結末であり序章 歪んでしまった貴女の愛

 目が覚めると、一気に心と思考が現実に引き戻されて、夢の内容は霞のように消えてしまった。

 今日も姫君のための食事作りから一日は始まる。

 起き上がり、身支度を整えてから外に出ようとした時、ふと目の端に見慣れぬ着物が入りこむ。

 それが異様に気になったので、近づき摘み上げると、それは着物というよりも古い布切れのようだった。


――こんな着物……持ってましたかね?見覚え、ないんですけど……。まぁ、こんなにも朽ちてしまっているし、もういらないでしょう……。


 火に焚べてしまおうと、強く掴んだ時、何故かそれがひどく残忍なことをしている気がして、思わず動きを止める。

 暫し、その布切れをみつめてから、異常なほどの罪悪感に負けて、布切れを握ったまま、火のそばから離れた。

 その着物を元のあった場所に戻そうと、その着物から手を離す瞬間、何故か謝罪の言葉が口から飛び出した。


――すまない……今まですまなかったな……。


 この感覚はなんだろうか。

 私の中に私ではない私が存在して、その私でないもう一人の私が目を覚まし、その私が私を押しのけて躰を奪おうとしている。

 そんな空恐ろしく、不快な感覚。

 その私が、着物に対してひどく罪悪感を感じているのだろう。

 不快な感覚に眉を顰めつつ私は、その着物をもう一度掴み上げると、静かに撫でてから、裂けた布切れの裂け目を合わせ縫い留めていく。


――変に罪悪感を感じるくらいなら、直してしまった方が手っ取り早いですよ。どれだけ罪悪感に苛まれようと、口で謝罪の言葉を叫ぼうと、自然に直らない以上は、自身が行動するより他に手段はないのですから。


 私の中の私をそう諭している間にも、布切れは着物に戻りゆき、その艶やかさと美しさを取り戻す。

 思ったよりもそのことに時間がかかり、遅れを取り戻すように急いで食事作りを始める。



 目を覚ましたら静かだった。

 雅時さんに食事を食べさせてもらった時、いつもの景色に何か足りなかった。

 静かだった、それが神や妖の声が聞こえないせいだと気づくのに少し時間がかかった。

 足りなかった、それがいつも微笑んでいた神の姿が見えないせいだと気づくのに少しも時間はかからなかった。

 気づいた私は、神の名を何度も呼び、慌てた私は、神の姿を探しまわった。

 そして、いくら見回しても、どこを探し回っても私の愛してくれている神様を、私を守ってくれる神様をみつけることもできず、無力感に打ちひしがれ、雅時さんに助けを求めた。

 雅時さんはいつものように私を優しく抱きしめてくれた。


――大丈夫、大丈夫です。私がいる。私がいますから。今までもそうだったように、この先、貴女の身に何があろうともこの私、翠上みどりのうえ 雅時まさときが生涯をかけて貴女を守ります。


 あの言葉を受け取った日から、どれだけの日々が過ぎたのだろう。

 庭の花の移り変わりも、あまり気に留めなくなった。

 雅時さんは約束を違えることなく、以前と変わることなく、いつも私のそばで守ってくれている。

 この春の陽だまりのようなぬくもりに、このまま縋ってしがみついてもいいのかな……。

 この春の水のようなぬるま湯に、このまま浸って溺れていてもいいのかな……。

 そんな迷いと戸惑いの中でも、この世界で私は無力で、何もできなくて、神の加護すら失った私は雅時さんに頼る他なかった。

 私は突然、全てを無くしたのだから。

 この世界を平和にするための手段も、この世界で生きていくための目的も、元の世界に帰るための手がかりも、何もかも。


「姫君……。貴女がもし、生まれ変わっても、私の生まれ変わりが貴女を愛し、お守りします……」


「うん。ありがとう……」


「姫君……もし、貴女のそばに、貴女の望むものが溢れたとしても、私を愛してくれますか?」


「うん。もちろん。私には雅時さんしかいない」


「それは私だけしかいないからでしょう?私だけでなくなっても私だけを愛してくれますか?」


 雅時さんの言葉の意味は計りかねたけど、その強く優しく寂しそうな瞳に私は頷くことしかできなかった。

 それ以外の選択は掻き消えてしまっていた。


「うん。こんなにそばにいてくれる、守ってくれる、愛してくれる雅時さんだもん。私もずっと雅時さんを大好きでいるよ」


「よかった。……なら、眉唾物ですけれど、試してみますか。ちまたで流行りの申楽さるがく曰く、神結びの着物だそうです。役者の着物に似ていますし、せっかく直したこの着物で試してみましょう」


 そう言って微笑んだ雅時さんが一枚の布を手に持ち、ふわりと風の力を借りて広げる。

 畳の上に広げられた布は艶やかで美しい着物で、まさか手品でも始まるのかと思った。

 雅時さんに促されて、着物を手に取ると、それは突然だった。

 静けさが懐かしい賑わいに、足りなかった景色がいつもの優しい光景に変わる。

 突然失ったあの日々が、突然目の前に戻ってきた。


「雅時さん!すごいっ!……どうやって」


「え?本当にできちゃったんですか!?まさか、本当にできるなんて」


「できちゃってるよ!雅時さんっ!」


 私は嬉しくて思わず雅時さんに抱きついて叫ぶように伝えた。


――ありがとうっ!!


 雅時さんはなぜか困ったように、複雑そうに微笑んでいた。

 私は平静を取り戻すように、静かに目を瞑る。

 そして、神様と雅時さんに思いを巡らせ、心の中だけで、その想いを吐露する。


――雅時さん、私は神様を好きだったんだ。ずっと好きで、今でも神様が大好き。いなくなって苦しくて、戻ってきてくれて幸せ。もしかしたら、この先、大好きな神様に想いを伝えて、二人寄り添って生きていく未来があったかもしれない。でも、約束を嘘にしたくないから……。


 真っ直ぐに愛せたその人から、目をそらし、自身が自身であるために、私が誠実でありたいがために雅時さんの瞳を捉えて囁く。

 心を嘘で塗り固めているかもしれない。

 想いに蓋をしているかもしれない。

 約束を嘘にしないために、自身の気持ちに嘘をついているかもしれない。

 それでも……。


「私は雅時さんを愛しています……」


 雅時さんは私の告白にとても驚いたように目を瞠ってから、優しく蕩けるように微笑んだ。

 その優しく蕩けるような甘い微笑みに、私の頬は染まり、熱が躰中を駆け巡る。

 私ってこんなに、れっぽい性格だったかなぁ。

 迂闊うかつに惚れてしまう自分が情けない。

 この先はどんな出逢いがあって、どんな日々が続くのかわからない。

 でも今は、ただ今は、このぬくもりに縋って、このぬるま湯に浸って、この愛に溺れていたい。

 

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天上の神に愛された姫君と姫君を愛してしまった地上の若君 うめもも さくら @716sakura87

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