断りしておきたいと思います。


 社会から、要支援児童が守られるために作られた施設、だが同時に……この中には一種独特のルールと空気が存在する。


 綺麗事ではない。


 おそらく、この中で生きていくにはそれ相応の順応力が……そして、「素質」が必要なのだろうと思われました。

 もちろん、当事者たちに言ったら烈火のごとく否定されると思われます。ここの職員たちは、その大部分がまぎれもない「正義の人」たちなのですから。

 稀に、本当に穏やかな孫を見つめるおじいちゃんのような職員もいたりしますが、ここではそんな人は少数派でした。


 ………私が嫌悪していた、学校で感じた───あの空気感によく似ているような気もします。


 全くの偶然ですが、私の父も仕事で似たような授産施設の工事に行ったことがありました。そこで、内情を見てきた父の感想は、「いじめだよ、ありゃ───」でした。


 自分が優位に立てる相手に対して、どこまでも優位性を誇示し優越性を感じて幸せになっている人間特有の、あの雰囲気───。

 たぶん、ここに配属されたばかりの頃は多かれ少なかれ誰もが違和感を感じたであろうと……。しかし、それがここでの日常だとわかると、やがてそれにしていくのかもしれません。


 たとえ、世間から見た「異常」であっても、ここではそれが「日常」なのです。


 私は、技術指導技士としての臨時雇い。

 期間が終わればお役御免、その有限であることが……ある意味での救いとなったからこそ、自分を持ち続け違和感を違和感として感じ続けたまま役目を終えることができたのであろうと思います。


 そこの職員は、そんな違和感から「解放された」ひとたちばかりでした。

 悩むこと無く、自分が正しいことをしていると疑問を持つこともなく日々の業務に従事していました。


 重ねて述べますが、綺麗事ではないのです。


 職員が、収入を得て生活していくためにここに働きに来ているのと同様に、ここに預けられている子どもたちもまた、生きていくためにここに来ている……。言ってみれば、双方とも他に行くところがないのです。


 世間から見れば、進んで選ぶ仕事ではないのかもしれない。

 しかし、社会の中では間違いなく必要とされている施設でもありました。


 あの頃を思い起こして、今……私がこの物語から感じるのは───。



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「あっ、はい。生理……なっちゃった、みたいで……」


 恐る恐るだが打ち明けた愛美の言葉に、………瞳は、ちゃんとした対応をしてくれた。そのことに、たまらない安堵を感じました。


 生理、ナプキンがない───

 ───前述の施設での、私の記憶が甦る。


 知識も思考も乏しい、知的障害と呼ばれた子達でも、身体は年相応に大人になってしまう。

 ………食事時に訪れた施設内の食堂にて、ズボンの後ろから赤い染みを覗かせた女の子を、何度か見掛けたことがありました。当然、本人もそれがどういうことなのかは理解していないのでしょう。

 それを見かけると、「○○さん、今日生理だったっけ」と呟きながらすぐに処置するでもなく、一応覚えておくわ、といった感じでそのまま食事を続ける女性職員たち。……ここではそれが日常、食事が終わったら見てあげるから、ということなのだろうと思う。


 物語の、市役所の出張所に生理用品を貰いに行く、という部分にも───

 読み手である私の記憶の棘が、疼くのを感じた。


 ───私の住んでいる村にも、を配っているところがあります。

 ちょうど、テレビなどで「生理の貧困」という言葉が広まり始めた頃だったと記憶しています。もちろん必要なことで、歓迎されることでもありました。


 それを配っていたのは、村の保健センター。

 健康診断などでお世話になっている施設であり……まぁ、施設の役割を鑑みても妥当なところではあろうと思います。


 入口を入ってすぐの受付窓口のカウンター状のところに置かれていた、籠に入った数個のナプキン。脇には、「生理用品が手に入りにくい方、ご自由にお持ちください」という説明書きも添えてある。


