極彩の戒魚

雨斗廻

第1話 純白の戒魚

「──熱式魔砲弾よぉい、撃て!」


 ドン! と放たれた黄金の砲弾が水飛沫を上げて海面に着弾した。衝撃で揺れ動く水面に橙色の魔法陣が投射され、ボコボコと海水が沸騰する。


「レーダーに反応あり! 戒魚が浮上してきます!」

「ああ」


 乗組員の報告に端的に切り返し、軍服を纏った白髪の女は静かに腰の剣に手を掛けた。彼女の隣では白衣の女が興奮気味に甲板から身を乗り出している。

 膨れ上がった海上の気泡が弾け、長く巨大な魚が姿を現した。銀色の身体に真紅のヒレ。一見ウツボのような巨大魚が、身をくねらせながら曇天に飛翔する。それがただの魚でないことは、脇腹から生えた無数のヒトの腕が物語っていた。


「レーダー反応未だ多数! 来ます!」


 狼煙のように、幾本もの巨大魚が空に登っていく。その数六つ。尾で叩かれた水面が割れ、空に昇った戒魚の全体像が顕になる。


「Ⅱ型戒魚群を目視で確認、計……六体です!」

「Ⅱ型が六体か……多いな。おいそこの、あー、そこの新入り。双眼鏡を寄越せ」

「はっ!」


 横に居た新入り船員Aから双眼鏡をぶん取り、白衣の研究者がレンズを覗く。


「おぉ〜気持ち悪! 何だあの手。センジュカンノンかよ。モデルはリュウグウノツカイだな。軽く五十倍はでけぇが。なんにせよⅡ型が群れで襲ってくるなんざ異常事態だ。どうしたもんかね…………んあ? 何だアレ」


 レンズの向こう。最初に現れたリュウグウノツカイの頭部に、純白の塊が座している。

 予感、予見、未来予想。

 ドクン、と心臓が厭な鳴き方をした。冷や汗が喉を伝い、生唾を飲む。レンズの中央で、上体を起こした“純白”がぐーっと背伸びをする。

 ソレの上半身はヒトの形を取っていた。


「人魚だ」

「は……? 今、なんと仰いましたか」

「Ⅲ型戒魚がいる。純白の戒魚だ。人魚姫だ。Princess個体だ」

「?……ええと」

「馬鹿お前浅学者め。それでも戒魚殲滅軍の一員か。Ⅲ型ってんのはな、ヒトの脳を含む戒魚だ。ヒトを含まねぇⅠ型や、含んでるが一部のみのⅡ型と違って、Ⅲ型は人魚みてぇにヒトと戒魚部分が融合してやがる。……アレが本物だとすりゃ実に三百年ぶりのⅢ型サマだ」


