うわつき
饅坊
うわつき
店内には男女問わず若い客が多い。席は想定されているであろう1人あたりの面積がやたら狭く、狙っている人でもいれば自然に近づくことができて良いのかもしれないがそうでなければ単純に窮屈で、丸椅子は尻をじわじわ痛めつけてくるし、要するに長居する場所じゃない。
さっきから入口の方で代わる代わる何人も指を立てては残念そうに首を振って帰っていく。店員は慌ただしく声を張り上げている。
「ねー今日はほんとにありがと」
「失礼します、ヤンニョム唐揚げとー、シーザーサラダになります」
「え、あ、あざます、何のこと?」
佐藤は雑に置かれる料理を受け取りながら聞き返す。狭い木製のテーブルは二人分のグラスと唐揚げとサラダでほとんど埋まってしまった。これだけで埋まるテーブルなのに、すぐ正面にいる綾奈に話しかけるのにも声を張る必要がある。
隣の大学生グループが延々とコールをしている。おもんない、と馬鹿にしていたやつ。佐藤にとってはうるさくて耳が痛いだけのものだったが、最近は尖った感情が少しだけ懐かしい。
「いや、今日助けてくれてさ」
「ああ、あの男?」
綾奈と佐藤は同じシューズショップで働いている。佐藤は昼の男のことを思い出した。
「おー、姉ちゃん、この靴ええやん」
「ありがとうございます〜! そうなんですよ、秋ぐらいから流行ってるモデルで」
「うん、ええわ、もう片方もいい?」
「もちろんです! ご用意しますね」
「ちょっ……も〜。違う違う。先に舐めんと」
「……はい?」
「いやあ……最後のチャンスやったよ?」
「と、申しますと……」
「いや、だから。ちゃんと足を舐めて、綺麗にしてから履かせんと。こっちは舐めてくれんかったけど、チャンスあげよ思ってあえて言わんかったの。仕方ないわぁほんま、はい。あ、もちろん靴下は脱がせてな(笑)」
綾奈は気づいていなさそうだったが、何度か見たことのある顔で、来店の度に試着や購入もせず綾奈にこっそりついて回っている人物だった。気掛かりだった佐藤はそれとなく様子を観察していたが、想定以上の見過ごせない発言に思わず男の前へ歩み寄った。
『お客様、おやめください』
綾奈は片手を口元に当て、にやついた表情を隠しながら佐藤の発言を真似た。
「やめてや、なんか恥ずいやん」
「えーなんで? かっこよかったのに、颯爽と(笑)」
「やめろや、なんで助けたのに茶化されなあかんねん」
綾奈はくっくっと笑った。
「でもほんと、嬉しかった。佐藤が助けに来てくれて」
「嬉しかったって……あんな怖い思いしといて」
「怖かったけど、嬉しいのが勝ったよ。私、こういうことよくあるし」
「いや、綾奈ほんまよくあるよな。前も変なヤツに連絡先渡されてたし……居酒屋やったらまだわかるけど靴屋やで?」
「んふ、ほんとだよね。逆に佐藤が無さすぎるんじゃない?」
「無いわ、靴屋やぞ」
綾奈は楽しそうに笑い、取り分け用のトングを無視して直接シーザーサラダに箸を伸ばした。あ、直でいい? 聞く前から既に半熟卵に箸は入っていたが、佐藤は何ら気に留めず、もちろん、とだけ返した。はーあ、と大きくため息をつきながらサラダを混ぜる綾奈の指にはシルバーのリングが安っぽく光っている。自分の取り皿にだけサラダを取っていくその右手を見ながら佐藤は、トングと同じ色だな、と思った。
「改めて思ったけど、やっぱさ、こういう時にスッと助けてくれる人がいいよね」綾奈は取り分けたサラダのクルトンを箸でころころと転がしながらぼやいた。
「あ、そういえばどうなん? 龍弥と」
「え、んー……」
龍弥は綾奈と佐藤の同期で、綾奈の恋人である。2人は入社直後の東京研修で急激に仲良くなり、わずか1ヶ月の研修期間中にいつのまにか付き合っていた。
研修を終えると佐藤と綾奈は同じ店舗に配属されたが、龍弥だけ違う店舗への配属になった。ただ龍弥の店舗も関西圏ではあったので、特に恋路の障害というほど距離が離れたわけでもなく、ほとんど研修期間と変わらないペースで遊んでいた。
しかし普段は仲睦まじく見えるのだが2人はしょっちゅう喧嘩をしていた。酷い時期は佐藤含め3人で飲んでいるときでも喧嘩が始まることもあった。2人とも折れないので基本的には佐藤が宥めることになり多少は辟易していたが、細かいことをあまり気にしない性格の佐藤でなければもっと参っていたかもしれない。
そして先日、配属からちょうど1年が経った頃、龍弥が東京の店舗に異動になった。
「言っていい?」
「どーぞ」
「めーー…………っちゃくちゃ寂しい」
龍弥が異動してから1ヶ月。あれだけ聞かされていた愚痴が無くなり、佐藤自身は意識していなかったが、どこかふわふわした、それでいて淀んでいるような不思議な感覚が少しだけ胸の内にあった。
「龍弥向こう行ってからまだ会ってないからさ。会ったらまた変わると思うんだけど。でもさ、LINEとか電話とかするわけじゃん、でも、なんか楽しくないっていうか……好きだよ、好きなんだけど。やっぱ一緒にいてこそだったんだなって思うわけ。私って会わないとダメなタイプなんだなって改めて思った」
綾奈は話を区切るように音を立ててクルトンを噛み砕いた。