 だが、そこに違和感というか……疑問も感じました。


 これを利用しなければならないほどの状況の人は、はたしてこれを受け取りにわざわざここまで来られるであろうか……と。そして、ここまで来たとして……これに手を伸ばす勇気が持てるであろうか、と。


 窓口の向こう側には、数人の女性職員が働いている。

 この場所、この状況で───



 私の、記憶の扉が……また一つ開く。



 ───十年ほど前に、受けた村の健康診断。

 時勢を反映して、項目の中には身体所見の他にもメンタルに関する問診も幾つか含まれていました。


 折しも、……その時は私も精神をひどくすり減らしていた頃でもありました。

 問診票の、精神的な自覚症状の項目には思い当たるものが幾つもあるような状態だったのです。

 しかし、設問のあまりに無造作であからさますぎるその表現に、なんとも言えない気分になり……結局そこには何も書かずに、私は問診票を提出しました。


 内科、循環器科、泌尿器科……それぞれの問診とサンプル提出を済ませ、心療科項目の面談へ。


 私の担当になったのは若い女でした。若い……というか、つい先日大学出たばかりかな、くらいの社会に出て間もないという……まだ浮ついた雰囲気の色濃く残る人物に見えました。


 私の提出した問診票を見て、

「あ、記入されてませんね~、じゃあ……夜眠れないこととかありますかぁ~?」

 女性は設問を読み上げ、に入った。


「……いいえ」

 私は、答えた。


 ……うそだ。

 いつも夜中に目が覚め、そのまま眠れないことなどしょっちゅうだ。


 女性は、即座に『□ない』の部分に✓を記した。


「いろいろな考えが頭に浮かんで考えがまとまらない気がすることはありますかぁ~?」

「……いいえ」


 これもうそだ。

 次から次へと、嫌な考えばかりが頭の中を支配している……それが今の日常だ。


 女性は、ノータイムでチェックを入れた。


「仕事に支障が出るほど、悩んだりすることってありますかぁー?」

「いいえ」


 これは……本当だ。

 仕事など、最近手放したばかりだから。

 支障をきたすような仕事など、こちらには無いのだ。

 それが為に、こんなに苦しんでいるのだから。


 女性は次々と、質問を繰り出していく。


「普段生活していて死にたいと思うことはありますかぁ~?」

 

 今しか、言うタイミングはここしか無い。


「…………ぁ……ぅ」


 ……あります。

 毎日思ってます。

 楽になりたいと、心底願っています────。


 打ち明ければ、なにかが変わるのかもしれない。

 でも、声が──出ないのだ………。 


 答えに詰まった私を、女性は全く目が笑っていない笑顔で見つめ、

「あ~……ま~、難しいですよねぇ~こういうの~。でもぉ~……人ってみんな悩みを抱えているものですからぁ~……ねぇ?」

 女性の手は、すでに「ない」のチェックボックスの上にペンを置いて準備万端だ。

 

 ───早く答えろよ

 なにもたもたしてんだよ

 後ろがつかえてんだよ、さっさとしろ

 こっちは押し付けられたから、嫌々こんなことしてやってんだ

 もちろん内容なんかどうでもいいし

 あんたのことなんか一ミリも興味ないけど

 なんか文句あんの……!?


 目の前の女の心の声が透けて見えるようであった。


 ………問診の場は、衝立も置かれていない会議用の長テーブル。左右には同じように問診を受けている村人。当然、何か言ったら周りに筒抜けであろう。


 ……急に、冷静さが忍び寄ってきた。


 今ここで打ち明けたところで、目の前のこの人間には理解も対応もできないであろう。ただひたすらに、自分の恥をさらすだけだ。

 そもそも、こんな場で自分の内面を開示するような度胸のある人間はいないだろう。


 この問診は、んだ。

 これは、健康診断を受ける人のためのものじゃない、主催者側の言い訳のために行っている問診なのだと、私は……ようやくできた。



 

