第八話 想いが違う

 いつものように、姫君には御簾の奥に座っていただいて、私は父に縁談話についてを切り出す。

 父は私の答えを察したようで、困ったように渋い表情で私の話を聞かず、自身のことを語りだした。


「雅時、私もお役目の最中の婚姻であった。ゆえに戸惑いもあったし、苛みもした。けれど、今はその時の私の決断が、間違いではなかったと、胸を張って言える」


 父が私をみつめて、静かに微笑んで、はっきりと言葉にする。


「雅時、お前が生まれ、立派に育ってくれているからだ」


 かつて私と同じ立場であった父は、その時のことを懐かしそうに思い返しながら、静かに私を諭そうとしていることがわかる。


「私の妻はとても良き妻だ。お前の母もお前にとって良き母であるだろう?」


 父の妻は、私の母一人だ。

 私は静かに頷きながら言葉を返す。


「母上は良い方ですよ。父上のお言葉に狂いはありません。母上は父上のため、私のため、この家のため、愛を持って接し、いついかなる時も誠実に一番早く動ける。美しく、聡明で、息子の私から見ても一点の曇りもない完璧な姫君です」


「あぁ、まことに良妻賢母という言葉がよく似合うだろう?それがわかっているのならば、問題はなく、此度の縁談、色良い返事を」


 父が言い終える前に、わざと被せるように、私は言い放つ。


「けれど、私が父上あなたとは違う」


 私の淀みなき言葉に眉を顰めた父に向かって、さらに私は朗々と言葉を続ける。


「お相手の姫君のことを深くは存じませんが、父のお眼鏡にかなった方なのでしょうから、良妻賢母という言葉がよく似合う姫君なのでしょう。しかし、私が父上とは違うのです。私は父のようにはなれません。私は私自身の心を違えることができない。家のため、一族のため、お役目のためであっても、私は私の心に蓋をすることも、私の心を嘘で塗り固めることもできないのです。私は、私の想うままに、姫君をお守りし、姫君とともに生きていきます」


 私は、父の瞳を真っ直ぐ捉えながら、私が姫君とともにここに来た本来の目的を口にする。


「此度の縁談、丁重にお断りいたします」


 なすべきことを終えた私は、姫君の手を取り、父の部屋から退室した。

 父のため息を背中に聞きながら。



 退室する息子の背を目だけで追いながら、この屋敷の現当主はため息を漏らす。


「我が息子ながら、信じられん。自ら進んで修羅の道にろうとは、酔狂すいきょうな者よ」


「あら、私は少しばかり想像がついておりましたわよ?仕方ないではありませんか。貴方と私の息子ですもの」


 息子と夫が織りなす事の成り行きを見守っていたこの屋敷の奥方は、ころころと鈴の音を鳴らすように微笑って言った。


「お前には想像ができていたか。さすがは母親だな。私はとんと検討もつかず、息子の言葉を聞くたび、内心は冷や汗ものであったぞ」


「ふふふ、そうは見えませんでしたよ?貴方は本当に心根を表に出さない方ですわね。……想像にかたくありませんでしたよ。貴方様の気高く、堅固で真っ直ぐな志と、私のあざとく諦めの悪い想いを、思い返せば容易に……」


 若かりし頃の二人を互いに思い出し、懐かしむように微笑い合う夫婦。


 男は願う。


――神よ、願わくば、どうかあの子の心が、あの子の望むまま、清く真っ直ぐに。決して、潰えることのなきよう。決して、朽ち果て折れることのなきよう。お導きくださいませ。


 女は祈る。


――あの子の道行きが、空に昇る陽光の如く、明るくあたたかなるものとなれ。あの子の先行きが、空に灯る月明かりの如く、優しく安寧なるものとなれ。どうか……姫君、どうか、お頼み申します。


 父は息子の目にも見えぬ神に願い、母は息子の目の前に立つ姫君に祈った。

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