週間ひよっこ読書記録🐣
さえ
「勝手にふるえてろ」綿矢りさ
【タイトル】勝手にふるえてろ
【著者】綿矢りさ
【刊行】文藝春秋>文春文庫
【発表】2010年8月30日
【ジャンル】文芸>恋愛
発狂する拗らせロマンティック。
🐣作者
作者の綿矢りさは、1984年京都府京都市生まれ。17歳で文藝賞を受賞、史上最年少19歳で芥川賞を受賞した正真正銘の天才です。
熱量に溢れた女主人公によるエキセントリックで毒々しい恋愛譚をつぶさな観察眼で描く名手です。
今回とりあげる『勝手にふるえてろ』は映画化された名作のひとつ。
綿矢作品の女主人公のパワフルさはそのままに、空想癖の激しいこじらせ女子を主人公に設定することで、彼女に呆れたり同情したりしながら楽しく読める小説となっています。
🐣あらすじ
普段空想の世界に思いを馳せる内気なOL・ヨシカは、ろくに会話もなかった中学校の同級生イチに一方的に片思いをして10年目。タイプじゃない同僚ニがアプローチしてくるものの、その暑苦しさに辟易としていた。
そんなヨシカだが、ある日ボヤで死にかけたことで一念発起し、同窓会を企画してイチと再会する。しかし本物のイチはヨシカの名前すら覚えていなかった。
理想が砕かれ、一緒にいる時に違和感がない二に心を開いていくヨシカ。だがニとの交際を決めた瞬間の次の返答は、「俺まだ結婚は考えてないから」だった。なんで突然結婚の話なんてするの?
疑念のなか、彼女は同僚の来留美がニや周囲に自分のコンプレックスをばらしたと知る。結婚願望があること、彼氏いない歴=年齢であること、処女であること。わざとばらして私を貶めたんだ! 彼女は衝動的に口を開く。「好きな人がいるんだ」。ニを振った彼女は偽装妊娠で堂々と産休を取る。
会社を休んで一人を満喫するヨシカだが、同時に孤独と向き合うことになる。今まで空想のイチとたわむれていたけれどその恋は叶わなかった。ニには見限られ、唯一の友人だった来留美もだましてしまった。
傷心のヨシカはニを呼び出して口論をはじめる。今までうわべだけで接してきたが、本心で向き合ってはじめて「でもいくら好きだからってそのまま受け入れるなんて無理だ、相手に全部受け入れてほしいなんて乱暴だ」「これからヨシカのことを知りたい」というニの本音がやっとヨシカの胸に届く。
「霧島くん、ねえ、怒ってるの」
「いや、ほっとしてる」
ニのやさしさが心地良いものだと気づいて、物語は幕を閉じる。
🐣鋭い台詞
本作の主人公ヨシカは空想好きで人とのかかわりが苦手。その分会話シーンよりもモノローグが強烈で、人の心を突き刺さんばかりの鋭い文章が多いです。
人が本当に傷つけるのは恐れている相手ではなく愛してくれる相手、という言葉を思い出すほどに、綿矢りさの人間観が身につまされます。
・正直なのは良いこと、でもまったく魅力がない。恋をしたとたん正直になって魅力が消えうせてる。本人は正直のつもりでも、愛情深い人というよりただの欲深い人に見える。だって好きな人には正直でいたいという気持ちもただの欲望の一つだもの
・ニがもし完全に私に無関心になればどれだけ素敵だろう。(略)でも私がイチに正直に熱く接して、今の私と同じことを思われて敬遠されたら、私は悲しくて狂い死にしそうになり、その後ブラウスのボタンを引きちぎって怒り出すだろう。説教をしつつ、心の片隅ではこんな暑苦しい説教をする私も含めてぜんぶ愛してほしいと甘いことを考えるだろう
・「宙ぶらりんのまま返事を待たされるのがつらいんだよ。だめならだめだってはっきり言ってくれたほうがマシだ」
彼がこんなに正直にぶつかってくれているのに、私は彼にイチのことなんて少しも話さずにいて、心をちっとも開いていない。彼の不安は当たっている。
・初恋の人をいまだに想っている自分が好きだった。でも今ニを目の前にしてその考えが純情どころか薄汚い気さえする。どうして好きになった人としか付き合わない。自分の純情だけ大切にして、他人の純情には無関心だなんて
・波に乗るような自然な流れで恋愛が結婚に行き着くのは憧れるけど、私の恋心はもっとはっきりとした形をしていて、そんなふうに穏やかに処理できない。でも川の流れに摩耗されて石ころのかどが取れていくみたいに、いつか二とそんな関係になれたら
🐣「勝手にふるえてろ」
本作は松岡茉優主演で実写映画化されています。ここではある台詞の意味が大きく変えられていました。
「もういい、想っている私に美がある。イチはしょせん、ひとだもの。イチなんか、勝手にふるえてろ」
タイトル回収。原作では、ニに秘密をばらされていたことを知りトイレで激昂するシーンのモノローグです。
大好きだった推しイチは所詮空想の中のものにすぎず、現実のイチはヨシカの名前すら覚えていなかった。私はお呼びじゃなかった。あんたなんか、勝手にふるえてろ!