 想定外の事象への高揚と、隣合わせの死。無意識に喉が引き攣り、口の端から乾いた笑みが零れる。

 ……歴史上、最後にⅢ型戒魚が確認されたのは三世紀以上前。現女皇が即位するよりも前の話だ。Ⅲ型以上の戒魚は絶滅した、というのが世間の常識である。


「……だがそれよりも、だ。皇女殿下。ワタシはどーも、あの純白に見覚えがあるんだよなぁ?」


 後ろを振り返らずに、ぽいっと白衣の女が双眼鏡を投げた。背後に居た軍服の女はそれをノールックでキャッチし、レンズを覗き込む。


「どう見てもお前にそっくりなんだよ。ヒオ」


 ヒオ、と呼ばれた軍服の皇女が、白い唇を薄く開く。


「ワタシはお前に良く似た純白を、一人だけ知っている」


 ヒオの白髪が舞い上がる。水晶のような瞳に驚愕の色が満ちていく。


「…… なあ“元”皇女殿下。アレは、お前が“流した”死体だろ」

「……」

「お前が皇籍を剥奪された原因──海流しにしたアイツの死体」

「……」

「それが還ってきたんじゃねぇの」

「……なら、アレの狙いは私一人か」

「アイツの脳がどれだけ残ってるかに寄るさ。戒魚の帰巣本能──流し主への殺害衝動を上回るレベルで記憶が残っているなら、或いは」

「……」

「お前はどうしたい?」

「私は、……会いたい。話せるものなら、話したい。けれどアレが祖国に──白縣に仇なす戒魚になったのなら、命に変えても私が斬る」

「……オーケーベイビー。ならワタシが全力で送り届けてやんよ。──対空移動用重力軽減魔法陣Model:Fish、起動」


 白衣の女の声に反応し、黄金の魔法陣が甲板に浮かび上がった。空が金色に染まるほどの光を放ち、魔法陣はヒオを中心に収縮する。


「纏」


 ヒオが呟いた途端、魔法陣は一瞬で霧散し、小魚の群れに姿を変えた。黄金の文字列が魚のように泳ぎ周り、ヒオの素肌を登っていく。


「定」


 キン、と金属音が鳴り、ヒオの肌に魚の文字列が定着した。文字が入った箇所は光の乱反射により、鱗のように輝いている。


「次。Model:Ocean、起動」


 今度は戦艦の底に魔法陣が浮き上がった。黄金の文字列はすぐに分解され、空気の色を染めながら船の外壁を覆っていく。


「定」


 再び金属音。文字列が固定され、戦艦に半透明のルーフができた。ゴゴ……と甲板が縦に振動する。


「総員、衝撃に備えろ! 浮上するぞ!」

「はっ!」


 研究者の号令に間髪入れず、船員Aは手近な手摺を握り締めた。

 それは高所から落ちるような、或いは水に溺れるような感覚だった。ゴポ、と空気の塊が口から漏れ、空に吸い込まれていく。反射的に上を見あげて、船員Aは目を見開いた。遥か上空で、金色の波紋が揺れている。


「戦艦規模の大型魔法陣を見るのは初めてか? 船員Aくん」

「……はい」

「なら特別に解説してやろう」


 研究者がニヒルに笑って、こちらを見る。


「これは戦艦を潜水艦、見渡せる範囲の空を海、対象の人間を魚と定義づける重力軽減魔法陣だ。これにより、海中と同程度に重力を抑え、“魚”は“海”を自由に泳ぐことができるようになる。マ、Model:Fishに対応できうる耐性持ちなんざ姫御前しか居ねぇだろーがな」

「なるほど……」


 喉奥でクツクツと笑って眼前のⅡ型戎魚群を見据え、研究者は大仰に両腕を広げてみせた。


「見とけよ新入り。見て脳髄に叩き込め。これが我ら戎魚殲滅軍の戦い方だ。──ヒオ!」

「ああ」


 研究者の呼びかけにコクリと頷き、ヒオは腰の魔剣を引き抜いた。剣は細くしなやかで、例えるならフェンシングのサーブルに近い。

 シュン! と空を切って中段に構え、上空を泳ぐリュウグウノツカイを見上げる。ヒオの白い外套がゆらりと浮き上がる。


「参る」


 ダン! と甲板を蹴ってヒオが空に飛躍した。衝撃に木の板が割れ、戦艦が左右に傾く。

 そのタイミングを見計らっていたように、“純白”は微笑んで腕を振り下ろした。五体のリュウグウノツカイがヒオを迎撃せんと高速で向かってくる。


「殿下を援護しろ! 召喚式魚雷発射用意──撃て!」


 戦艦の周囲に、観音菩薩の後光に似た十を超える簡易魔法陣が展開。法陣の中心に魚雷が装填され、一斉に撃ち出される。

 ドン! と鼓膜が振動するほどの衝撃に、船員Aは耳を塞いだ。魚雷は見事四体に命中。腹部に風穴の空いたリュウグウノツカイ達が海面に落ちていく。


「やった!」

「──チッ、一匹仕留め損なったか」


 目を輝かせて興奮する船員Aとは対照的に、研究者はガリ……と爪を噛んだ。悔しそうで、忌々しそうで、申し訳なさそうな表情。爪の際に血の滲んだ指をだらりと下ろし、戦艦に迫り来る一匹のリュウグウノツカイを見上げる。


