夢にて目を覚ます

 美しく、清廉な出で立ちをした男が、雅時の目の前に立ちはだかっている。

 端正な顔を、ひどく歪ませて。


「久しいな、翡翠ひすい。人の身に堕ちたお前は、もう何度、輪廻りんねを繰り返したのだ?」


「はい?何のお話ですか?そもそも、翡翠とは?私の名は翡翠ではありませんよ?」


「お前は、あの娘と恋に落ち、人の身に堕ちた。ゆえに、神々は目指すべき指針となる極星きょくせいを失い、幾重いくえにもわかれ割れて、争いが生まれた。お前を恨むもの、お前を擁護ようごするもの、あの娘をたたるもの、あの娘を救うもの」


「あの、聞いてます?貴方が何をおっしゃっているのか……まったく検討も理解もできないのですが」


「翡翠」


「ですから、私は翡翠ではないと」


「あの娘は翡翠の愛した女の輪廻の姿。今は天上の神に愛されし娘。天上を捨てたお前には手の届かぬ娘となったのだ。幾星霜いくせいそう、お前やお前の子孫たちが、あの娘に焦がれようとも、決してその想いは、果たされることのない運命……これが、お前への罰だ」


――天上の神に愛されし……


――焦がれる想いは、決して果たされることのない運命。


――罰。


 目の前の男の言葉が、雅時の頭を駆け巡る。

 自身を違う名で呼ぶその男は、まるで苦言を呈すように、忠告するように、雅時に言い放った。


「諦めろ……」


 その言葉を聞いた時、雅時の頭に浮かんだのは姫君にしか見ることのできない忌々いまいましい相手。


「よもや、お前が、姫君の周りをまとわりつく天上の神とやらですか?」


「それは正しく、また誤りである。私も天上の神ではあるが。あの娘を天上の神に愛されし娘として選び、その娘を愛したのは、私ではなくお前が産んだお前の息子であろう?」


「……私、まだ独り身でして、子供はおりませんし。こんな軟弱者なんじゃくものが、と思われるかもしれませんが、お恥ずかしながら、私はれっきとした男ですので。子供を産み落とすことはできないのですよ」


「お前の着物から産まれし息子のことすら忘れたか。翡翠、何もかも忘れ、捨て去ったのか?私はお前の友であっただろう?」


「ですから、何度も言っているように私は翡翠という名でもなければ、貴方なんぞ知りませんよ」


「翡翠、私はお前のどころでありたいと、そう願っていた。それは今でも変わらない」


「全然、話を聞いてくれませんね、貴方」


 雅時は呆れたようにため息を吐きながら、じろりと男を睨めつける。

 天上の神の一人である男は、その瞳にすら憐憫れんびんの情を抱きつつ、雅時を真っ直ぐ見据えて言った。

 まるで泣く子を慰めるように。

 まるで旅立ちを祝福するように。

 まるで全ての罪をゆるすように。


「あの娘はお前の息子にくれてやれ。お前の息子は、この世界を平和にしたのち、娘を元の世界へと帰すことができるだろう。さすれば、想いの呪縛きずなも解かれ、お前も天上に戻してやれる」


「嫌ですよ。私、別に天上の神になりたいわけではありません。姫君の心に巣食う天上の神を消し去りたいだけで」


 間髪入れずに天上の神の提案を棄却し、雅時は人が耳にしたらとんでもない、と腰を抜かしそうなことを、悪びれることなく、なんでもないことのように言い放つ。

 その言葉には天上の神も黙ってはいられなかったようで、瞳を強くして低く唸るように問う。


「翡翠、お前はお前の息子まで消し去るか?たかだか、一度の恋情あやまちのために」


 話は一向にまとまらず、決着がつく兆しすらない。

 互いの考えと主張、知識の有無が違いすぎる。

 理由もわからぬまま、理不尽かつ一方的に非難された雅時の堪忍袋の緒がとうとう切れた。

 苛立ちのままに、雅時は自身の言い分を、天上の神にまくし立てる。


「ですから!私は翡翠ではありませんし、天上の神が私の息子だなんてありえませんよ。私の名は、翠上雅時、翠上の現当主と良妻賢母の母との子として生まれ、姫君をお守りする役目を担う姫守りの一族の嫡子、姫君に恋情を抱き、姫君を想い、姫君だけをお慕いしているだけの、ただの人間です!」


「翡翠、あの娘とお前は決して結ばれぬ運命であ」


「私ね、今、腹を立ててるんです。何故、貴方に知ったような口を利かれてるのか、何故、違う名で呼ばれているのに責められたような心地になるのか、何故っ!!お前のようなろくすっぽ見たことのないような神様とやらに運命なんぞ、勝手に決められなくてはならないのかっ!!私の想いは、私の想うまま、私だけのものとして、姫君にお伝えするっ!」


 私の言葉に呼応するように、周りの景色が歪む。


「……怒りにて、翡翠に眠る力が」


「あぁ、なるほど、わかりました。これは夢なのですね。だから、こんな荒唐無稽こうとうむけい支離滅裂しりめつれつな状況なんですね。夢でも手に入れられたことは喜ばしいですけど。私ね、ずっとこの神殺しの剣を探していたんですよ。もちろん眉唾物まゆつばものなんでしょうけどね……」


 いつの間にか、手に持っていた刀を相手にめがけて振り下ろす。


「お前の言葉の通り、これは眉唾物だ。しかし、お前の力によって、それは真実にもまさる。私でなくばおそらく、消えていただろうな。翡翠、これをお前の息子に振ってくれるなよ」


 目の前の男は溶けるように消えた。

 いや、一度退いたと言った方が正しいかもしれない。

 雅時の中に眠る美しき翡翠の神は、自身の着ていた着物から産まれ落ちた天上の神に優しく微笑む。

 バサリと落ちた着物はズタズタに切り裂かれており、天上の神は姿を消した。



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