イチを突き放す台詞ではありますが、壮大な片思いの末に傷つき、勝手にふるえてから回ってるのは主人公ヨシカのほう……。
対して映画版では、「勝手にふるえてろ」という台詞自体が救いのあるものとなっています。ラストシーン、彼女は和解にやってきたニを玄関に押し付けて、勝手にふるえてろ、と低く囁いてキスをします。松岡さんの演技がとんでもなくセクシーで、カタルシスを与えてくれます。
これをラストシーンに持ってきたところに監督のこだわりを感じます。
この作品のラストは、自己陶酔の世界を破壊し、他人と自分の相互承認関係を受け入れる、社会化への挑戦です。
原作の彼女は、男たちを徹底的にイチ、ニと呼びならわし他人の本名をほとんど出しません。映画版ではあだ名をつける癖として描写され、やはり他人を本名で認識しません。ヨシカは名づけを拒否することで、自分の理想世界に現実の他人が立ち入ることを拒否していました。
それが崩されるのがラストシーン。「霧島くん、ねえ、怒ってるの」「いや、ほっとしてる」という何気ないやり取りから、自分を取り囲むたくさんの”他人事”の一つでしかなかったニを本名で呼ぶ=ヨシカがニを自分の世界に迎え入れたことが匂わされています。
🐣ヨシカは変われるの?
ロマンチストで内気なヨシカにとっての好意とは、10年も20年でも新鮮な愛着を持っていられる燃えるような情念で、それ以下のものはすべてゴミ。
素でこういう価値観なので、ニを振った直後は彼も同じように何度も電話をかけたり電話に出ろと脅迫的なメールを送ってきたりするだろうと想定し、連絡してこないことがわかると本気で疑問を抱いていました。
「私のこと、処女だから好きになったんでしょ」
ヨシカは愛してくれるニには相手の理想を守るために言いたいことを押さえ込んで、イチには自分の理想を押し付けて失望します。そのフラストレーションが爆発すると衝動のままに突拍子もないことをやり遂げて、周囲を振り回します。読者や周囲からすると「え、そこまでする?!」という突飛な行動でも、やっちゃう。それが彼女の愛と感情を解放する唯一の方法だ(と本人は思い込んでいる)から。
そんな不器用な彼女にとって、他人との相互理解はいかに難しいことか。
だけど彼女が他人を 遠くのお星さま/まるきり価値のないもの、愛かゴミか、と二分して決めつけているほどには、周囲は彼女に無関心ではありませんでした。
来留美は偽装妊娠のヨシカを気遣い、目を覚まさせた。ニは「同僚が秘密をばらしたのにいたずら心があったかもしれないけど、それも人間でしょ」と言って、ヨシカの決めつけの枠を破り、なお求めてくれました。
ただヨシカを全肯定し理解のある彼くんになるでもなく、ヨシカの決めつけ通り処女だから彼女を好きになったわけでもなく、彼女を否定しながらも愛しお互いを思いやらなくちゃと諭しています。
オタク気質女子に幸せはおとずれるのか。
原作ラストでの「自分の愛ではなく他人の愛を信じるのは、自分への裏切りではなく、挑戦だ。(略)私はいままでとは違う愛のかたちを受け入れることができるのか?」というモノローグ。
人生は挑戦の繰り返しです。彼女が変わらなければ恋愛は絶対に上手くいきません。変わったところで上手くいくとも限らない。
けれど、妄想の世界に他者を受け入れることを知ったヨシカであれば……ラストで暗示されているとおり、ずっと進化したやり方で愛を手にすることができるかもしれませんね。
次の更新予定
2024年7月1日 07:00
週間ひよっこ読書記録🐣 さえ @skesdkm
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