「防御壁を展開しておけ。ヒオの邪魔になる」

「……硬度は」

「A+」

「しかし魔導エネルギーの残量が……」

「Ⅲ型にぶち込む魚雷分だけあれば後は要らん。やれ」

「ラジャー」


 他の乗組員に端的に指示を飛ばせば、船の前方にハニーカム構造の透明な壁が出現した。その数五枚。一枚一枚が分厚く、よく見れば一つ一つ材質が異なっているのがわかる。


「敵Ⅱ型戎魚、距離一海里!」


 接近したリュウグウノツカイが、数千本のヒトの手を合掌させ、大口を開いた。歯のない真っ黒な口元に、凸レンズ状の魔法陣が幾重にも重なって出現する。喉奥が白く輝き、熱で魔法陣が陽炎のように揺れる。

 研究者はリュウグウノツカイ目掛けて天空から落下する一筋の光を見上げ、独りごちた。


「……あとは頼んだ、ヒオ」



 ──ゴオォ。外套が風を切ってパタパタとはためく。白く長い髪が逆立って波打ち、ヒオはガラス玉のような瞳を薄く開いた。

 眼下には大口をかっ開いて法陣を展開する怪物。その進行方向には防御壁を張った仲間の戦艦。甲板で仁王立ちした白衣が翻り、分厚い眼鏡越しの瞳がきゅっと細まってこちらを捉える。

 ……迎撃準備も無しとは、随分と信頼されている。

 ふっ、と笑うように息を吐き、ヒオは上空の冷えた空気を肺に入れた。握った柄に力を込め、振り上げた剣に魔力を通す。


「──斬ッ!」

『…………、!』


 剣が怪物の頸椎に突き刺さった。

 衝撃で発射された熱光線が防御壁の上部を溶かし、液状化した壁がどろりと海面に落ちる。ジュウゥ……と蒸発する海水を、のたうつ怪物が尾で叩く。


「トドメだ」


 根元まで刺さった剣を、ヒオはゆっくりと引き抜いた。ピッと跳ねた血が白い外套を赤く汚す。

 瞬間、ビクン、と怪物が震え、抵抗が止んだ。刺創を中心に浮かび上がった紋様が、ギチギチと怪物の巨体を締め上げる。


「……ふっ」


 血のついた剣を軽く振って鞘に収める。最後の抵抗とばかりに首をもたげた怪物はしかし、何も出来ぬまま胴体と泣き別れになり、海面に落下した。バシャン! と血と海水の入り交じった液体が跳ね上がる。

 ヒオは全身で血雨を浴びながら、ただ静かに空を見上げた。Ⅱ型戒魚の生き残りが身体をうねらせ、その背に座した人魚姫と視線が絡まる。

 ニコ、と純白の人魚姫が淡く微笑んだ。邪悪さの欠片も無い、無垢な笑み。それに少々面食らったヒオは俯き、フッと一瞬肩を震わせる。


「全く、調子の狂う。……笑い方まで瓜二つとは」


 ヒオの笑みには諦観が滲んでいた。

 “彼”が生きていた頃の記憶が、優しく名を呼ぶ声が、何度も脳裏を行き来する。

 握った剣が、カタカタと震える。はあぁ……と長く息を吐き、ヒオはもう一度空を見据えた。


「──終わらせよう。ヰヲ」


 その声が届いたのか否か、戒魚の姫君は慈しむように笑んだ。

 死体の背を蹴ったヒオが天高く跳躍する。放たれた矢の如く一直線に、Ⅱ型戒魚へ突っ込んでいく。

 剣を抜く。距離が近づく。手を伸ばせば届く距離、剣を振れば首が飛ぶ距離に“彼”が居る。海水で傷んだ純白の髪は外ハネが目立っていて、曇天を映すガラス玉の瞳は一点の曇りもない。