 自分の中のまた別な理解が、解体され再構築されていく。


 最低賃金……。

 生活を保証するための、ガイドライン───


 そうじゃなかった。

 そこまで値切って文句を言わせないための、最安値。


 ご自由にお持ちくださいナプキン。

 配慮はしてますよ、というポーズ────。




 …………………………………………




 ────意識を、物語に戻そう。

 変な表現だが、物語を読み進めるのがとても大変でした。

 一行、一文毎に、画面から目を離し虚空を見あげ……自身の記憶と対話する。

 一小節読み進める毎に、自分の中では物語が一つ形作られ、聳え乱立していく感覚────


 結局、一話を読み終えるのに二時間はかかったように思う。



 ………感想に戻ろう。

 二人は、母親の元から逃げてきた。


 理由は、切実でシンプル。

 尊厳を搾取され切り売りされていたからに他ならない。

 彼女たちの危機感は当然でもあります。


 それでも、もう少し掘り下げて思えば───

 主人公姉妹は、とても聡明で、そして危機意識が高かったように思えます。

 それも才能、或いは生命に備わった生存本能なのでしょうか。


 親に、家庭に問題があると分かれば……、子供であろうと次は自力でなんとかしないといけない、と考える。考えれば、その方向に思考力が伸びていく───。


 逆説的に、家庭に問題のある子の方が思考力が育まれる環境なのかもしれません。その子が、もし適切に然るべき教育を受けられ、適切な役割に付けたのなら……きっと多くの人に貢献しうる人になれるでしょう。しかし、その採れる選択肢は残念ながら……裕福で幸せな家庭よりも狭いものになってしまうことが多いのかもしれません。


 この、残酷で非情なミスマッチは───

 社会を呪うに値するテーマでもあると思います。

 


 ………前作、「花は、咲う。」の時も思ったのですが、

 https://kakuyomu.jp/works/16818093073805452885

 この作者様は、狭い世界……採れる選択肢の少ない中での人物の描き方がとても上質だと思います。そして、その人物像がとても……豊かであるとも。そしてこの考察は、後ほどまた思い知らされることになりました。



 ───しばらく経ち、瞳の住まいで暮らすようになってから、姉の愛美が身の上を瞳に打ち明けるシーンにて。


 ここで、瞳が姉妹を受け入れるに至った理由わけが明かされていくのですが……。ここで、一つ前の話が思い出されました。


 冒頭の、瞳と姉妹の出会いから同居に至るまでの過程。

 私はここが、ちょっとおもしろいと思ったのです。

 読者としての私と、物書きとしての私が同時に意見を交わしてきたのでした。


 海岸で出会った、姉妹と瞳。

 一小節の後には、もういきなり同居が始まっていたのです。その過程については、一切説明無く、文字通りすっ飛ばして。


 おや?

 とも思ったのですが、同時にいろんな想像が掻き立てられました。

 敢えて、説明されていないからこそ……読者は想像してしまう。


 姉妹にかけられた数少ない瞳の言葉は、決して丁寧ではないし内容は突き放してさえいるようにも受け取れるものでした。しかし、次の段ではいきなり同居が始まっている。この展開には、少々意表を突かれました。


 読者としての感想は、ここで色々想像させているんだな。きっと後々の伏線になるに違いないと思い───。物書きとしての自分は、本当はいろいろあったけど……ここでモタついたら展開が鈍くて掴みが弱くなっちゃうんじゃないかな、と考えたか……。あるいは、場面の役割ははっきりしているんだけど、的確に表現する言葉が見つからなかったからあえて省いたのかな、という邪推も生まれました。


 ちなみに邪推をしたのには理由があって、自分に経験があるからです(笑)

 そして……省いてみたら案外、物語的に良い効果が生まれてしまって結果オーライだったからでした。

 ………すみません、失礼な邪推でした。


 少ない情報で、ここまで想像力を刺激する。

 私の書いたものには無い、筆致の力強さを感じてしまいました。



「あんたはこれくらいしか能がないんだから、せいぜい役に立つのよ」

「いいじゃない、それで学校に通えてるんだから」


 姉妹の母親の傲慢で利己的な要求は、愛美といっしょに読者も嘔吐するに充分な醜悪さであり……。こども食堂も、実は悪しき触手の巣窟であったという事実は、信じられる大人など居ない、という絶望を植え付けるに充分でした。

