「僕が感動したのは」

@404_artist_IDdesu

練習

なぜどこに行っても楽しくないと感じるのか。

物語が無いから。

小説を読んでいるときに触れている、あの感覚がない。

周りの人の心が、紙よりも薄っぺらく見える。

そうやって人を否定して、誰とも関わらなくなって、くだらない人生になっていく。

もう何があっていて間違っているのか、わからない。

「何してんの」

長い髪が僕の顔に触れる。

間違ったことをしているときは、いつも彼女が声をかけてくれていた。

でも、そんな彼女も、もういない。

誰からも咎められずに、一人で生きていくことがわかっていた。

子供のころの僕は、こうなることをわかっていたのだろうか。

「いらっしゃいませ」

小銭を手に取る。

「こちらの商品はいかがでしょうか」

単色が並んでいる、一列だけの商品棚の中から、それを指さす。

もし、この現実がフィクションであるとするならば、僕はどんな物語を書くのだろうか。

映画のような人生を、知らないうちに望んでいた。

でも、それは自己中心的な想像で、自分以外の人間が主人公ではないことに、違和感を覚えるべきだった。

人を感動させる物語を、地味な現実の中で、それはフィクションだとわかりながらも、文章で形にすることが、一つの映画として成り立つような気がした。


リュックに数十枚の原稿用紙と、シャープペンシルを詰め込んで、部屋の明かりを消す。

午前中の部屋には、明かりが必要なかったみたいだ。

薄暗い部屋に、青色が混ざっているほうが、現実との一体感が出てよかったのに。


小説教室につく。

今日も、自分は小説家になるべきだという自覚を持ちながらペンを走らせる。

SNSにとうこうするような文章も、全部ネタとして、詰め込む。

「始めるぞ」

茶髪に染めた、60代後半のおじいちゃん先生が、いつもの声のトーンで授業の合図をする。

それでも、僕はイヤホンを外さない。

開放型イヤホンだから、言葉にならない人の声は一応入ってくる。

今は、それだけでよかった。

うまくいっているとき、全てを肯定する余裕が生まれる。これをもっと嚙み砕いて表現するべきだった。


普通に学校に行って、普通に就職して、友達を作っても。

「面白くないと思ってるだろ」

って言われていたのは、物語が無かったから。

恋愛映画の巨匠、阿部先生の映画を見て。

阿部監督と、海外のファンタジー映画監督とのコラボ作品を見て、中学生のころに感じた感動は、ずっと僕の心臓にまとわりついていた。

すぐにヨドバシカメラに行って、イラストの機材を買った。

映画の音楽に感動していたんだと、今度は音楽に手を付けた。

そこからシンガーソングライターだとか、色々なことに浜っていった・

でも作業にはまっていたわけではなく、まだ続いていたやるべきことを探すことに、嵌っていた訳だった。

曲を作り終わっても、イラストを描き終わっても、全部、中身がなかった。


だから今度こそ、もう一度今度こそと願いながら、小説を書いて。

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