芸術的自殺

@ShiinaSekai

芸術的自殺

14階建てのビルの屋上で男は、不思議と湧き出てくる高揚感に身を任せていた。男は脂のついて縮れている髪を掻き上げ、都会の赤と白の光を、猫のような焦点の合ってない鋭い目でぼんやりと眺め、男の持論についてブツブツと言葉を発していた。「芸術は命をかけるべきである」と。

男にとって芸術は嘘偽りのないもので、色々な矛盾を抱えた自分の本心を、完璧に映し出すことができる鏡であった。個々が持つ邪念や欲望、性への関心、己の未熟さ、世界の不条理、その真理を映し出す芸術は自分と切り離されているが、それは周りから一切関与されていない自分であるのだ。ならばそれを守るために命をかけることができるだろうと。

男はそのような持論を持っていたため、平和の歌や戦争反対、自殺ソングで金を稼いでる奴、そのような輩が大嫌いであった。己の持つ持論から程遠い存在であるからである。そのような人間は「自分の作品は......」などと語るが、「その作品のために腕を一本献上できるのか?」という問いに対しては、「腕がなくなると他の作品が作れないじゃないか」と叫ぶのだ。またあるいは、一般的に正しいことを歌にして自分を映し出さない。カスの連中である。

今、この時代にはそのような奴が増えすぎた。己の好き嫌いにさえも本心にさえも命をかけれない奴が。そのような奴に限って芸術を芸術であると言い張る。芸術家としての価値は全くない。

男はもう一歩踏み出し、屋上の縁の一段高くなっているところに足をかけた。都会の人工的な冷たい風が男の髪を揺らす。男は目を瞑り神秘的で幻想的だったあの20歳で自殺した画家の絵を思い出した。

男がその絵を見たのは、博物館の隣にある展示室であった。その絵に何が描かれていたのかは男にとって言葉では説明できないものであったため、あえて説明することはしない。しかしながら、男にとってその絵は自分が生きている理由を指し示すものであった。その自分の心を強い光で照らし映し取った影のような彼の作品は、男の持つ巨大な何かを奮い立たせた。男の髪の毛は逆立ち、全身は自分が虎であると錯覚するほど力に溢れ、目を見開き、発狂を通り越した叫びを放った。その絵を見た瞬間であったなら、男は五億年の拷問にも耐えられるだろう。その絵は男にとってそれほどのものであったのである。

男はその絵を思い出し身震いをした。

そして熱くなっているお腹を押さえた。内から上がってくる何かに快楽を感じた。

男は今から自分の芸術を示すのである。己の全てを地面という画用紙に示すのだ。それは今まで自分が生きてきた全ての意味を込めるものである。己の芸術観、世界の不条理、好き嫌い、性への関心、己の未熟さ、頭、四肢、臓器全てである。それが芸術なのである。

「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」

男は飛んだ。


1時間後、男の遺体は警察に回収され、清掃業者に彼の肉片は回収された。ちなみに深夜だったため、発見者以外誰も彼を見てないし、ニュース報道されなかったそうだ。


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