 二人が自己肯定感の低い人間に調されていくのに、これ以上無いほどの条件が整ってしまっていたようにも感じます。

 思えば、こんな偽りだらけの人間に囲まれて……それでも、瞳という女性を信じられる心を失わなかったというのは、この姉妹の心の強さゆえ……なのでしょうか。あるいは───



………そして、服を買い替えるのが嫌だという身勝手な言動は……またしても私の記憶の扉を開けるのに一役買ってくれました。



 ────私が子供の頃、村の靴屋に外履きを買ってもらいに行ったときのこと。

 その当時は、別段なんとも思わなかったのですが……。


 その店の店主の男は、私が選んだ靴を履かせてみて、足の大きさにあっているかどうか、念入りに確認してくれました。しかし、サイズをきちきちに合わせたためにすぐに小さくなってしまい、私は痛い足を我慢してしばらくの間その小さな靴を無理やり履いて過ごしたのが思い出されます。

 何故か、と問われれば………子供心に、靴は最低でも何年か履かなければもったいないという考え方をいつの間にか刷り込まれていたのだろうと思います。

 一方で、靴屋の店主は親切のつもりだったのかもしれないが、同時に買い替えを促進するためにそうしていたのかな、とも思えるのです。

 子供の足に合った靴推進派の靴屋と、倹約派のうちの家族。

 私にとって、これは結果的に良くない組み合わせだったのだろうと、今になって思ったりします。


「───子供って、すぐ大きくなって靴なんかしょっちゅう買い替えないといけなくて、お金かかるよね~」


 悪気なく何気なく言ったとしても、たとえ言葉の真意はわからなくとも────子供というのは、言われたことを覚えているものです。そして、それが仮に愛情から出た言葉だとしても、そのは子供には伝わらないのです。

 自分が子供を持たないことの決意をしたのは、ひょっとしたらそんな子供心をずっと持ち続けてしまったからなのかな、と思ったりします。こんな気持ちを味わわせたくない、とも。


 子供にも、親に気を使うという心理はあるのです。

 そしてその気持ちは、大抵は報われることが無いのです。

 更に、そんな気を遣えるくらいの子供は、その気持ちを表に出さずに心に仕舞ったままにするものなのです。※つまり、節操無くここに想いを書き記した私は、そんな上等な子供ではないことの証左でもあるのです。



 愛美に、将来なりたいものを尋ねられた妹……。


 そこで、愛美自身の夢に関する回想が交錯する。


「アイドルになりたい」


 なるほど、現代らしい夢。

 同時に、ステレオタイプな夢だと思う。

 そして、その夢が……書かされた作文で記した、もっともらしい嘘だとも。


 ここでは、私の保育園の頃を思い出してしまいました。


「しょうらいのゆめ」

 という、短冊風のスクラップブックを作る時間にみんなで書いた、なりたいもの。


 当時の私は、その言葉の意味も書いてある内容も全く理解できなかったのですが、不思議なことに……その時の自分の心理だけは鮮明に覚えているのです。


 男子は、「さっかーせんしゅ」か「やきゅうせんしゅ」。

 女子は、「かんごふさん」か「せんせい」か「けーきやさん」。

 このどれかを選べばいいのだな、ということだけはしていたのです。


 きっと、それを書いていた他の子達は、正確ではなくても言葉の意味とどんな職業なのかはなんとなく理解して書いていたのだろうと思います。

 でも、私は……「さっかーせんしゅ」の意味は全くわからないけど、それがの「しょうらいのゆめ」なのだな、ということは明確に理解していました。


 結局、私が何を書いたのかは全く覚えていないのですが、そのどれかを選んで記したのだろうということは覚えています。

 ちなみに、その子どもの中に一人だけ、ませた子がいて……母親が勤めている水産会社のパート従業員の送迎バスの運転手になりたいと書いた男の子が居たことはだけは、何故か鮮明に覚えています。