 人魚の下半身は細いガラスが重なって、ベルラインのウエディングドレスのように見えた。ヒオはそれに、既視感を覚える。“彼”が描いたキャンバスから飛び出す、ガラス細工のインスタレーション。それが覚えのない記憶とも気づかずに、ヒオは記憶の回廊を遡る。

 何だったろうか、アレは。蜘蛛の巣のような、クリノリンのような──


「──カイロウ、ドウケツ」

「!」


 人魚が驚いたように眉を上げた。ヒオの無意識の内側で、甲高い耳鳴りが泣き喚く。ドクドクと脳が脈打ち、ヒオの顔が痛みに歪む。


『何やってんだ馬鹿姫君! とっととソレの首を落として帰還しろ! 死にたいのか!』


 遠くから白衣の女の声がする。拡声の魔法具でも使っているのだろうか、頭痛に響く、よく通る声だ。

 Ⅱ型戒魚の背に降り立ったヒオは、剣を握ったまま片手で顔を覆った。脂汗が額に滲み、心臓の音がやけに大きく聞こえる。


「……は、……は」

「……」


 呼吸が浅くなり、視界が一周する。剣を戒魚の背に突き立て、転倒を免れる。

 膝を折って俯くヒオの頬に、白魚の手がそっと伸びた。ヒオが髪の隙間から人魚を見上げる。


「──氷魚。氷魚。こっち向いて」

「っ」


 氷魚、と呼ぶ声は温かく滲んでいて、けれど頬に触れた指先はゾッとするほど冷たかった。厭でも死体とわかる温度だ。


「あ」


 ヒオが剣を離す。


「大丈夫。怖くないよ」


 人魚の片手が背に回る。背筋が冷え、ビク、とヒオの身体が震える。


『馬鹿ッ! ヒオ、避けろ!』

「、っア」


 ドス、と鈍い痛みが腹に来た。恐る恐る、下を見る。ヒオの薄い腹には、鋭利なガラスの棒が突き刺さっていた。じんわりと赤が広がっていく。


「なん、で、」


 絞り出した声は幼子のようだった。

 腹を庇うように蹲ったヒオは、人魚を見上げ、目を見開く。睨むように覗き上げた彼の顔は、驚愕と後悔で満ちていた。


「……氷、魚? え、なん、で」


 人魚の声が不安げに揺れる。

 ……これが戒魚の帰巣本能。自身の意思に関係なく抱く、己を創った原因への殺害衝動。つまりは因果応報なのだろう。肌に刻まれた魚の文字列が消えていく。

 死ぬんだろうな、と思った。ヰヲに己を殺させてしまうのだろう。しかしそれは案外、悪くない結末かもしれない。


「ヰヲ」

「ごめん」


 上体を起こして、優しく彼の名を呼ぶ。

 静かに涙を伝わせる彼の頬に手を伸ばし、唇を近づける。


「全部、思い出したよ、ヰヲ。死んでもずっと、愛してる」

「……ッ!」

『ヒオ──!』


 ドン! と先に衝撃が来て、Ⅱ型戒魚の首が吹き飛んだ。鮮血が二人の頬にかかって、ああ魚雷が命中したんだな、とヒオは脳裏で呟いた。爆風が身体を浮き上がらせ、ヒオはスローモーションで海面に落ちていく。


「氷魚」


 向かいには純白の戒魚が居た。一人でなら逃げられるだろうに、と無意識下でぼやくも、それを口に出来るほどの体力は残っていない。


「氷魚」


 切なげに、何度もヰヲが名前を呼ぶ。ヒオは困ったような笑みを浮かべ、瞼を閉じた。

 ポシャン、と間抜けな音を立てて、海が一人と一体を飲み込む。取り残された白衣の女は、拡声器を持ったまま甲板に崩れ落ちて慟哭した。




 第十回戒魚殲滅作戦。殉職者一名。大白縣皇国“元”第一皇女──ヒオ・クラールハイト。

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極彩の戒魚 雨斗廻 @katatumuri-

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