人魚姫は陸に上がらない

続セ廻

「海へ行こうと思った」


 少女の声を聞いて、浦島うらしまタイチは足を止めた。


 声は、青い葉が生い茂る夾竹桃きょうちくとうの生け垣の裏側から聞こえた。奇しくもそこは、いつもタイチが通る公園の前。

 遠く、山の中に建つ古刹こさつから夕刻を知らせる鐘が六度鳴る。


 ――プン、と小さな音を一瞬立てて、公園に設置された外灯にLEDの光がともった。空は灰がかったくすんだ藍色をして、月も星も見えない。

 公園には道路に面して夾竹桃がずらりと植えられて壁を作り、通り過ぎる人々や車から視線を遮る。夾竹桃の生け垣と反対には、壁の塗装は剥げて地面はぼこぼこになった半面だけのテニスコート。ブランコは脚だけが寂しげに佇み、ジャングルジムが有った場所には穴の痕跡がわずかに残るばかり。

 大人によって中途半端に片付けられて、それからを後回しにされた空間。


 タイチが耳を澄ますと、どうやらそこに二人の少女がいるらしかった。


「――……」


 そっと、生け垣のスキマから覗き込む。


 白い髪の少女と、黒い髪の少女。向かい合う二人は、到底触れ難い空気を漂わせていた。


「なんて…?」


「…魚住先輩が死んだのは……アタシのせいだから」


「ヒメノさんは死んでない!」


 パンッ!


 乾いた音が響き、頬を張られた白い髪の少女、新海あらみマヤが力無く項垂れた。黒い薄手のパーカーを着て、黒いテーパードパンツを穿いて、足元はサンダルだった。襟元から覗く白い首筋には、細いチェーンが見える。


「またヒメノさんが死んだなんて言ったら、今度は二回叩く」


「シンジュちゃん…………」


「ヒメノさんは生きてる!」


 新海マヤを叩いた少女、大汐おおしおシンジュは、艶やかな黒い長髪をシュシュで一つに束ね、他の少女よりも頭一つ小柄だというのに、強い語気と気迫でマヤに迫る。頬を紅潮させ友人を睨むその様子は、見た目以上の存在感があった。


 そんなシンジュの視線から逃げるように背を丸めたまま、マヤはその目に暗い諦念ていねん自責じせきを滲ませて口を開く。


「…シンジュちゃんも見たでしょ…。凄い、大きな人魚が……魚住先輩のこと」


「まだ死んだなんて決まってない!」


「ッ……」


 マヤはじっとシンジュの足元を見つめていた。


 マヤの視線の先では鹿の脚のようにほっそりとして、健康的に日焼けしたシンジュの足首がショート丈の靴下から覗く。シンジュの足首にも、マヤと同じようなチェーン、アンクレットというヤツが掛かっていた。


「一人で行ったら…アンタ…死にに行くのと同じじゃん」


「でも…、このままじゃ次の『アカい海』の日に、流宮城とのが繋がっちゃう」


「わからずや!」


 バンッ! とシンジュが地団駄を踏んだ。


「一人で行くなって言ってるの!」


 ――少女達のいさかいは、聞いているタイチの頭をきーんと痛めつけるようだった。その必死な声も、震える握り拳も、一人の少女が相手から視線を逸らす様も全て。


 タイチは眉間を押さえて、丸めていた背筋を伸ばし溜め息をついた。そして、思い切って夾竹桃の間へと踏み込んだ。


 パキパキ ガサガサ バキッ!


「ッ!」


「なっ……」


 木と木の間を割って入ったのだが、何本もの枝を折り、葉ごと地面に落ちて、服が引っ掛かった。


「ごめんな、邪魔して」


 タイチが枝に引っ掛かった服を強く引くと、プツッと糸が切れ、しなった枝がガサガサと音を立てて揺れた。シャツにあいた穴に視線を落とし、それから顔を上げると、少女達は引きった顔でそれぞれタイチを睨んでいた。


「……怪しい者じゃねえさ」


「マヤ! 逃げるよ!」


「シンジュちゃん」


 シンジュがマヤの手を掴み、走り出そうとする。だがシンジュは咄嗟に走り出せなかった。


「あうっ」


 どさっと音がして、少女はタイチの目の前で脚を縺れさせ、転んでしまう。あ、と片手を宙に上げたタイチの前でシンジュはスマホを取り出した。


「や、通報は待って待って」


「待つわけ無いでしょ」




「君たち、人魚狩りだろ?」




 二人の少女が息を呑んで、おおきくみはった瞳にタイチの姿を写した。

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人魚姫は陸に上がらない 続セ廻 @Enec0n

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