 ────もっともらしい嘘を選ぶ。

 それが、彼女の生きるための……身を守るために記した嘘だったのだろうと思うと、胸が引きちぎられるような思いに駆られました。




 ………言葉が通じない異国に連れて来られた、子供を例に取ってみます。


 「はい」か「いいえ」

 その間を表現する言葉をまだ持たない子に……

 辛くなったら、我慢できなくなったら「いいえ」と言いなさい、と伝える。


 たぶん、その子は……

 本当に、ぎりぎりの、瀬戸際になるまで「いいえ」とは言わないのです。

 使える言葉が少ないということは、

 発露する表現が両極端になるということでもあるのです。


 「はい」か「いいえ」

 そのそちらかを選べと言われたら、「はい」と言うしか無い。


 選択肢の幅を狭めるというのは、そういうことでもあるのだと────。


 



「───願ったって、なれないものはなれないのです。夢なんか、見ないほうがいい」




 ───唐突に、また私の記憶の扉が開け放たれた。

 この物語は、本当に私の記憶の扉に干渉してくるのが上手い。お陰で全然先に読み進められないことばかりでした。



 ………とある、アフリカの現状を伝える社会系の番組を見たときのこと。


 所謂いわゆる、アフリカ社会の貧困と格差を伝えるような内容だったと思う。内容はありきたりではあったがちゃんと取材した様子が伺えてそれなりに興味を持って鑑賞できる内容でした。


「───将来、子供にはどんな仕事についてもらいたいですか?」

 番組の最後に、子を持つ母親に番組スタッフが問いかけた質問の答えが、…………前述の言葉でした。答えた母親が……なぜか笑っていたのが、忘れられません。


 現実の中を生き、夢を持つという概念さえ持てなかった親の、リアルな答えだと思います。



 ………物語の姉妹の間で交わされた会話。


「お姉ちゃんも、何かになるんだよ。きっとお姉ちゃんなら何でもできるよ」

 ――そうだ、自分も何かになるんだ。でも、何に――



 この一節を読んで………私の心が、悲鳴を上げるのがわかりました。




 奪われているんだよ、君はすでに。

 夢を見るという概念を────




 この姉妹二人は、同じ境遇のようで明確に違うことが、ここでわかります。

 姉の愛美は、妹の麻里衣を護る……いわば、アフリカの母親と同じ立場となっているのです。


 夢など見ていたら、妹を守れない。

 私がこの子を守らなければ、少ない選択肢の中からできることを選ぶことだけが、日々を生き抜くことの全てだったのだから───



 愛美は、名越さん(精神科医)が言うところの『過剰適応』なのだろうと思います。

 その事が顕著に表れているのが、母親が喫茶店に乗り込んできたという危機的な場面────敢えて言いますが……まだ自分よりも妹と店主の瞳に気を使っている、という愛未の心理活動が、その取り繕う意味が……痛々しくて辛くてたまりませんでした……その後に出された刃物など、霞んでしまうほどに。


 ………………………


 最初、亮平が登場したときには、……申し訳ないけれど、少し気持ち悪いなと思ってしまいました。

 私の気持ちは、完全に愛美に乗り移っていたから……こんな追い詰められた子の前で、「愛してる」などという別な意味で生々しい言葉を使わないで欲しい、と思ってしまったものでした。


 ………普段は無用の用、と云う言葉があります。


 彼女たちが、ほんとうの意味での平穏を得られた時に、亮平の役割はようやく日の目を見るのかな、と。そのためにも、彼は敢えてこういった役回りを引き受けてくれたのだと。


 何度も言いますが、綺麗事ではないのですから。


 戸籍を是正し(敢えて是正と言わせてください)、真に亮平と瞳の子になるためには様々な困難と手続きを越えなければならないのです。そのために、亮平は物語に現れない部分で、文字通り粉骨砕身……奔走していたのだろうと思えば……あの愛してる、は未来の家族に、二人の姉妹に向けられた言葉だと、そう思えるから───。