「さっき寂しいって言ったじゃん。なんかさ、私的に寂しいがふたつあって。単純に距離が遠くて会えなくて寂しいってのと、なんか、触れられないってだけで気持ちが離れてくのが、私の気持ちってそんだけだったんだーみたいな、あんなに本気だったのにーみたいな。んー説明むずいんだけど、わかる? そういう寂しさ」
「あー、わかるよ」
「まじ?」
「高校のときやけど。相手にはもう冷めてるんやけど、自分の中がその人でいっぱいやったから、それが無くなってまるごと空洞になったみたいな? 感じやった。そんな感じ?」
「それ! 空洞! 上手いこと言うねー!」
綾奈は人差し指を佐藤に向け嬉しそうに言い、かと思えばすぐに眉を下げ、マドラーで氷をだらだらかき混ぜながらまたため息をついた。
「はー、最近ほんと楽しくない」
「何、楽しくないの」
「うん、全然楽しくない。んで龍弥がいないと楽しくない自分にも腹立つ」
「うわー、つら」
「ねーなんか面白い話してよ」
「いや殺す気か」
「あ、そういえば佐藤はどうなの? 最近話聞かないけど」
「あー、別れた」
「え、まじ! いつ?」
「いつやっけ、2週間前ぐらい?」
「なんで言ってくんないの!」
「え、別に言うことでもないかなって……」
「ねえひどーい!」
「なんでよ」
「だってそんなことも言ってくれないとか寂しいじゃん! なんか心開いてくれてないのかなとか思っちゃうんだけど……」
「や、そーじゃなくて……なんていうか、別に何があったって訳でもないからさ。聞いても別につまらんと思うし、綾奈といるときはもっとおもろい話したいし……」
「……ふーん!」
綾奈は唇を尖らせ、そのままグラスを口元へ持っていった。佐藤は少し考えた。こんなに寂しいと思わせてしまうとは、うーん。あ、そういや綾奈にしてない話まだあったな。
「あ、そういえばレズ風俗行ったわ」
「ブハッ」
狭い卓上にある、冷めかけのヤンニョム唐揚げ、クルトンだけやたら減ったサラダ、2人分のグラス、割り箸、等、全てを、飛び散ったレモンサワーの水滴が等しく輝かせた。
「うわっ、もー! 何すんねん!」
「いやっ……ごめ、いや、ちょ……え、何? もっかい言って?」
「いや、先拭けよ」
佐藤は言うと、皿を引き寄せ、濡れた箸を紙ナプキンで軽く拭き、テカテカ光る唐揚げをつまんで口に入れた。
「おほ、なんか酸味ついとんで」
「ねえキモーい!」
「お前のせいやんけ。ほらもう早よ拭いて」
綾奈は不満げにおしぼりを動かした。少し前のめりになるような姿勢のせいで緩く巻いた綾奈の毛先にテーブルの水滴がつきそうになり、「おっと」佐藤は手の甲で髪を避けた。「あ、ありがと」
「え、そんでレズ? レズ何?」
「レズ風俗」
「あのさ、普通になんで?」
「……ノリ?」
「ノ……レズ? レズだったの?」
「いや、普通にノーマル? やねんけど。友達にレズの子がおって、それで」
「え、その子とはやんなかったの?」
「は? やるわけないやん」
「いや、わけないって言われてもわかんないし」
「それに、風俗いうてもやってはないし」
「え、やってないの?」
「うん。あんまシステムわからんねんけど、最初は普通にデートして、最後にホテル行くみたいな流れで。はじめ普通に友達みたいな感じで買い物して」
「ほ、ホテル?」
「うん……まあ行ったは行ったんやけど、よくわからんかったからチューしかしてない」
「ええ?何よくわからんかったって」
「いやあ、別にそういう気分にならんなって……」
「可愛くなかったの?」
「や、可愛かったよ。でもなんやろ、タイプじゃなかったんかも」
「逆にどんな子がタイプなの?」
「えー……わからんなあ」
「じゃあさ、その子のどこが刺さんなかったってとこから考えてみようよ、まず髪ね! どんなだった?」
「んー、ボブやった」
「ボブだめ?」
「うーん……長い方が可愛いって思うかも。ふわふわした感じの」
「早速だめじゃん」
綾奈は大きな瞳を細めてけらけら笑った。笑うと目尻に皺ができるところがいじらしくて、佐藤もつられて笑う。
「じゃあ顔は? どんな感じ?」
「うーん、猫目で、ちょっとかっこいい系?」
「かっこいい系だめだった?」
「うん、可愛い系のが好きかも。TRIPLEのサヤとか好きだし」
「真逆じゃん!」
「そういえば性格も合わんかった気がする。おとなしくて買い物のときとかもお淑やかな感じやったんやけど、私よく喋る子とおる方が楽しいって思う、かも……」
佐藤は言いながら考えた。言葉は萎んでいく。あれ? これって「ふふ」綾奈が笑っている。
ねえ、じゃあさ、私は?
大きな瞳が佐藤を見つめている。
全ては背景に過ぎない。
「いや……それは……」
目線を下げた先、その仕草に合わせるように、ヒールの先がふくらはぎのあたりを緩く小突く。綺麗なベージュのネイルが施された細い指先が、煽るように佐藤の指先と触れた。熱が伝わる。考える隙は与えられない。トングが鈍く光っている。くく、ふふふ。好奇心、挑発、酔い、笑い声。
「や、あかんやろ……」
鈍く光っている。
うわつき 饅坊 @_man_bou
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