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 感想文とは、リアルタイムで読みながら書くものではないと思います。

 しかし今回、この感想文は敢えて読みながら書くというかなり乱暴で変則的な書き方をしています。そのため、物語の結末が思っていたのと違った場合、書いてきたものが全部勘違いになってしまうという潜在的なリスクも孕んでいたのですが……。幸いにして、この物語は私の期待を裏切ること無く───結果、感想を献上して然るべき、上質で心揺さぶる作品であったことは、とてもありがたいことでもありました。書いたものを、捨てること無くお届け出来そうだからです。


 そもそも、こんな書き方になってしまったのは───

 読みながら……これは溢れる思いを何処かに残して置かなければ後悔するかもしれない、という焦りもあったからでした……。


 しかし今度は……こんな乱筆駄文を作者様にお見せしていいものか、という葛藤と向き合うことになります。

 重ねてお詫びいたしますが、作品を辱める意図は全くございません。

 表現と読み解きが拙い故に、誤解を与えてしまうかもしれませんが、批判や否定といった類の意図は一切含まれていないことを、重ねて申し上げたいと思います。


 あとがきを拝見いたしまして、

 そして……近況ノートを拝見いたしまして。


 ひょっとしたら、最後の部分を自主企画の期限に間に合わせるために端折ってしまったのかな、と思うところもあり申し訳ないなと思うと同時に……。

 そういえば、プリン・ア・ラ・モードについて、読み手の私自身が殆ど思いが至らなかったという、本末転倒な反省点もあります。


 私も、もう一度、いや何度でも読み返したいと思います。


 そして、遠慮せずに今後も作品に加筆修正など加えていただければと思います。その度に、私もまた読ませていただきたいと思っております。

 あまり誉められたことではないかもしれませんが、私も自作を掲載してから何度も添削して、ということを繰り返しておりますゆえ💦


 期せずして、自分の記憶と向き合うという、作品そっちのけの読み方になってしまったというのは、とても申し訳ないと感じております。作者様にとっては、やはり意図した読まれ方というのもおありだと思いますので。


 この感想文も、何度も添削いたします。

 そして、その結果……やっぱりこりゃあかんわ、となってしまったらその時は迷わず引っ込めようとも思っております💦


 読書系ストーカー・天川の悪名が……どうか轟かないことを、願いつつ。




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後ほど……私の、感想駄文めに……寛大にも、作者である祐里(猫部)様ご本人よりこのような感想を返信していただきました。感激しきりでございます。

連結掲載してもよい、という御裁可を戴きましたのでありがたく、ここにご紹介したいと思います。


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 天川様、このたびは拙作「穢月祓 ―ミナツキハラエ―」に感想を書いてくださいまして、ありがとうございました。




 おっしゃるとおり、「花は、咲う。」でもそうしたように、今回も狭い世界でのことを描いています。狭い世界だからこそ、周囲にも見えない何かがくすぶっているという状況を描きたかったのです。




 天川様ご自身がされた経験について、狭い世界であるがために「異常」なことが「日常」になってしまっていたと書いてくださっていますね。ありますよね、そういうこと。きっと「異常」だと気付く方が稀なんですよね。でも主人公の愛美はそれを「異常」だと嗅ぎ取っていた。誰に教えてもらうでもなく、妹の麻里衣のことを考えると、少しずつ「異常」が見えてきた。でもどうしていいかわからない。唯一できそうなのは、逃げることだった。なぜなら、汚い大人しかいなくて誰かに相談なんてできないから。本来なら保護されて生きられるはずの年齢なのに、自分からこども食堂に行かないと給食以外の食べ物さえ与えられないという環境を、愛美は本能で「異常」だと気付いたということになります。




 ここで、盗みなどの犯罪に手を染めてしまう子もいると思います。でも愛美と麻里衣はそうはならなかった。聡明だと思います。撮った写真を違法に取引している母親のようになりたくないという、反抗的な気持ちもあったかもしれません。




 作中では書きませんでしたが、実は、生理用ナプキンをもらいに行った時の描写も考えていました。職員に「他に何か困っていることはない?」と聞かれ、上からものを言われているように感じる。職員にとっては「仕事」であり、主人公もそれは理解できる。でも、困っている自分たちとその職員の様々な「差」を見せつけられる。そんな場面でした。




 「困っていることはない?」に対して「ある」と答えたところで、何になるのか。もし解決できることであっても、時間がかかるのではないか。時間がかかっている間は、結局ずっと困ったままではないか。そんな切羽詰まった思いなんて、職員にはわからない。きっと主人公は、そう考えてしまうでしょう。職員は、言わないといけないから「他に何か困っていることはない?」と尋ねる。仕事だし、そうしておかないと後々問題になるかもしれないし……。それを主人公に見透かされるという場面でも考えました。まさに、天川様がおっしゃっていたことですね。




 ちなみにその案を入れたプロットは、途中まで書いて保留フォルダに入れました。救いがない、あまりにもひどい話になってしまったんですよね……。あれは世に出したらいかん(笑)。




 瞳とのことは、麻里衣の一存でした。麻里衣が「瞳さんのそばにいると安心するの」と言っただけです。愛美の判断基準は麻里衣なのです。おそらくこの部分は、読まれた方がびっくりするところだと思います。申し訳ない気持ちがないわけではないのですが、基本的に愛美の心理を追っているので、愛美が「麻里衣がそう言うなら」と即決すると、私もそう書かざるを得ない(笑)。「居座る」という表現にしたのは、瞳が「夕食食べていくか→うちに泊まってっていいよ→ちょっと店手伝ってよ→夕食食べて(以下略」と二人に声をかけ続けたからなのですが、そのあたりをうまく書けていればよかったなと思います。また、三人称なので、愛美の思いをうまく書けていなかったかもしれません。反省しないといけませんね。




 愛美と麻里衣の関係はちょっと共依存っぽいなと考えていました。厳密には違うかもしれませんが。愛美は、麻里衣がいるから生きようともがく。麻里衣も、愛美がいるから生きていける。麻里衣は愛美に愛されていることをわかっているので、愛美より天真爛漫に振る舞うこともある。愛美が小学校の作文で書いた「将来はアイドルになりたい」という嘘は、その場を取り繕うためでした。愛美の「将来」には麻里衣がいます。麻里衣がどうなるかによって、自分の将来が決まると思っていたんです。本当に母親のようですよね。




 亮平は(作者に)いじられる役なんです。気持ち悪い印象を与えてしまって申し訳ないです。亮平にも謝らなければ。ごめんよ、亮平。お話の中で、彼は平気で「愛している」と瞳に言いますが、そんな人もいるのだと愛美と麻里衣に見せたかったんです。その言葉が嘘ではないということも。他人に対して心を砕く人だということも。心を砕くだけでなく、実務として他人を助けてあげられる人だということも。愛美と麻里衣に、広い世界を見せるための役割でした。彼がいなければお話は暗礁に乗り上げていたと思うので、助かっていました。緊張感を平気で破る飄々としたやつですし(笑)




 私自身は親から思われていなかったというわけではないですが、世の中には親の思いなんてもらえずに育つ子もいるということを書きたかったんです。そうして、途上ではあるけれど、一応ハッピーエンドにしたかった。生みの親なんていなくても子は生きていく、運だって実力のうちだと強く言いたいです。本当に、綺麗事ではないので。運を味方につけられるのだって、その人の持つセンスだと私は思います。




 プリン・ア・ラ・モードのことはお気になさらず……! あとがきに書いたように、「黄桃といえばプリン・ア・ラ・モードだよね!」という、本当に安易な発想だったので(笑)。むしろ、自主企画に参加したくせに冷たいデザートがちゃんとお話に絡んでいなかったことを反省しないといけません。




 私はどんな読み方をしてくださっても全然構わない派なので、「プリン・ア・ラ・モードいいよね!」だけでもいいですし、「(刺されそうになった時)何で亮平が愛美を助けてあげないのよ!」でもいいですし、本当に何でもOKなんです。もちろん、天川さんの感想もとてもうれしく思っています。かえって申し訳なく思います。こんな重い設定のを投げてしまって。




 このように反省点を挙げたりする機会を与えてくださって、本当にありがたいです。こう思った、こんなことを思い出した、ここはこうではないかといったご意見をいただけると、書いた側としてもいろいろ見えてくるものがあるので。




 拙作への感想にお時間をかけてくださったこと、大変光栄に思います。


 ありがとうございました。




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 追記:


 素晴らしき作品に巡り会えると、節操なく感想を書いてしまう私の悪い癖が発露し、その犠牲になってしまった今作品ですが💦

 感想文に感想文をいただき………、今あらためて作品を読み直し、また自分の感想と作者さまの感想を読み返し────

 いくらでも、読み直しのできる……そして読み返す度に新たな気付きと感想が生まれるというのは傑作の持てる要素だと思います。

 事実、感想を読み直した後では、全部読んだと思っていた今作品の中にもまだこんな部分があったんだ、と驚きがあります。


 短編(ちょっと長めの今作も、敢えて短編と呼ばせてください)作品のいいところは、可食部分がものすごく多い、なんなら骨まで食べられる、と云うところにあると思います。

 長編を書いていますと、どうしても物語の深みを増すための付け合せや添え物になってしまう部分が少なからず発生します。でも、長編はそれでいいし、それが必要なもの……ひいてはそれを含めて楽しめるものだと思います。

 私は、刺し身の『ツマ』まで食べる派ですけど、さすがに『バラン』までは食べないと思います。(袂に仕舞って持ち帰ることはあるかもしれませんが(笑))


 それを、さもしいと感じるか、行儀悪いと取られるか、味わってくれたと感謝されるか……


 作品というお料理を出されて、それを完膚なきまで味わい尽くしてやろうという気持ちは、いつも持っております。気持ちに反して完食できないこともしばしばあります。(最初から箸をつけないことも結構あります、すみません💦)


 もっと気軽に楽しめる食事、摘んで歩きながらでもいいよ、という軽食もあります。

 私にとっての読書は、そんなお料理に向かう気持ちを常に持ちつつ────真剣勝負になったときが、最高に面白いと思っております。


 今回、無理やりに近い形で、料理を提供してくださった御本人である祐里(猫部)様に一緒に食卓についてもらう、という事を仕掛けてしまいました。


 仕掛けた以上は、真剣に向き合ったつもりではありますが、作法が悪かったり無礼なこともあったことと思います。それでも、作者様はご自分の料理の食べ方と意図を、きちんと私に提示してくださいました。紛れもなく、自作品に対する愛と矜持をお持ちだと感じられました。


 そして────私が『バラン』だと思って避けておいたものを、すいっ、と手にとって口に運び……「実は、これ食べられるんですよ」と微笑んで見せてくれたのです。

 私は、驚愕するとともに……「やられた……!」と思いました。

 自ら勝負を挑んでおいて、虚を突かれるという恥を晒してしまったのです。


 自らの拙さを悟った私は、冷や汗を流しながら……

 かくなる上は「さ、皿を食うしか───!」などと思ったりもしました。


 今作品は、皮までも骨までも美味しくいただける作品であったことは言うまでもありません。短編には短編の、長編には長編の良さがあり楽しみ方があります。

 そして、その召し上がり方は読み手の数だけあるということも、作者様は寛大に許容してくださいました。


 これからも、このような作品に巡り会う機会があればよいと、心から願っております。そして……


 粘着読書系ストーカー・天川の悪名が広がらないことを、願ってやみません。

 私がコメントを残しても、どうかBANせずに生暖かい目でスルーしていただければと思います✨️

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読書感想文2 天川 @amakawa808

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